299.私は…誰?
あぁ、やっぱり彼はとんでもない。そして、それがまた心地良いのだ。
そしてあれ、と思う。そう言えば彼の名前は…?
何だ、この感覚は?少し前まであんなに鮮明に覚えていたのに。彼の名前は…思い出せない。
物思いに耽っていると
「時に、この水晶は…いや、まずはこれか」
閣下は懐から紙を取り出すとさっさと魔力を流す。魔法契約か?
促されて手に取る。ここに見聞きした内容は外に漏らさないという内容だ。破った時には全魔力を失うとある。
はっ?なんと重い罰なんだ。閣下はそれだけの覚悟を…。
閣下を見る。
「それだけの価値がある。そう判断したまでだ」
私は躊躇った。しかしそれを見越したかなように
「何、言わなければ良いのだ!それに、これにはそれだけの価値がある」
閣下はエンブレムを指して言う。私はシスティアとそしてバージニアを見る。
頷くと魔力を登録した。紙は光ってから消えた。魔法契約が成立したのだ。
それから私たちは順番に話をする。
彼の名前は…?先ほどの違和感が戻ってくる。そして胸騒ぎがする。
彼のことを、信頼できる人に話さなければならない。そう感じた。どうやらシスティアとバージニアも同じようだ。
そして、それは聞き役の3人もだった。記録紙を取り出して3人ともが私たちの話を魔法で書き留めた。
何か、焦るような気持ちがする。
バージニアがスーザンから聞いた話。貧民街の子供に連れられて、元上級探索者の営む宿に来たこと。
私がイズに聞いた探索者に登録した時の事。そしていつの間にか白い犬(聖獣)と聖獣の白大鷹がそばにいた事。
森人の想いと新しい鉱物の発見。
ロルフとの話はシスティアが。生命樹の愛し子である事。
キビのレシピにサバサンド。黒砂糖に遠外分離器、クリームに印。語れることは語った。
「そうであったか…」
閣下は考え込んでから、顔を上げた。
「良き話を聞いた」
そしてエンブレムを撫でると
「水晶に魔力が込めてあるな?」
ハウラル殿が閣下のエンブレムの鎖から水晶を外す。立ち上がって部屋の隅に移動して水晶を握ると、柔らかな光が閣下のエンブレムへと延びた。
「…!」
そうなるよな?
「我が隊には、まさに救世主だ」
ダウルグスト殿が言った。体を張る仕事である第一に師団。混戦となった時に、その居場所が分かる。助けに行くことも出来る。
閣下の目から涙が零れ落ちた。
こうしてこの日、閣下たちとの面会は終わったのだった。
*****
ふわふわと漂うような心地良さに身を任せて、私は眠っていた。ふわふわ、ふわふわ…。
どれくらいそうして漂っていたのか、ふと水面から浮上するように…意識がハッキリした。
あれ、私は何をしていたの?
そっと目を開ける。周りは白に青い絵の具を溶かしたような、とてもきれいな空間。
そこを雲に乗って飛んでいた。うん、意味がわからない。曇って水蒸気の塊だよね?何で物質として成立してるのかな。乗れてるって何で…?
混乱する。しかも飛んでる。どこを?空、では無い。どこかの空間を飛んでいる。
なのに風圧も感じないし、空気の薄さも感じない。
ここは大気がある場所じゃない?でも呼吸は出来るし、寒さも暑さも感じない。
混乱しながらも、私は勝手に進んで行く。どこかもわからない空間を、見渡す限り自分しかいない空間を。
怖いっ…ここは何処なの?
律…。こんな時、律がそばにいたらなんて言うだろう。
へー不思議な空間だね?とか言ってそう。
思わずくすっと笑う。
こんな時に思い出すのが律なんてね?
そのまま意思とは関係なく進み突然、目の前が明るくなった。
ザワザワ…ガヤガヤ…
ここは…?
沢山の人が行き交っている。今までずっと見てきた風景。高いビルに行き交う車、忙しなく行き交うたくさんの人々。
なんて事のないありふれた風景。なのに、どうして違和感があるんだろう。
この世界で生まれて育って、当たり前に暮らしてきた日常の風景。珍しくもないはずなのに、強烈な違和感を覚える。
爽やかな風と素朴な風景、柔らかくて温かなもふもふと…大好きな色。
えっ…今のは何?大好きな色って。自分の事なのに分からない。私は今、何を思った?
さわりと風が頬を撫でる。柔らかなもふもふは森の匂いがする。
森の匂いって何?私は…。
得体の知れない不安が押し寄せる。それはこの場所にいることの違和感 。
どうして…何で?私がいるべき場所、在るべき場所に帰って来たのに。
帰って来た…?どこから…分からない。分からないけど、鼻腔をくすぐる優しい大地の匂い、吹き抜ける風…大好きな***。
大好きな…?色、色は…そう淡い金色。
またしても混乱する。淡い金色を、何処で見たの?
それだけじゃない、白銀に…濃い金色と鮮やかな青。これは…?確かに私が大好きで大切だと感じる色。
ふと振り返る。そこには変わらずに行き交う人々。強烈な違和感のまま呟く。
ナビィ…。そうだ、ナビィ。何か大切な事を忘れている気がする。
道標、金色のしっぽ、楔…吹き抜ける風、白い森…温かで柔らかな体。大好きな***。その匂い。手の感触も、何もかも…。
思い出せそうで思い出せない何か大切な事。
でも一つだけハッキリとした。ナビィ、そばにいるって誓ったナビィ。
私はナビィを探す。
戻らなきゃ。
何処にか分からない。それでも、ナビィを探すために私は元来た場所を目指す。
早く早く…焦る気持ちを宥めながら。ナビィ…今、帰る。
夢中で歩いていたら、いつの間にかあの白い空間に出ていた。そしてまた雲に乗っている。だからなんでやねん!
思わず突っ込んだ。
元来た方に戻る。右も左も、上も下も分からないのに…戻ってることだけは分かる。
すると遠くに金色の何かが揺れているのを見つけた。
ナビィ!
間違いない、あれはナビィのしっぽ。ゆらゆらと私を導くように揺れている。急いでナビィの元に…。
突然、目の前に闇が広かった。これは何…?
(あの子は地味よね)
(ほんと律の仲がいいからって調子に乗って)
(律は優しいから)
(釣り合わないわ)
(カズハはカッコイイのに妹さんは地味だな)
(お兄さんはあんなに目立つのに)
(あの子だけ地味よね)
(釣り合わないわ)
何処からか声が聞こえた。あぁ、いつもの通りだ。今まで何度も言われた言葉。
目立たない、地味、釣り合わない、腰巾着などなど。
その度に律もお兄ちゃんも本気で怒ってくれたけど、余計に惨めな思いをしたんだった。
でももういい。だって私は私だ。私だけを見て微笑んでくれる人がいるから。私が地味でも目立たなくても、私だけを愛してくれる人がいるから。
私がどんな見た目でも、どんな名前でも…私は私でしかない。だからそれでいい。
そんな声に今更惑わされたりはしない。だって私を待っててくれる人たちがいるから。
ナビィも、ハクも、ブランも…***も、***も。
だから大丈夫。私は目をしっかりと開けて、その闇を突き進む。
私は信じているから。ナビィが導いてくれる、その印を。分かるから、大切なものが沢山あると。私には帰るべき場所があると。
「!」
闇を突き抜けた先は、緑が濃くて爽やかな空気の場所だった。懐かしい匂い。ナビィのしっぽはもう目の前だ。そのふさふさのしっぽが私の顔を撫でる。
手を伸ばしてその体を抱きしめた。
『アイリ!』
ナビィ…やっぱりナビィは温かくて柔らかくて、懐かしい匂いがした。もふもふの首に顔を埋める。
『アイリーお帰り!』
ふふっただいま、ナビィ。
あれ、ここは何処だろう?
私は…誰?
思い出せない…
そこで意識が途切れた…。
*****
俺と腕の中にはぐったりとしたイグニスがいる。
降りた下界は鎮魂の森と呼ばれる旧イグニシア。目の前には氷の棺と、イーリスと、その横にイグニスの末裔、森人と探索者。ヒュランと黒曜犬にティダ、ユニオ改めてニミがいた。
突然現れた俺たちにびっくりしていたが、ヒュランがいち早く俺の腕の中のイグニスに気が付いて寄ってきた。
『何が…?イグニス様…』
俺は特に理由はなく、氷の棺に近寄る。そこには眠っているアイルがいた。その体は淡く光っている。
これは…マズイぞ。
イグニス、起きろ!アイルの魂が帰れなくなる。焦ってイグニスを見ると水色に強く光っていた。
何が…?エリアスがポーチから薬を取り出す。
「これを…飲ませて」
俺に渡してくる。なんだかヤバいもんだと分かる。ヤバいはいい意味の、だ。俺は口に含むとイグニスに口移しで飲ませた。
するとイグニスの体がさらに水色にピカンと光り、やがて傷が塞がって何故か服まで元通りになった。
「はっ…?」
「何が…」
「治った…」
グライもヴィーも唖然としている。
エリアスを見れば
「アイルの薬だから…当然」
「服も、元通りだが?」
「服もケガをしたから…治った」
服も傷認定されたのか?いやいやいや、何だそれ。
胸元のイグニスは顔色も戻ってスヤスヤと寝ている。そう、寝ているのだ。
「マジかよ…」
異世界の武器には異世界の癒し…理に適っている。適っているが、なんでだよ…。
そう思った俺は悪くないと思う。そして、下界に降りたのは正解だったとそう思った。
棺の中で眠るアイルを見る。白い顔は血の気がなく、人形のようだ。
その髪に触れて
「早く戻れ…。待っているぞ」
そう呟いてその髪にキスをした。同じようにグライとヴィーも髪にキスをする。
その顔はほんの少し笑ったように見えた。
これにて第5章終わりです…
閑話を挟んで引き続き第6章へ。
章の設定と整理をしながらになりますので、少し時間空けます
※読んでくださる皆さんにお願い※
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