21.ブラックベア
「ロルフ様。あの木の後ろに隠れてください。なるべく気配を消して…早く」
そう言うとロルフ様を追い越して別の方向へ走り出した。
ハクも付いてくる。とにかくロルフ様からブラックベアを離して、そうすれば私が魔法を使ってもバレないはず…バレないよね?
ロルフ様が何か叫んだような気もするけど気にしていられない。
わざと枝を折って音を出しながら走っていく。こちらに気が付いたベアが向きを変えたのが分かる。もう少し走ればロルフ様から見えなくなる。そうしている内にベアが視界に入る。
後ろを振り向くともうロルフ様が隠れた木は見えない。
よし、ここなら大丈夫だろう。
ブラックベアは森の奥の洞窟を住処にしている魔獣だ。黒い毛皮は魔法を弾き、硬いので剣でもなかなか斬れない。初級の探索者なら逃げ一択の危険な魔獣だ。
魔法を弾くというのは魔法で作った火とか風の攻撃を弾くということで、そういう攻撃は通用しない。こちとら持っているのは短剣だけだし、切れ味上昇にしていても短剣程度では刺さっても軽微だ。しかも正確に急所を突くのは私では無理だ。
それならばと、向かってくるベアがこちらに襲い掛かる少し手前の地面を陥没させる。正確にはマンホールの下の穴を想像して作った。深さ3mくらいで幅は1mくらいの穴。ベアは突然開いた穴に吸い込まれるように落下していく。
少ししてぐわと鳴き声がした。ガリガリと削るような音もするが残念。穴の中の壁はコンクリートを想像してツルツルに固めておいた。ベアの爪でも登れないくらい丈夫に。
そして仕上げに穴の入り口を空気の膜で塞ぐ。さらに穴の中の空気を風魔法で外に逃がす。
そう、窒息死させようとしているのだ。穴の中から聞こえていた鳴き声と爪で壁を削るガリガリという音は段々と小さくなりやがて聞こえなくなった。
しかしあちらの世界で堅物だの慎重過ぎるだのと散々言われた私だ。音が止んだからといって空気の膜を開けるようなことはしない。そのまましばらう様子を伺う。すると
『アル…えげつないな。』
ハクの声が聞こえた。
『もう大丈夫?』
『あぁ。まさかブラックベアを窒息させるとはな…』
『仕方ないだろ。魔法が効かないんだから』
『それにしても…』
呆れようにハクが見る。だってブラックベアだし…ブツブツと言っているとハクが空気の膜を破って穴を覗き込んだ。横から見ると穴の中でくたっとしている。
私は動物が好きだ。特に哺乳類。可愛くて暖かくて。もちろん熊だって見るのは好きだ。だから魔獣と分かっていても穴の底で死んでいるベアを見て心が痛んだ。
初めて自分の手で生き物を殺したのだから。やるせない気持ちでそのまま呆然とベアを見つめる。
あぁここは平和な異世界ではないんだ。弱肉強食。やらなければやられる、命の軽い世界。平和な国で過ごしたからか、生き物を殺した衝撃が多いのほか大きかった。
そのまましばらく見ていると
『持って帰ろう』
瞬きをしてハクを見る。
『ブラックベアの革はいい素材だよ。これで胸当てとか籠手とかブーツを作るといい』
そう言うと穴の下の土を隆起させた。
目の前に死んだブラックベアがいる。
何かがセリ上がってきてその場で吐いた。それと同時に涙が溢れてきた。なんで私は異世界にいるんだろう。何で私だったんだろう。律…友達の名前を呟く。助けて…
そこで意識を失った。
気が付くと雨が降っていて。木の下に寝かされた自分にも雨が降りかかっていた。傍にはハクがいてこちらを心配そうに覗き込んでいる。
『アル、大丈夫?』
「…大丈夫じゃなさそう」
ハクは寂しそうな顔でぺろぺろと私の顔を舐める。
『帰りたいって思ってるんだね』
そう、帰りたい。何気ないあの日常にまた戻りたい。何で私は…また涙が溢れてくる。
ハクは涙をぺろぺろと舐める。
『アル、僕がいるよ。僕がずっと側にいるから…だから泣かないで』
雨に濡れたもふもふの体を擦り付けてくる。自分の匂いを付けて見失わないように…何度も何度も。
そうだった。私がここに来なければハクは生きていなかった。私がここにいることを否定したら、それはハクを否定しているのと同じことになる。それはダメだ。
まだ生き物を殺した衝撃はあるし、簡単に慣れることはできないけど…それでもここにいる自分を否定してはいけない。そう思った。そう思えたから。
「ハク、まだいろいろと悩んだり落ち込んだり、あちらに帰りたいと思ったりするだろうけど。それでも私はここで確かに生きているから。だからこれからも一緒にいてな」
この時、本当の意味でこちらので世界で生きていくことを受け入れられた気がする。
『うん。ずっと一緒だよ。アルの命がある限り』
それを聞いて少し笑ってしまった。まるで結婚式の誓いの言葉だ。
でもそれもいいのかもしれない。私はある意味、ハクとこれからの人生を伴に生きていくのだから。
ハクの首を抱きしめる。雨に濡れてしっとりしたその毛は滑らかで温かかった。しばらくそのままハクの温もりを堪能する。そして体を起こして
「ここはどこ?」
と聞くと
『さぁ?』
え…?さっと青ざめる。今何時?ここはどこ?私は誰…?
うぅつい現実逃避してしまった。そういえばブラックベアはどうしたんだろう?
『僕が収納した。アルが見ても大丈夫になったら言って。それまで僕が保管しておくから』
ん?ハクさん。どこに収納したの?
『亜空間に。固有魔法だよ』
マヂですか…さすが聖獣。もふもふなだけではなかった。
「ロルフ様の気配は?」
『全くない』
うぅ本日二度目のマジですか…どうしようかな。まだ雨が降っている。馬車の方向はハクが分かると言う。馬の匂いだって。でもロルフ様の気配は分からないと。困った。自分だけ戻ったならそれはもう違う意味で終わっている。
幸いローブは防水仕様でフードも付いているから歩いてもさほど濡れない。もちろんブーツも防水加工済み。
ハクは毛皮が雨を弾くらしく表面は少し濡れても体に染みてくることはないらしい。
ロルフ様が心配だ。ただでさえいつも青白い不健康そうな見た目なのにこの森で1人ってよろしくない。探そう!
私の洞察力は匂いを感知はしないけどある程度気配は分かる。それでも確かに感知できる範囲にはいない。これはさっき別れた場所に戻ってそこから探すしかないな。
聞けば私が気を失っていたのは10分ほどでそんなに時間が経っていない。それならロルフ様もそんなに遠くには行っていないはず。
ハクと雨の中を戻り始める。夢中で走っていたから分からなかったけどまぁまぁ離れていた。2Kmぐらいか。戻って隠れてと言った木を見るけどやはりいない。馬車の方向に戻った感じはないから森の奥に行った?
何となく森の奥にいるような気がする。これが単なる勘なのか、洞察力の所以なのかは分からないけど。ハクも同じように感じたみたいだから奥に向かって進んでいく。
途中ローズマリーを見つける。採取した形跡がある。えー、ロルフ様何してんのさ。いくら私が引き付けたとはいっても私がヤラれてるかもしれないのに…移動した上に採取まで。
呆れながら進んでいく。途中までは進んでいった痕跡があったのに見失ってしまった。
どこ行っちゃったのかな…そうしてもう少し進むと何かが引っかかった。ん?目の端に何かを捉えている。それはロルフ様の濃い金髪だった。少し窪んだ洞窟のような場所で雨宿りをしている。
近づいていくと軽く手を挙げる。一気に力が抜けた。側までいくとこちらを見て
「ここの洞窟、水晶が採れるんだよ!」
今この状況で言うことそれかい!さすが研究者。でも専門薬草だよね?
「私は鉱物も専門だよ」
しばし無言で見つめあってしまった。流石に今言うことではないと思ったのか無事で良かった。と続けた。軽く頷いて戻りましょうと言うと、水晶を少し採って行こうと言われる。首を振ると構わず奥に歩いて行った。
私の意見は全無視ですね。まぁ今に始まったことでもないけど。
諦めて後を追う。そこには確かに岩肌から突き出るような結晶があった。
ロルフ様はポーチから小ぶりなノミとハンマーを出して渡してくる。見ていると結晶の根本にノミを当て、ハンマーでノミを叩いている。するとボコっと水晶の結晶が落ちた。
反対側で同じように水晶を採る。あれ?意外と楽しい。どんどんハンマーで叩いていると大きな塊が落ちた。裏が空洞になっていたようだ。そしてそこには紫水晶があった。
落ちた塊は表が水晶で裏が紫水晶。両掌ぐらいのそれなりに大きな塊だった。それを見たロルフ様がすっ飛んできた。
「これはまた見事な…私にぜひ譲ってくれ」
真剣な目で言われたのでコクコクと頷く。
それを大切そうにしまい込むと紫水晶も少し採ろう、そういってハンマーで叩き始めた。近くで私も同じようにハンマーで叩き始める。採れた紫水晶は不純物が少ないきれいな物だった。
ロルフ様を見ると
「もちろん、それは君の物だよ」
やった。こちらの世界で生きていくと決めた私へのごご褒美かもしれない。そっと胸に抱きよせてからポーチにしまう。
「もっと採りたいが今日のところはそろそろ帰ろう。ローズマリーとバラの採取はまた明日だな」
驚いてロルフ様を見る。
「指名依頼の薬草は4種類だよ」
…そうだった。例えロルフ様がバラも採取していたとしても…採取依頼は私に出されている。私が採取しないといけないんだった。
うわぁ。また明日って…また明日って…マヂですか。今日3度目だよ。
そうしてまだ降っている雨の中、馬車へと戻っていった。
今日は野宿かなと思ったら近くに宿があるという。しかの念のため3部屋押さえておいただって。
遠い目になったのは仕方ないと思う。
一応宿代は?と聞くともちろん私持ちだよとロルフ様に言われた。良かった。
宿で夕食とシャワーを浴びて服を脱いでベットに寝転ぶ。もう寝よう。今日も色々あった。
そして今日もハクを抱いて…秒で落ちた。
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