180.ロルフの想い
私は部屋を出たイルの後を追う。今朝まではお父様と言っていたのに、名前を様付けで呼んだ。
イルが父上を突き放した瞬間だ。
…ないで、…嫌わないで…イル。お願いだから…
話はそれで終わらなかった。
その後、食堂でイルが厨房に用意された材料で作った食事を父上に食べるよう勧める。
そばには首に氷のナイフを突き付けられた2人の使用人がいる。厨房にいた人間だ。青を通り越して白い顔で成り行きを見ていた。
「そんなつもりじゃ…ぐはっ」
喋ろうとしたら突然、体を折り曲げて苦しんでいる。アゴに氷のナイフが突き刺さっていた。
これはイルの魔力。なんて繊細な…そして残酷な。
その目は相変わらず何も映していない。
父上が食べないと分かると自分で食べ始めた。えっ?えっ…。毒が入っているのに…?
誰も動けない。そして当たり前だがイルは血を吐いて倒れた。
すかさずイーリスがその体を支えて食堂を出る。
イル…イル…どうして…?
涙が溢れる。私はふらふらと食堂を出て部屋に戻る。悲しくて、イルを思って泣いた。
リツが胸元のポーチから抜け出してよじ登って来た。私の口元をペロペロ舐める。
リツ…その柔らかで温かい体に顔を擦り寄せて…泣いた。涙はなかなか止まらなかった。
少ししてお母様が部屋に入って来る。私を髪を撫でて
「一緒にアイル君に謝りましょう、お母様がいるから大丈夫よ、一緒にここを出ましょう」
と言ってくれた。
そしてギュッと抱きしめてきた。
胸元でぐぅ…と声がする。そこにはお母様のお胸に押されて苦しそうなリツがいた。
「お母さま…リツが潰れます…」
「まぁ…」
そして顔を見合わせて少し笑った。あぁやっぱりお母さまには敵わないな。
イーリスは部屋に入れてくれた。ベッドに青ざめたイルが眠っている。私はイルの頬を手で挟み、おでこを合わせる。また涙が溢れて来た。
イル…
やがてお母様がここを出発しないかとイーリスに言う。頷いたので、お母様とともに侯爵家を後にすることにした。
町にいた探索者たちには連絡済みだ。
こうして慌ただしく侯爵家を出発した。伯爵家の紋章を掲げて。まだイルは眠っている。
イル、イル…どうしたら君を守れる?
イル…
叔母様の屋敷に着いた。もっとも離れはお母様の所有だ。叔母様と挨拶をして部屋に入る。
イルはまだ目を開けない。そばでジッと見つめる。しばらくそのまま眺めていると瞼がゆっくりと開いていく。瞬きをしてイーリスを見て僕を見る。
ハク様とナビィがベットに飛び乗って…イルはぐふっとうめいて、お腹はダメと言った。
でもハク様たちは口々にアルが悪い、アイリが悪いと言い返す。
そしてイルはイーリスと私を見て気まずそうに
「ごめんなさい」
と言う。イーリスが怒っていることも僕が悲しんでいることも分かってる。
なのにその理由が分かっていない。
僕たちをイルが大切にしてくれるのと同じように、自分を大切にして欲しいのに…イルは自分が傷つくことに無頓着だ。
どうして分かってくれない?僕たちだってイルが傷付くのを見たくないのに…。
イルは涙を流した。そして話し始める。
死ぬはずだった自分が生きていていいのか、ここにいる自分は本当に私なのか…と。
僕も気が付いていた。イルが選ばれた訳を。確信はなかったけど。
イルは自分が本当の自分であると言えずにいた…そんな思いを抱えていたの?
イルはそんなそぶりを見せなかったから、分からなかったよ。
間違いなくそこにいるのに、それをこの世界の異物だと感じていたの?
それはどんなに孤独だっただろう…でも僕らでは分かってあげられない。
イル…
生きる価値なんて誰が決める?それは自分で見いだすもの。
しがみついて生きて…イーリスの為に、ハク様たちの為に、アイリーンの為に、そして僕のために。
「自分を大切に生きてみるよ。ごめんね…そしてありがとう。大好きだよ、みんな。だから一緒に生きて。迷いそうになったら呼んで。落ちそうになったら引き上げて。私自身の力でしか私を生かせないから」
分かっているんだね、それでも迷ってしまうなら…そう、僕たちが道標になるよ。
だから…生きて。
するとアーシャ様の声が聞こえた。ユーグ様から伝言だと言って話し始める。
「私の愛し子よ。イーリス、ブラン、ナビィとの子が実った。おめでとう…その生を全うして…強く生きなさい。
白銀狼の魂の契約者、唯一無二の契約者として…
森人の、運命を乗り越えて今を確かに生きているイーリスの番として…
そして人と共に生きることを選んだ白大鷲の契約者として…
迷わず生きなさい。愛し子は生きることを望まれた…だからこの世界に来た。これは神の恩情…愛し子は選・ば・れ・た・」
イルの目にまた涙が溢れる…これはきっと嬉し涙…
僕と一緒に生きて、イル。
イルはお昼を食べられなくて、少し寝てお母様が部屋に来て、色々あって…。
僕はお母様と本館に夕食を取りに行った。
そこで色々な話が出た。なるほど、それならいいかも。有意義な話が出来て部屋に戻ると、イルがベットに横たわっていた。
ん?毛布をめくると裸で…耳まで真っ赤にしたイルが毛布で体を隠す。横たわるイルがなんだか気怠げで色っぽい。
大好きな人のそんな乱れた姿を見て何も思わない訳じゃないよ。
僕だって男だし。
やっぱりお仕置きが必要かな?イル。その前にお風呂だね…。
その夜は皆でイルと仲良くしたよ。その細い腰も白い肌も潤んだ目も全部、大好きだよ…
刺激的な夜を過ごした翌朝、目を覚ました。両隣の2人は寝ている。静かにベットから抜け出す。
何故か1人になりたかった。
今だけは…なぜか。そのまま離れを出る。裏には小さな森があって、その先には川が見えた。
川が見たいな…。
森を抜けて歩いてゆく。
そこは立派な川幅の川だった。川のそばまで近づき手を浸す。冷たい…そのまま指をつけていたら感覚が無くなってきた。でもなぜかそれが心地良くて…。
あぁそうか。お兄ちゃんとまだ子供の頃に行った川でそんな風に手を浸したっけ。
冷たい!ほんとだ!
無邪気な笑い声が懐かしい。
川に浸していない手を見つめる。生きようと思う。気持ちの中では。でも…アイリとして死にたかった、そう思う自分もいる。
そんな気持ちを持て余してしまう。こんな私が本当に生きてていいのだろうか…そう思ってしまう。考えるのではなく、思ってしまうのだ。
川の流れを見つめる。自由で残酷でおおらかなその流れを…。
ここで頑張って生きようと、誰かのために生きようと、そう思いたいのに…自分の為に生きよう、と思えない。
私は…答えの出ない問いを繰り返した。
手を引き抜く。
そうか、私は自分らしく死ぬために生きているのか…ならばそれでいい。
やっと生きる意味を見つけられた。そうか…そうだったのか。
立ち上がって川を見つめる。まだしばらく1人の時間を過ごしたい。自分のために、死ぬために今を生きる自分を受け入れるために。
アイがベットから出るのを追わなかった。目を瞑って寝ているふりをして。ロルフもきっと同じだ。
アイは1人になりたがっている。そう感じたから。
その雰囲気はとても張り詰めていて、行かないでといいたかったけど言えなかった。
アイは僕たちの気持ちをきちんと理解している。理解しているけど、アイの気持ちはどこかで自分の存在を認めていない。
どれだけ僕が愛してると言っても…僕を受け入れてくれても、なおアイは自分の存在を受け止めきれていない。
とても歯がゆいよ…僕はなんて無力なんだろう。
明け方に出て行ったアイはまだ戻ってこない。もう何時間経った?
涙が止まらなくて泣いていたらロルフがそっと抱きしめてくれる。そのアイよりも細いその体にしがみついて泣いた。
苦しくて悲しくて…ロルフの唇を求める。
「イーリス…」
戸惑うロルフの声…でもお願いだから、今だけ…今だけ。
ロルフはキスをしてくれたけど、僕の体には触れなかった。どこかで求めて欲しい僕がいたのに…。
だから服を脱いでロルフの服も脱がそうとする。
「イーリス、ダメだよ」
僕は首を振って無理やり脱がしたその裸の胸に抱き付く。僕を温めて…ロルフ。
戸惑いながらも僕を抱きしめてくれる。その体はとても温かい。顔を上げてキスをする。
「僕を…」
「ダメだよ…」
「ロルフ…アイは…」
「君が信じなくては」
分かってるけど…寂しくて、切なくて。行き場のない思いをどうかしたくて。
その会話をアイが聞いていたなんて僕は知らなかった。
※読んでくださる皆さんにお願い※
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