14.ダナンの想い
本日3話目
イザーク話は残り2話です、もう少しお付き合いください。
いったいこの子はどれだけ過酷な環境で生きてきたのだろう。そもそもこんなに小さな子が森の奥深く、人も来ないような所で暮らすなんて。
その暮らしぶりが思いの外、快適なのは分かったがそれにしてもだ。
息子のわがままで一緒に寝ることになったイザーク。子供らしく戸惑う様子は微笑ましかった。
息子ごと腕に抱いてイザークの髪の毛を撫でる。シャワー小屋で見た彼の体には胸の辺りに大きな傷と首にも小さな傷、他にも無数の傷があった。特に胸の傷はかなり大きくて、心が傷んだ。生死を彷徨うような大ケガだっただろう。こんな場所で暮らすほどの何かがあるのだろう。それに彼の面差しは…。
そこまで考えて止めた。まさかな。寝ている顔はまだ幼くて。でも幼さのない痩せた頬が痛々しく見えた。さて、私も寝よう。あまりにも色々あり過ぎた。
私はやがて眠りに落ちて行った。温かい息子の体温とイザークの柔らかい髪の毛を感じながら。
ふと何が動く気配を感じて目を覚ます。腕の中からイザークがそっと出ようとしていた。目が合うと少し恥ずかしそうに笑う。その頬を撫でて小さな声でおはようと言うと同じく小さな声でおはようと帰って来た。そのまま押し留める。
「まだ朝早いだろう?もう少し横になっていなさい」
彼は戸惑いながら朝食に卵を取って来ようかと、と言う。私はそれでもまだ彼と一緒にいたくて、首を振ってまた彼を腕に抱きしめる。
イザークは大人しくされるままになっている。戸惑っているみたいだが、嫌がってはいない。だからそのまま、また目を瞑った。
まさかのダナン様とフェルと一緒のベットで寝ることになり、緊張して眠れないかと思ったのにあっさりと眠れた。腕の中のフェルは暖かいし、髪を撫でるダナン様の手は優しいし。
2年前まで確かにこんな風に父親と育ててくれた女とその子供と寝ていたことをふと思い出した。
翌朝早く、いつも通りに目が覚めた。森の朝は早い。フェルに新鮮な卵を使った料理を作りたくてそっとダナン様の腕から出ようとしたら、ダナン様が目覚めてしまった。
卵を取りに行くと言ったがまだ寝ていなさいと抱きしめられて結局、そのまま横になった。でもいつもこの時間に起きているから眠れない。
胸元に抱きついているフェルを見る。密度の濃いまつ毛がふるふるしている。目を瞑っていてもこんなに可愛いなんてな。そう思ってそっと髪の毛に頬をすり寄せる。
ダナン様を見る。フェルが成長したらこうなるんだろうな、という感じの綺麗な顔をした大人の人だ。綺麗だけど中性的ではなく、カッコ良くもある。普通に憧れるような素敵な大人だ。雰囲気も物腰も。
ふと昨日の夜、おでこにされたキスを思い浮かべる。恥ずかしさと嬉しさと、良く分からない気分だ。
まともな父親を知らないから分からないけど、愛されてるってこんな感じなのかも知れないな。
そんなことをツラツラと考えていると腕の中のフェルがもぞもぞと動いた。目が開いていて少し恥ずかしそうに
「トイレ」
と言う。そして慌てて
「イズ、おはよう!」
と言った。
おはようと応えて起き上がる。フェルの声が聞こえたのかダナン様も起きてフェルと俺のおでこにキスをした。するとフェルもダナン様の頬にキスをする。
ダナン様がこちらを見る。
「イザークはおはようのキスをしてくれないのかい?」
え?俺??固まっていると
「イズ!僕にもおはようのキスしてっ」
と無邪気にこちらを見る。ダナン様は催促するように顔を寄せてきた。
色々諦めてダナン様の白い頬にキスをして、フェルのおでこにキスをした。フェルは首を振ると自分の頬をトントンする。仕方なくフェルの頬にキスをすると嬉しそうに俺の頬にキスを返してくれた。
何だか幸せな家族の朝みたいで恥ずかしくて、さっさと着替えると卵取ってくる!と叫んで地上に降りて行った。
あーもう調子狂うなぁ。魔鳥の巣からサクッと卵を貰ってハウスに戻る。起きていたマーカスさんと朝食を作る。キビ粉のパンとスープ、新鮮な卵のオムレツだ。
卵は濃厚で栄養たっぷりなので、皆んなに好評だった。フェルは自分の分をさっさと食べ終えて他の人のオムレツを物欲しそうに見ていた。俺は食べ慣れてるからと自分の分をフェルに分けると嬉しそうに食べた。
1人で食べる食事は楽で何とも思わなかったが、食べてくれる人がいるのは嬉しいもんだなと思った。
食べ終えて片付けも終わるとダナン様が話があるからとソファに座るように言われた。フェルを抱いたダナン様と向かい合って座る。
「イザーク、私たちは帰るよ。本当に世話になったね。まだ街道までは送って貰うけど。それで…もし良かったら私たちと一緒に来ないかい?」
びっくりしてダナン様をマジマジと見る。
「ここでちゃんと暮らしているのは分かるし、無理にというつもりは無いけどね。知り合ったのも何かの縁だし、何より君はまだ子供だ。どんな事情があったとしてもここに1人で暮らすのはどうかと思うんだ。息子も君に懐いてるからね」
フェルを見ると期待に満ちた目で俺を見ている。
「僕たちは貴族だし、形としてはフェルの友人として客扱いで来て貰うことになるけど。どうだろうか?
私はね、なぜか君を家族のように思うんだよ」
「イズ!一緒に暮らそうよ!僕イズが大好き!」
舌足らずに、でも一生懸命喋るフェルが可愛くて。
こちらを見て優しく微笑むダナン様が眩しくて。
でも俺は盗賊の息子で、母親は父親が襲って持ち帰って襲った女で。この母親は実から産まれたばかりの俺を殺そうとして父親に殺されて。そんな俺が貴族の友人になどなっていいのだろうか…?
黙ってしまった俺に不安になったのか、フェルが駆け寄ってきて俺の膝に飛び乗った。驚いていると目を潤ませて
「イズ…ダメ?僕ご飯ちゃんと食べるよ。いい子にするから…」
と抱きついてきた。だからそれは反則だよ。不安しかないけど断れない。
とうとう目から涙がこぼれ頬を濡らす。その涙をそっと指で拭うと
「フェリクス様 よろしくお願いします」
恥ずかしさを誤魔化すようにそう言うと潤んだ目のまま頬を膨らませる。
「フェル!様とか嫌!」
それが可愛くて腕に抱き寄せてその髪に頬擦りする。機嫌を直してくれたらしいフェルは小さな手で俺の頬を撫でるとキスをしてくれた。俺も頬にキスを返す。
そうして俺はフェルの友人としてダナン様にお世話になることになったのだった。
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頷いてくれるか分からなかった。こちらの破格の提案にも彼は不安そうにするだけで。きっと森に籠る理由が…重い理由があるのだろう。
ダメかなと思った時に息子がいい働きをした。泣きながら一緒に行こうと訴えたのだ。我が息子ながらフェルはとても愛らしい子だ。素直で可愛くて。でも周りに同年代の子がいないからか、いつも遠慮がちであまり我が儘を言わない。
そのフェルがイザークにはとことん甘えている。イザークが戸惑っていることは気がついているだろう。それでも一緒に帰りたいと思うほどにはイザークを気に入っている。大好きと言ってたくらいだし、本当に好きなんだろう。
そのフェルの泣き顔が決定打だった。イザークはそうして私たちと帰ることになった。
無事に森を抜けて街道に出ると倒れた馬車と2頭の馬がいた。傍には負傷した騎士がいて、今日戻らなければ町へ応援を呼びに行くところだったと話した。
横倒しになった馬車をロープで馬に引かせて起こす。車輪と軸が壊れていて使えないかと思ったがイズが器用に修理した。本当に何でも出来る子だ。
馬車に乗ってしまえば自領までは3日の距離だ。途中、宿に泊まりながら3日かけて屋敷に戻った。
宿に泊まる時、私たちと同じ部屋にしたら遠い目をしていて笑ってしまった。少しずつ子供らしい反応をするようなって、とても安心した。
屋敷に戻ってからは息子の客扱いで、部屋もフェルの隣にした。要するに雇い人たちにイザークは私たちの家族同様だと知らせたのだ。
イザークが隣の領に接する森に住んでいたことから、何か知らないかと思い領主である友人に手紙で聞いた。
するとその名前を聞いてある情報をくれた。彼によると2年ほど前に野盗に襲われたと思われる家族を領軍が発見した。両親と1人の子供は見つけた時にすでに死んでいたが、もう1人の男の子が辛うじて息があった。男の子は胸を刺されていて他にも小さな切り傷が複数あったそうだ。
すぐに領主邸に運び込まれ、常駐の軍医に手当をされて奇跡的に生き延びた。
その子の名前がイザークだという。
その子はケガが治ると領主邸を出て行った。町で暮らしていると思っていたその子が早々に町を出ていたことは後から知ったそうだ。
しかし、少し気になることもあったと書いてある。その子の父親は滅多刺しにされており野盗に襲われたにしては傷が多すぎた。しかも母親はまだ若く、美人だったので普通なら殺さず戦利品として連れて行く。
さらに子供も小さくて顔立ちも整っていたから、どこかの貴族に売りつけるために攫って行くのが奴らのやり方だ。
しかも見なりこそ普通だったが、父親や母親、子供にまで服に縫い付けたお金を隠し持たせていた。
疑問は残ったものの生き残った小さな子は間違いなく殺されかけた被害者で、不思議に思いつつも深追いはしなかった。
その手紙を読んでダナンはまさか、と思った。手紙の最後にはこう書かれていた。
そう言えばあの男の子はこの間あった君のご子息にどことなく似ていたような気がする、と。
ダナンには1人妹がいた。慎重で堅物なダナンと違い、妹は明るくて皆んなを笑顔にする。そんな子だった。
早逝した父親にかわり若くして領主となった私は重圧に押しつぶされそうだった。そんな私をいつも笑顔で
「兄様なら大丈夫。誰が何と言おうと、兄様は世界一の兄様です」
そう励ましてくれた自慢の妹だった。
その妹の乗った馬車が盗賊に襲われたと聞いた時は頭の中が真っ白になった。すぐに駆けつけると倒れた馬車の横に倒れている騎士たち。唯一息のあった当時はまだ兵卒だったグリードが
「イザベル様が野盗に…」
そう言って気を失った。私は即座に周辺をしらみつぶしに探すよう領軍を動かそうとした。しかしそれは重鎮たちに却下される。
自領の防衛を蔑ろには出来ないと。今思えば当たり前だが、その時は納得出来なかった。だから出せるだけの兵と、探索者を雇ってイザベルを探した。
しかし、この選択が結局はイザベルを連れた盗賊達を逃すことになってしまった。
だいぶ後になって町で乱闘騒ぎを起こして捕まった探索者がイザベルを攫った盗賊を知っていると言い出した。それは事件から3年も経ってからの事だ。
聞けば雇われた彼らは盗賊を見つけた。しかし、盗賊の首領は他に連れていた女を好きにしていいから黙っているようにと取引を持ちかけた。
探索者達はそこで首領に肩を抱かれているイザベルを見たそうだ。その目は死んだように虚空を見つめていたと言う。
「ありぁもう好き放題されたあとでしたね、もうね、目が死んでたんすよ」
そう言ってその男は笑った。結局、彼らは女たちを好きに抱いてイザベルのことは報告しなかった。
「本当はいっちゃった目をしてでもイザベル様は美人だし抱きたかったんすけどね、首領がこいつはダメだってね。その夜、首領のテントからは色々ね、聞こえてきて…えへへ、なかなかいい声でしたよ」
その男はその場で斬った。途中、聞くに耐えなかったがそれでも重要な情報だからと我慢した。しかし最後の一言で激高した。こんな奴は生きている価値がない。
そのままフェリクスの母親、妻の部屋に入る。しばらくまともに会話もしていなかったからか、嬉しそうに駆け寄ってくるその顔は美しいのにとても醜かった。
「イザベルの馬車を襲わせたのはお前か?」
そう聞くと立ち止まり一瞬青ざめたが、開き直って
「バレてしまいましたのね!えぇそうです。あなたの妻になるのにイザベルは邪魔だったので」
そう言い放った。
あの男に色々聞いて腑に落ちた。なぜイザベルが馬車で出かけたのが分かったのか。見通しのいい街道だ。普通なら襲われる場所ではない。
そして何故簡単に騎士がやられたのか。手引きした人間がいるからだ。あの男は旦那も罪作りですね、奥さんにあんなに愛されてと言った。
それで全て分かった。わたしの妻になりたかったこの女がイザベルを襲わせたのだと。
そう、イザベルはこの女との婚約に反対していた。妹の可愛い嫉妬だとそう聞き流していなければ…。
イザベルはこの女の本性に気がついていたのだろう。
そう思うとこの女を見ているのも嫌になる。でも楽に死なせるわけにはいかない。イザベルが味わった苦痛をこの女にも味あわせねば。
その場で女を羽交にするとそのドレスを胸元から剣で切り裂く。女の口は手で塞いである。
部屋の外にいたグリードを呼ぶ。頷いて女の口に布を押し込み、はだけたままの格好で連れていかせた。産まれたことを後悔するような目に合わせてやる。そして狂ったら俺の手で殺そう。それで私の気が晴れるわけではないが、それでも…。
ベットで眠る息子を見る。まだ1才の小さな息子。幸運な事にあの女ではなく私に似ている。あんな女が母親なんて…でもこの子に罪はない。あの女は許せないが、この子を産んだことだけは評価してやる。そっと息子の、その柔らかい頬を撫でる。
妹がいたらきっと可愛いと喜んで世話を焼いてくれただろうな…イズ…そう呟いた。