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怪異探偵譚  作者: 聖人
鬼ごっこ
1/1

前編

 始まりは一件の依頼からだった。


 この俺、(まとい)礼二(れいじ)は街の片隅の雑居ビルに探偵事務所を構えている。

 名前は無難に纏探偵事務所としている。変な名前にしない方がネット検索にも引っかかりやすいし、何より自分の名前がひと目でわかる手間のなさが良い。


 そんなどこにでもある普通の探偵事務所に客が来たのは、前回の浮気調査から実に一ヶ月程経った頃だ。


「いなくなった娘さんの捜索、ですか」


 行方不明者の捜索なんて一介の探偵には責任重大な案件を持ってきたのは、三十代になったばかりに見える夫婦だった。

 なんでも彼らの一人娘である小学生の女児が一昨日から家に帰ってこないらしい。

 思い当たる場所や友人には声を掛けたらしいのだが、それで得られた情報は夕方の五時頃まで近所の公園で遊んでいた、という手がかりとしてはあまりにも薄すぎるものだったそうだ。


「この手の依頼なら、私よりも警察に捜索願を出した方が良いかもしれませんよ? 娘さんの年齢なら特異行方不明者として積極的に捜索してくれるはずですが」

「いえ、警察は事情がありまして……どうにかなりませんか」


 成人した娘ならまだしも、まだ小学生であるならば自分のような探偵よりも警察の人海戦術に頼った方が良いのではないかとも思って打診したが、この提案に首を縦に振りはしなかった。どうやら大事にはしたくないらしい。


「状況は分かりました、できる限りの事はやりましょう」


 折角の依頼を断るのも探偵としてはあまり好ましい事ではないし、何より人の命がかかっているかもしれないとなれば人として助けにはなりたい。


「申し訳ありませんがこの件はあまり公には……」

「依頼者の要望なのでできる限りの努力はしますが、私にとっての最優先は娘さんの命です。私の手に余ると判断すれば警察機関への相談を視野に入れていただきたい」

「……勿論です」


 言うと、依頼者夫婦は周囲の目を気にするように依頼料を置いて足早に事務所を去っていった。


 本音を言えば、ろくでもない親だと思う。

 娘の命よりも世間体を選ぶようなのは子供を持つ親がする選択としては最低だ。


「さて、まずは情報収集からだな」


 行方不明者の捜索は早さが肝心だ。

 こちらが既に持っている情報は最終目撃情報が公園だということのみである以上、そこを起点にするのが無難な選択だろう。


 外出に必要最低限の物だけを持って事務所から外に出る。

 季節は夏。午後一時をまわった頃の空は、痛いほどの熱をこちらの全身に浴びせてくる。

 帽子を取りに戻ろうかと思ったが、止める。どうせこの気温では焼け石に水にもなりはしないだろう。


「今日も暑くなりそうだ……」


 ぽつりと呟いた声は蝉の鳴き声にかき消された。

 外に出て俺が得た情報の全てが、俺の嫌いな夏が始まったのだと、そう感じさせられるには過ぎたものばかりだった。


 〇


「……一つ疑問なんだが」


 焼けるような夏の陽射しの中、必死に歩いて公園にたどり着いたまではよかった。

 悪かった事といえば、昼過ぎの時間帯だったせいか公園の利用者がほとんどいなかった事と。


「どうしてお前がここにいるんだ、化野(あだしの)


 会いたくもない奴が都合悪く公園の遊具に座っていた事だ。


「どうしてもこうしても、公園は誰でも使える公共施設じゃないか。そこに私がいたとしても問題なんてないし、誰に迷惑をかけているわけでもないだろう」


 こちらの疑問に当然とばかりの様子で化野は言葉を返す。

 子供用のブランコに乗った二十歳くらいの成人女性という絵面は、真昼間ではただの不審者にしか見えない。ひょっとすると、人がいないのは時間帯の問題ではなくコイツのせいではないのだろうか。


「生憎と俺の仕事を邪魔してるんだよ」

「ほぅ、君もこの公園に用があったのか」

「君も……って、まさかとは思うがお前がここにいる理由って」


 ご明察、と化野は無い胸を張る。


「恐らく君と同じ目的だろうね」


 つまりあの夫婦は、俺以外にも何件か探偵事務所を回っていたという事だろう。

 もしかしたら他にも何人か同じ依頼を受けているかもしれない。確かにこれなら警察の人海戦術に頼らなくても問題は無いのかもしれないが。


 ……世間体を気にする癖に探偵複数雇うってどうなんだよ。


 妙なきな臭さが増してきたが、依頼料を受け取った以上仕事はこなさなくてはならない。

 それに、化野に依頼しているという事実がこの行方不明者捜索の依頼がただの人探しではないという事を十分に物語っている。


「なら話は早いな。お前、なんか情報持ってんだろ」

「おんやぁ礼二君、普段なら胡散臭い私の言葉なんかに耳は貸さないのに珍しいじゃないか」

「アホか、化野(あだしの)怪異(かいい)探偵事務所(たんていじむしょ)なんて所に依頼してる時点で俺みたいな常識人が手に負えるようなモンじゃないんだよ」


 そう、化野が扱う案件は"怪異"と呼ばれる非常識の介入が予想されるものなのだ。


 化野(あだしの)密理(みつり)とは小学生からの付き合いだった。

 昔から何かと浮きがちで、クラスでは虐められるまではいかないまでもあまり良い感情を持たれていなかったのは確かだ。

 俺自身、小学生ながらに怪異などという訳の分からない存在について嬉しそうに話す化野を見て、恐怖に近い何かを感じていたのは事実だった。


 そんな怪異少女の趣味が高じて怪異探偵などという職業を作り出してしまったのだから恐ろしい事だ。


 そんな怪異といった不可思議な物を扱う人間が受ける依頼など、当然ながら真っ当なものであるわけが無い。


「きっとあの夫婦が自分で調べるうちに何かに気がついたんだろうな。それこそ、行方不明者に奇妙な共通点があるとか……」


 ではなぜ俺にまで依頼が舞い込んできたのか。

 これは容易に想像できた。行方不明者自体に奇妙な共通性はあれど、それを怪異などというあるかも分からない物を専門とする人間だけに任せてはいられなかったのだろう。

 だから俺という普通の人間も巻き込んだ、という訳だ。


「ほぅ、そこまで分かっているのなら話は早いね」


 感心したように化野は言い、乗っていたブランコから飛び降りる。

 着地に若干体勢を崩しながらも、すぐに立ち直りゆっくりと俺の周りをくるくると歩き回り始めた。


「君の推理通り、この地域周辺では十年ほど前から夕方五時頃に目撃されたのを最後に小学生の行方不明になる事件が定期的とは言えないまでも少なくはない数発生している。ただ、これだけの情報では誘拐犯がいる可能性の方が怪異よりもずっと高い」

「そりゃそうだ。世界中探せば同一犯の誘拐事件が多発してる地域なんていくらでもありそうなもんだからな」

「じゃあなぜあの夫婦は私に依頼するまでの確信を得たのか、分かるかい?」


 それに関しては、分からなかった。

 考察するにも俺の手元にある情報が少なすぎる。少し調べればその確信とやらを答えることも出来るだろうが今は無理だ。


 答えることも無く沈黙するこちらを見て、化野は更に言葉を続ける。


「恐らく警察としても誘拐犯の線を追って捜査はしていたんだろうが手応えはなかったようだね。注意喚起の張り紙は至る所にあるが、警察官の巡回に関してはほとんど機能していない」


 確かに公園までの道のりを思い返してみると、小学校の校門前や電柱の数本に小学生が書いたであろう注意喚起のポスターが数枚あった。

 だが巡回になると話が別だ。


「機能してないってのが分からないな。行方不明になる時間帯が同じならその時間だけ巡回してるかもしれないじゃないか」


 下校時刻に合わせているかもしれないし、夕方だけ見回りをしている可能性だってあるのに早とちりもいいところだと思った。

 だが化野は俺の言葉に対し今度は両手の人差し指でバツ印を作って応える。


「さっき少なくはない数と言っただろう。子供狙う誘拐犯が積極的に活動を行う地域の巡回を、市民の味方が手抜きで行うわけが無いんだ」


 それなのに何故事件は収まらないのか、と化野は続ける。


「警察が巡回していようがいまいが、事件の発生を食い止めることができていないんだぞ? それは機能していないと言っても差支えは無い」

「……で、それがなんで怪異に繋がるんだよ」

「それが繋がるんだよ!」


 こちらを指さし化野はピタッと止まる。

 少しの間の後、そのまま立てた指を自分の顎に当て言葉を続ける。


「犯人が人間では無いから、警察にはどうする事もできないという事実にあの夫婦は気がついたんだ。それなら私に依頼してきた事にも納得がいく」

「その結論に至るまでが突飛すぎないか……?」


 怪異などという訳の分からない存在を相手にしている人間の思考回路には着いていけない事など最初から分かってはいたが、解けていく糸が実はミミズでしたなんて言われたら誰だって意味がわからないと感じるだろう。


 しかも長々と話された割には結局のところ、同一の事件が過去発生している事以外の情報は大して得られもしなかったのだ。


「……で、怪異の専門家様はこの行方不明事件をどう解決するんだよ」


 そう問いかけると、化野は困ったように眉をひそめた。


「実はまだ情報が足りなくてね、今から聞き込みをしようかと思っていたところなのだよ」

「あっそうじゃあこの周辺は任せたから俺は別の場所を探してくるよ」

「待ってくれたまえ礼二君! 頼み……頼みがある!」


 時間の無駄だと去ろうとした俺の肩を勢いよく掴み、化野は瞳を潤ませて言った。


「この依頼、二人で協力して解決しようじゃないか……ッ!」


 その言葉に、やたらと汗が染みる肩を気持ち悪いと思いながら空を見上げる。


 やっぱり夏は嫌いだと、無関係の季節に八つ当たりをしたくなった。


 〇


 聞き込みを始めたはいいものの、今回の件に関して参考になるような情報は何一つ得られなかった。

 元々あの夫婦は近所付き合いも盛んではなかったらしく、町内会の集まりなどにもあまり顔を出さない事もあり依頼者家族の動向を気にする者もいなかったらしい。


 この付近に住んでいる人の中には、過去の行方不明事件についてなら知っていると情報をくれた人もいたのだが、そのどれもが行方不明者が小学生だったという事以外には特に今回の事件に関わりのなさそうな内容だった。


 そうして化野と近所に聞き込みを始めてから三時間程が経過した頃、この地域に長く住んでいるというお婆さんから興味深い話を聞くことができた。


「鬼ごっこ……ですか?」


 普段なら子供が何をして遊んでいたかなど気にはしないのだが、何故か今回ばかりは重要な事の気がしてならなかった。


「えぇ、居なくなった子は皆鬼ごっこの途中や最後に行方知れずになったなんて話を聞いた事があるわねぇ」


 鬼ごっこ。


 色々な派生はあれど、基本的にはオニと呼ばれる役割がそれ以外の人間を捕まえるという昔からの遊びだ。

 同様のものは日本だけでなく海外にもあることから、誰でも一度は聞いたことがあると胸を張っている有名な遊びの一つだろう。


 それが行方不明になった人間に直接関係があるのかは分からなかったが、逆に鬼ごっこで遊んでいたという以外の共通点が今回の聞き込みでは得られなかったのも確かだ。


「ごめんなさいねぇ、あんまり参考にはならなかったみたいで」

「いえいえそんなことは──」

「非常に重要な情報をありがとうございました。ほら、行くぞ礼二くん」


 俺の言葉を遮って、化野はそそくさとその場を締めて去ろうとする。


「あっ、ありがとうございました!」


 腕を引っ張られながらもお婆さんに礼を言い、すぐに化野の方を向いて歩き直す。

 急に態度を変えた本人はというと、しきりに腕時計で時刻を確認しながら最初に会った公園へと向かっているようだった。


「礼二君、怪異が何たるかを知っているかね」


 移動の最中、ふとそんな事を化野が言ってきた。


「俺はお前とは違ってそんなモンには興味が無いんでな」

「なら今知りたまえ」


 有無言わさずに言葉を続ける。


「怪異とは幽霊やUMAのような、"存在"についてを指す呼び名ではない。どちらかといえば現象に近いものなのだよ」

「よく分からんが、実際にそこにいる幽霊なんかと違って、怪異自体は意志を持たないって事か?」

「私はそう考えている。あっ、幽霊なんてこの世にいないがね」


 サラリと幽霊の存在を否定しながら化野は言う。

 それならば尚更、今回の件に関して子供ばかりが対象になっている理由に怪異が関係しているとは思えない。

 意思がないのなら誰彼構わず対象になっていてもおかしくは無いのだろうが、少なくとも聞き込みを続けている限りでは成人どころか中学生以降の行方不明者すら出てはいないようだったからだ。


「幽霊に引き起こされる霊障を心霊現象と呼称するように、ある一定の規則(ルール)に準ずることで引き起こされる超常現象こそが怪異の正体だ」

「つまりあれか? 小学生が鬼ごっこしてたらその怪異に引きずり込まれるって事か」

「君は馬鹿かね。そんな単純なルールなら、今頃この地域の子供たちは全員いなくなっているだろうよ」

「それ以外にそれらしい共通点なんか無かっただろうが。話を聞けば小学生とは言っても対象年齢は六歳から十二歳まで、性別だって男女関係なかっただろ」

「だからこそだ。この怪異には第三者には知り得ない何かがルールとして組み込まれているのだよ」


 そう言って化野が立ち止まる。

 視線の先には子供達が公園で走り回っており、彼らの中央には時計が見えた。

 ちょうど時計の針が動くと、短針は数字の五を指し示す。


「それがこれだ」


 それと同時に、近くのスピーカーから聞き覚えのあるチャイムが流れ始めた。


「チャイム……?」

「そう、まずはこのチャイムが条件の一つ」


 なるほど、と思う。

 確かにこれならば失踪のタイミングが五時頃に重なるのも当然だろう。チャイムを聞くことが怪異の発動条件であるのなら、むしろこの時間以外に何事かがある筈がないのだから。

 だが、チャイムを聞くことだけが条件なら先程のルールと何も変わらない。


 しかし化野は条件の一つと言った。つまりはまだ他にも何かがあるという事だ。


「このチャイム自体には大した意味は無い。実際には、このチャイムを聞いた人間が何を考えたかが重要だ」

「何を考えたか……って、そんなの分かるわけがないじゃないか」

「礼二君、君は探偵だろう? 何かずっと引っかかっている事があるんじゃないのかね」


 化野の言葉に、少し考える。

 確かに違和感ならあった。ただ、それだけの理由で疑うにはあまりにも人間を信用していなさすぎると思って考えてもみなかった。


 不思議なのは、警察への相談を避けた両親の態度だった。

 あの時は世間体を気にしているのが理由だと思っていたが、聞き込みの段階で周囲との関わりをそもそも避けているという事が分かっている。

 そもそも関わりがない周囲からの評判など気にするはずがないのだ。


「捜索願を出す事を拒んだ理由は、警察に探られたくない何かがあったから……か?」

「やはり警察への相談は断っていたようだね」

「お前は打診すらしなかったのかよ」

「私への依頼は常識人の手には追えないと君が自分で言っていただろう。警察機関に頼る段階ならそもそも私のところには来ないからね」

「ならいつ気が付いたんだよ」


 俺の問いに化野はこちらを向いて答える。


「今回の依頼者については特に何も。ただ、過去の類似事件に関しては周辺から得られる情報が少なすぎると思ってね」

「確かに、行方不明事件が多発しているにしては周囲の危機感が薄いとは思ったが……」


 そもそも噂程度でしか話を聞いていないのであれば納得だ。

 大々的に警察が動いていれば、それに伴って周囲の子供のいる家庭も事件を知って警戒をするのが普通だが、今でも午後五時頃に外で子供が遊んでいるのは公園の様子を見ていれば分かる。


「まさかとは思うが、今まで行方不明になった子供たち全員が────」


 絶句する俺の言葉の続きを、化野は冷静に告げる。


「虐待されていた、と考えるのが妥当だろうね」


 〇


 空が橙色に染まる。


 俺達は今、依頼者の家の前にいる。

 藍染(あいぞめ)と書かれた表札を確認し、玄関の横にあるチャイムを押した。

 扉の奥から小さな声で何かが聞こえたかと思うと、玄関がゆっくりと開かれた。


「どちらさま……探偵さん? こんな時間にどのような用件ですか」

「夕食時に失礼します。娘さんについていくつか聞きたいことがあり、お伺いさせていただきました」


 時刻は七時。

 日の伸びた夏とはいえ、この時間にもなると空も段々と暗くなってくる頃合だ。

 この時間の来客など考えていなかったらしく、玄関から出てきた奥さんはエプロンを付けメイクなどは落としているようだった。


「それは構いませんが……あっ、どうぞあがってください」


 そう言って玄関の扉が大きく開かれる。

 奥さんの後に続いて家の中に入ると、一軒家としてはそれなりに内装などに凝っている様子が見てとれた。確か父親の職業は医者だと聞いた覚えがある。


「失礼します」

「お邪魔させていただきます」


 俺と化野が交互に挨拶しながらリビングへと入る。

 ちょうど食事が終わった後のようで、食器などは全て片付けられていた。


「これはこれは化野さんに纏さん。お二人揃って一体どうなされましたかな?」


 椅子に座っていた藍染父が立ち上がりこちらを見る。

 何から話そうかと悩んでいると、化野が一歩前に出て口を開いた。


「単刀直入に伺わせていただきます。お子さん──藍染(あいぞの)(ゆい)さんへの虐待について詳しくお聞きしたいと思いまして」

「虐待ですって!?」

「ばっ、お前、言い方ってものがあるだろ!」


 俺の静止を振り切って、化野は藍染父に詰め寄る。


「玄関の靴箱、あなた方夫妻の靴は種類がありましたが、娘さんが使っているであろうサイズの靴は一足も見つかりませんでした。家の内装に拘るあなた方が、自分の愛する娘に普段使いの靴以外買い与えないものなのですかね」

「それだけで虐待扱いをされるというのも心外ですな」

「勿論それだけではありませんよ」


 続けて、化野は壁の一部を指さした。


「あの壁だけ明らかに色が新しいですね。きっと娘さんを怒る時にでも壁を殴ったのでしょうが、それが娘さんに直接向いていないとは思えませんね」

「た、確かに壁紙を張り替えはしましたが……」

「それにもう周囲への聞き込みで分かっているんですよ。この家から毎晩子供の鳴き声が聞こえていたっていう事が」


 嘘だ、と分かった。

 今日一緒に聞き込みを行っていて、そんな事を言っていた人は誰一人としていなかった。

 俺からすれば明らかなブラフではあったが、藍染父は観念したようにため息を吐く。


「……虐待などではありませんよ」


 先程までの弱々しい様子とは打って変わって、父親はドスンと音を立てながら椅子に座り直した。


「叩いたりするのは私達なりの教育です。第三者が家庭の事情に口を挟まないでいただきたい」


 咄嗟に藍染母を見ると、こちらを睨みながら静かに食器を洗っていた。

 確かに、急に虐待を疑われれば反感を買うのも仕方がないだろう。しかし、この二人の様子は何かが違った。


「靴なんて必要な分あれば良いでしょう、泣くのも子供なら仕方の無いことです。それに本当に虐待なんてしているのなら、何処かにいなくなった娘を探すなんてことはしませんよ」

「誰かに保護されて虐待が発覚するのが怖かったのでは無いですか」


 化野の言葉を聞いて、藍染父は勢いよく拳をテーブルに叩きつけた。


「先程から言いがかりはやめていただきたい! こんな奴らと分かっていれば、最初から依頼などする事もなかったのだがね……!」


 呆気に取られる俺の後ろから、女性の声が飛ぶ。


「申し訳ありませんが、もう帰っていただけませんか? あなた方は娘を見つけてさえくれればいいんです」

「勿論そのつもりですとも。さ、帰るぞ礼二君」


 スタスタと踵を返し玄関へと歩いていく化野を追いかけつつ、リビングの入口から家主へ頭を軽く下げ退室する。


中にいた時間はものの数分だったのだが、もう外は完全に暗くなってしまっている。

家から小走りで離れていく化野を追いかけていると、街灯の下で急に立ち止まった。


「おい! もう少し段階を踏んでいけばもっと有益な情報が……!」


追いつき、肩を掴んで化野を振り返らせると、その顔は涙が溢れそうなのが見て取れる程に悔しさが滲み出ていた。


「私には分かるんだ、親から見捨てられる人間の気持ちがね。あの態度で全てを察したよ、彼らは本当に何も覚えがないんだ」


息を飲み込み、叫ぶように言う。


「彼らは自分達がしている行いを悪だと認識していない……!」


アレもまた家族の一つの形だと、本気でそう思っているのだと化野は言った。

周りから批判されるのは理解している、だがそれ自体を間違っている事だとは思ってもいないのだ。

そんな人間の考えを矯正できる程、俺達はできた人間ではない。


「だがこれで怪異の発動条件(ルール)は分かった。明日、彼女達を救出しに行こう」

「本当か!?」


俺には何が何だか分からなかったが、怪異の専門家が言うのであれば間違いはないだろう。


「明日の午後一時、私の事務所にきたまえ。服装は動きやすいようにジャージを着てくるといい」

「それは分かったが、どうやって怪異の中に入るんだよ。俺達はもう大人なんだぞ」

「それも詳しくは明日話そう! 君も早く帰って明日の準備をしておくんだ、いいね!」


そう言って、化野は自分の事務所へと走っていってしまった。


なんだか説明もないまま放置されるのは納得できないが、それでも彼女が何かを見つけたのならそれに着いていけば問題は無いだろう。

そもそも怪異なんてのは俺の手に余る。


「ジャージかぁ、あったかな」


呟いて、ポケットの中から煙草を取り出す。

箱から一本抜き取ろうとして、ふとその手を止めた。


「意味あるかは分からんが、煙草は息切れの元だもんな」


人の為だと思えば禁煙するのも悪くは無い。


帰り道に見上げた夏の空には、星の光が良く見えた。

その景色に、夏も案外悪くは無いと感じながらも、俺の心には嫌な苦味だけがくっきりと形を残していた。

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