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登山奇譚

作者: 日月 零


 よく登山家は迷信深いと言われる。ヒトの生活圏外に身を置き、雄大な自然に包まれる登山という行為がそうした心理を育むと思われているのだろう。或いは山への崇拝から登山を志す者が多いという考えによるものなのかもしれない。古くから山岳信仰が行われてきた日本においては、登山という行為になんらかの霊的な意味合いを見ることも、自然なことなのだろう。 


 いずれにせよ、そうした純粋な山への信仰心が登山家たる必須の条件であるならば、私は登山家を名乗ることはできまい。無論、山の偉大さへの敬意を忘れたことはないが、それはどちらかというと山自体というよりも、その風景を生み出した自然の営み全体に向けたものであって、そのため山そのものに神を見出す、という考えと私の間には、いつも一定の距離が存在している。と言っても、私とて長年山に登っている以上、多少の霊的な体験をしてきたことを否定するつもりはない。幽霊とかそういったものを全く信じないというのは、人々の強がりだと思っている。私は信心深くない訳ではないのだ。


            一


 山岳部の先輩と二人で登った山がある。訪れる人などほとんどいない、いつでも貸切のような山だが、教授と先輩たちには馴染みのある場所だった。その日はちょうど彼岸の頃で、登山中に亡くなった教授へ花を手向ける先輩について行ったのだったと思う。当時一年生だった私は面識が無かったが、山の植物に詳しく、山岳部の顧問を二十年以上に渡って務められていた方だったそうだ。草木にまつわる話をしながらゆっくりと登山を楽しんだその教授は、先輩達にもたいそう慕われていたのだろう。お会いすることは叶わなかったが、私も彼が著した本の愛読者であったため、落単が確定して暇だった部長に同行し、手を合わせに行ったのだ。

 

 「イチリンソウが好きだったんだよ。白い花をひとつだけつけるから一輪草。みんなも幾つもはいらん、一つの真っ白な花を咲かせられるように生きにゃならんって、花を見るたびに言ってたよ。」


 登山口から数分ほどの山道で、足元の小さな花を眺める部長は、教授との思い出に浸っているようだった。彼の視線を辿ると傾いだ檜の根元に、なるほど白い花が一輪だけ咲いている。マイナーな山だからだろう、登山日和だが辺りの泥濘には一つの足跡もない。木々の影になっているせいで、降ってから数日は水溜りや泥濘が残るのだろう。少なくともここ二日は雨は降っていなかった。木々の合間を縫って鳥の囀りが聞こえる。一輪草は見たところ、我々の足元以外の場所には生えていないようだ。同じ山と言っても土壌や日当たり、付近の植生によって育つ植物も変わるのだろうか。一輪だけでひっそりと佇むその姿は、教授を悼むにはぴったりの景色だと思った。


 ふと、花の手前に落ちているものが気になった。赤いフリルのような花が、一枝ごと転がっている。誰かが手折って供えたように、ツツジのようなその花は一輪草の前に横たわっていた。

 「鳥の仕業…にしては綺麗に折られているね。誰かが置いたのかな」

怪訝そうに枝を拾い上げる横顔は、心做しか先程よりも固くなっている。花を片手に、少し考えているようだ。

 「そろそろ進みませんか?日も高くなってきたし、このままだと今日中に帰れないですよ」

 言ってから無粋なことをしたと思ったが、正直麓の鬱蒼とした針葉樹林には飽きてきていた。山に登るのと森林浴をするのでは、趣がかなり異なる。私は山に登りたいのだ。広い空を見上げ、麓の景色を眺め、胸いっぱいに空気を吸いたい。しかし、私の望みはその日、叶えられなかった。

 「悪いけれど、今日は登っちゃいけない。引き返そう」

 唐突にそう言い放ち、さっさと来た道を戻り出してしまった部長に唖然としながら、私は引きずられるように山を出る羽目になった。ずんずんと大股で歩き、登山口を出てずっと下ったところまで来てようやく振り向いた彼はこう言った。

 「急に引き返してすまないね。でも、どうも石楠花…落ちてた赤い花のことが気になってね…」

 曰く、近くには見当たらなかった花が獣の仕業にしてはやけに綺麗な状態で折り取られ、あの場所に置かれていたことに違和感を覚えたそうだ。確かに私も道中に赤い花を見た覚えは無かったし不思議に思ってはいたが、登山を中止するほどのこととは思えなかった。

 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、先輩は少し笑って説明を続けてくれた。

 「一輪草がひとつだけ生えていたのも、植生を考えると不思議だったんだけどね。丁度お彼岸の時期だし、教授が来てくれたんだと思うんだ。あの石楠花も、きっと教授が置いたんじゃないかな。」

先輩はそこで一旦タバコに火を点けると、煙を吐き出して深く息をついた。

 「石楠花の花言葉、教えてくれてたんだ。山道で見たら気をつけろって脅かしながらね、危険なとこに生えるから「警戒」が花言葉なんだって。」


 その山はその日、大きな地滑りを起こした。今でこそ思い出として語っているが、翌朝テレビでそのニュースを知ったときは震えが止まらなかった。


       


稚拙な文章にお付き合い頂いて、ありがとうございました。アドバイスをくれた登山同好会の友達にも、感謝です

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