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周防優希乃の事情  作者: 葉泉 大和
第一章
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12月7日(木)②

 ***


 十二月の空気に野晒しにされている放課後の屋上は、身に染み入るほどの寒さだった。

 私は茶色いコートのポケットに手を入れ、マフラーに顔を埋めながら、校内と屋上を繋ぐ扉をじっと見つめていた。


 あの後、午後のチャイムによって強制的に話を遮られた私は、悶々とした感情を抱きながら一刻も早く放課後になることを願っていた。蓮見学院に通って以来、こんなにも放課後が来ることを待ち望んだのは初めてだったかもしれない。


 しかし、屋上で待てども笛吹が扉を開ける気配は全く感じられなかった。


「……」


 私は暇を持て余すように、フェンスに身を寄せて蓮見学院の敷地を見下ろす。


 四百メートルトラックのある校庭、どこかの舞台にも負けない大容量の講堂、蓮見学院の生徒全てを収容しても尚余りある体育館、緑いっぱいの自然、どこまでも広がる空、私が住んでいる学生寮も、ここからなら小さく見えた。

 改めて見ると、蓮見学院の広大さを実感せざるを得なかった。


 そんな当たり前の事実を再確認した頃、ようやく鈍い音を立てながら扉が開いた。扉から屋上へと姿を見せて来るのはもちろん――、


「お待たせ、周防さん」


 笛吹実泰だった。


「ごめん、掃除当番が長引いちゃってさ。思ったより時間掛かっちゃった」


 笛吹は自分の顔の前で詫びるように両手を合わせながら、私の方へ近づいて来た。人に警戒心を与えない無邪気な笑みが、油断を解くまいと逆に心を固くさせてくれる。


「周防さん、お茶とコーヒーだったらどっちが好き?」

「……お茶」


 一瞬笛吹の質問を理解することが出来なかったが、ほぼ反射的にお茶と口にしていた。コーヒーは、その苦々しい独特の香りを嗅ぐだけでも嫌だ。


 私の返答を聞いた笛吹は、リュックの中をごそごそと探し始める。


「はい」


 そして、私の前にオレンジ色のキャップをしたペットボトルのお茶が差し出された。


「この時間は寒いからさ、温かいものでも飲みながら話そうよ」


 そう言うと、笛吹は屈託のない笑顔を浮かべた。


 受け取らない訳にもいかない私は、笛吹からお茶を受け取った。手の平がじんわりと温かくなってくるのを感じながら、手にしたお茶を見る。そして、お茶から笛吹へと視線をずらす。笛吹と視線が重なると、笛吹のえくぼが更に深く刻まれた。

 何がそんなに笛吹にとって嬉しいのか分からない。柄も知れぬ感情に苛立ちを覚えながら、無意識にマフラーで口元を隠した。


 そして、マフラーの下で息を小さく吐くと、


「で、そんなまどろっこしい話は抜きにしてさ。私が聞きたいのは単純明快、嘉神とあんたのことだけ。あんたはどうして嘉神なんかの言うことを聞いているの?」


 そのまま不機嫌さを一切隠すことのない声音で、私は頭に描いていた質問を惜しみなくぶつける。


 どうして笛吹が嘉神に協力しているのか――、その理由さえ聞ければ私はすぐにでも、この寒空に晒される屋上から飛び出して家に帰る。


 笛吹実泰は、蓮見学院二年の生徒の間でも男女分け隔てなく人気を集めている生徒だ。

 昨日会うまでは記憶の彼方に追いやられていたが、思い出せば確かに彼は一年の時のクラスの中心にいた。そして、その交友関係はクラスだけに留まることなく学年中に広げ、幅広く慕われている。正直そこまで興味があるわけではないが、どこかしこで噂を聞き、何となく耳に入ってしまう。


 そんな笛吹がどうして嘉神に協力しているのか、そのことが不思議で仕方ない。午後の授業を全部使っても、その理由が分からなかった。


 一切の隙を与えようとしない私の言葉に笛吹は肩を竦めてみせたが、その表情には戸惑いの色はなかった。きっと私の言い方に、笛吹は適応しているのだろう。


「一応確認しておくけど、周防さんはおじさん考案のカガミプロジェクトを受けているんだよね?」

「……」

「ああ、ごめん。どうして受けたいと思ったかとか、余計な詮索をするつもりじゃないから安心して」


 私の鋭い視線を感じたのか、笛吹がフォローの言葉を入れる。こういう人の土足で踏み込んではいけない領域を瞬時に見分けるのが、周りから好かれる理由なんだろうと客観的に思った。私には関係のない話だが。


「僕はおじさんの――」

「そもそもさ、さっきからおじさんおじさんって言っているけど、あんたと嘉神ってどういう関係なの?」

「え」


 私の言葉が相当に予想外だったのか、笛吹の表情が固まった。


 そう。嘉神に対する笛吹の呼び方――、これも私の頭に引っかかっていた疑問だ。


 昨日笛吹と廊下で会った時、校門前で出会った知らない男の人だから、嘉神のことをおじさんと呼んでいるのかと最初は思った。しかし、笛吹が嘉神の協力者の立場にあることを知った今、笛吹が嘉神のことをおじさんと呼び続ける理由が分からない。


 世間一般的な男性の人をおじさんと笛吹が呼ぶイメージが湧かなかった。笛吹ならすぐにでもその人のことを名前で呼びそうなものだ。

 それに加え、おじさんという笛吹の呼び方に、あまりにも親密さが籠り過ぎている気がする。


 目を見開かせている笛吹と目が合った。どうやら私の質問に相当動揺しているらしい。笛吹はハッと我に返ると、誤魔化すように手で後頭部に触れ、


「昼休みの時、おじさんから僕のこと聞いたって」

「この学校に協力者がいる。その人にサポーターになってもらえとは聞いた」

「……あー、そういうことね」


 私の言葉を聞くや否や、笛吹は大袈裟に頭を抑えた。その表情には、一杯食わされたと書かれているようだ。


 しかし、勝手に納得されても、私には理解が出来なかった。一人蚊帳の外に置かれている気分を味わった私は、


「……どういうこと?」


 と問いかける。私の声を聞いた笛吹は顔を横に振ると、その顔に強引に笑みを刻んだ。


「ごめん、何でもない。――弟なんだ」

「え」


 最後の一言がよく聞こえなくて、私は疑問符を上げる。

 冷静さを取り戻したのか、今度は無理なく笑みを浮かべた。


「嘉神明人は僕のお母さんの弟。つまり、正真正銘、僕の叔父にあたるってこと」


 笛吹の顔をまじまじと見つめながら、嘉神のことを思い出す。


 確かに言われてみれば、目じりの辺りがそっくりだった。昨日笛吹に会った時、何となく嘉神を彷彿とさせたが、血の繋がりがあると言われれば納得だ。似ていると思ったのは、嘉神の協力者という理由だけではなかったようだ。

 私が無言でいることで笛吹と嘉神の関係性を理解したと判断したのか、


「てっきり叔父さんは少なくてもここまでは話していると思っていたから、驚いたよ。そりゃ、周防さんが僕のことを必要以上に警戒するのも当然だよね」


 笛吹は缶コーヒーのプルタブを開け、そのままコーヒーを口に入れた。

 ごくごくと喉を鳴らして呑む音が、放課後の屋上に響き渡る。私は手に収まっているお茶を見つめた。まだまだ温かい。


 ぷはっ、と笛吹が缶コーヒーから口を離し――、


「ねぇ、嘉神ってどんな奴なの?」


 そのタイミングを見計らって、私は笛吹に質問する。


 正直、私は嘉神という人物のことがよく分からなかった。


 いつもふざけた調子で話し出す。かと思いきや、他者を圧倒するような不思議な雰囲気を醸し出す。

 他人に対して自分を晒すことを臆することなく出来て、自分自身に対して自信を持っている人。自分の夢を他人の中に見出し、その夢を実現するために行動している。

 それが私の嘉神明人に対するイメージ。


 けれど、どうして嘉神がそう思うようになったのか分からない。

 嘉神の根底に何か裏があるような気がして、どうも信用ならないのだ。


 笛吹は空に視線を送った。


「叔父さんはすごい人だよ。人に優しく、真面目で、行動力もあって、有名な大学を首席で卒業してしまうほど頭もいい」

「……」

「まぁ、その分変わったところもあるけどね」


 冗談を言って空気を和ませるように、笛吹は笑った。けれど、私は何も反応しない。そうすることで、笛吹に話の続きを催促する。


「誇張抜きにして、叔父さんは嘉神家――、つまり僕のお母さんの家系で一番出世するだろうと言われていたんだ」

「言われていた……?」

「うん。叔父さんは大学卒業後、就職することなく、世界中を飛び回るようになった。日本だけでは自分の視野が狭まってしまう、そう言って叔父さんは各国を巡って色々なものに触れ、それを自分に吸収した」


 嘉神が自由に世界を旅する姿は、容易に想像できた。


「世間一般からしたら、エリート街道を歩んでいたにもかかわらず、自ら棒に振ったと思われていたんだろうね。でも、当時小学生の僕の目からは、叔父さんはより一層輝いて見えた。旅の中で得たものを、叔父さんは自分だけに留めることなく、周りにも還元していたんだ。皆、自然と叔父さんの周りに集まるようになった。突拍子もないことも、それが誰かのために繋がるのなら、知識がなくたって挑戦もした」

「じゃあ、嘉神が変なことをやり始めたのも、その世界を旅する中で得たものを還元するためってこと?」

「うん、それもあるね。けど、叔父さんがカガミ相談所を開いた一番の理由は、なずなさんが――」


 そこで初めて笛吹の言葉が止まった。私は不思議に思って、笛吹の顔を見る。


 笛吹は悲しみに耐えるように、唇を噛み締めていた。


 私は笛吹の表情に見覚えがあった。だからこそ、そこには深く踏み込んではいけない、と脳内で警鐘が鳴る。


「――人のプライベートをそんなにペラペラと勝手に話していいわけ?」

「……あ、うん、それは大丈夫。まぁ、むしろ叔父さんは自分のことに関しては口下手だから、誰かが話してあげないと誤解されちゃうんだ」


 咄嗟に切り替えた話題に、笛吹はハッとしたように我に返ると口角を上げた。もう先ほどの悲しみに耐える笛吹の姿はどこにもなかった。


 笛吹の言葉は、何となく分かる。

 今も嘉神の評価がぐるりと変わった訳ではないが、ただの変人から少しは物を考えている変人へと変わった。


「嘉神のことは何となく分かったわ。もう一つ質問いい?」

「僕に答えられることなら」

「なんであなたは嘉神に協力しているの?」


 私の問いに、笛吹はうっすらと笑みを湛えたまま、黙っていた。

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