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周防優希乃の事情  作者: 葉泉 大和
第一章
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12月6日(水)②

 ***


「やぁやぁやぁ、はろはろ。一週間ぶりだね、スノーちゃん」


 息を荒げながらカガミ相談所の執務室に入った私に反して、嘉神明人と隣にいる月橋なずなの表情は落ち着いたものだった。相変わらず、二人は自分の世界を持っていて、崩すことはしないようだ。


「スノーちゃん、元気だった? 今お茶入れるからね」

「そんな扉の前で突っ立ていたら寒いだろう? 中に入って座るといいよ」


 月橋と嘉神がそれぞれ、私のことをもてなそうとしてくれる。実際、月橋は部屋から一度離れて、キッチンの方まで足を運びに行った。


 嘉神と二人きりになると、私は射殺さんばかりに嘉神をキッと睨みつけ、


「これ、どういうつもり?」


 放課後、笛吹実泰という同級生から受け取った手紙を見せつけた。家からここまで約三十分くらいの間、ずっと握り締めていたせいで手紙はくしゃくしゃになっていた。


「……」


 嘉神は私が見せつけた手紙に向けて、静かに視線を送っていた。


「ああ、よかった。彼から受け取ってくれたんだね。入れ違いにならなくてよかったよ」


 そして、悪ぶれる様子もなく薄っすらと笑みを浮かべた。


「――ッ」


 その態度に、腸が煮えくり返るのを感じた。手紙を持っている右手に力が入る。


「もしかしてスノーちゃんが忘れてるかもしれないと思って、念には念を入れて手紙を書いたんだ。校門前で優しい学生に逢えてよかったよ。万が一、こんなオジサンが高校生の花園に足を踏み入れていたら、不審者に間違われてしまうところだからね。あはは」

「――あはは、じゃないわよ」


 嘉神の冗談を、私は冗談だと受け止めることが出来なかった。


「約束した期日を歪曲するなんて、どういうつもり? しかもこれ見よがしに楽しみとか書いちゃって、嫌味なわけ? そもそも人が通う学校まで来て、関係のない生徒に関わるなんて失礼だと思わないの?」


 私は捲し立てるように、頭の中で思い描いていたことを嘉神に言った。


 ひとしきりに言って息を荒げる私に、嘉神は何の言葉も返すことはなかった。うんうん、と子供のわがままを受け流す大人のように頷いていただけだ。その達観した態度が、余計に腹が立つ。


「なぜ、スノーちゃんは怒っているんだい?」

「……怒ってる? 違う、私はただ約束は守りなさいって話を――」

「約束を破ったつもりはないさ。期限は一週間だと、私はそう言ったはずだ。翌日から始めようとは一言も言っていないはずだよ。君が私に確認を取っていれば、誤解は生じなかったのではないかな」

「……」


 確かにその通りだ。あの時、私は自分の常識に当てはめて、嘉神に質問することはなかった。そもそも真面目にカガミプロジェクトに取り組むつもりなんてなかったのだから、質問しようなんていう考えさえ浮かんでいなかった。


 私は返す言葉がなく、行き場のなくなった感情を握り締めている手紙にぶつけた。手の中で、更に紙がくしゃくしゃになっていく。


「それに、誰かと会話するなんて簡単なミッションに一週間も必要なかったんじゃないかな?」


 一週間前、私はそう思った。


 元々真剣に取り組むつもりもなかったが、その誰にでも出来ることをわざわざミッションとして提示した嘉神に呆れたものだ。

 けれど、心構えが違うだろう。いきなりタイムリミットを告げられても、心の準備が出来ない。


「時を告げる鐘は、いつでも突然鳴る」

「……?」

「その時が来てから行動するんじゃなくて事前に準備しなさい、という話さ。いざという時に動じなくて済むように、ね」


 嘉神が真剣な表情をして言った。その瞳はどこか憂いているようで、一度も見たことがない表情だった。


 だから、私は言葉を返すことが出来なかった。やり場の失った憤りだけが、私の心を疼いていく。


「お茶入りましたぁ」

「お、ありがとう。なずな君」


 変な方向に流れようとした空気は、のんびりとした月橋がお茶をもって登場することで、何事もなかったかのように霧散された。


「さて、なずな君が入れてくれたお茶も入ったことだし、飲みながら報告を聞かせてもらおうじゃないか。スノーちゃん」


 嘉神が机の前に手招きする。私は溜め息を吐くと、椅子に座った。


 ここまで来たら、もう逃げられない。早く私の一週間について話して帰ろう。私はそう思って深く呼吸をすると、嘉神と月橋を見て口を開き始めた。


 ***


「――以上が、私の成果よ。あなたの言う通り、私はこの一週間でちゃんと話をしたわ」


 私が過ごした一週間を、いざ口にして報告すると、一週間という時間はたったの数分の出来事と化して終わった。月橋が入れたお茶はまだ温かく、中身も丸っきり減ってはいなかった。喉が渇くほど喋る内容もないということだ。


 黙って私の話に耳を傾けていた嘉神は、にっこりと微笑みを浮かべると、


「そうかそうか。スノーちゃんも頑張ったんだね」


 私の一週間を労うような言葉を掛けた。


 嘉神の一言に、私はふぅと一息吐く。肩の荷が一気に下りたような、そんな解放感が私の中を満たしていく。


「なら、今回のプロジェクトはクリアね」

「――いいや、君はミッション失敗だよ。スノーちゃん」

「……は?」


 嘉神の表情からは、いつの間にか笑みが消えていた。怒っている訳ではないのだが、真剣な眼差しを私に向けている。


「……私は、あなたの言う通りにちゃんと話をしたわ。どこに失敗の要因があるっていうの?」


 納得がいかず、つい口を出す。


 私は嘉神が出したミッション通りに人と話をしたはずだ。なのに、なぜ烙印を押されないといけないのか。

 今まで自分の意志以外では試験という試験に落ちたことがなかった私は、少しばかり動揺していた。


 それに、だ。こんな簡単な問題に、躓くなんて考えられなかった。カガミプロジェクトを全部やり通すつもりは毛頭ないが、話すという人として当たり前のことくらいはクリアしないわけにはいかない。


 笑顔を浮かべなくたって、人と関わるのを極力避けていたって、これくらいは出来る自信があった。

 話すことさえも出来なくなってしまったら、私は人として終わる。


 私の動揺っぷりを悟ってか、嘉神は呆れたように肩を竦めた。


「カガミプロジェクト第一弾の内容は?」

「……え?」

「私が君に掲げたミッションはね、誰かと話しなさいではなくて、自ら、誰かと会話しなさいなんだ。それと、自分が話してみたいって思った同年代の子と話すのが望ましいとも言ったはずだ」

「……同じ意味でしょう?」

「話すことと会話することは、全く違うよ。それに、スノーちゃんの報告を聞いていると、同年代の子とは会話していないよね」


 そんなことはない――、そう否定したかった。でも、喉の中で門が閉ざされてしまったかのように、私は声を外に出すことが出来なかった。


「実はね、君の学校での生活ぶりは協力者から報告を受けているんだ。その人から聞いた話によると、君はクラスの人に自分から話すことはなかったそうだね。そして、話すにしても言葉のキャッチボール――会話はしていなかったと聞いたよ」


 狼狽する私に、嘉神が更に追い打ちをかけていく。


 私は嘉神の関係者に、ずっと見られていた。けれど、今はそのことよりも、事実を告げられたことの方が、私にとって痛手だった。


「そ、そんなこと――」

「君が話した人の名前は?」

「は?」


 反論しようとする私に、嘉神がすかさず質問を切り込んで来る。


「その人は何を考えていて、どのような日常を歩み、その中で何を感じているのか――その子と話す中で、スノーちゃんは何か分かったのかい?」

「……」


 私は答えられなかった。たった一言、業務的に言葉を交わした相手の名前さえも分からない。二年一組という教室で半年以上過ごしながらも、私は誰一人としてクラスメイトの名前を憶えていなかった。いや、私は蓮見学院に通う生徒のことを誰一人詳しくは知らない。


「ミッションを失敗したことは、君自身が一番分かっているんじゃないのかい?」


 ぐうの音も出ないほど正論だった。


 私は他人と関わるのを避けて来た。人にどう思われているのか考えること自体に疲れ、人との関わりに嫌気が差していた。


 だから、私は地元を抜け出して、寮もあり自由を謳っているこの蓮見学院に通うことにした。

 私は今まで作り上げて来た人間関係をリセット――否、無に帰したかった。


 誰とも深く関わらないで生きようと決めた私には、どう足掻いてもこのミッションを成功させることは出来ない。それでも、適当に話したと言えば、お気楽なこの二人なら騙せると思っていた。


 人を見くびった、そのしっぺ返しを今私は受けている。


 嘉神は私のことを真っ直ぐに見つめていて、月橋はお盆を抱えて私のことを心配そうに見つめている。


 私は深く息を吐くと、


「……失敗して何か悪いの?」


 開き直った、負け惜しみのように皮肉をたっぷりと込めた一言だった。


「いや、何も悪くないよ」


 怒られても不思議ではない私の物言いに、嘉神は澄ました顔で答える。


「いきなり完璧に成功する人なんて誰もいない。偉業を成した人だって、何度も失敗して、けれどその中で教訓を得て、ようやく成功を成し遂げることが出来る。だから、私は失敗を悪いとは決して思わないよ」

「なら――」

「けど、それは本気で取り組んだ人にしかわからない領域だ」


 途端、嘉神の言葉の温度が変わった。


 私は紡ぎかけた言葉を止め、嘉神に目を向ける。まるで、悪ふざけをしてまるきり反省しない子供を叱りつけるかのような気配が、嘉神から発せられていた。


「周防優希乃さん」


 フルネームで呼ばれたことで、私の神経が委縮するのが分かる。普段は飄々としているくせに、核心を突くことが得意なこの男は、これから私に何を言おうというのか。


「君は今回のカガミプロジェクトに対して、真剣に向き合おうとしてくれたかい? 私が出した課題も、君は簡単な方に、楽な方にと捉えて、結局自分から話すことはしなかった。そうだよね?」

「……」


 嘉神の言う通りだった。


 一週間前だって、一か月前だって、一年前だって、二年前だって、私は自分から誰かに話しかけたことはないし、他愛のない言葉のやり取りを交わしたこともない。誰にでも出来るそんな簡単なことが、今だって出来やしない。

 けれど、今更分からない。


 凍り付いた私の表情から笑顔を取り戻させようとするカガミプロジェクトに無理やり取り組んだって、出来ないものは出来ないのだ。

 そもそも私は笑顔を取り戻したいと思わないし、誰かと深く関係を築き上げたくない。


 だって、築き上げたものが迎える末路は――。


 ――優希乃ちゃん、ああ、可愛くて優しい私の大切な孫。


 ふと私の頬に、首に、心臓に、冷たい感触がした。冷たさの裏で微かに感じられる温もりが、より一層終わりを告げているようで怖い。幾重の皺が刻まれた手が、私の手とあまりにも違っていて、この世のものとも思えなかった。


 ぎゅっと目を閉じて、過去へと戻ろうとする心に否定の言葉を唱える。それは幻だ、現実じゃない。

 私は今いるこの場所から飛ばされないように、唇を噛み締め、強く拳を握った。そして、目を開ける。


 目の前には、憐憫の眼差しを送る嘉神がいた。違う。私は憐れみを向けてもらえるような人間なんかじゃない。私は反発するように睨み返す。


 嘉神はふっと自嘲するような笑みを零すと、


「だけど、私のやり方が悪かったかもね。マイナスの状態から、プラスの状態――いや、ゼロの状態に持ってくることは難しい。なぜなら、住む世界が違っているのだから」


 きっとそれは嘉神なりの優しさだったのだろう。黙り込んでしまった私を見て、嘉神が気遣うような言葉を掛けた。


 単純だけれど、少しだけ寒さが治まった気がした。


「だから、周防優希乃さん。最後に、もう一度だけやり直す機会を設けよう」

「……やり直す?」


 反芻する私に、嘉神がこくりと頷く。


「今はそのままでいいかもしれない。けど、将来必ず、君は今の性格を後悔するようになる。人と関われないことは、あらゆる点でデメリットだ。だから、今のうちに痛みを伴ってでも治さなければならない」


 この突発的に全身に悪寒が走る発作の原因は、自分でも分かっていた。しかし、原因が分かったところで、治すことが出来るかとはいえば別だ。


 この発作は精神的なところから来ている。


 それ故、私がこの発作を極力起こさないために選んだ方法が、二つ。

 感情を押し殺し笑顔を絶やすことと、人と関わらないことだ。


 あの全身を襲う冷酷な悪寒を感じるくらいなら、私はこの先後悔したっていい。


 そう思っているはずなのに、どうして嘉神の言葉に反論出来ないのか。


「もう一度やり直すにあたって――、私が先ほど話した協力者のことを覚えているかな? 実を言うと、その人物は君と同じ蓮見学院の生徒なんだ。だから、君の学校での生活ぶりも分かったわけなんだけどね。その人を、カガミプロジェクトを行なう上で君のサポーターに任命しよう」

「……は?」


 とんとん拍子で進んでいく嘉神の話に、私はようやく言葉を挟んだ。けれど、それは小さくか細い、息が切れたような音だった。


「その人は人当たりもよく、気遣いも出来て、人気者でね。もしかしたら、君も一度見かけたことがあるかもしれない」


 嘉神の話が方角を変えすぎていて、頭が追い付かない。


「きっとその子が、スノーさんが自ら話し掛けることが出来るようにサポートしてくれるはずだよ」

「ちょ、ちょっと待っ――」

「もし、君がその子のサポートを受けて、且つ本気でカガミプロジェクトに取り組んだ果てに、残念な結果を迎えるなら――」


 もったいぶったように、嘉神が言葉を区切る。


 この隙に、言いたいことを言えればよかったのかもしれない。けれど、嘉神からは有無を言わせない無言の圧力のようなものがあった。

 私は押し黙り、嘉神の言葉を待つ。


 嘉神はゆっくりと口を開くと、


「君の言うこのくだらないプロジェクトをすぐにでもやめ、潔く夢を諦めることにするよ」


 嘘偽りのない真剣な表情で、そう宣言した。

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