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周防優希乃の事情  作者: 葉泉 大和
第一章
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12月6日(水)①

 そして、時が過ぎるのは早く、瞬く間に嘉神が設けた期日の最終日前日――、私は静かな図書室でハードカバーの本を捲っていた。図書室で放課後を過ごす人は少なく、聞こえる音は本を捲る音、パタパタと誰かが歩く音、熱心に勉強に励む音……。余計な雑音は、ここにはない。

 けれど、その静かで集中出来るはずの状況でも、私は文字の海をふらふらと漂っていた。確かにページを捲っているのだが、文字の意味が全く頭に入って来ない。


「……ふぅ」


 私は本から目を離し、窓の外を見た。だいぶ日も傾いて来ており、夕陽によって図書室の中はオレンジ色に彩られていた。


 もう夜が来る。そして、夜が明ければ、当然のことながら次の日を迎える。

 明日、形だけでもいいから嘉神の前に行かなければいけないということを思うと、私の心は重かった。


 私は開いていた本を閉ざすと、元あった棚に戻してから図書室を後にした。


 ***


 茜色に染まる廊下を歩きながら、この六日間のことを思い返していた。


 一週間前の夜、嘉神から課せられたカガミプロジェクト第一弾のミッションは――、「話しなさい」だった。


 この六日間で、私が話した回数は片手で数えるほどだ。話す相手――否、話し掛けられる相手は、ほとんど学生寮の寮母である塚原さんだった。いつものように挨拶をする塚原さんに、私は適当な相槌を打っていただけだった。あとは、同級生が言う事務的な一言に、同じく一言で返したことがちらほらとあったくらいだろうか。ほとんどいつもの私と変わらない生活だったが、それでも普段より一割増しで言葉を発したつもりだ。


 嘉神にしたら、本当に取り組んだのかと疑いたくなる内容だろう。それでも嘉神に課せられたミッションはしっかりとクリアしている。当初からカガミプロジェクトというふざけたものを真面目に受けるつもりもない私にとっては、このくらいが妥協点だ。

 それでも正直、私の頭の中は、不満に満ち溢れていた。人のことをおちょくるような態度の嘉神や、ふざけた内容のカガミプロジェクト、そしてこんなものに参加している自分自身に対して、だ。


「周防さん」


 考え事に耽る私の耳に、ふと誰かの声が聞こえた。低いけど柔らかい声質からして、男だった。

 名指しで声を掛けられる心当たりは全くなかったが、自分の名前を呼ばれたからには無視する訳にも行かず、足を止めて顔を上げる。


「急に声かけてゴメンね。周防さんに用事があって……。あ、僕、二年三組の笛吹実泰。去年一緒のクラスだったんだけど……、覚えてないかな?」


 いつの間に私の通路を塞ぐように立っていたのか、笛吹実泰と名乗った目の前の男は、聞いてもいない情報をペラペラと語り始めた。こっちの反応を窺っているような話し方に、私は相当警戒心を表情に反映させていたのだと思い至る。


 しかし、私はなおも変わらない態度で、


「さぁ? 私、今のクラスメイトの名前さえも覚えていないから、去年のクラスメイトなんて余計に記憶にないわ」


 笛吹とやらの言葉を一蹴した。


 記憶にないことは本当だ。日々の日常を抑揚もなく淡々と同じように繰り返す私には、どの日も脳裏に留まることなく流れていく。この現象は、あの日から特に著しい。


 改めて、笛吹の顔を横目で見る。笛吹は私の言葉など気にする様子もなく、だらしなく笑っていた。一瞬、ちらりと笛吹の一年前の姿が浮かんだような気がしたが、すぐにぼんやりと消えていった。


「で、私を呼び止めた理由は何?」


 私の問いかけに、笛吹は「あぁ、そうだそうだ」と思い出したように、制服のポケットから封筒を取り出した。笛吹から封筒をもらうなんて、いや同級生から何かをもらうなんて全く思い当たる節はなかった。


「これ、校門前に立っていたおじさんから、周防優希乃さんに渡してくれってお願いされたんだ」


 笛吹が差し出した封筒を受け取った私は、露骨に訝しむような視線を当てる。表にも裏にも、何の情報が記載されていない。光にかざせば、中に便箋が入っていることは分かるが、開封しない限り内容は全く分からない。


「……何これ?」


 私は独り言のつもりで呟いた。咄嗟に口から漏れてしまったと言ってもいい。


「うーん、何かの手紙かな? さすがに人宛ての手紙を勝手に開けて読む勇気はないから、内容までは分からないけどね」

「……ふーん」


 笛吹の言葉は、私の独り言を拾って当然の事実を返して来ただけのものだったので、封筒に目を下ろしたまま適当に相槌を打っておいた。


 それから静寂とした時間が、廊下の中に漂った。用が済んだにも関わらず、まだ笛吹の気配が目の前に残っていた。むしろ笛吹の視線が、興味深そうに私に当てられている気がする。

 どちらにせよ居心地の悪い感覚だ。私は訝しむ視線を、謎の封筒から笛吹へと向けた。

 視線が重なると、笛吹はニッコリと満面の笑みを浮かべた。何だろう。今日会うまでは全く関りがなかったというのに、その表情には、一年前とかではなくここ最近で見たような覚えがあった。


「……何?」


 私はきつく問い詰めるような声を出す。それでも、笛吹は笑みを絶やすことはなかった。


「周防さんは一年生の時と変わらないね」

「……? どういう――」

「さねぇ! もうそろそろ終わる?」


 笛吹の言葉の意図が分からずに深堀しようとした時、第三者の声が廊下に響き渡った。私の視線の先、すなわち笛吹の背後から、手を振っている男子生徒がいた。きっと笛吹の友達なのだろう。


「ナベちん、ごめーん! 今行く!」


 笛吹は振り返り、ナベちんと呼ばれた男子に合図を送る。すると、笛吹は再び私の方に向き直った。そのまま私に構わずに友達のところへ行けばよかったのに、と心の中で思う。


「またね、周防さん」


 笛吹は私に歯を見せて言うと、そのまま待たせている友達のところへと向かっていった。今度は振り返らない。迷いなく廊下を歩き、友達と合流すると、そのまま笛吹は階段を降りていった。


 廊下から私以外の人の気配が消える。一人残された廊下は、世界から隔離されたように暗く静かになっていた。冬も近づき、陽が短くなっているのだ。先ほどまであんなに明るく彩られていたはずなのに、もうその色を思い出すことは難しい。


 だけど、それよりも――。


 ――またね、周防さん。


 笛吹の不敵な笑みが、私の心に印象を濃く残していった。


 ***


 蓮見学院の寮の自室に戻った私は、ある封筒を見つめていた。表を見ても裏を見ても何も書かれていない不思議な封筒は、先ほど笛吹実泰という同級生を通して知らない男の人からもらったものだ。


 いや、正直私はこの手紙の送り主の正体について粗方予想がついていた。

 この既視感のある封筒は、十中八九、あの男に間違いないだろう。


 開けたくない思いに打ち勝って、私は封筒を破り、便箋を取り出した。


「周防優希乃様。拝啓、突然の手紙でさぞ驚かれたことと思います。カガミ相談所の室長を務めております嘉神明人です」


 私は便箋の中身を声を出して読み上げていく。


 やはり予想通り、手紙は嘉神から送られたものだった。本人を目にした今、この堅苦しい書き方に違和感しか生じないのだが、内容は読まなくても想像はつく。明日のタイムリミットに関する報せだろう。わざわざ前日に知らせるとは、まめな性格なのか、それとも陰険なだけなのか。


 着ていたコートを脱ぎながら、続きを読んでいく。


「さて、今回こうして筆を執らせて頂きましたのは、今日がカガミプロジェクト第一弾の期日の日だからです。……は?」


 コートを脱いでいた手が、完全に止まった。私は手紙の内容に、釘付けになる。


「この手紙を読んでいる頃には、私が一週間と発言してから、後数時間ほどで丁度一週間が経つ頃かと思います。なので、今宵、周防優希乃様が私の元へ来てくださることを、カガミ相談所でお待ちしております。周防優希乃様が、より良い結果を報告してくださることを、心より楽しみにしてます。敬具。カガミ相談所……ですって?」


 一週間前、初めて嘉神に出会ったことを思い出す。確かに、第一弾と称して「話しなさい」というミッションを、一週間という期日を設けて私に与えていた。

 与えてはいたが、誰が言い渡した瞬間から正確に一週間だと思うだろうか。それに、あの時は夜も遅かった。ならば、次の日から数えて一週間だと思うことが正常なはずだ。


 気付けば、便箋を握り締める手は震えていた。


 そして、私は脱ごうとしていたコートを着直し、自分の部屋を飛び出した。私らしくなく、息せき切ったように走っていた。


 途中、塚原さんが心配そうな表情を浮かべながら私のことを気に掛けていたようだが、この時の私には、足を止めて反応する余裕はなかった。


 今度こそ文句を言うために、一秒でも早く嘉神の元へ行かなければならない。

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