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周防優希乃の事情  作者: 葉泉 大和
第一章
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11月29日(水)①

 ――すべての始まりは、一通の手紙からだった。


 私が通う私立蓮見学院高等学校は、経済界では知る人ぞ知る蓮見雄一郎という故人が作った高校だ。蓮見氏は生前、一代で作り上げた会社を運営する傍ら、青少年の育成にも熱を抱いていた。特に、高校生という立場の子供を育成することに熱心だった。その蓮見雄一郎の想いを体現した高校が、ここ私立蓮見学院高校だ。


 X県の丹苑という土地の一部を開発し、大きな学園規模を持つ蓮見学院では、生徒の自主性と社会性を重んじている。そのためなのか、蓮見学院の敷地の隣には寮が設けられていた。基本的に拒むことをしない蓮見学院は、希望する生徒ならば、誰でも寮で暮らすことを受け入れてくれる。食事も光熱費も込み、大浴場も完備、更には男女別棟で分かれているというのに、破格の価格設定がされている。少しバイトをすれば、高校生の時給だとしても、寮費を払っても余ってしまうほどの家賃である。


 都内からでも一時間半前後で通え、寮の設備もあり、親が子供を育てる上で安心でき、生徒にとっても自由に過ごせる私立蓮見学院高校は、そこそこ有名で人気な学校だった。

 ちなみに、余談だが、今は亡き蓮見氏の意志を継いで、息子の蓮見健介が理事長になって蓮見氏と変わらない理念で高校を運営している。蓮見氏が作り上げた会社の方は、すでに血縁関係のない別の誰かが継いでいるという――。



「……なにこれ」


 そんな蓮見学院の寮の自室にいる私は、ある封筒を見つめていた。表を見ても裏を見ても何も書かれていない不思議な封筒だ。部屋の灯りで中身を透かして見てみると、そこには文字が書かれている便箋が入っていた。


 これは先ほど学校から帰って来た時に私の部屋番号のポストに投入されていたものだ。

 この謎の手紙は宛名も消印もないことから、直接ポストへと投稿されたものだとすぐに察した。


「……ああ」


 それと同時、私はこの手紙の正体が、ここ一ヶ月の間、蓮見学院の中で噂されている例の手紙だと直観的に分かった。具体的な中身を聞いたのではないが、蓮見学院の廊下を歩けば、大抵の人が手紙について話している。馬鹿にする者、不審する者、恐怖する者、嘲笑う者――、手紙に対して多種多様な反応が飛び交い、この手紙について耳にしない日はないほどだった。


 私は着ていたコートをベッドの上に放ると、何の気なしに封筒を開けて中から一枚の便箋を取り出した。丁寧に折られた便箋を広げていく。


 そして、そこで目にしたのは――、


「周防優希乃様へ――。凍り付いたその表情を笑顔で解かし、毎日明るく鏡の前で本当の自分に出会ってみませんか? カガミ相談所」


 私の思考は止まった。

 現実からいきなり遠い遠い暗闇に放り込まれたような、そんな錯覚に陥る。


 静かな空間の中に響き渡る、陶器が割れる乾いた音。それに伴い――、


 ――優希乃ちゃんはいつまでも笑顔でいてね。


「――ッ!?」


 しわがれて、か細く、弱々しい声が心に響き、私はハッと現実に戻った。すごい勢いで心臓が高鳴っていた。呼吸は荒々しく乱れ、全身も強張っている。

 鏡が目の前にあったならば、私の顔はひどいものだっただろう。しかし、私の部屋には鏡がないため、顔を確認することは出来ない。


 自らを落ち着ける意味合いも込めて、深く息を吐き、ゆっくりと息を吸った。何度か繰り返すと、ようやく平静を保てるようになり、私は改めて手紙に目を落とす。


 手紙の上半分には文字が書かれているが、その下部には、丁寧に丹苑駅周辺の地図が描かれていた。駅の北側に蓮見学院があるのならば、このカガミ相談所という謎の場所は真反対の南側にある。

 私は自然と頭の中で時間の計算をしていた。ここからなら、片道三十分もかからずに行けるだろう。今は五時半ちょっと前。夕飯の時間まで三時間近く残されている。行って戻って来るにはちょうどいい時間だった。


 加えて、だ。

 この後の私の予定は、いつも通り特に入っていない。夕飯の時間まで適当に時間を潰し、人がいなくなる時間帯を見計らって大体八時半頃にご飯を食べて、大浴場でシャワーを浴び、ベッドに潜る。ただそれだけだ。


「……文句言ってやらないと」


 私は先ほどベッドに放った無機質な茶色のコートを羽織り、カガミ相談所の手紙を強く握り締めながら、自分の部屋を飛び出した。


 しかし、焦る思いとは裏腹に、私は慎重に女子寮の廊下を歩く。誰とも顔を合わせたくなかったからだ。四階建ての三階、その端っこの方に位置する私の部屋からだと、女子寮を歩いている内に誰かと会う確率は大いに高かった。だから、静かに、慎重に、歩かなければならない。

 まるで探偵さながらに気配を殺して、静かに玄関へと向かって歩いていく。


 幸運なことに女子寮を歩いている間、誰にも会うことなく移動することが出来た。私の視界に外へと繋がる扉が見えた。私は少しだけ足を速くして、玄関に向かう。


 しかし――、


「あら、優希乃ちゃん。この時間に珍しいわね。今からお出かけかしら?」


 突然割って入った皺がれた声に、私の足は止まった。悪い物でも怪しい物でもないのに、まるで盗んだ物を隠すように、持っていた手紙を強引にコートのポケットに入れた。


 恐る恐る後ろを振り向くと、


「……塚原さん」


 この蓮見学院寮の寮母、塚原さんが立っていた。塚原さんの手には箒が握られていて、女子寮の掃除の真っ最中だったのだろう。けれど、今は掃除する手を止めて、私のことをまるで子供を見るような眼差しで見つめている。


「……はい、そんなところです」


 話を区切る意味合いも込めて、塚原さんに淡々と一礼をすると、すぐに寮の出口へと体を向けた。


「優希乃ちゃん」


 しかし、去ろうとする私の背中に、塚原さんの声がのしかかる。皺がれているのに柔らかなその声に、反射的に足を止めた。何を言われるのか、私は鼓動を速めながら待つ。


「時期的に少し早いかもしれないけどね、今日の晩御飯は体も心も温まる鍋料理よ」

「……、いつも通り後で食べます」

「優希乃ちゃんの口に合うと嬉しいわぁ」


 おっとりとした声を発する梅原さんの顔を見ないまま、私は取っ手に触れ、扉を開けた。背中からは、塚原さんの掃く箒の音が、口笛交じりに聞こえる。その音をかき消すように、女子寮の扉を思い切り閉じた。


 私は深く息を吐きながら、蓮見学院寮の門まで歩く。白い息が目の前に現れた。私はコートのポケットの中に手を入れ、手紙を力強く握り締める。そして、寮の門まで辿り着くと、私は苛立ちをぶつけるように、走り出していた。 


 ――そして、それから一時間ほどが経った今。



「やぁやぁやぁ、はろはろ? カガミ相談所へようこそ!」


 ――私の前に変人と呼ぶにふさわしい人物がいた。


 人をおちょくるような軽妙な口調、部屋の中だというのにロングコートを着るという奇怪な装い、異常なまでに絶やすことのない笑み、あまりにもオーバーな一つ一つの動作――、全てを取っても、目の前の男はまるで道化師のように怪しい。彼から発せられる不快感は、手紙から感じられたそれと全く同じだった。


 促されるままソファに座っていた私は、前に立ち尽くす人間から目を反らすと、自分の立場を棚に上げて溜め息を吐いた。

 カガミが発した声とは違って、私の溜め息はすぐにこの広い執務室の中に溶けて無くなる。


「おやぁ、溜め息を吐いて何か嫌なことでもあったのかい?」


 カガミは腕を組んで、頭を捻らせながら尋ねた。その顔には、本当に私が溜め息を吐いた理由が分からないと書いてある。


 あんたのせいだよ、という心からの叫びを抑えて、


「……私をここに呼んだ理由は何? 勝手に敷地に足を踏み入れたから?」

「ふふっ。まぁまぁまぁ、積もる話はお茶を飲んでからでもしようじゃないか」


 敵意丸出しの私の質問を受け流すように、更に笑みを深くして、カガミは手を叩いた。


 すると、私の後ろの扉から誰かが入ってくる気配がした。私は座ったまま後ろを振り向くと、


「さっきも言ったと思うけど改めて――、カガミ相談所にようこそぉ」


 先ほど私をこの部屋まで案内した女性が、お盆を手にしているところだった。お盆の上には、カップが三つ乗っている。


 甘ったるい声を持った女性は、私に向かって真っすぐに近づいて来る。先ほど玄関前からこの部屋まで案内してもらった時と同様、彼女の顔から笑みが絶えることはない。


「これ、私が作ったハーブティーなの。よかったら飲んで?」


 そして、私の前まで来ると、更に笑みを深めてテーブルの上にお茶を置いた。


 その振る舞いから、この人は人を疑うことの知らない純粋な人間なんだと察するのは容易だった。


 カガミもこの人も何も抱えていない能天気な人間みたいで、私の苦手なタイプの人間だ。


 私はこれ以上目の前の二人を見たくなくて、ハーブティーが入ったカップを口に近づける。すると、ハーブティー独特の匂いが私の鼻腔をくすぐった。瞬間、匂いに意識が傾いたが、匂いの余韻を押し殺すようにハーブティーを口に押し込んだ。

 ハーブティーを飲み込むと、カガミも女性も満足そうに微笑みを浮かべた。


「私も一杯戴いていいかな、なずな君?」

「はいー、もちろんですぅ」


 なずなと呼ばれた女性はカガミの前にもカップを置いた。そのカップをカガミは手にすると、一度鼻に近づけてから、ゆっくりと口元へと運ぶ。


「うん、やっぱりなずな君が入れるハーブティーは変わらずに美味しいねぇ」

「えへへ、飲む人が美味しく感じてくれるように、いーっぱい愛情込めてますから」


 なんだろう、これは。なんでこんなところまで来て、私は見知らぬ人のいちゃつくところを見せられないといけないのか。


 私は不法侵入を咎められるために呼ばれたと思ったのだが、どうやら考えすぎだったようだ。この二人には、そこまで回る思考はないだろう。


 そう思った時だった。


 カガミの視線が、私を捉える。今まで見せて来なかった鋭い視線に、一瞬私はたじろいでしまう。しかし、すぐに真っ直ぐ睨み返した。カガミは満足したようにふっと息を漏らすと、再び目を細め、


「――さぁて、自己紹介がまだだったねぇ。私はこのカガミ相談所を運営している室長、嘉神明人でっす」

「それでー、私がその秘書を務めている、月橋なずなでーす」


 それぞれが軽い口調で自己紹介をした。


 私は唖然としてしまい、誇張表現抜きに、口をあんぐり開けていたと思う。どう反応していいか分からなかった。しんと静まった空気が、この部屋を満たしていく。


 嘉神明人と月橋なずなと名乗った目の前の二人からは、ふざけている様子は感じられなかった。つまり、真面目な普段の状態がこうだということだろう。


 ――ああ、そうか。


 ここに来て、ようやく私は納得した。


 鏡の前で本当の笑顔を見せるという変な謳い文句は、この夫婦漫才のようなやり取りを見せることで、鏡の前でくすっと笑わせようとしているのだ。なんと下らない発想だろうか。


 そう判断すると、不法侵入したことを棚に上げて、私は彼ら二人のことを軽蔑するような冷ややかな目で見つめた。


「ハハハ、その表情面白いねぇ。ところで、君の名前はなんて言うんだい?」

「……周防優希乃」


 私は淡々と質問に答える。早く彼らの気を済まして、この場を退散しよう。


 嘉神は私の名前を聞くと、おっと息を呑み、何度かうんうんと頷いてから、にっこりと笑った。表情の変化が激しい男だ。まるで彼の心の揺れ動きを、顔を通して直に見ている気分になってくる。まさに表情の変化の乏しい私とは正反対だ。


「周防優希乃ちゃん、うんうん、スノーちゃんだね」


 嘉神がいきなりファーストネームを超えて、仇名で呼び始めるので、私は目を見開いた。単純に驚いたのだ。私が学校の人に仇名を的確に付けられた。


「わぁ、スノーちゃんって可愛い仇名ですねぇ!」

「そうだろう、そうだろう。名前の頭文字と最後を合わせて、スノー。初めて見た時から、彼女には寒色系の仇名が似合いそうだなぁって思ったんだよ。いやぁ、奇跡だね!」


 当の本人である私を置いて、嘉神と月橋は二人できゃいきゃいと私の仇名について盛り上がっていた。沸々と呼び起こされる感情があり――、


「いい加減教えてよ。私がここに呼ばれた理由は?」


 私はとうとう椅子から腰を上げた。相当苛立ちが募っていて、普段よりも語尾が少しだけ大きく上擦る。

 その私の声に、嘉神と月橋は話を止めて、すっと私に視線を向けた。


「不法侵入を罰したいなら、早くすればいいでしょ。人の貴重な時間を無駄にしないでくれる?」


 私は自分が罰せられる立場だというのに、ふてぶてしく言い放つ。


「それもそうだね。時間は有限だ。けれど――、君は一つ勘違いをしている」


 今までと違った冷静な声。私は思わず身構えて、唾を飲んだ。

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