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周防優希乃の事情  作者: 葉泉 大和
プロローグ
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プロローグ

 ――どうして、こんなところに来てしまったのだろう。


 私はある一通の手紙を持ちながら、見た目は豪華な洋館を見上げていた。本来自分と関わりのない場所に来てしまったことに対して、私は自分の行動の浅ましさに思わず自嘲してしまう。同時に白い息が私の口から漏れ出した。


 今は十一月末。日もすでに暮れていることに加え、いつ天気が崩れて雨が降ってもおかしくはない寒空の下ならば当然の話だ。


 私は身を震わすような寒さに更に口を歪めると、手にしている手紙に改めて視線を落とした。


「周防優希乃様へ――。凍り付いたその表情を笑顔で解かし、毎日明るく鏡の前で本当の自分に出会ってみませんか? カガミ相談所」


 風の噂で聞いた通り、怪しげな謳い文句に、怪しげな地図、極めつけに怪しげな名前。そして、一番怪しいのは私のフルネームが記されているということだろう。

 この紙に書かれているすべてが詐欺だと自白しているようなものだ。こんな胡散臭い手紙に誰が訪ねてみようなんて思うというのか。


 ――私か。


 溜め息を吐くと、再び白い息が私の目の前に現れる。やり場のない自分自身への苛立ちをぶつけるように、手にしていた手紙を無理やりポケットにしまった。


 そして、そのまま私は洋館から足を遠ざけようとした。この場所に来た理由は、カガミという人物に文句を言うためだった。何が笑顔だ。私は毎日明るく笑顔で鏡を見たいなんて思わない。けれど、実際に足を運んだら、最初に手紙を見た時に抱いた憤りはどこかへと消え、文句を言おうという気はなくなっていた。寒空で冷やした頭で考えれば、誰が勝手に何をしようとも、私には一切関係ないのだ。


 私が洋館に背を向けた、その時だった。


「――なかったけ?」

「えー、――じゃーん」


 私の耳に、誰かの声が割って入った。


 何も音がしない閑静な住宅地だ。全部は聞こえなくとも、声の高い女子の声は嫌でも耳に響いてくる。

 反射的に声が聞こえる方向に顔を向けた。


 そこには、私が通う蓮見学院高等学校と同じ制服を着た女子高生二人組が、こちらに向かって歩いて来る姿があった。


 思わず舌打ちをする。ここに足を運んだ姿は、誰にも見られたくはなかった。


 ――来るな、来るな。


 しかし、その懇願は虚しく、一歩、また一歩と蓮見学院の生徒は近づいてくる。足も会話も止めないことから、彼女達は自分の話に夢中になっていて、まだ洋館の前に人がいるということを認識していないようだ。けれど、このまま立ち往生していては、蓮見学院であの噂を実行しようと試みた者がいるという声が学校中に広まってしまうだろう。それだけは避けたくて、誰も近寄らなさそうな時間帯を選んだというのに。


 私は忌々しく洋館を見つめると、もう一度近づく女子高生達に視線を向けた。


 そして、彼女たちの顔に驚愕する。

 名前は分からないが、同学年の女子だった。何度か廊下ですれ違ったような記憶がある。ますます心臓が警鐘を上げた。よっぽど話に夢中になっているようで、まだ彼女達には、洋館の前に人がいることも、それが私だということも気付かれていない。


 けれど、もういつ見つかっても不思議ではない距離まで、彼女達は近づいて来ている。


「――っ」


 焦る思考の中で私が選んだのは、件の洋館の敷地内に入って身を隠すことだった。


 幸い、門の中に入れば塀で身を隠すことも出来るし、玄関までの距離もかなり離れている。

 つまり、同級生にもこの洋館の家主にもバレずにこの場を凌ぐことが出来る。


 これがこの状況で取れる最適解だろう。


 洋館の敷地に入るとすぐに塀に背を預けて、息を殺しながら同級生二人がこの場から去るのを窺った。


 だんだんと足音が近づき、途切れ途切れで曖昧にしか聞こえなかった会話の内容も、はっきりと聞こえるようになった。


「こんなところに頼らなくたって、いつでも笑っていられるし」

「あはは、言えてる」


 途中からしか聞こえなかった会話だが、すぐにその内容を察することが出来た。いや、この通りを歩いていて話のタネになる話題なんて、たった一つしかない。


 私は彼女達の話題に上がっているくしゃくしゃの手紙をポケットから取り出した。皮肉なことに、笑顔という文字が真っ先に飛び込んで来る。溜め息も舌打ちもつくことの出来ない状況の中、せめてもの反抗に思い切り歯を食いしばった。


「こんな場所に来る人なんているのかな?」

「いやいや、いないっしょ。いたら、その人絶対闇抱えてるね」

「あはは、確かに。あ。それと別の学校に通う友達から聞いたんだけど、なんか他の学校にはこの手紙届いてないらしいよ。うちの高校だけなんだって」

「えー。なにそれ、こっわ。蓮見学院、不者者に狙われてるんじゃないの?」


 二人の声が、塀越しに私の耳を射通す。


 周りなど気にしない声量で打たれる「ありえねー」という適当な相槌。そして、心を劈くような笑い声。思わず耳を塞いでしまいたくなる。


 同級生の顔は見えないが、一体どんな表情で話しているのだろうか。


 私には二人が笑っている理由が分からない。話を聞いていても、心をくすぐる要素など何一つない。


 そんな不可解な笑い声と共に、同級生の足音も遠くなっていく。

 完全に二人の声が聞こえなくなったことを確認すると、塀に寄り掛かっていた私は、今まで堪えていた分、深く大きく息を吐いた。


 もう誰かの話し声は聞こえない。


 本来、この場所はそういう場所だ。駅の離れに位置するこの地帯は、住宅街と化している。その住宅街の中でも、目の前のカガミ相談所である建物は一際大きく、周りの家との距離が開かれていた。閑散とした住宅地の中でも、どこか漂う空気が違っていて、より静かだった。よっぽどこの洋館に住むカガミという人物は権力を持っているのだろう。


「――」


 聞こえる音は、私の鼓動だけ。まるで全てが死んで静寂とした世界の中で、私一人が息をしているようだ。


 先ほどの彼女達の話を信じるなら、わざわざこの場所に目的をもって近づく人物は、蓮見学院の生徒だけだということになる。そして、相当な物好きな蓮見学院の生徒でない限り、この建物の前で足を止める者はいない。


 頃合いだと踏んだ私は片膝を立てると、この洋館から離れようとした。


 すると、タイミングを見計らったように、洋館の扉が音を立てて開かれた。


 私は開かれた扉を見ながら、一瞬思考を巡らせた。

 あまりにも怪しすぎる。防犯カメラか何かで、私が敷地内に勝手に踏み入れたことを見られ続けていたのだろうか。だとしたら、誘われるまま建物の中に入ってしまえば、勝手に敷地に侵入したことを咎められるに違いない。


 今なら建物の中に入らずに帰れるが――。


 しかし、逃げるという選択肢は私の中からすぐに消えた。このまま逃げれば、不法侵入をしたことがカガミにより蓮見学院に伝えられるだろう。そうしたら、私の名前が学校で悪目立ちすることは避けられない。

 中に入って素直に謝罪をすることで事態が大きくならないのであれば、その方がいい。


「……はぁ」


 もうどうにでもなれ、と溜息を吐きながら立ち上がる。白い息が世界と同化して消えるのを待たずに、私は洋館に向かって歩き出した。

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