シンという男
多分次回が最後です。
地獄だった。
人が人を食べ、生きるために互いを殺し合い、誰が正常なのかすら定かではない、地獄。シンはただ恐ろしかった。
シンは賢い少年であったが故に、どこに火をかければ村中に燃え渡るのか分かっていた。そうして地獄に火をかけ、新たなる地獄を作り、全てを終わらせた。
シンはキトの村が結局どうなったのかは知らない。それを知ることになるのはずっと後、この旅に出てからのことである。
(もう、何もかもおしまいだ)
シンは村を燃やした後、隣の村まで流れ着いていた。そこで優しい幾人かの村人に世話をしてもらい、その村を出た。子供心にいつまでも世話になってはいけないと感じていたためである。
シンの家族は東から流れてきた者を先祖としていることから、この地では身寄りが少ない。随分と昔に母に聞いた親族の断片的な情報をたよりに、移動していった。
事情を話せばどの町、どの村にもいくらか手を貸してくれるものがいたことはシンにとっての幸運であった。おかげでなんとか野垂れ死ぬことは回避できた。それでも長く続く旅にシンの心は疲弊していった。
そしてやっとの思いでたどり着いた村でその親族に受け入れを拒否されたとき、シンの心は完全に折れた。
(死のう……)
シンは村を出て近くの森に入った。ミナとあってから様々な場所を探検したりした。特に村の近くの小さな森は絶好の遊び場で、親に止められても隠れて遊びに入った。
(あの森によく似ている)
シンはあれからずっと捨てられずにいた刃物を手に取る。既に血で切れ味が落ちているが、なんとか自分の腹を刺すことくらいはできそうであった。
(ごめんよ、ミナ)
シンは胸中でミナに謝る。これまで何度と死にたいと思ってきた。しかしミナの言葉が、『生きて』と言ったミナの想いがそれを踏みとどまらせてきた。
だがそれも限界が来ていた。
(さようなら)
シンは勢いよく腹にその刃を突き立てようとする。その瞬間不意に後ろから止められた。
「なっ!?」
「誰だかはわからないけど」
後ろには体格の良い暗めの赤いローブを着た男が立っていた。
(魔術師?)
シンはそれが本でしか読んだことのない魔術師だということにすぐに気付いた。
シンの刃物を取り上げて男が言う。
「君の事情は分からないが、少なくともこんなに若い少年が死ぬ理由はこの世にはないな。この先に私の家がある。お茶くらいは出すし、事情はそこで聞こう。勝手ながらこの刃物はそれまで預からせてもらうよ」
これが生涯の師となり、第二の親となるレナード・レストとの出会いであった。
「痛ってぇ!」
「足さばきが悪い。判断も悪い。これじゃ町へ買い物に行かせても賊の餌になるだけだ」
「何故俺に死なせてくれない!」
「死ぬ?死ぬだ?若い奴が死ぬのは世界の損失だ。死んでいいわけないだろう!せいぜいその力を世界のために使ってから死ね!」
「今に見てろ!お前を倒した上で死んでやる!」
「火が足りんな。ぬるいぞ、シン」
「じゃあ自分で火をくべれば良いじゃないか!師匠」
「稽古で負けた方が風呂の番と決めただろう。負けるお前が悪い」
「師匠、こっちの賊はやりました!」
「じゃあお前は南に回り、村の入り口を固めろ。村の自警団を援護してやれ」
「はい!」
「師匠。村の依頼、こなしてきました。報酬も多めにもらいました」
「でかした、シン。これでまともな飯にありつける」
「たまには師匠が行ってくださいよ。どうせたいした手間でもないでしょうに」
「じゃあ師匠、俺はもう寝ますんで。また明日」
「あ、ああ。そうだな」
「?どうしたんですか?」
「何でもない。おやすみ、シン」
「見事だ。見事だよ、シン」
レナードは血を吐き、膝を折る。もうそこには立ち上がる力も残ってはいなかった。
「師匠……ししょ……」
「泣くな、馬鹿者」
シンはレナードの元まで歩み寄り涙を流す。レナードは柱にもたれかかるように座り込んだ。
「戦いをしてきた者の性かな。今まさに死のうとしているのに、戦いの反省をしてしまう。お前に稽古をつけていたときも、たしかこうだったな」
「……はい。いつも俺はボコボコにやられて、『あれが悪い、これが悪い』って師匠は言ってました」
レナードは『ハハハ』と笑い、シンは涙を流している。二年以上離れていても思い出す景色は同じであった。
「今回の敗因はお前の経験を見落としていたことかな」
「………」
シンは何も言わずに黙って、聞き続ける。
「俺はお前がどう戦ったのか、それぞれの遺体の記憶から見てはいた。しかし魔術のコピーに気を取られる余り、観察するのを怠っていた。お前を侮っていたのかも知れないな」
「………」
レナードは最後の応酬を思い返す。
始めに撃った風の魔術は腕の衣服を切り裂き、シンが手で直接触れるため。最後の最後に相手に触れて、反撃の芽を作り出すやり方はデスペアを打ち破ったものであった。
次に相手の記憶を探り、その弱点に触れることで相手の冷静さを失わせる。これはデリフィードに使ったもの。
冷静さを失い、シンの身体を爆発させようとするや、土の身代わりを用いて行方をくらます。おそらく土の魔術により身を隠しながら移動していたのであろう。冷静に考えれば分かることをレナードは完全に見失っていた。ここでブライトとの戦いで得たものを存分に使っていた。
そして……
「最後の、『想いは力』と言っていたのは」
「それは、とある町で出会った、フィオネさんに教えてもらったことです。旦那さんがおっしゃっていた事って」
「フィオネ……。あの『円環のフィオネ』か。そうかあの女、アイツと結婚したのだな。そうかそうか。フィオネとも会っていたのか」
「はい……。そして俺がこの手で……」
シンは少し哀しそうな顔で答える。しかしレナードは一層穏やかな顔であった。
「気にするな、シン。お前が私情で人を殺めるとは思わん。そこに避けられぬ理由があればそれはもう運命だ。お前に責はない」
「……はい」
「それに、あの女に勝ったのか?だとしたらそれこそ褒めねばいけない。それほどまでにあの女はブランセルでは有名であった。最も『ブランセルの魔術師において』はって話だがな」
レナードはどこかうれしそうとも見える顔でシンを見上げる。そこにはかつての少年とは異なり、一人の男としてのシンがいた。
「お前の言うことは正しい」
レナードが落ち着いた声で話す。シンは聞こえるようにしゃがんで姿勢を低くした。
「俺は結局の所、認められたかっただけだったのかもしれん。自らを認めないこの世界が嫌で、否定しようとしただけかも知れない」
レナードは続ける。
「勿論そういったどこか汚い気持ちは誰にだってある。だが俺の場合、それと向き合えなかった。罪と向き合ったお前と、自分の中に住む薄暗い気持ちに向き合えなかった私と。その差こそが『想い』の差として生まれたんだろうな」
レナードは今までとは異なり、どこか清々しいような表情をしていた。
「地位と名誉か……俺も随分としょうもないものに命を使ってしまった気がする。だがそれでもこの生き方を否定しようという気にもなれんな。」
「……………」
「死を前にして思えばどうでも良く思えるが……。ただなシン、人はパンや水だけでは生きられないんだ」
シンには師匠の言葉が何を意味するのかよく分かっていた。シン自身レナードに認められ愛されていると感じていたことでこれまで生きてきたのである。
「俺は……少なくとも俺はあんたを尊敬していたんだぜ」
シンは今にも泣き出しそうな顔で絞り出すような声で言う。
「師匠があんな森の中で迫害されながら生きて良いはずがないって、貴方がいなくなった後も貴方の姿で村に下りては、人助けをしていた。もし死んでいたとしても、その名が残るように。生きていたら、帰ってきてくれるようにって……」
レナードは既に息は荒く、その出血が命の限りを示していた。既にどの程度話が聞こえているかも分からない。シンは顔を近づけ大きな声で話した。
「俺は厄災の孤児で、あんたに受け入れてもらって本当にうれしかったんだ!訓練は厳しかったけどあんたのこと、ずっと親父みたいに思ってた!ずっとあんたみたいになりたいっておもってたんだ……」
「……泣くな」
レナードはかすれた声でシンに言い、そっとシンの頭をなでた。
「だからこそだ、シン。だからこそ私は生きてこれた。俺がお前を生かしたように、お前も俺を生かしていたんだ」
シンはだまって話を聞く。一言一句漏らさぬよう、自らの師であり父である男の言葉を噛みしめた。
「シン、強くなったな」
シンはこらえきれず瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「己の信念をもち、自らを認めることは何より難しい。お前は立派だ」
その言葉を聞きシンは立ち上がる。それを見てレナードは最後に告げる。
「シン。先ほども述べたが私はもう既にサラを殺めた。帰りはしない。そしてその仇も討った。これからどうする」
レナードのその言葉を聞きシンは少しだけうれしくなった。きっとそれは興味本位などではなく自分の愛弟子がこのまま絶望に身を任せ死に向かうのではと案じたことからだと分かっているからだ。
「死ぬ前にお前の痣を……」
「いや、いらないよ」
「どうして?まさか」
「死ぬつもりもない。……それに」
「助けなくちゃならない奴がいる」
シンはそう言ってにこりと笑った。
「……そうか」
レナードはそれ以上何も言わなかった。
一人の魔術師が息を引き取った。
「おやすみ。師匠」
シンはそう言って、最後の魔術にとりかかった。
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