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黒の魔術師   作者: 野村里志
第四章 妖精の贈り物
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美しく、強く





加速術式(イグナイト)


始めに動いたのは無論シンであった。構えたナイフを顔の位置にまで上げ、高速で接近する。フィオネもその速さに一瞬の遅れをとるもなんとか防御術式を用意する。


(かかった)

 

シンはナイフをおとりに左手で掌底をいれる。訓練された一撃かつ加速術式と肉体強化のおまけ付きである。


 フィオネの体はくの字に曲がりそのまま崩れ落ちはじめる。


(基本的に魔術師の装備はなんらかの魔法防御の魔術が組み込まれている。おそらく彼女のにも魔術付与はされているだろう。では物理攻撃なら)


 シンは手応えを感じ、そのまま右肘を倒れゆく彼女の顎をかすめるように振り抜く。脳を揺らし意識を吹き飛ばすには十分の感触が右肘から伝わる。


 シンはすぐ距離をあける。そして自動反撃の魔法が発動されないのをみて、意識を完全に吹き飛ばしたと判断した。


「殺さずに戦うとしたらこの初撃こそが最大のチャンスだった。危なかったな」


 シンが「ふー」と大きく息を吐き出し、距離をたもったまま地面に倒れている女性を見続ける。彼女は完全に動かなくなっており、シンは少しだけ余裕を持つことができた。


「『準備こそ戦いの最も重要なフェイズ』。そうだったな師匠」


 相手は既に戦う気で此方に現れていた。こちらの方も戦う訓練を積んではいるが、短期的準備において向こう側に優位があった。そして何よりシン自身に戦いに対しての迷いがあった。これまでいまだかつて自身に迷いがあったことはない。それは迷いが生死を分かつことをシンはこれまでの経験から十分に理解していたためである。


 「この戦いは相手を無力化するしかない」シンはフィオネが現れた段階でそれを目標に定めていた。もしそれが失敗に終われば殺し合いというシナリオを覚悟しなければならないのだから。


 そのため相手のその優位が機能する前に自分の速攻をもって余裕を崩し、決める必要があったのだ。そしてそれは成功しているように思われた。


 シンはフィオネを観察しておそらく完全に意識を手放したものと判断しゆっくり距離をつめる。慎重に、かつ丁寧に。


そしてあと十歩ほどの距離に来たとき、不意にその足は止まった。


(様子がおかしい)


 それはほんの些細な違和感であった。目の前に倒れ込んでいる女性は先程から微動だにしていない。それでもシンの足は動かなかった。


しかし結果的にはその違和感こそがシンを助けた。


魔術弾(フレイア)


 シンは小型の魔術弾を倒れている彼女に向けて放つ。その弾は彼女に当たる直前でわずかに軌道を変え彼女のすぐ横の地面を破壊した。


「しまっ」

「ラド・ボルグ」


 光の槍がシンを貫いた。




「もう少し近寄ってくれれば確実に仕留められたのに、残念ね」


 フィオネはそうだけ言うと事前に準備していた結界を自分の周りに展開する。


「私はブランセルでは結界の研究をしていてその道では第一人者だったわ。故に自分の周りに薄く鎧のように展開することもできる。見破られたのはあなたが初めてよ」


 光の槍に貫かれたシンは土となってボロボロと崩れ落ちる。


「時間をかけてやっと作れる土人形をあっという間に破壊しやがって、心臓止まるかとおもったぜ」

「あら、それは残念ね。いつの間に分身を作り出したのかしら。……でも、次で本当に止めてあげるわ」


 フィオネは怖い言葉とは対照的に優しい微笑みを浮かべる。それはあのお店で彼女が見せていた笑顔と同じであった。


(しかし危なかった。距離が開いてなければスクロールから分身を生み出すこともそれを楯にすることもできなかった)


 シンは手に持っていた使用済みのスクロールを捨てる。先ほどの戦いで人食いのブライトから奪った戦利品の一つであった。


(召喚のスクロールによる身代わり、あの男が使ってなければとっさには使えなかったな)


「ラド・ボルグ」


 フィオネは再度光の槍をシンに向けて放つ。しかし距離をとったシンにとってはそれをいなすことはさほど難しい技ではなかった。


「やるわね。やはり夫のようにうまくは扱えないわ」


 そうだけ言うとフィオネはまた別の詠唱を始める。


 それをとめるべくシンも魔術弾を放つ。しかし先同様に彼女に命中することはなく、彼女の表面に薄く張られている結界によって受け流されてしまう。


「ラド・ソレ」


 彼女は杖をなぎ払うようにふる。シンはその意図を理解ししゃがんで躱す。シンのはるか後ろにあった大木が真っ二つにされる。


(なんて威力だ)


 シンは後ろで倒れていく木から視線を戻し、フィオネを見る。フィオネはいつの間にか音も立てず目の前まで詰めてきていた。


「なっ!?」

「お別れよ」


 フィオネは先程同様に杖をふるう。しかしすんでの所でシンに躱される。シンはフィオネの手をつかもうとするが身に纏う彼女の魔術によってはじかれる。


 フィオネがさらなる攻勢に出ようとしているところでシンは素早く駆け出し距離を取る。そしてお互いは構えたまま、動きが止まった。


「何故彼女を狙う!」

「…………」


 シンは大きな声でフィオネに問いかける。フィオネは何も言わずただシンを見つめている。


「本当の狙いは何だ?彼女を狙うのなら、他にも多くの魔術師を……」

「殺したわ」

「!?」

「たくさんの魔術師を……既にね」

「だとしたら……そんなに見境なく殺しているなら……何故あなたは店なんか構えていられる!追手が山のようにこの町に来るはずだ。しかしサラはそんな情報一つも持っていなかった。それどころか祭りを楽しもうとすらしてたくらいだ」

「ふふふ、それは分からないわよ。女の子はずっと強かなのだから」


 フィオネはそう言って笑ってみせる。しかしシンにそうしたブラフは効きようがなかった。


「俺に対して、彼女は嘘をつきようがない。魔術で見破れる」

「……随分無遠慮な魔術ね」


 フィオネは「はぁ」と息を吐き出し、しょうがないかと話し始める。


「簡単な話よ。殺したのではない、消した。それが答えよ」

「消した?」

「そう。存在ごと。この世界から消し去ったのよ」


 シンが理解していないことを察して、フィオネは地面に生えている草を何本か抜き、宙に投げた。そしてそれを先程の魔術同様に切って見せた。


「どう?これでわかった?」


 シンは黙って頷く。今目の前で起きたことはシンも信じざるを得なかった。


(空を舞った雑草の一部が消えた……。それも見間違いや高速なんかじゃなく。確実に消え去った)


「今、雑草を少しだけ残して消したけど、これが全部消えたら……どうなると思う?」


シンは生唾をゴクリと飲み込む。恐ろしい想像であったがシンには簡単に理解できた。


「そう、消えるのよ。周りの人間の記憶からも。そもそも存在しなかったものとなるの。だから私は気付かれることなく、この町に暮らしていられるの」


 シンは黙って聞き続ける。


「もっともたまにこの町に協会の魔術師が黒の魔術師を探して来ることがあるわ。そしてまれに私の店を訪れる。ここまで言えば分かるかしら」

「………」

「でも、はじめてでもあったわ。私が黒の魔術師だと事前に悟った相手は」


 フィオネはそう言いながら杖を構える。話す機会はなくなり、説得はできない。シンはそう察した。


「最後に一つ聞かせてくれ」

「……何かしら?」

「相手の存在を消すことができるのであれば、そもそも死んだことにすらならないはずだ。だったら黒の痣すら生まれないんじゃないのか?」

「そうよ…多分。やったことはないけど」

「やったことはない?どういうことだ?」


 シンは聞き返す。フィオネは簡単なことだと答えた。


「始めて葬った相手は、しっかりとこの手にかけたわ。魔術で消したりすることなく」

「……!?」

「驚いた?」


 フィオネはシンの様子を見て小さく笑う。


「……何故?」


 シンは小さく問いかける。


「それは……話すことではないわ」

「…………」


 寂しそうにそう言うフィオネに対して、シンは覚悟を決めてナイフを構える。そして再度自らに強化と加速の術式をかける。これ以上言葉を交わすことはできなかった。


(いずれにせよ、殺すしかない。殺しに行くしか)


 シンは強くナイフを握りしめ、歯を食いしばる。やらなきゃ、やられる。相手は強く、戦いには覚悟が必要であった。


 まだ謎が多く、彼女について知らないことも多い。しかしだからといって、猶予なぞあるわけもない。そして何より自分を、サラを守るという意味でも、甘えた考えは捨てなければいらなかった。


「シン……レスト」


 シンは一度目をつぶり、大きく見開いた。その瞳には既に迷いは失われている。



「ここに戦いを決意し、勝利を予言する」



 シンは地面を蹴り、フィオネへと走り出した。








読んでいただきありがとうございます。

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