円環のフィオネ
宿屋で夕食をとっているとき、サラは昨日とはうってかわって上機嫌であった。鼻歌を歌いながら美味しそうにスープを飲んでいる。昨日は一緒に食事を取らなかったこともあり二日ぶりの食事ではあったがそれを差し引いてもこれだけ上機嫌のサラを見ることはシンにとっても珍しかった。
「何かいいことあったのか?」
「ん?」
シンは少し慎重気味に聞いてみる。そもそも昨日のことも何がサラの気に障っていたのかもわかっていない。これ以上彼女の逆鱗に触れるようなことはしたくはなかった。
「特に何もないわよ。ただ…」
「ただ?」
「自分を否定しちゃいけないなって。そう思ったの」
そう話すサラはシンにとってはまったく理解不能の生物に見えた。シンはこれが自身の人と関わる経験不足から来るものなのか、それともそもそもサラが変であるためなのか判断がつきかねた。昔どこかで聞いた「女心と秋の空」とはよく言ったものである。シンはそう感じた。
そんなシンの考えを余所にサラは依然として上機嫌で食事をとり続けている。
(さっぱりわからん)
シンはいっそのこと彼女に触れて真相を確かめようかとも思った。しかしそれをするのはどこか気が引けたのでそのまま放置することにした。
シンがこの理解不能な少女について考えることをやめようとしたその時、少女の首にいままでに見られなかった物がかけられていることに気づいた。
「お前、それどうしたんだ?」
シンはサラの首飾りを指さして質問する。
「これ?今日行ったお店の人がくれたの。それでね…」
サラはうれしそうに聞いていないことまで丁寧に話す。その話しぶりから今日の機嫌の良さがどこから来たものなのかシンにはなんとなくわかった。
(なるほど、男ね)
シンは急に冷めた気持ちになり、パンをかじる。サラが「聞いてるの!」と詰めてくるまで話半分にサラの様子を眺めていた。
「それで、その男はどんな奴だったんだ?」
サラが一通り話すのを待ってシンが質問する。サラがどんな相手に恋い焦がれていようが自分には関係ない、シンは自分に言い聞かせるようにそう考えていた。しかしそれでも聞かずにはいれなかった。
シンの質問にサラはきょとんとした顔でシンを見ている。そして少ししてからシンが勘違いしていることに気付き、クスリと笑い出す。
「バカね。女の人よ」
「へ?」
「お店の人。フィオネさんって言うの。すっごく綺麗で、とても優しかったわ」
シンは照れを隠すようにそっぽを向いて「あっそ」とだけ返事をする。シンは自分がまるでサラのそういう事情に興味があるみたいに思われていそうでどこか居心地悪い気がした。もっともサラはそのようなこととはまったく思わずにその後もフィオネの話を続けていた。
「そうだ。シンも明日一緒にその店に行きましょうよ。妖精祭も三日後には始まっちゃうし、そしたら町中人だかりでお店に行くのもむずかしくなるかもしれないし」
サラはシンに提案してくる。
シンはいつも行く店のあの女店主の顔が思い浮かんだが毎日行くのもそれはそれでどうなのかと思い、一日空けるためにもサラの提案に乗ることにした。もっともその思惑はまるっきり外れ、今度はサラと一緒にその店に顔を出さなければいけなくなることはこの日は想像もしていなかった。
翌日、シンは非常に居心地が悪かった。それもそのはずで自分が足繁く通っていた店にサラと一緒に来る羽目になったからである。
道中いつもの道を歩くことに違和感を覚えていたシンであったが、まさか同じ店だとは思っていなかった。それ故サラが店を指さしたときはつい回れ右したくなってしまったが、サラが元気よく入って行ってしまったため、逃れる術を失ってしまったのである。
「え?!じゃあシンもこの店に来ていたんですか」
「そうよ、彼は頻繁にこの店に顔を出してくれていたの」
「へー知らなかった。だったら教えてくれれば良かったのに」
シンは二人が会話しているところには入らず、商品を見ている振りをしていた。以前もらった花はサラにはまだ渡していないが、その話をいつされるんじゃないかとドキドキしていた。
(まいったな。こんなことなら話すんじゃなかった)
シンは自分のセンチメンタルな部分を握られてしまっているようで、フィオネの方を見ることはできなかった。
「そういえば、フィオネさん。このペンダント、ありがとうございました」
「いえいえ。気持ちが晴れたのならよかったわ」
「はい。大事にします」
サラはニコニコしながら心底うれしそうにフィオネと話している。シンはどこかハラハラとしながらもその様子はどこか微笑ましいと感じてもいた。
「これが私の今年のプレゼントのような気がします」
「あら、そうかしら。もっと良いものがもらえるかもしれないわよ」
フィオネはそう言って一瞬だけシンの方に目配せをする。サラは気づかなかったようだが、シンははっきりと目が合ってしまっていた。シンはますます帰りたくなってきていた。
「ただいまー……あれ?」
玄関から一人の少年が入ってくる。金髪に綺麗な青色の瞳をした少年で歳は10になるかならないかといったところであった。
「お客さん?」
「そうよ、あいさつしなさい」
「いらっしゃいませ。ゆっくりしていってください」
そう言うと少年はスタスタと奥に入っていき、素早く階段を上っていった。
「うちの息子です。今年で9歳になります」
「わー、可愛らしいですね」
サラは楽しそうに答える。純真な少年少女はやはりどの人間にも好意を持ってもらえる希有な存在だ。シンはそんなことを考えながら特にやることもなく品物を眺めていた。
「そういえばサラさんはブランセルの魔術師でしたよね。では彼も?」
不意に来た質問にサラとシンは同時に身をこわばらせる。サラは慌てて「まあそんなものです」とだけはぐらかして答えた。
「そんなことより」
サラはとっさに話を変えようとする。
「私たち黒の魔術師を捕らえるために旅をしているんです。なにかこの町でそう言った話とかってありませんでしたか?」
フィオネは「そうねえ」としばらく考えてから、「最近はこの町も平和だから」とだけ言った。サラはそれを聞いて「じゃあしょうがないですね。私たちも妖精祭をちょっとだけ楽しんだらこの町を出ましょうか」とだけ答えた。
女性陣の会話はしばらく続き、シンはしばらく手持ち無沙汰であったが、夕餉時になったことでやっと会話が終了した。シンは既に店の品物を何周も見てしまったのでどこに何があるかすらも把握してしまいそうであった。
「では、フィオネさん私たちはこれで」
サラはフィオネに勧められた香水を一瓶、シンはいつも通りナッツを一袋それぞれ購入した。
「すごいいい人よね。フィオネさん」
サラは屈託のない笑顔でシンに話す。シンは「そうだな」と答えつつどこか言いようのない気持ちを抱えていた。
それはひとえに彼女が黒の魔術師であることから来るものだということはシンにも分かっていた。
(このまま、何もおこらなければいいが)
シンはそう願った。もっともその願いは叶うことはなかった。
春が近づいてきていた。
その日の夜はまだ寒さが残ってはいたが、ほのかに花の香りが混じった風が優しく吹いていた。
わずか二日後の夜、シンとフィオネは町から少し離れた丘で対峙していた。
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