少年の物語。
遡ること12年前。
僕が先生を初めて認識したのは高校1年の秋だった。
いつものバイト先であるコーヒーショップで憂欝な思いに苛まれていた。
雨って苦手なんだよなぁ。
窓際の小さな二人用の席に座る女性。
「吉川。またあの人見てんのか。」
「つい。」
「あんまりお客さん見てんじゃねえぞ。」
バイトの先輩に注意されてしまう。
わかってはいるけれどついつい目で追ってしまう。
それはその女性がタイプの容姿をしているだけではない。
彼女が僕の学校の先生だからである。
僕の受け持ちではないし、非常勤だからいつも学校にいるわけではない。
だから先生は僕のことなど顔すら覚えてはいないだろう。
知っている人が視界に入っていれば自然と視線が移ってしまう。
それは自然なことではないか。
まあこれ以上見つめていて目が合ってしまって気まずい思いをするのも僕の本意ではない。
マシンの手入れでもしていよう。
先生から視界を外そうかと思ったその時だった。
僕の視界の外で彼女が涙を流していたのが見えた。
「え?」
僕はつい二度見をしてしまう。
大人の女の人が泣くところなどテレビでしか見たことがなかった。
母親が泣いてるところだって見たことがないのに。
俄然、その現象は僕を動揺させる。
「お~い。吉川。暇ならテーブルチェックでもしてこい。」
なんともタイミングの悪いオーダーである。
僕は彼女を中心に遠回りにテーブルを清掃していく。
いつもは10分もかけないが、僕の足取りは重い。
まだ泣いてるよ。
いよいよ彼女の隣の席まで来てしまった。
もう気付かないふりもできないよな。
でも店員がお客様の涙の心配などですぎたマネではないだろうか。
僕は布巾を畳み直す。
近くで見るとなおさら悲壮感のある泣き顔にみえる。
そんなに辛いことでもあったのだろうか。
大人になるというのはそういうことなのだろうか。
僕は早く大人になりたい。
2カ月前に母を亡くした僕の持論は『人生意外となんとかなる』になった。
母親に褒められる為の僕の人生が突然終わった。
色々調べながら、色々な人や機関に頼りながら暮らしてみると人は意外と生きられるものなんだと悟った。
僕の指針は母親からようやく自分に向いた途端、人生が突然開けたような気がした。
今は母を失った悲しさや妹の面倒の大変さよりも自分が動いた分だけ、自分が働いた分だけ開けてくる人生の選択肢に希望を膨らませている。
15年間、もうすぐ16年だけれど。
約16年間生きてきて今ようやく自分の人生が始まったようだった。
だからだろうか。
先生の涙から目が離せないのは。
これは先生への心配などではない。
大人の女性の涙への好奇心でもない。
自分の人生の延長線上にいるかもしれない先生の涙の理由を僕は知りたかった。
「あの……。」
僕の口とともにお店の扉も開いた。
「ああ。やっと見つけた!」
入口に立つ女子生徒の服装はうちの学校の制服を身にまとっていた。
その腕章は『風紀』と記されている。
しかもその顔は見覚えがある。
「お姉ちゃん。探したよ~」
先生に駆け寄る彼女の名前は『京極美智子』。
僕のクラスの風紀委員だ。
かなりの真面目女でクラスでハブられ気味だが、持ち前の正義心でクラスの風紀を守っている。
僕は模範も模範の立派な真面目くんで通っているので彼女の指摘を受けたことはない。
今の状況を覗いては。
僕は布巾を顔の前で広げた。
うちの学校はバイトが禁止なのである。
「美智子~。」
先生は美智子に抱きつく。
学校で見かける廊下を歩く凛とした先生の姿はそこにはない。
「もう。天気予報くらい見なさいよ。お姉ちゃん。」
美智子の両手には二本の傘があり、抱きつく先生に対応できないでいる。
お姉ちゃん?
「美智子~。よかった~。もう帰れないかと思った~。」
「ほらほら。またこんなに泣いて。もう26でしょ?」
涙って帰り道の心配だったの?!
もうこの場にとどまる必要はなくなった。
ここに僕の疑問の答えはない。
この場から立ちさらねば。
明日の僕らの飯すら危うい。
僕は彼女たちから離れる為、顔を隠したまま後ずさりを始めた。
「吉川~。テーブルチェックに何分かけてんだ?」
先輩の呼びかけに彼女たちの視線が僕に集まる。
「吉川?」
布巾越しにも美智子がこちらを見ているのがわかる。
「いらっしゃいませ~。」
僕はできる限り低くて良い声を出してみる。
「お姉ちゃん。傘持って。」
「え?うん。」
足音が僕に近付く。
「どうぞごゆっくり……。」
挨拶の途中で美智子の手によって布巾が引きはがされた。
「おくつろぎくださぁ~い。」
僕の顔を見上げた美智子の顔は怖い顔をしていたが、それは一瞬で僕に笑いかける。
「吉川?バイト?」
「えっと?家事手伝い……かな?」
今日だけはこのチェーン店は僕の家だ。
「そっかぁ。偉いね。」
彼女の笑顔が怖い。
「ふふふ、指導。しなくちゃね?」
「ですよね~。」
こうして僕の初恋の物語は始まったのだ。
美帆にも話したことのないこの物語を僕は安原さんを通して思い出す。
先生に恋した少年の物語。




