どうしよう。
「ただいまー……。」
夜の19時すぎ。
ぼく、吉川京平は家の玄関を開ける。
今日は珍しく早く帰宅できた。
出来れば残業したいところなのだけれど。
妹の美帆をなんとか大学に行かせてやる為にはもっと働かねばならないが。
残業とは好景気の証。
そう頻繁に出来るものではない。
経済には何事も波というものがあるのだ。
何も大学に行く必要なんてない。
あいつがやりたい事を見つけた時に背中を押してやれるくらいの貯金はしておかねば。
僕は暗闇のなか手探りで玄関の電気を探す。
……美帆の奴、まだ帰ってないのか。
スイッチのようなものを見つける。
指先に力をいれると玄関が照らされた。
脱ぎ散らかされた懐かしい上履きが玄関に転がっている。
……上履き?
なんで上履きがこんなところに。
しかも片方だけ。
上履きの踵をみると『京極美智子』の名前が記されている。
……なんで『美智子』の上履きがこんなところに。
玄関の光がリビングの方に伸びる。
そこには制服のまま倒れこんでいる女の子がいた。
「……美帆?」
女の子の横には血だらけのハンカチが落ちている。
「美帆!」
俺は女の子を抱きあげた。
抱き上げると美帆はすーすーと寝息を立てているだけだった。
口にはヨダレの後まである。
横にはスマホが落ちている。
僕が視線をスマホに移すとちょうどラインの通知とともに画面がついた。
ラインの送り主はコミュニケーションお化けの子からだった。
『よかったー。家にもいないから心配したよー。』
そのラインの内容からして、今日は美帆にとって一大事だったことは想像ついた。
「おい、美帆。起きろ。」
僕は美帆の頬を軽くはたいた。
聞きたいことはたくさんあるのだ。
今日なにがあったのか。
この血のついた制服とハンカチはなんなのか。
なぜ黒髪なのか。
なぜツインテールなのか。
なぜすっぴんなのか。
なぜ……『美智子』の上履きがここにあるのか。
「ん……。んん……。」
美帆が不機嫌そうに目を覚ます。
「兄貴?おかえり。もうそんな時間?」
美帆は壁にかけてある時計に目を向ける。
「ああ。なんだ。今日早いじゃん。」
美帆はこの異常だらけの状態でいつも通り振る舞う。
「なにかあったのか?」
美帆はなにかを少し考える。
僕は美帆の答えを待つ。
僕はいつでも、答えを待つのだ
美帆にだけじゃない。
誰にでも。
それが僕の処世術だ。
美帆はひねり出した答えは質問だった。
「ウチの鼻、曲がってない?」
美帆は自分の鼻に指を指す。
「は?」
病院の待合室。
「では座ってお待ちください。」
美帆は僕の横にちょこんと座る。
美帆を病院に連れてくるなんて何年ぶりだろうか。
中学のころにはもう一人で行ってたしな。
もしかしたら、一緒に病院にくるのはこれが最後なのかもしれないな。
『ちゅうしゃいやー!』
『にぃに。鼻出た。』
『これピー鳴った。』
予防接種を嫌がる美帆、毎月のように風邪をひき、毎月のように熱を出す。
病院に通いまくってたのがもう十年も前なのか。
こうやって、子育ては気づいたら終わっている。
最近そういうことばかり考える。
まだ自分の子もまだなのにな。
……ひどく年をとった気がしてならない。
思い出からもどってきた僕は大きくなった妹に目をやる。
美帆はスマホをいじっていた。
誰かにラインを返している。
病院に来るたびに泣いていた面影はもうない。
成長とは不思議なもので、嬉しくもあり、切なくもあるものだ。
こんなときは少しだけ子ども扱いでからかうに限る。
「また踵つぶして。だから転ぶんだぞ?」
美帆がいうには何かに躓いて転んでしまったらしい。
スマホを守る為に顔面を地面に強打したらしい。
我が妹ながら、抜けているというか、優先順位がおかしいというか。
「スマホくらいいつでも買ってやるから、ちゃんと受け身とれよ。」
「そんなのわかってるけど。咄嗟すぎて。」
咄嗟な時ほど防御反応が優先するものなんじゃないのか?
ずれてる。
もうすぐ高校を出るというのにこれではお兄ちゃん心配である。
いつまでもそばにいるわけじゃないんだから、もっとしっかりしてくれないとお兄ちゃん心配である。
横から鼻をすする音が聞こえる。
隣を見ると、美帆は泣いていた。
「……鼻。……曲がっちゃったらどうしよう……。どうしよ……う……。」
美帆は不安で泣いていた。
その姿は昔と何一つ変わっていなくて。
僕は片手で美帆の頭を掴んだ。
「大丈夫だ。曲がってないから。」
僕はバカだなぁ。
まだ終わってない子育てを想いセンチに浸るなんて。
今、子育てを楽しんでいる最中だというのに。
終わったとしても、美帆が遠くに行ったとしても、僕の妹だということはずっと変わらないのに。
「頭触んなっ!」
美帆は僕の腕を弾いて、両腕で涙を拭った。
「で?『京極美智子』って誰よ。」
「美帆が風紀委員から着せられた服の持ち主の?」
「それ以外ウチは知らないわよ!」
せっかくしおらしい美帆が久しぶりに見えたのに、あっという間にいつもの怒りんぼにもどってしまった。
「風紀委員だよ。僕のクラスのね。」
「ふ~ん。どんなやつだったの?」
僕は10年前を思い出していた。
10年前とは思えないほど、最近に感じる僕の高校生活。
すべてを美帆にささげた高校生活。
そして彼女との少しばかりの青春。
「すっごい地味で真面目な子だったかな。」
「へえ。でもミツキがいうには美容師になってるかもしれないらしいよ。」
「はえ~。人って変わるもんなんだな。」
「まあ。同姓同名かもしんないけどね。」
美帆はスマホに戻る。
「それで?」
「それでとは?」
「京極って人との思い出は?」
「ん~。思い出せるのはあんまりないかな?」
「つまんなっ。」
美帆は悪態をついた。
思い出がないものは仕方ないだろう。
そんなに不満をぶつけんでもいいのに。
思い出は確かにない。
妹の方とは……あまり……。




