魔法の終わり。
駅を出て自宅に向かう。
通い慣れた帰り道も見なれた路地裏も、夕暮れに染まると不思議とノスタルジックな雰囲気に包まれる。
どうも、お久しぶりです。
今井良太です。
最近、美容院に通い始めて俺は自分の急激な変化に自分自身驚きを隠せないでいる。
髪を整え、眉毛を整え、コンタクトに変え。
見た目を変えることで、不思議と心持ちまで変わってきたのだ。
昨日変えたから今日から変わるとか、そういった急激な変化ではないにしろ。
ほんの2カ月足らずで、俺の心境はずいぶんと変わっていた。
『一番変えやすい外見さえ変えられない人が内面を変えられると思う?』
ミツキに言われた始業式のあの言葉。
あの時は意味がわからなかったけれど、今なら分かる。
身だしなみは自信につながる。
清潔感は自然体の自分をつくる。
おしゃれは自分を自分らしくする、もっとも簡単な最初にできる自己表現だった。
やっぱりミツキはすごい。
ミツキと一緒にいることで俺はどんどん成長している気がする。
ミツキといる時間がとても幸せで。
ついつい先を望んでしまう。
「わざとじゃないんだよぉぉぉ!」
男の尋常ならざる声が聞こえる。
「待てよ!おい!」
そしてもう一つ聞こえる男の声。
乱暴に閉められる車の音と急発進する音が聞こえた。
路地を進むとそこには小学生が二人とウチの制服の女子が一人、そして女子の肩を抱く弟がいた。
「健太郎?どうしたの?」
俺の弟、健太郎に声を掛ける。
「兄ちゃん。」
健太郎は俺の顔を仰ぎみた。
こいつはいつも達観した無表情な顔をしているが、兄の俺には分かる。
表情には出さないが、珍しくひどく動揺していた。
良く見ると女子の制服はとても少量とは言えない量の血がついていた。
俺は座り込む女子の前に膝をついた。
「大丈夫?」
女子はハンカチで顔を押さえている。
そのハンカチは血で赤く染まっていた。
女子はそのまま無言で頷いた。
「なにがあった?」
俺は健太郎に聞く。
「30代ぐらいの男に鼻を殴られた。鼻の出血がひどい。」
健太郎は今の彼女の状態を説明した。
「彼女は倒れた?」
「いや、自分で立ってた。倒れてない。」
とりあえず頭は打って無さそうだ。
でも、鼻骨と前歯が心配だ。
「じゃあこれは鼻血?」
「うん、今押さえてもらってる。」
「救急車は呼んだ?」
「あの!」
途端に女子が大声を叫ぶ。
「……救急車は……その……大丈夫ですから……。」
「でも鼻を殴られてるし、出血もすごい。救急車をためらっちゃダメだよ。」
「本当に大丈夫ですから!」
その女の子は大声で拒絶する。
その声には聞き覚えがあった。
俺は顔を覗く。
「もしかして……会ったことある?」
女子はびくっと肩をすくめる。
答えは返ってこない。
やっぱり具合が優れないのだろうか。
俺は心配になり、さらに覗きこんだ。
「やっ……やだなー先輩☆さっき会ったばかりじゃないですかぁ☆」
彼女は手で押さえていたハンカチをとり俺に笑いかける。
その子はついさっき、教室であった松本の大ファンの風紀委員だった。
「何離してんですか!しっかり押さえて!」
健太郎が彼女のハンカチをもう一度顔に運んだ。
「ごめんなさーい☆」
確かにあの時の子だ。
でももっと違う誰かの気がしてならない。
すると俺の背中を誰かがつついた。
振り向くと小学生の男の子と女の子がスマホを俺に見せる。
「あのね。撮ったの。さっきの人の車。」
そこには男が車に乗り込む瞬間をとらえた画像が保存されていた。
ナンバープレートまでくっきりである。
それ以前にこんな小さな子がスマホをもっている時代に驚きである。
「この人が殴った人?」
健太郎は黙って頷いた。
「この写真があれば警察にいけるな。」
そうなるとこの被害にあった子も相当な拘束時間となる。
やはりまずは救急車を呼んだ方がいいだろう。
風紀委員の女の子は尋常ではない汗をかき、顔面は青白く血の気がまるでない。
やはり鼻のダメージが深刻なのかもしれない。
「健太郎、警察に連絡して。俺は救急車を呼ぶ。写真の君?お母さんが心配するといけないから電話しなさい。」
「わかった。」
「はーい。」
健太郎と小学生はスマホをいじりだす。
俺も救急車を呼ぼう。
「……とうに……。」
風紀委員の女の子が震えだす。
「本当に大丈夫ですからー!」
女子は駅に向かって走りだしてしまった。
「ちょっと!」
不意をつかれた俺と健太郎は彼女を追うが、人ごみにまぎれて消えてしまった。
人ごみの中で健太郎と落ち合う。
「彼女……いた?」
健太郎は首を振る。
完全に逃げられてしまった。
「でも……これ。」
健太郎は靴を右側だけ持っていた。
「これは?」
「駅に落ちてた。たぶん彼女のだと思う。」
俺は靴を受け取る。
「落とすところを見たのか?」
すると健太郎は首を横に振る。
「じゃあなんで?」
なんで彼女のものだとわかるのだろうか。
「彼女……なぜか上履きだったから。」
俺は手元の靴を確認すると、それは確かにウチの学校の上履きだった。」
俺は潰された上履きの踵を立てる。
そこには『京極美智子』との名前が記されていた。
「京極さん?」
それは俺が最近行くようになった美容院の『京極さん』と同じ漢字と同じ名前だった。
「通報ありがとうございます。では男の方はこちらで探してみますが、被害者の方がいない以上被害届が出せませんので。こちらとしても捜索はしてみますが……。」
最寄りの交番で健太郎が事の顛末を警察官に打ち明けた。
男を捜索してくれるそうだが、被害者の情報が少なすぎる。
これでは事件としては捜査しづらい状況らしい。
「大丈夫です。俺、同じ学校なので交番にくるように話してみます。」
「ご協力感謝します。」
警察官の方は軽く頭を下げた。
交番から出ると外はすっかりと暗くなってしまっていた。
「そのお姉ちゃんにお礼がしたいので、見つかったらぜひご連絡ください。」
男の子の母親から電話番号の書かれたメモを受け取る。
「はい、必ず。」
親子は俺たち兄弟に軽く礼をして、家へと帰って行った。
そして俺たちも家に向かって歩き出す。
「お前はな。相手を刺激するなっていつも言ってんだろ?」
「ぼくは絶対間違ってない。」
「間違ってるの!」
俺のお説教に納得のいかない様子の健太郎。
頭一つ分俺より大きくてもまだまだ子ども。
俺よりも二つ下の高校1年生だ。
この間まで中学生の子どもである。
「お前なあ、身体はどんなにでかくても弱いんだから、相手を威嚇するんじゃねえよ。」
「喧嘩が弱ければ、言いたいことも言えない世の中の方が間違っている。」
こいつホントに理屈っぽいな。
「喧嘩の強さの話をしてるんじゃないの!」
健太郎は身体がでかくて勘違いされがちだが、生まれつき身体が弱く、いつも病気に泣かされ続けてきた。
正直な話、今回拳を食らったのが京極さんで助かったくらいだ。
健太郎だったらもっとひどいことになっていたかもしれない。
それは健太郎もわかっているのだろう。
自分の無力さと傲慢さの巻き添えをしてしまったと。
きっと……彼女に一言謝りたいに違いない。
長髪に隠れる表情から、その気持ちは読み取れないが。
この沈黙が物語っている。
俺は高く手を伸ばし弟の頭を撫でた。
「俺が彼女を見つけてやる。大丈夫。兄ちゃんに任せろ。」
どんなに生意気でも、口が立っても、身体が大きくても。
健太郎は俺の大事な弟だ。
俺の左手には相方とはぐれてしまった上履きがぷらぷらと揺れているのみだった。




