宴の後。
朝日がまだ低い。
静かな住宅街は薄白く照らされ、小さな鳥の囁きだけがわずかに響く。
ほんの1時間も寝ることの許されなかった面々は今日の学校の準備の為に目をこすりながら帰宅していった。
しかし、一人だけ起きない眠りについたままの女の子がソファーで寝息を立てている。
俺はそんな彼女の肩をゆすった。
「ミツキ、そろそろ準備しないと。」
ミツキは目を強く瞑ると、必死に瞼を上げようとしてみる。
すると俺の顔を見るなり目をしばしばさせるのであった。
「おはよ。ミツキ。」
俺の顔を見るなりその瞳孔を大きく開く彼女は自分の手を確認する。
「……うそ。」
「うそなもんか。もうみんな帰っちゃったよ。ミツキもそろそろ。」
「嫌っ!」
肩に置いていた俺の手は彼女によってはたき出されてしまう。
「ミツキ?」
「あっ……ごめん。」
その行動に驚いたのは俺だけじゃなくミツキ自身も同様のようだった。
「どうしたの?具合でも悪い?」
寝不足のせいか知らないが顔色は明らかに優れなかった。
「ん。ちょっと。」
ミツキは俺の手をはたいた左手で自分の髪の毛を触り、何かをごまかす。
「ちょっと?」
俯いたまま毛先で遊んでいるミツキが言葉を探している。
「ちょっと寝不足で。具合悪いみたい。」
力なく彼女は笑った。
「じゃあ、ちょっと寝て行きなさいよ。そのソファー使っていいから。」
キッチンから母が麦茶を飲みながら顔をひょっこり出す。
突然の母の登場にミツキはかなり驚愕している様子だった。
「えっ!あっ!」
ミツキは即座に立ち上がり、手早くスカートを直すと母に一礼した。
「はじめまして。その、良太くんとお付き合いさせていただいてる高岡美月って言います。」
慌てた様子の挨拶を済ましたミツキに母は麦茶を噴き出す。
「ブファっ!うそっ!良太こんな可愛い子と付き合ってるの!聞いてないわよ!」
ミツキのスペックの高さに母も驚きを隠せないようだった。
俺とミツキは一瞬顔を見合わせると、照れくさくなりお互いに顔を逸らした。
「つーか。帰らないとダメでしょ。制服どうするんですか。」
「あっ……。」
同じくリビングから顔を出した健太郎が服装の指摘をするとミツキは自分の服装を再認識した。
「……なんで私服で来てんのよ。あいつ。」
小声で愚痴ると唇を噛みしめた。
「やっぱり、送っていくよ。今から帰れば間に合うし。」
「お願い……します。」
ミツキはしぶしぶ了承した。
二輪で送っている最中、早朝ということで車は目に見えて少なかった。
いつもたくさんの来るまであふれている道路は、早朝にはとても綺麗な道路に見えたりもする。
心なしか空気もおいしい。
後ろからしがみつくように身体を密着させるミツキから意識を逸らせる為に俺は自然の美しさに目を向けた。
「お母……。優し……な……ね。」
ミツキが何かを言ったようだが、風とバイクの音でうまく聞きとれなかった。
「ごめん!なに?!」
大声で聞き返してみるが恐らくそれきりミツキは何も言わなかった。
ミツキがどうして帰宅を渋っているのかはなんとなくわかる。
きっとお母さんと揉めたくはないのだろう。
でもそれは昨日の時点でわかっていたこと。
「どうやって部屋に帰るつもりー!」
わかんないことは素直に聞く。
俺の足りない頭で考えてもわからないことはわからないのだ。
「……い。」
やはり何を言っているのかわからない。
「ごめん!なに?!」
「そんなのわかんないよ!」
ミツキは叫ぶように大きく声を張った。
ミツキの家が近づいた為、俺は二輪を止める。
しかし、ミツキは俺の身体から離れようとしない。
「ミツキ?ここからは歩いて……。」
昨夜よ同じことを話そうとした時、ミツキは強く俺の身体を抱きしめた。
俺はヘルメットを外す。
「ミツキ?」
「……だめかな。」
エンジンは止めたのだが、か細いミツキの声はヘルメットの中に響きよく聞きとることができない。
「このまま、学校に行っちゃダメかな。」
俺も自分の服装を確認する。
制服ではない姿の俺もこのまま学校にいくのは恐らく困難だろう。
俺の答えは決まっていた。
「いいよ。このまま学校に行こうか。」
ミツキは俺を抱きしめる腕から少しだけ力が抜ける。
「いいの?制服は?」
「ミツキだってそのまま行くんだろ?俺だけ制服きるなんて薄情なことできないよ。」
「薄情なんて。勝手なこと言ってるのはミツキだし。」
俺は首を振る。
「勝手じゃない。俺がそうしたいんだ。ミツキはもう少し勝手でいいくらいなんだ。」
ミツキは何も言わない。
「みんな勝手に生きてるように見えるけど、多分みんな誰かしら、なにかしらに気を使いながら生きてると思うんだ。それでもみんなは勝手に見えてしまう。誰からも勝手じゃないなんて言われる人なんていないいんだ。そんな人にならなくていいんだ。」
ミツキは動かない。
「ミツキが我が儘を言うなら俺はそれに付き合いたい。そんなもの好きだっているんだ。それが俺の勝手。だから俺には我が儘を言ってほしい。これまでみたいに。」
俺はミツキのヘルメットを外した。
「でもその前に、我が儘を言うべき人がいるんだと思う。」
ミツキはまた涙を流していた。
「お母さんと話そう?」
俺は昨日ミツキに忠告されたレッテルを剥がした。
「なんて言うの?なにを話すの?」
「そうだな……。」
俺は部外者らしく無責任な注文を突きつけた。
「手っ取り早く『嫌い』で良いんじゃないかな。」
「そんなこと言えるわけないじゃん!」
ミツキは激昂した。
「そんなこと……。言えるわけないじゃない!良太は何も知らないからそんなこと言えるの。お母さんはあんな面ばかりじゃないの!優しくて、いつもミツキのことを考えてくれて、愛してくれてるって心から伝わって。病気の件だってミツキの為を思って本気で心配してくれてるの。お母さんには感謝しかしてないの。お母さんを悪く言わないで!」
ミツキは早口で俺をまくしたてた。
「そんなお母さんに『嫌い』なんて言葉言いたくないよ。そんな残酷なこと……。」
ミツキは俺の背中に額を当てる。
「親の心子知らずって言葉。知ってる?」
ミツキは押しつけた額を上下に動かす。
「今のあんたに言いたい言葉ね。」
「たぶん、どんなに俺たちが考えたところで親の気持ちってわからないんだと思う。だからこそ反抗したり、反抗できなかったりするんじゃないかな。」
ミツキは黙って俺の言葉に耳を傾けた。
「早枝の時もそうだったけれど。ミツキは人を傷つけることを恐れすぎてると思う。でも人を傷つけない生き方ってないんだ。できたとしたらそれは今のミツキみたいに自分をボロボロにしないとできないんだと思う。」
ミツキは押しつけた額を横に振る。
「俺はそんなミツキ見たくない。」
ミツキは額を横に振る。
「ミツキが悪者になってもいい。俺は自由に生きるミツキの横にいたい。それが俺の勝手。」
ミツキは首を横に振る。
「ミツキはお母さんを、親をすごく尊敬しているみたいだけれど。きっと親ってそんなに大したことないんだと思う。親だけじゃなくて、大人みんな。」
ミツキは首を横に振る。
「親って間違えるんだ、器が小さいんだ、大したことないんだって。そうわかった時、きっと初めて親ってすごいんだってわかると思うんだ。」
俺は身体をひねり、ミツキの肩を抱いた。
「だから、伝えに行こう?ミツキの素直な気持ち。子どもの我が儘を。」
ミツキは俺の胸に額を押しあて、首を縦に振った。