異世界で初めての獣退治 (1)
タケルの朝は、相変わらず早い。いつものように夜明け頃から起き出して、宿舎の前を掃き掃除していたら、弓を担いだ狩人のエルロイドが血相を変えて早足で通りすぎようとしていた。
長命種のエルフらしく、全くと言っていいほど新しいことが起きないマンネリのこの集落では、まさに異様な光景なので、タケルはエルロイドと歩を合わせて尋ねた。
「エルロイドさん、こんなに朝早くから何を急いでるんですか。」
「おお、タクールか、気が付かなかったよ。いや、物見櫓の見張りから、大きな獣の気配がこちらに向かっていると言って叩き起こされたんだよ。」
ただでさえ感覚の鋭い住民が多いこの集落でも、特に臭覚、聴覚、視覚などが優れた者が夜の間、順番に寝ずの番を行うという。正確な情報まではわからなくても、それこそ数キロメートル先の異常を感じ取る能力を持っている。
「え、大きな獣ですか。それはすごい。じゃあ、こんな時間から狩りなんですか。」
「向かうのは俺一人だけどな。この集落の安全が第一なので、狩れなくても追い払いさえすればいい。おおそうだな、タクールも一緒に来るか。このセルに来て、大きな獣はまだ見たことがないだろう。」
「え、いいんですか。」
「ああ、お前は強いからな、自分の身を守ることはできるだろうし、我々のセルの生活を学ばせろと言われているからな。」
「わあい、獣って魔物なんですか。」
「魔物って何だよ。この森に魔物なんて動物はいないぞ。まだ暗いが森の中を急いで移動するぞ。周りは見えるか。」エルロイドは足を早めたが、タケルはまったく息も切らさず薄暗い闇の中をエルロイドのすぐ後ろにしたがった。
(そういわれても、この間も魔法はないとか言ってたのに、手から火を出してたし。獣が魔物でも不思議はないな。)とタケルは独り言を言う。
「エルロイドさん、この先にダンジョンとかあるんですか。」
「なんだよ、ダンジョンって。我々のような小さな集落に城があるはずはないだろう。」
「いえ、フィールドダンジョンですよ。獣が湧いてきたりしません?」
「また変なことを言い出したな。フィールドダンジョンってなんだ。ダンジョンは城の地下牢のことだろうが。人族の王都や聖都ならまだしも、エルフ族には城なんかいらない。さあ、ここから先はしゃべらずについてきてくれ。俺にも獣の雰囲気が伝わってきた。あれは、熊だな。」
(このセルではゲームのダンジョンのイメージは通用しないんだな。森の熊さんか。また珍しくもない動物だな。大きいっていうから怪獣みたいなのを想像してたのに。でも、僕にもわかるぞ、何か大きな獣がゆっくり移動してる。)
崖っぷちから、谷間を見下ろすと、ようやく木々の合間から地面を照らし始めた光で、何か黒い影がうごめいているのがわかった。
「え」
かろうじて見える輪郭は、ミニバンぐらいの大きさか。違和感があったのは、顔だ。平たくてボタン鼻で、いかつい体つきなのに、テディーベアのような顔だ。四肢もこれで巨大な体を支えられるのかと思うほどに長い。
「こいつはまずいな。俺の手におえる奴じゃない。村に戻って救援を依頼せねば。」
熊は、大柄な体に似合わず、とぎすまされた聴覚を持ち合わせているようだ。「ぐるる」とくぐもった声を上げると後脚で立ち上がって、崖に前脚を預けた。体長のほどは、7メートルか。軽く2階建ての家ほどの高さがある。重さはともかくとして、プチダイエットした肉食のアフリカゾウのような大きさだ。巨躯を器用に伸縮させて、一瞬で崖を上り詰めた。心なしかこちらを見る顔が期待で輝いている。まるで「久しぶりの動物性タンパク質だ」と喜んでいるかのように。
「こうなると、もう逃げられんな。あいつは馬より脚が早い。俺の弓などなんの役にも立たん。俺が時間を稼ぐからお前は逃げろ。村に戻って助けを呼んできてくれ。」と、エルロイドは弓と矢筒を丁寧に木に立てかけ、腰のマシェットをゆっくりと引き抜いた。
(す、すごい。やっぱり魔物じゃないかな。でも、あの顔はお父さんの本にあった、南米のショートフェイスベアみたいだ。もうとっくに絶滅したよね。)
タケルも、地面に落ちていた二メートル程度の長さの太めの枝を拾い、正眼に構えた。
「お、おい。何をしてる。早く逃げないとお前まで殺されるぞ。」