霧と茉莉花
その女は名を千代という。いや、親しい仲ではない。また、直に出会って挨拶をしたでもない。赤の他人に他ならぬ。そうは言ったが、遠い国の女でもない。存外、千代は近所に住んでいる。流れなんぞとうに枯らしてしまった、苔むしの毛のような川を挟んで向かい側に、彼女の住まう家がある。たいそう立派というわけでもない。貧乏くさいわけでもない。なんでもない家だ。
私がこうして縁側に腰掛けているのには訳があった。いつしか足元に生えた茉莉花を愛でる為ではない。その為ではない。件の女を垣間見るため、それだけのためである。特別、私は夕方に縁側を目指す。このくらいの時間にならなければ、千代はその細い気配すらも現さぬ。
週に何度か、彼女はピアノの稽古をしていた。聴こえるそばから素人だが、心地よい音色がするのだ。こちらの夕飯までには静かになって、私に部屋へ戻れと言う。
間もなくして、鍵盤が途切れ途切れに叩かれている様が、容易に想像できる音がきこえてきた。稽古が始まったのだろう。私は目を閉じ、知りもしない曲に合わせて履物を弾ませる。そうすれば私は、千代となにか具体的なセッションを試みているような気分になれた。
誠に残念だが、千代の姿をこの目で認めたことが一度もない。ピアノに指をかける前も、そのさ中も、稽古後も、彼女はあの部屋の一枚の窓硝子を全く横切らぬのだ。今日こそは、と日ごろ、工場勤めから帰宅して縁側に寝そべっているが、うまくはいかぬものである。
時折、運指の調子が良くなった。そうなれば私の足の刻みもうんと弾む。千代はその時どんな面持ちなんだろうか。
千代という名を知ることができたのは偶然からだった。千代の郵便受けに届くはずだった封筒が、何の手違いか、私のところに放り込まれたのがそのきっかけだ。何が入っていたのかもちろんわからないが、これでは事だろうと案じて彼女の郵便受けにさし込みに向かったのである。千代の苗字はこの辺でもあまりみないものであったし、只でさえピアノが聴こえてくる家だから、届け直すのに苦労はなかった。
しかし、考えれば当然だが、「彼女」が千代なのかどうかがわからぬ。母親かもしれない。姉妹がいて、その誰かかもしれない。わかるはずがないのだ。
あのとき、封筒の名を見て、いやいや混乱していたのだろう、強烈な親近感を覚えた。我が家にこんな名前の人間がいただろうかと少し錯覚してしまった。二度繰り返して、「千代、千代」と呟いてみたりもした。どうもそれがいけなかった。居もしないのに、はい、と応える声を欲しいと思ってしまったのだ。
私の中で、あくまで私の中で、千代という女が不完全にも存在してしまったのだ。彼女は、ピアノの上達を夢見て日々稽古をしている。彼女は、千代と名乗る。そして彼女の肌は、指で梳けそうなほど繊細である。おそらく。
縁側にもすっかり夜が落ちてきた。ピアノの声ももう聴こえない。ここから立ち去って夕飯をこしらえるべきなのだろうが、今晩はそういう気を起こさなかった。千代を知った時のことを思い出してしまったからに違いない。鍵盤はじっとしているのかもしれぬが、私の千代はピアノ椅子から離れぬのだ。
今晩は千代について思い切って耽ってみようとたくらんだ。清流を湛えたような肌は、空想の産物の癖に、嫌に現実味を以ていて面白い。首筋を指の腹で触ると爽やかだった。髪は嫌味でない長さで、また別の肌のように、顔の弱いところを隠していた。その顔は…。顔はやはり想像がつかない。想像がつかないとは言えぬ。定まらない、と表現しよう。磨硝子をすっと差し挟まれたような心地になる。声ともなるともっといけない。彼女が何か語ろうとすると、ピアノの音色が響いてしまう。これでは笑い話にもならないだろう。
一目見ないことにはうまくいかない。恐ろしいほど気持ちははやったが、私は気味の悪いくらいおとなしく布団にもぐり、眠りこけた。
心情が加わるだけで、色々と変わるものだ。千代の郵便受けに封筒を届けることになる前、彼女の家はそう遠く感じなかった。実際、歩いて数分の道のりだ。ところがどうだろう。千代を知ってからは、一度や二度の人生をふんだんに活用しても、たどり着けないような気さえする距離になってしまった。
昨晩の試みは仕事にまで差し支えた。鉄板を見知った型に切り取ることもままならぬ。上司の警告もたびたび聞き取れず、危うい措置を下されかけた。さすがにそれで目は覚めたが、このままではどうもまずい。ただ、何の行動にも移せない、移しようがないのだ。いきなし千代に会いに行くわけにもいかぬ。そもそも、千代が本当に居るのかもわからぬ。雲をつかむような筋書きを、知らぬ間に辿らされてしまったのか。私は、かつての怠慢な郵便局員を呪った。一体なにをどう間違えたというのか。
存在から既に一か八か、という女に惚れたなんて嘲笑の的ではないか!
憤慨してみても心の霧は晴れぬ。いくら八つ当たりしてもいけない。今や千代を忘れるよう努めるその一歩が底抜けに恐ろしいのだ。
煩悶とした日々が繰り返すだけだった。縁側と工場を往復する木偶になったようだった。ある時、いつだったか何も憶えていないが、職場の女と関係を持つようになる。相手の方から強く関係しようとしてきた。突っぱねるのも性格ではないから上もなく下もなく接していたが、私も月並みに心地よくなり、次第に受け入れた。
千代のことを忘れたわけではない。別に千代にその女が似ていたわけでもない。自らに催眠をかけるようなものだった。
ある晩。その日もろくにいつだったか憶えていないが、その女と寝ている時。若々しい肌。張りのある声。なに、不満などない。しかしだ。「千代」という器として抱え込んでいた空想に、あてがわれようと咽び泣くではないか!これは何とも苦々しかった。牛乳の瓶には牛乳が注がれるべきであり、毒薬の瓶は毒薬で満たされなくてはならない。ラベルの名と違った液体を掻き出すことに必死だった私は、その晩その女に逃げられてしまった。その後も幾らかの女との関係はあったが、また同じことの繰り返しである。
あの封筒に書かれた宛先を、何かに書き留めておけばよかった。ひどく後悔している。千代と文のやりとりさえできれば、どんな声で話すのかを悩む指針となりえたかもしれぬというのに。
そんな風に思うのは、やはりこのように縁側にて音色を追っているからに他ならない。幾らか経って春になったが、演奏はそれほど上達していないようだ。千代は独学か、乃至は専任の教師でもいるのだろうか。後者ならば如何ともし難いではないか。もしそれが郵便局員だとしたならばもう…。
微かに聴こえる調べには、まだ技術が足りないせいか、聞き苦しい音色が混じる。しかし、私にとって心地の良いことには変わりなかった。
片足で調子を合わせていた途中、すっぽりと履物が脱げてしまった。そのまま私は、足元の茉莉花を擦るように踏んだ。身も世もなく踏みしだいた。茎やら萼が、親指の腹と土踏まずに特に触れる。同時に喉に絡むような香りが立った。そのしどけない茉莉花を摘まみ上げ舌先に乗せた私は、不意に涙したのだ。千代の声が聞こえたのは、後にも先にもその時だけだった。