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  作者: 橋本 直
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鳥 2

 一瞬、崖っぷちの茶色い固まりの真ん中あたりが赤く裂けたかと思うと身の毛もよだつような叫び声があがる。Tはもう一発発射する。今度はその固まりの中心が軽くへこんだ。丸い固まりが一瞬止まって見える。そしてそのままの勢いで崖下に転がって消えた。

 俺はただ呆然とその有様を見つめていた。Tは何事もなかったかのように車に向かって歩き出す。俺は車道から崖の下を見下ろしてみた。潅木の茂みの下、川が一筋に流れている。打ち落とされた固まりは何処にも見あたらない。

「一体何があったんですか。ここは国境地帯でしょ、銃声なんかさせたら警備兵が・・・」 

 その時ようやく追いついた吉岡まで、谷底を見つめている。Tは俺達二人を一瞥して、

「大丈夫です、鳥を撃っただけですから」 

 Tは毅然とした調子でそう言い切る。吉岡はただ軽く頷いて、谷底への郷愁を捨てて車に戻るべく歩き出す。俺もその後についてすっきりしない気持ちのままで車へと向かった。


 村に入る。するとすぐに大きな蝶を模った看板が次々と目に飛び込んできた。どの家の軒先にもその黒い縁取りと緑色の地に黄色い斑点を散らしたような羽を持った蝶のぺんき画が架かっている。その悪趣味なまでに派手な絵はこの静かな寒村には似つかわしくないように見えた。俺は黙って煙草をふかす。吉岡は喜びながら手をかざしては写真の構図でも考えながらニヤニヤしていた。

 草葺の小さな家々、痩せこけて血色の悪い子供達。時折見かける店には品物と呼べるような物すらなく、意味もないようながらくたを小商人が売りさばいている。どれ一つとしてこの村の背後に広がるM山脈とそこに棲むという大きな揚羽蝶を連想させるものはなかった。

 村の中心の広場のような所でジープが止まる。

「少し待っていてください」 

 Tは素早く運転席から滑り降り、正面の煉瓦づくりの頑丈そうな建物の中に消えた。俺は手で吉岡に荷物を降ろすように告げると、車から降り辺りを見渡した。その広場は村の家並みから少し離れたところにある。頂上に国旗を掲げたその姿はこの国の姿そのものに見えた。

 俺達が車の周りをぶらついていたところにTが一人の太った男をつれてきた。欲深そうな、それでいてどこか憎めない、そんなところがある脂ぎった顔に満面の笑みを浮かべながら男は俺達に握手を求めてきた。その節くれだった攻撃的な手を俺はようやく握りしめる事ができた。そして俺は何となくその男に本能的な不愉快を感じながらも、その男につい愛想笑いを浮かべている自分に腹を立てた。

「これが兄です」 

 Tはこの村に入ってからいつもの大人しいTに戻っていた。そんなTに比べると現地の言葉で歓迎の挨拶をまくしたてるこの男はまさに人を惹きつけるに足る情熱と理性に満ちた野人のような風があった。首都にある国立大学で電気工学を専攻したというTと、村に残って有力者の道を歩く兄。きっとこの国ではこのような兄弟が何千組といるのだろう。

 話を聞いているのかいないのかわからない客に多少苛立ったのか、村長はTに何やら耳打ちをすると俺達を村の中央にある大きなコンクリートの建物へと導いた。博物館、極彩色の看板に描かれた何匹とない蝶の群れ。自動ドア、冷えすぎの冷房。すべての説明は英語で書かれており、受付嬢もまた英語でTと吉岡を歓迎する。

「カメラ用意しましょうか」 

 吉岡は肩に釣り下げたケースを下において俺に仕事が始まる事を告げる。

「ああ、ここならお前だけでもどうにかなるだろ。ちょっと車に酔ったみたいで少し気分が悪いんだ」 

「この建物の奥に医者がいますから、ボス。そこで休んでいてください」 

 不機嫌そうなT。しかしそれも一瞬のことでTは夢中になって吉岡にこの極彩色の蝶の生態について解説している。ケースの中の乾ききった標本を見てなんになるのだろう。吉岡はしきりとTの説明に頷きながら俺に助けを求めるようにして引止めにかかろうとする。俺はその横を通り過ぎてこの小さな博物館の事務所のような所に入っていった。

 数人の事務員が暇そうに机に落書きをしているオフィスの奥の一隅、白いついたてで覆われた小さな診療所。医者の姿もなく机の上には治療用具と英字新聞が散らかっている。俺は貧弱なベッドに腰をかけながら、またあの茶色い固まりについて考えてみた。生き物であることは確実だろう。しかしあのように丸くよたよたと無様に歩く丸い固まりを俺は一つとして知らない。ネズミか何かにしては少しばかり大きく、ぼさぼさに生えた毛のあるところから考えると蜥蜴の仲間でもないのだろう。

 少しばかり気分が良くなったので俺は立ち上がった。今更Tにあってはじめからあの下らない解説を聞くのはうんざりだ。裏の戸口に鍵がかかっていないことがわかったので、俺はそのまま外にでた。



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