九話 「優祈まなみ #3」
守川がいなくなったら、間違いなく優祈は悲しむ。大人なら『その方が彼女のためだ』なんて言って済ませるかもしれないが、僕は絶対にそんなことはさせない。
「いられないって、どうするつもりなんだ。家が隣なのに」
「俺はもう、まなみたちには近付かない。高校もどこか遠くの学校を選んで、もうこの町には戻らない。まなみはお前が守ってくれ」
守川の性格を読み間違えていたか。それほど悪いヤツじゃないのかな、守川。
「ちょっと待って。そんな簡単に決めていいことじゃない。……俺のせいって言ったけど、いったい何をしたんだ。もし優祈を傷つけるようなことをしたのなら、逃げ出すだけじゃだめだ。優祈の心を癒してやらないと」
「癒すっていっても、どうすればいいんだ?」
「それはあんたが考えるべきことだろ。何があったのか知らない僕に、答えられるわけがない」
「……俺にも、よく分からないんだ。落ち込んでたことは知ってたけど、お前の言葉じゃなきゃ、自殺しかけたなんて信じなかったよ」
守川は、空き地にあった椅子ほどの高さのブロックに腰かけた。
「えりなに好きなヤツがいるって聞いて俺が落ち込んでいた時、まなみが俺の家に来て、学校であった面白いこととかを話し始めたんだ。こいつ、俺のことを元気づけようとしてるんだなと思うと嬉しくなって、思わずあいつをハグしたんだ」
「それから?」
「そしたら、急に俺の手を振りほどいて出て行った。その日から、あいつは元気がなくなった」
「……それだけ?」
「ああ」
抱きつかれたのが『恥ずかしいこと』か? 人に話したらお兄ちゃんがいなくなる、と優祈が言っていたから、もっと過激なことをされたのかと思ってたんだけど。
「あまり体を触られたことのない相手に急に抱きつかれたら、女の子だったらショックですよ」
守川への口調が丁寧になっている。
「俺とえりなは、小さいころから互いにプロレス技を掛け合ったりしていていた。それ見ていたまなみも俺たちに混ざりたがって、俺がまなみに技を掛けたり、わざと掛けられてやったりした。ハグしたぐらいで、あいつがそんなに傷つくとは思えない」
「小さいころと今とじゃ、感じ方が違うでしょう」
「えりなは小5の頃まで俺に関節技を仕掛けてきたぞ。胸が膨らみだしてからは打撃系がメインになったが、中1までは続いてた。まなみの方は、高く持ち上げてからソファーに落とすと喜んで、俺は何度もやらされた」
ますます分からなくなってきた。守川が嘘をついてるとは思えない。もしかして僕の考えている『ハグ』とは違うのか。
「『ハグ』って、抱きしめることですよね。服を脱がしたりしてませんよね」
「当たり前だ」
「……。僕にその時と同じように『ハグ』してもらえますか」
「あの時俺は、自分の部屋でベッドの端に座っていて、まなみは俺の右側にいた」
僕はプロテクターを外して、ブロックに座っている守川の右に立った。身長差が無くなって、目線がほぼ同じ高さになる。守川が右腕を僕の背中に回し、手で僕の脇の下をつかむ。
「それで、こんな風に引き寄せて」
引き寄せられて、僕のあごが守川の右肩に乗る。守川と頬が触れ合って気持ち悪い。守川の左腕が伸ばされて、僕の腰下をつかんだ。
「ギュッと抱きしめた」
「あっ……。ちょっと、放して。これアウト! アウト!」
脇の下にあった守川の大きな右手は、さらに差し込まれて僕の胸をつかみ、左手はお尻の半分をつかんでいる。抱きしめる力が強すぎて呼吸がしづらい。守川の手は自然に伸ばした位置だけど、この体勢と身長差ではこうなるのか。思い詰めたような顔でいきなりこんなことされたら、身の危険を感じるよ。
「何が悪いんだ?」
「ほら、胸とお尻をつかんでますよ」
「まなみはお前と同じで、胸も尻も無いぞ?」
「胸や尻の無い人間がいるか! 大人の女みたいに出っ張ってないだけです!」
僕が女の子で、知らない人が僕たちの姿を見たらすぐに通報するんじゃないか。守川は戸惑っているようだった。
「俺だって、触って気付くようならすぐに離れてる」
「優祈さんに失礼ですよ」
「まなみの胸や尻なんて、プロレス技だと普通に触ってたぞ」
「お姉さんが中1の時までだから、プロレス技なんて小2とのきに掛けただけでしょう」
「いや、この前も……。もしかして、あれもまずかったのか」
まだ他に何かしたのか。
「何をしたんです」
「さっき言った、持ち上げてソファーに落とすヤツ。ボディスラムって技だ。最近あいつとギクシャクしてたから、久しぶりに掛けてやったんだ。そしたら、涙目になって何も言わずに自分の部屋に行っちまった」
「……その技って、持ち上げる時に手で相手の脚の間をつかみますよね」
気まずい沈黙が流れた。
「まずかった……よな?」
「優祈は、守川さんが小さな女の子に変なことをしたがる人だと思ったんでしょうね。もしかすると、小さかった優祈に貴方がプロレス技を掛けていたのは、そんな気持ちがあったからだと思ったのかも」
「……」
「お姉さんとプロレスをする内にそういう気持ちが生まれて、大きくなったお姉さんの代りに、今度は優祈に」
「やめろ!」
「優祈は、そう考えたのかもしれません」
守川は、大きなため息をつくと立ち上がった。
「それで、自殺したくなるほど嫌われたのか。やっぱり俺は、あいつらの前からいなくなった方がいいみたいだな」
「そんな誤解をされた上に言い訳なんて、カッコ悪くてできない。そういうことですか?」
「……」
「それじゃあ、優祈にとって何も解決していない。優祈に飛び降りようとした理由を聞いた時、あいつが何て言ったと思います? 『あたしがいなくなったらみんな上手くいく』って言ったんですよ」
戸惑っている守川をにらみつけるようにして、僕は言葉を続けた。
「優祈が自殺しかけたのは、守川さんに恥ずかしいことをされたからじゃない。小学生にそんなことをしたと他の人に知られて貴方がこの町から出ていくことになったり、貴方が優祈を選んだことでお姉さんが悲しんだりするのが嫌だったからです」
「……」
「これだけ言えば、守川さんには自分のするべきことが分かるはずです」
もう守川さんは何も言わなかった。僕は立ち去ろうとして、一つ言い忘れたことに気付いた。
「今日ここで僕がしたことは、優祈には黙っていて下さい」
「どうして?」
「優祈はこのケガを自分のせいだと思うかもしれません。傷ついている今の優祈に余計な心配をさせたくない。守川さんが自分で気付いたことにした方が、優祈も喜ぶはずです。僕は守川さんをもっと悪い人だと思っていたので、僕の言葉を確実に聞いてもらおうと頑張ったんですが、今思うと余計でしたね」
「お前が頑張ってなかったら、小学生相手にここまで素直に話さなかったよ。それにその顔を見て、まなみが何も気付かないと思うか? 明日にはもっと腫れているぞ」
「明日は体調が悪いと言って学校を休むつもりです。土日を合わせて3日も経ったら、ケガはそれほど目立たなくなるでしょう」
「そうか……。お前、何て名前だっけ?」
「千宝和真です」
「すごいヤツだな、和真。ずっと年下だけど尊敬するよ」