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八話 「優祈まなみ #2」

「まなみ。誰だそいつ」


 守川が不機嫌そうな声で言った。守川が何をしたか知っている僕は、心の中ではさんを付けない。


「同じクラスの千宝さん」

「初めまして、千宝です。今日出た宿題で解らない所があって、優祈さんからいい参考書があると聞いたので、優祈さんの家に行って貸してもらうことになりました」

「明日学校で渡せばいいだろ」

「それだと宿題に間に合いません」

「参考書がないとまなみが困るだろ」

「今日の宿題は班ごとにテーマを選ぶんです。僕と優祈さんは班が違います」


 守川は180センチ以上の長身で、しかも格闘技の選手のようにがっしりした体つきだ。体重では僕の3倍近くあるだろう。目付きも鋭くて威圧感があり、話しかけられるとつい敬語になってしまう。今日は優祈のお姉さんも一緒に待っていて、優祈とは少し違うけとやはりきれいな人だ。


 学校から優祈の家までは1キロほどなので、優祈はいつも徒歩通学だ。優祈の車道側に守川がいて、優祈の後ろをお姉さんが歩いている。僕は優祈と守川の様子を見るために一番後ろについて歩いた。


 お姉さんは時々振り返って僕に話しかけてくる。優祈の元気がないため、学校で何かあったのかと気になっているようだ。お姉さんは前の二人から少し離れて僕の横についた。

 優祈と守川の間に会話はほとんどなく、守川は何度も後ろを振り返っている。僕のことが気になっているのかと思ったけど、守川が見ているのはお姉さんの方だ。優祈よりもお姉さんを見ている時間の方が長いんじゃないか。お姉さんも、僕と話していない時は優祈より守川の方を見ている。


「いつも二人はこんな風に黙って歩いてるんですか」

「しばらく前からリュウが変に大人しくなって、それがまなみにも伝染したって感じね。聞いても何でもないって言うのよ」

「お姉さんと守川さんは同じ学校の同級生なんですよね」

「幼稚園からずっと一緒」

「それじゃあ、守川さんの伝説のこともご存知ですね。冬の夜中に学校に侵入して、屋上に大量の水を撒いてスケートリンクみたいにしたとか」

「あれは楽しかったわ。最初はバケツで運んでいたんだけど、私が3階の女子トイレからホースで直接水を流して。後ですごく怒られたけど」

「……守川さんには、お姉さんほどお似合いの相手はいないでしょうね」


 お姉さんは、守川をちらっと見てから小さな声で言った。


「ありがと。そうだといいわね」




 優祈の家に着いた。大きくも小さくもない二階建ての家だ。この辺りは建て売りの住宅地で、守川の家は右隣りだった。


「ちょっと待ってて」


 そう言って優祈はお姉さんと家に入った。守川は自分の家に戻らず、玄関の前で待つ僕の後ろに立っている。


「お姉さんもきれいな人ですね」

「だから何だ」

「……いえ。羨ましいなと思って。お付き合いされているんですよね」

「お前に何か関係があるのか?」

「……すみません」


 しばらく沈黙が続いた後、守川がボソッと言った。


「あいつは好きなヤツがいるんだよ」


 玄関を出てきた優祈から参考書を受け取ると、守川に一礼して僕はその場を離れた。




 次の日の昼休み。僕たち三人はまた屋上に集まった。今日の作戦について話し合う。


「僕は、優祈が屋上から飛び降りようとしたことを守川さんに言うつもりだ」


 優祈が不安そうに歩原を見る。


「千宝さんに任せよう。わたしを信じてくれるのと同じくらい、千宝さんを信じて」


 優祈が僕の方を向いてうなずいた。


「今日は守川さんを待たずに僕と二人で帰るんだ」

「……わかった」

「帰ってから、僕は守川さんと話をすることになるだろう。後で守川さんに聞かれることがあったら、優祈が飛び降りようとしたのは今日で、優祈は僕には何も説明していない。そう言ってくれ」


 優祈は少し戸惑った顔をしながらうなずいた。




 放課後すぐに学校を出た僕は、レンタル屋に行ってから校門で待つ優祈と歩原の所に戻った。キャッチャー用のプロテクターを着け、自転車用のヘルメットをかぶった僕を見て、二人が目を丸くしている。


「守川さんの代りに優祈を守らないといけないからね。本当は格闘技用のプロテクターがあればよかったんだけど、ネットで調べてもこの辺りのレンタル屋には置いてなかった。一応、催涙スプレーも持ってる」


 守川が来たらもう帰ったと伝えるように歩原に頼み、僕は優祈を家まで送って行った。彼女の家の前で守川が来るのを待つ。三十分ほど経って、守川がこちらに走ってくるのが見えた。僕を見下ろせる距離まで近付いて、ようやく僕が誰だか気が付いたようだ。


「何のつもりだ」


 今まで腕力によるケンカをしたことがない僕は、にらむように僕を見下ろす守川に心の中では思い切りビビっていたが、なんとか視線をそらさずにらみ返した。


「二人だけで話せる場所はありませんか」




 守川の後について歩きながら、僕の中で恐怖がどんどん大きくなっていった。優祈には優しいお兄ちゃんだったのかもしれないが、僕とこいつは昨日会ったばかりだ。守川に本気で殴られたら、僕は一発で動けなくなるだろう。

 僕たちは住宅の間の小さな空き地に入った。地面には短い雑草が生え、隅の方にはコンクリートのブロックや木材が置いてある。


「ここでいいか」


 緊張しすぎて声がとっさに出ず、僕はなんとかうなずいた。


「それで、話ってのは何だ?」


 守川の視線に物理的な力のようなものまで感じて、僕は思わず目を逸らしそうになったが、ここで弱気を見せたら計画は台無しだ。屋上から落ちかけた優祈を見たときの衝撃や、その後の彼女の泣き顔を思い出して、自分の中の恐怖を押さえつける。


「あんたは、優祈を守れない」


 何とかそれだけは言えたが、情けないことに自分でも声が震えているのが分かった。守川が近づいてきたが、体がすくんで動けない。守川は僕の襟首をつかむと、片手で軽々と吊り上げた。守川の表情を見せない顔が、息がかかるほどの距離まで近づいた。その顔を僕はにらみ続けた。


「お前なら守れるのか? チビ」


 体が一瞬浮いて、次に衝撃と痛みが来た。守川が僕を投げ落としたのだ。痛みを体験したことで、このくらいなら大丈夫だと思えて、すくんでいた体が動くようになった。

 すぐに立ち上がって守川に向かって体当たりをしたが、守川は避けるそぶりも見せなかった。ぶつかっても守川はビクともしない。僕は膝を折って片脚にしがみつき、そのまま動くのを止めた。


「セミみたいに抱きついて、それでまなみを守れるのか?」

「僕がこうしていれば、その間に優祈は逃げられる」


 それを聞いた守川は、僕の腕をつかんで引きはがし、さっきより勢いをつけて投げ飛ばした。僕の体が何度か地面を転がった。

 すぐに立ち上がり、また脚に飛びつこうとした僕の胸に、守川のヒザがカウンターで入った。跳ね飛ばされた時の衝撃はプロテクターごしでも強烈で、僕はしばらく地面をのたうち回った。


「ゴホッ! ゴホッ!」


 咳が出て呼吸が戻ると苦しさも治まってきた。周りを見回して守川を探し、立ち上がってまた駆け寄る。ヒザを警戒して伸ばした手で守川の脚のつけ根をつかみ、横からその脚に抱きつく。

 今度は直接脚をつかまず、右手で自分のプロテクターの左端、左手でプロテクターの右端をつかんだ。守川はまた僕の片腕をつかんで引き離そうとしたが、僕の指がしっかり引っかかっているので簡単には外せず、両手を使って引き離すことになった。


 それからは、僕が守川の脚に抱きつき、守川が僕を投げ飛ばす。それがひたすら繰り返された。抱きつくときに何度か守川の手やヒジに顔をぶつけたため、僕の顔は鼻血と涙で汚れていた。

 守川は明らかに手加減をしていた。僕の気力がどこまで続くのかを試しているように思えた。だとしたらいい展開だ。

 優祈の望みをかなえるには、僕は守川を説得しなければならない。言い負かしたり罠にはめたりするのではダメだ。守川が僕を認めてくれなければ、僕の言葉が守川に届くことはない。


 気が付くと僕はうつ伏せで倒れていた。気を失っていたようだ。守川が立ち去っていたらまずい、と思って急いでうつ伏せのまま左右を見ると、すぐ近くに守川の足が見えた。あわててその脚に這い寄って、その姿勢のまま足にしがみついた。


「何でそこまでするんだ」


 守川の声からは怒りを感じない。もう話してもいいだろう。


「あんたは、優祈を守れない。あいつは今日、学校の屋上から飛び降りた。僕が捕まえ損ねていたら、あいつは死ぬか大ケガをしていた。あんたは優祈を守れなかったんだ」


 守川は何も言わなかったが、少し荒くなっていた呼吸の音が少しの間途絶えた。足元に這いつくばっている僕には、守川の表情は分からない。


「優祈は先週からずっとつらそうだった。そのぐらいあんたも気付いていただろ。昨日の帰りだって、あいつは明らかに元気がなかった。なのにあんたは声さえほとんどかけず、優祈のお姉さんの方ばかり見てた。あんたが毎日迎えに来ていたのは、優祈のためじゃない。自分の彼女に、面倒見のいい自分を見せたかっただけだ」


「彼女じゃねえ。……あいつには好きなヤツがいるんだ」


 ようやく守川が声を出した。僕はなんとか体を起こして地面に座り、守川の顔を見た。


「お姉さんがそう言ったのか?」

「三木ってヤツが、えりなに告白してそう言われたんだ」

「だったら、その好きなヤツというのはあんたのことだ」

「……違う。あいつはいつも俺のことを、いつまで経ってもガキだって言ってるんだ」

「それは早く大人になって欲しいってことじゃないか? 優祈はあんたのことを『お姉ちゃんの好きな人』って言ってた。昨日一緒に帰ってお姉さんの思い出話を聞いたとき、守川さんにお姉さん以上の相手はいないと言ったら、『そうだといいわね』って返された」


 混乱した様子の守川からは、最初に会った時から受けていた威圧感がすっかり消えていた。お姉さんに振られたと思ったのがきっかけで妹の優祈に手を出したのなら最低な行為だ。でもそれが誤解だったと分かって、さらに優祈がどれだけ苦しんでいたかを知ったんだから、さすがにもう変なマネはしないだろう。そろそろ話をまとめるか。


「僕には何年も一緒にいたあんたの代りはできない。本当はそれぐらい分かってる。自殺までしようとした優祈を見て、僕は何かせずにいられなかった。でも、もう一度優祈に同じようなことがあったら、僕は絶対あんたを許さない」


 僕は体中の痛みに苦労しながら立ち上がり、その場を立ち去ろうとした。


「俺にまなみを任せるのか」

「ああ、言っとくけど」「ダメだ!」


 僕の言葉を遮るように守川が言った。


「まなみが死のうとしたのは俺のせいだ。俺はもうあいつらとはいられない」


 え? 自分のしたことを認めるの? その辺りは深くつっこまずに話を納めようと思ったのに。

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