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六十話 「これから」

 予想通りの反応だ。僕が大野見父にこんな嘘をついたのは、彼の本当の気持ちを大野見に、そして彼自身に理解させるためだ。僕はさらに会話を続けた。


「あなたにもメリットがあることだと思いますよ」

「メリット? そりゃいったい何だ」

「あなたはもう娘さんに……、いや、娘さんじゃないんですね。たまさんにもう関わりたくないんじゃありませんか? もし協力していただけるなら、それが可能になりますよ」

「どういうことだ?」

「あなたがたまさんに冤罪事件を指示したとなると、公的に保護者としては不適切だと判断されるでしょう。それにこの調査結果が加われば、あなたからたまさんの親権が取り上げられるのは確実です」


 僕は手に持った大判の封筒を大野見父に見せた。


「これはDNA鑑定の結果報告です。前月あなたがたまさんと定期的な面会をするためにこの建物を訪れた時、感染症が流行っているから子どもにうつさないようにと説明して、面会前に検査を受けてもらったでしょう。あの時にDNAを採取させてもらいました」


 僕は大野見父の前にその封筒を置いた。彼はその封筒を見つめるだけで手に取ろうとはしない。


「どうです?」

「……」

「やはり親子として長い間暮らしていたのですから、そう簡単には割り切れませんか。でもあなたが罪を被ってくださることは、たまさんのためでもあるんですよ。このまま記事が雑誌に載った場合、私どもとしてはその雑誌社を訴えて真実を公にする必要があります。そこで娘さんのやったことが証明されることになります」

「だからなんだ? あいつはまだ11だ。13歳以下なら犯罪で罪に問われることは無いんだろ」

「確かに法律で裁かれることはありませんし、少年法改正後の少年院への送致も12歳以上が対象です。ですが世間の目は違いますよ。雑誌社との裁判では彼女のやったことが詳細まで説明されることになります」


 僕はそこで言葉を切って、その意味が大野見父の頭に浸透するのを待った。


「彼女のやったことは大人の行為だとしてもかなり周到かつ悪質です。それを小学生の女の子がやったとなれば大きな話題になるでしょう。もちろん匿名で扱われますが、キャンプに参加していた子を含め、多くの人が彼女のやったことだと気付くでしょう。その後たまさんが周囲からどう扱われるかは説明しなくても分かりますよね」


 予想通り大野見父は僕の言葉に明らかに動揺していた。僕はさらに揺さぶりをかけた。


「しかし、たまさんの頭の良さには驚きましたよ。彼女があなたの就職先を見つけた時の経緯を知っていますから、すでにある程度はそのことを理解していたんですがね。もっともその件では頭の良さより彼女の健気さの方が印象的でしたが」

「健気さ?」

「たまさんはあなたの就職先を探そうとしたのは、貧乏になったのがいやだったんじゃありません。あなたが元気をなくしたのが好きな仕事をできなくなったからだと思ったからです」

「あいつがあんたにそう言ったのか。おれにもそれを信じろって?」

「彼女の友だちのお爺さん、例の大会社の社長さんから話を聞いたんですよ。その人が大きな会社の社長だと聞いて、たまさんは自分の父親が職人としてどれだけ優秀かということを熱心に説明したそうです。でもそんな子どもの話だけで就職を決めることなんて普通はできませんよね。その社長さんもたまさんにそう言ったそうです」

「……」

「するとたまさんはあなたの元の雇い主の所へ行きました。あなたがそこで働いていた時に作った部品の納入先を教えてもらうためです。一品物の金属加工が得意だったそうですね。会社の納品データはパソコンに残っていたものの、そのデータを扱っていた人はもういません。たまさんは許可をもらってパソコンの扱い方から勉強して、とうとう自力で納入先を見つけ出しました」

「……あいつが?」

「それからたまさんは、それぞれの部品がある場所まで行ってをデジカメで撮影させてもらえるよう頼みました。納入先からさらに別の会社に納められていた部品もありました。ずいぶん遠い所まで自転車を使って、OKをもらえるまで何度も通ったそうです」


 大野見父の驚いた顔を見ながら僕は話を続けた。


「たまさんは友達のお爺さんから工場の社長さんを紹介してもらって、撮影した何十枚もの写真を見せてあなたの技術を認めさせたんですよ。誰に聞いたのかその部品の加工がどう難しいのかも説明して。社長さんが写真をみて『良い腕だ』と言ったとき、たまさんは本当に嬉しそうな顔をしたそうです」


 そこまで話してしばらく間を空けた。大野見父の混乱した頭に今の話が十分伝わるまで待つためだ。 


「あなたが工場を辞めてすぐ、たまさんはまたその社長さんの所へ行って泣きながら謝りました。『お父さんは悪くない。勝手なことをした自分が悪いんだ』と言って。社長さんはどう言っていいか分からず、そこにいた奥さんは彼女を慰めながらもらい泣きしてしまったそうです」


 うつむいたまま何度も瞬きをしている大野見父は、僕には涙をこらえているように見えた。


「その話を聞いた時には私も感動してしまいました。そんなたまさんをあんな風に傷つけたあなたを許せないとも思いました。しかし今回、彼女がキャンプで他人にしたことを考えると、それらの話も実は彼女の利己的な思いからだったのかもしれませんね。自分はこんなにがんばっている、そう他人に見せることで自分の味方を増やそうとしたのかもしれません。10年も一緒にいたあなたの意見の方が正しいんでしょう」

「……分かった」

「何がです?」

「分かったから。あんたの言う通りにする。刑務所にも入る。だからもう何も言わないでくれ」

「そうですか。でも刑務所に入る必要はありません。執行猶予で済むと思いますよ。ご協力いただけるのでしたらこの封筒を」

「いらん。持って帰ってくれ」

「ご覧になった方がいいと思いますよ」

「いらないと言ってるだろ!」


 大野見父が封筒をつかんで僕の方へ投げた。僕はそれを拾い上げて言った。


「あなたとたまさんは、どちらも瞳の形が鼻の方へ少し広がっています。これは軽い虹彩欠損で多くは遺伝によるものです。お二人には他にも遺伝と思われる形質があります」


 言い方が悪かったのか、大野見父には上手く伝わらなかったようだ。


「私は先にその封筒の中身を見ています。お二人は間違いなく血のつながった親子です」

「……本当に?」


 大野見父は呆然とした後、改めてその考えを否定するように首を振った。


「いや、そんなはずはない。あいつの母親は確かにああ言ったんだ。何年も一緒にいたんだ。嘘をついてるかどうかは分かる。思い当たることは他にもある。あの女があいつに辛く当たっていたのも、自分のやましさを隠すためだったと考えればつじつまが合う」

「たまさんの母親が嘘を言ったとは言いません。彼女は本気でそう言ったのでしょう。その可能性があるようなことを、たまさんが生まれる前にあなた以外の誰かとしたんでしょう。でもあなたにも父親の可能性はあったはずですよね。でないと生まれたときに気付いたはずですから」




 大野見と彼女たちのいる部屋に戻った僕は、撮ったばかりの大野見父の様子を部屋のテレビで再生した。全てを見終わった後も、大野見は太ももの上で手を握り締めながらしばらく黙っていた。やがて彼女は独り言のように小さな声で言った


「どうしろって言うのよ。父さんに会ってまた仲良くしろって言うの?」

「その前に、まずすることがあるだろ」

「……? 何、分かんない。はっきり言ってよ」

「お前の中には父親を恨む気持ちがある。当然だ。おまえの父親がしたことを考えたらな。まずその気持ちを父親本人にしっかりぶつけるんだ」

「それは、……でも」

「自分の中の思いをはっきり自覚して、それを全部相手に吐き出すんだ。そうしないと上辺だけの仲直りになる。ぎくしゃくとした関係が続いて、またどこかで爆発するかもしれない。今のお前の父親なら、お前が怒りをぶつけてもその気持ちを受け止めてくれるだろう」

「たまちゃん」


 マナミがたまに話しかけた。


「そうした方がいいよ。お父さんのためにも」

「……意味が分かんないよ」

「このままだと、お父さんはずっとたまちゃんを苦しめたことで自分を責めながら生きていくことになるよ。自業自得なのかもしれないけど、それじゃあたまちゃんも幸せになれない」

「そうね。人を傷つけてその自覚があるのに、償えないままなのはとっても苦しいことよ。傷つけたその人が自分にとって大切な人ほどね」

「ガツンとやった方がいいんだ。後回しになるほど自分でもどうしようもなくなるんだ」

「……うん」


 大野見はどうやら僕たちのアドバイスを受け入れる気になったようだ。父親と彼女が解決しなければならないことはまだまだあるだろう。でも僕はそれについては楽観的だった。今の大野見には父親以外にも支えてくれる人がいて、その支えを受け入れられる気持ちが彼女にはある。


 大野見に話しかけている彼女たちを見ながら、僕は3人にどう報いたらいいのか、どうすれば彼女たちが本当の笑顔を取り戻せるのか、その方法について考え続けていた。

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