六話 「歩原一華 #3」
玄関の引き戸が開く音と同時に、わざわざ待ち構えていた母さんの声がした。
「いらっしゃい」
「……おじゃまします」
「和真。歩原さんがいらっしゃったわよ」
その後、廊下を歩く足音がして、母さんの後から歩原が僕の部屋に入ってきた。僕を見てお辞儀をする。この前に来た時より飾りが色々ついた服を着ていた。母さんが僕に目くばせする。
「何?」
「紹介してくれないの?」
「言っただろ。歩原さんがくるって」
「わたしをよ。最初に歩原さんが来たときには会えなかったでしょ」
「えーと。分かってると思うけど、母です」
「母の綾香です。和真をよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「この子に友だちが訪ねてくるって珍しいのよ。前の学校でも来たことがあるのは一人だけなの。まさか女の子が遊びにくるとは思わなかったわ」
「その原瀬が来た時は、通りすがりに声をかけただけだったろ。何で紹介なんか」
「その頃は、和真にもっとたくさん友だちが来ると思ってたのよ。こんなにレアなイベントになるとは思ってなかったの」
歩原は、部屋の入口で困った顔をして立っている。
「歩原。入ってそこに座ってよ」
「じゃあ、わたしは何か飲み物を持ってくるわね。何がいい」
「ウーロン茶。他にコーラとリンゴジュースがあったよね」
「同じで」
「緊張しなくていいのよ」
将棋盤と駒をテーブルに置いてから、PCの電源を入れる。その間に、母さんがウーロン茶のコップを3つ持ってきた。
「母さんもここで飲むの?」
「おじゃまかしら?」
母さんが歩原に向かって言うと、歩原は首を振った。
「友だちを家に迎えた時って、みんなどうしてるのかな」
「特に決まってないと思うけど」
「歩原が友だちを呼んだときはどうだった?」
「まなみやヒナは、幼稚園の頃からの友だちだったから、いつの間にかって感じだった」
「友だちだった?」
僕の言葉に、歩原の表情が暗くなった。
「ダメだよそんな顔。歩原が可愛いのは笑ってる時なんだから」
「ぐっ……。ゲホッ! ゲホッ!」
「母さん! 大丈夫?」
母さんが急にむせてコップを下に置いた。普段は元気そうだが、母さんには持病がある。何かの拍子に体調を崩して、しばらく寝込むこともある。
「大丈夫。心配はいらないわ。あなたのせいだから」
「……?」
「歩原さん。あなたは幸せよ。三十過ぎて子どもまでいても、そんなセリフ言ってもらえなかった女もいるんだから」
母さんは、少し遠い目をしてそう言った。
「でも、そんなこと言われたら、いつでも笑ってなきゃいけないわよね」
「うーん。そうかな。でも歩原は、真剣に将棋を指してる時はカッコいいんだ」
「カッコいいって、女の子への褒め言葉としてどうなの」
「僕としては、可愛いとカッコいいは、どちらも同じくらいなんだけど」
「……このくらいにしておきましょう。歩原さんのためにも」
母さんの視線を追って歩原をみると、歩原はテーブルに額が当たりそうなほどうつむいていた。耳が真っ赤になっている。
「この子、友だち付き合いがほとんど無かったから、照れくさいとか距離感とかがよく分かってないのよ。苦労を掛けるわね」
下を向いたままの歩原と対局を始めた。しばらくすると徐々に顔が上がって来て、あの真剣な顔になった。結果は僕+PCの僅差勝ちだった。序盤で歩原の調子が悪くなければ、僕が負けていただろう。
対局が済んで、僕は前から疑問に思っていたことを歩原に確かめることにした。
「このマンガ、読んだことがある?」
「ううん」
見せたのは、母さんが持っていた少し前の少女漫画の単行本だ。第一巻を歩原に渡す。
「ちょっと読んでみて」
歩原は10分ちょっとで読み終えた。
「歩原に質問したいんだけど、この後に主人公と結ばれた相手って誰だと思う。一番可能性が高いと思う登場人物の名前を言ってみて」
「可能性が高いって……。タカトしかいないと思うけど」
うーん、あっさりと。確かに第二巻以降の展開はそうなってる。女の子なら分かって当然なのか。やっぱり恋愛というのは僕の理解の外にあるみたいだ。
「どうして? 主人公のことを真面目に考えてるのは、早馬の方じゃないの」
歩原が困った顔をしている。
「早馬さんは、友だちって感じかな」
「ああ。そうなんだ」
僕の考え方で行動したら、そうなるのか。でも友だちなら一生の付き合いだよな。子どもの時の恋人なんてほとんど別れてしまうんだから、そんなに悪い扱いでもないだろう。