五十八話 「キャンプ #12」
大野見は児童養護施設に預けられている1人だ。父親は生きていて所在も確認されているのに施設にいるのは虐待が原因だ。身体的な虐待はあまりなかったが育児放棄と特に心理的な虐待が酷かったようだ。母親と幼い頃から折り合いが悪かったこともあって父親を慕っていたが、母親の失踪を期にその父親からの虐待が始まった。大野見が言ったように彼女は父親との関係を回復しようと懸命に努力したが、その努力は報われなかった。
僕は小森のことも含めて彼女の事情を十分把握していたのに、大野見がここまでするほど僕を憎むようになった理由が分からなかった。僕は大野見が語り出した話に聞き入った。
アスレチックの後も、みんなはずっとあなたのうわさをしていた。特に騒いでいたのは初音と同じあなたに助けられた子たちだった。矢野はあなたのことを他の子に嬉しそうに自慢した。そんなことをしてもあなたは喜ばないのに。わたしは矢野のそんな態度を変えてやりたくてポーチに矢野が嫌がりそうなことを書いた紙を入れた。矢野は思った通りその紙を見てからすごく悩んでいた。
あなたと矢野が一緒に浜辺へ歩いていくのを見て、どうなるか知りたかったわたしは後をつけた。タグを持ってるとついて行ったことがあなたに分かるから、カバンに入れてから同じ班の子に渡して、誰にも見つからないように森の中を歩いていった。
テントから飛び出して土下座をしたあなたを見て、わたしは胸がすっとした。その姿を写真に撮りながら土下座しなくちゃならないどんなことをしたのか問い質してやろうと思った。でもそんな暇がないほど矢野はすぐにあなたを許してしまった。それどころかあなたといる矢野は前より楽しそうで、あなたと別れてからもそれは変わらなかった。
それでわたしはもっときちんと計画してあなたを苦しめてやることにした。自由に行動できるように真夜中にテントから出て予備のタグを探した。その時にデジカメも見つけた。タグの場所を確認する方法を知るために、パソコンの液晶が映る位置に録画状態にしたスマホを隠しておいた。
道長がなかなかお風呂が開かないと言っているのを聞いて、パソコンで誰が入っているのかを確認したらあなただった。わたしが風呂場へ様子を見に行くと、脱衣所にあなたの服があるのに浴槽の方からは音がしない。浴室の灯りを消しても声が上がらなかったから、中を覗いて寝ているあなたを見つけた。面白そうなチャンスだと思ってあなたの姿を竹で隠して、脱いだ服の上にカゴを被せて、あなたが自分でやったと思わせるようにタグを開けてアンテナを抜いた。それからお風呂が開くのを待っていた道長に誰もいないと教えてあげた。
わたしは大騒ぎになるのを期待して身を潜めて待った。道長や他の子だけじゃなくそこの3人も一緒に来たのを見た時は笑い出したくなった。でも子どもたちだけが先に出てきて、その後も風呂場は静かなままだった。何があったのか分からないまま待ち続けていたわたしの前に、大きな何かをビニールシートに包んで重そうに運ぶ3人が現れた。まるで犯罪ドラマに出てくるような姿だった。
網矢さんがお風呂から出ていく姿を人に見られたくなくて、3人に手を貸してもらっているだけかもしれない。わたしはそう思おうとした。でも浜辺の方へ歩いて行く3人はいつまでもビニールシートを下ろそうとしなかった。後をつけたわたしの前で優祈さんが手を滑らせて、地面に落ちたビニールシートから人の腕がこぼれ出た。それなりの勢いで落ちたのに声は上がらず、腕もピクリともしなかった。
わたしはあやうく悲鳴を上げるところだった。怖くてたまらなくなって逃げ出した。どうしてこんなことになったんだろう。自分が悪いと思っていない網矢さんと3人が言い争って、それでこんなことになってしまったのかもしれない。だとしたらわたしのせいだ。わたしはシーツに潜って震えていた。恐ろしさで一晩中眠れなかった。
その恐怖は次の朝、テントの外からあなたの声が聞こえるまで、テントを出たわたしがあなたの姿を見つけるまで続いた。あんなに驚いたのは生まれて初めてだった。安心するというより、呆然としてしばらく何も考えられなかった。
その後に受けたキャンプのプログラムでわたしはまた驚かされた。あなたが立ち去った後にみんなが集まっている所へ行ったら、常雷さんに続いて優祈さんまでがあなたを自分の大切な人だと言っていた。昨日までの彼女の態度にはそんな様子がなかったのに。それどころかすごく素っ気ない態度だった歩原さんまで同じようなことを言い出した。どう考えても不自然だった。わざとそんな態度をわたしに見せつけているようだと思った。
理解できないことが立て続けに起こって、わたしは今まで見てきたものを信じられなくなった。自分が正気なのかも疑いたくなった。自分のボーっとしている頭が寝不足のためじゃなく誰かに支配されているように思えた。あなたは島神様で子どもたちを操るだけじゃなく、わたしにも分からない方法を使ってみんなを支配しようとしている。あなたをどうにかしないといけない。わたしがわたしじゃなくなる前に。
いつもより早く休んで次の日に目が覚めた時もその気持ちに変わりはなかった。わたしはそれが許されないことだと分かっていてあなたを破滅させる計画を立てた。こんなことをするのはカッとなって人を殺すより悪いことだ。計画通りにいってもいかなくても、わたしがやろうとしたということに変わりはない。そう覚悟を決めた上でわたしは計画を実行した。でもあなたには通じなかった。
わたしは全てをかけたつもりだった。でも優祈さんに言われたように、裸を見られたくなくて小細工をしてたのかもしれない。わたしには自分で思っていたほどの覚悟も無かった。その程度の人間だった。……もう好きにすればいい。
彼女の話を聞き終わって、僕はすでに取り返しのつかないミスをしていたことを知った。無駄かもしれないが大野見に真相を話すことにした。
「今の話だけど。僕から説明してもいいかな?」
「どうぞ」
「まず矢野のことだけど、僕はメモのことを知らずに矢野に浜辺まで荷物を持ってくれるよう頼んだ。矢野はあんなメモを読んだ後だから2人っきりになったことでひどく不安になっていて、メモを読んでようやく理解した僕は矢野に謝った」
「土下座して? 矢野が誤解しただけなのに?」
「矢野が悩んでいるのは気付いてたんだ。土下座したのは僕が安全だと分かってもらうため。早く矢野に安心して欲しかったからだ」
「……」
「次は風呂の件だけど、僕は長く風呂に浸かっていたから、急いで出ようとした時に立ちくらみで転んでそのまま気絶したんだ。3人はそんな僕に服を着せて、浜辺のテントまで運んでくれた」
「……」
「それから、見せつけたというのはその通りだよな、歩原」
「ええ。矢野や風呂場のことは網矢のことを恨んで行ったことだと思ったから、犯人を見つけるためには挑発すればいいと思ったの。最初の犯行がみんなから網矢が称賛を受けた時だったから、同じことを繰り返したら犯人が動くだろうって考えたのよ」
話し終えた僕は、大野見の気持ちを動かす手がかりが得られないか、そう思いながら彼女の反応を待った。
「そう……。聞いてみたらわたしの妄想よりすっと説得力のある話ね。納得した。つまりわたしは勘違いで人を破滅させようとしていた。初音のことも勘違いだった。もしこうならなかったら、わたしは初音にだってひどいことをしていたかも知れない」
自嘲するようにではなくただ事実を語るように大野見は言った。すでに言ったように、結果に関係なく彼女はもう自分に判決を下している。
僕は甘かった。大野見が何を仕掛けてきてもそれを大事にはしない自信があったから、どんな結果になってもそれで彼女がひどく傷つくことはないと考えていた。もう口先の言葉では彼女の心は動かせない。
僕は大野見を絶対に救わなければならない。彼女は僕がいなければここまで傷つかなかった。誰をも助けられるなどと思い上がってはいないが、関係の無い人をどれだけ助けても、僕が誰かを傷つけたことの償いにはならない。
必死になって考えを巡らしている僕を横目に、イチカが大野見に話しかけた。
「大野見さん。お願いがあるの」
「お願いじゃなくて命令すればいい」
「わたしたちに、あなたがお父さんと仲直りする手伝いをさせて欲しい」
自分に言われたことが理解できないという顔で大野見はイチカを見た。
「……それはお断りします。罰だったらいくらでも受けます」
「どうしてもお願いを聞いて欲しいんだけど」
「わたしには、自分の破滅を選ぶ権利さえ無いんですか」
「……そうね。それじゃあ大野見さん。その破滅を選ぶ権利をわたしたちと交換しない?」
「……意味が分かりません」
「ほら、このスマホにわたしたちの裸の写真が入ってるでしょ。それを公開する権利とあなたの権利を交換しましょう。公開したら破滅するのかと言われたら微妙だけど、3対1で交換するなら不公平じゃないと思うわ」
とんでもない歩原の提案に僕はそれこそ仰天した。
「ちょっと待って! 何だそれ」
「網矢には関係ない。大野見さんとわたしたちの取引よ」
「そんなことをして誰にメリットがあるんだ」
「ほら、大野見さん。網矢があんなに焦ってる。わたしたち3人にだけじゃなく、網矢にも意趣返しができるわよ。勘違いと分かって自分を責めていても、網矢をあんなに恨んでいた気持ちが完全に消えたわけじゃないわよね」
しばらく考え込んでいた大野見は、面白いことを思いついたかのように微笑んだ。
「よく考えてみたんだけど面白い提案だと思うわ。受けてもいい」
「そう、良かった。じゃあ準備をさせてもらっていいわね」
「ええ。ただし」
大野見はもったいぶるように間を取ってから言った。
「その権利を先に使うのは提案されたわたしの方、という条件なら」
「ええ、公開したらすぐに連絡してね。でも矢野さんの写ってる写真は消すわよ」
イチカは即答して、スマホの画面を操作し始めた。
「じゃあこれ」
大野見は渡された自分のスマホを見て呆然としている。
「おい、それは押し付けだろ。路上販売でみかんを売ってるんじゃないぞ。それにお前一人で……」
「あたしはもう納得してるよ」
「ごめん、網矢。約束を破っちゃったけど、大野見がこのままなのは嫌なんだ」
「わたしは納得してない!」
大野見がすねたような口調で叫んだ。彼女が急に子どもっぽくなったように感じた。
「こんなことする理由が無い。したって感謝しない。気持ち悪いだけ。偽善だとしか思えない」
大野見の言葉に、彼女たちは少し悲しそうな笑みを見せた。
「わたしたちの友達にも大野見みたいに頭のいい子がいたの。わたしたちはみんなその子が大好きだった」
「その子がすごく辛かった時にアタシたちは何もしなかった。はっきり教えてもらうまで、辛かったことにも気付いてもなかった」
「みんなそのことを後悔してるの。だからこれは大野見さんの言う通り偽善よね。でも、もうあんな思いはしたくないの」
彼女たちの目には優しさだけでなく悲しみもあった。大野見は自分の中にあるそれを彼女たちにも感じたのだろう。彼女はもう何も言わなかった。




