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五十七話 「キャンプ #11」

 イチカには大野見が自分の手にテープを巻いた方法が分からなかったようなので、僕が代りに説明した。


「コーンがありましたよね。工事とかに使う三角のやつです。底の四角くなった部分の一辺が、手足を縛ったのと同じ布テープで棚にしっかり固定してありました」

「え、そうね。確かにあったけど」

「そのコーンの上の方。ちょうど彼女が縛られた部分と同じくらいの太さの所に、布テープを水平に巻いておきます。余らせた部分を片方の手首にしっかりと貼り付けて、コーンの横に立って腰をかがめ、上から見下ろすような姿勢になります。両腕を合わせてテープを引っ張りながら、巻き付けたテープをはがしていく方向に、腕をコーンの周りでぐるぐると回します。それで腕にしっかりテープが巻きつきますよ」

「そんなに上手くいくかしら?」

「コーンは片側が棚に固定されているので、反対側を足で踏めば強く引っ張ってもぐらつきません。前もって練習はしておいた方がいいでしょうね。このテープはほとんど新品でした。あの場所で使われていた分だけでは減っている量が多すぎます」


 もういうことが無くなったのか東屋さんは黙ってしまった。その東屋さんにイチカが話しかけた。


「一つ質問をしていいですか」

「……はい」

「大野見さんがいなくなった時、東屋さんが浜辺を探しに行ったのはどうしてですか」

「前に大野見さんの姿が見えなくなって、探そうと思ったら浜辺の方から戻ってきたことがあったの。それが2度ほどあって」

「サーバーの記録では、大野見さんが1人で浜辺に行ったことはありません。網矢が犯人じゃないとはっきりしていなければ、これも網矢が記録に手を加えた証拠にされたかも知れませんね」

「ちょっと待って。そうじゃなくて、東屋さんに最初に来て欲しかったんじゃないかな。男の人に裸を見られるのは嫌だから。メールが届いたのは東屋さんがテントに近付いてからなんですよね」

「浜辺に降りて、テントの所を通り過ぎて海の近くまで行った時にメールが入ったの」

「外を覗いて東屋さんが近づいてくるのを確認してから、手足にテープを巻いたんじゃないかな。上手くいけば東屋さんの方が網矢より先に見つけてたかも知れない。思ったより準備に手間がかかったか、東屋さんの歩くのが早かったんじゃないかと思う」

「……そうか。ごめんなさい、大野見さん。今言ったのは訂正します」


 東屋さんは混乱しているような表情で大野見を見た。


「大野見さん……」

「東屋さん。その人たちの言う通りです」


 大野見が開き直ったように正面から僕を見た。


「十分に計画して上手くいくと思ったけど、やっぱり子どもの浅知恵でしたね。わたしは網矢さんをひどい目に合わそうとしていました。ここで騒ぎにするだけじゃなく、キャンプが終わったら色々な雑誌や新聞に写真と事件の内容を送って、破滅させてやろうと思っていました」


 淡々と話す大野見を、恐れるような目で東屋さんは見た。


「どうしてなの、大野見さん」

「何もかも上手くいっているあの人が憎かったからです。不公平だと思いませんか? わたしだったら1人でも大切な人がいれば十分なんです。網矢さんは何人も幸せにしていてその人たちからとても感謝されている。なのにまだ満足できない」


 大野見が僕をじっと見つめる。


「それで子ども騙しの手品まで使って、神様になったような気分でわたしたちを操って幸せを与えた気になっている。お腹のすいた野良猫に餌をやるような気持ちなのかな。わたしはそれが許せなかった」

「大野見には子ども騙しだった?」

「木に取り付けた空に見える箱に機械が隠してあるんでしょう。ハーフミラーでしょうか。石碑も同じようなものですよね」

「そうか。じゃあお礼を言うべきかな」

「何を?」

「他に子にそれを言わないでくれたことだよ」

「あの子たちが神様よりわたしを信じるわけがないでしょう」


 その後大野見は黙ってしまった。その沈黙を破って僕は言った。


「それから?」

「もう言いたいことは言ったわ。後は好きなように。子どもを懲らしめるくらい簡単でしょう」

「小森初音のことは?」


 その言葉を聞いて、大野見の顔から余裕が消えた。


「ずいぶん仲が良かったそうだね。彼女の方が年上だけど君が彼女を庇うことも多かったとか。彼女が施設を離れた後は寂しかったんじゃないか。そのことで僕を恨んだとしても不思議じゃない。子ども騙しに騙されてくれていたら電話で話すくらいはさせてあげられたんだけど」

「必要ない」

「本当に? 彼女も君に会いたがっていたよ」

「わたしに会いたいかって初音に聞いたの? だったらそう言うでしょうね。でもそれが初音の本心だと思う?」

「疑うのか? それは彼女が可哀想だよ」

「初音は今すごく幸せなの。一度だけ様子を見に言ったことがあるけど、わたしが見たこともないような明るい顔をしてた。その初音がどうして辛い思い出のあるわたしの所に来る必要があるの?」

「どうも誤解があるようだな。キャンプの後で彼女に……」

「必要ないって言ってるでしょ!」


 大野見が初めて大きな声を出した。


「会いたかったら誰かに言われなくたって来るわよ! わたしだって会いに行けたんだから」

「でも行っただけで顔は見せなかった。大野見。お前は最後に会ったとき、もうこんな所に来るんじゃないって言っただろ」

「え?」

「自分もすぐにこんな所を出て会いに行くって言ったそうだな」


 大野見は思い出そうとするかのように視線を上に向けた。


「森下は、自分が会いに行ったら大野見は幸せな姿を見せつけられるようで嫌なんだ、そう思ったようだぞ。だから今この瞬間も、森下はお前から連絡があるんじゃないかと待っている」

「……だって! そういう言葉なんて決まり文句なんじゃないの? わたし何か変なこと言った?」

「だから勘違いなんだよ。連絡してやれ、大野見」


 大野見はいきなり立ち上がり、その勢いで椅子が後ろに倒れた。その顔には興奮の色が浮かんでいたが、立ち上がってからどうすればいいのか分からないようだった。僕が声を掛けようとする前に、彼女からはさっきの熱が冷めていった。


「だめ……。わたし、もうすごく悪い子になっちゃったから、初音には会えない」


 そう言うと大野見は緩慢な動きで倒した椅子を起こし、力が抜けたように腰を下ろした。これは失敗か。顔には出さなかったが僕は心中では冷や汗を流していた。


「わたしは自分が何をしたのかよく分かってる。わたしの計画通りになっていたら、あなたは色々なものを失って一生苦しむことになっていた。自殺したかもしれない」

「決めつけないでくれないか。僕はそんなに弱くないよ」

「あなたはそうかもしれない。でも、わたしはそうなっても構わないと思った。わたしはそういう人間だった。あいつが言った通りだ」

「あいつ?」

「法律上は父親ってことになっている人。恨んだこともあったけど、今は正しかったと分かる」

「やめてくれないかな。そういう話し方は」


 陽向が今日初めて大野見に話しかけた。


「アタシはみんなと違って物分りが悪いんだ。ちゃんと説明してくれないと理解できないよ。結局、何でこんなことをしたんだ? キャンプに来たときから網矢をひどい目に合わそうと思ってたのか?」


 大野見は陽向の言葉に少し戸惑っていたが、少しして納得した顔になった。


「いいわ。あなたたちはわたしに勝ったんだから。でも関係の無い人には話したくない」


 そう言うと、大野見は三沢さんたちを見た。


「……分かった。ボクたちは席を外そう」


 そう言って三沢さんは席を立ち、倉橋さんや沢木さんも後に続いた。東屋さんはしばらく迷っていたが、最後は僕たち5人だけにしてくれた。


「さっきの話だけど、確かに初音がわたしのそばにいなくなったことで網矢さんを恨んでいたわ。わたしの気持ちなんて知らずに、いいことをした満足感だけ感じてるんだろうと思って。でも初音を助けてくれたことを感謝する気持ちもあった」

「そう思う相手は原瀬じゃないのか」

「原瀬さんは、黒幕は網矢さんで自分は使いっ走りだと言ってたの」


 あいつ! そんなことを言ったのか。


「初めて会った網矢さんはそんな感じじゃなかった。原瀬さんやここにいる人たちと一緒だと、芸能人の中に一般人が混じってるみたいだった」

「まあ、そうだろうね」

「子どもたちにお礼を言われて戸惑った顔をしたり、後になって嬉しそうな顔をしたのは少しも大物っぽくなかった。わたしが名前を言った時にはとても自然に褒めてくれて、これまで会った人のように笑うのを我慢したり戸惑ったりはしなかった。それは素直に嬉しかった」


 そういえば、大野見の名前を聞いた時にこの4人も微妙な顔をしていたな。


「さっさと立ち去った歩原さんに気付かず話しかけてたり、優祈さんに話しかけて優祈さんがその続きを原瀬さん向けたり、常雷さんに足が遅いと言われて荷物を取り上げられたり。そんな時は少し可哀想になった」

「ああ、そうなんだ……。嫌いになったのは島神様とか言い出してからかな」

「その時は別に」

「あれ? 神様気分で操ったとか言ってなかった?」

「最初はそれほど気にならなかった。本当に」

「じゃあ、何が気に障ったんだ?」

「……アスレチックの時」

「アスレチックってアタシのことじゃないの? 網矢が何かしたっけ」


 陽向が不思議そうに言って頭をかしげた。


「網矢さんは常雷さんから大切な人だと言われた。網矢さんの子供の頃の話を聞いて、みんなは網矢さんの頭の良さに驚くほど感心していた。わたしなら嬉しくて舞い上がりそうなのに、網矢さんは少しも嬉しそうじゃなかった。網矢さんは褒められることが当然だと思ってる人だった。わたしは……」


 大野見は目をつむってしばらく何も言わなかった。彼女はその手を白くなるほど握り締めていた。


「頭が良くて得をしたことなんて一つもない。テストでいい点を取るとそれを妬んだ子に虐められた。していないのにカンニングだと言われた。母さんも他の親みたいには褒めてくれなかった。買い物で金額を暗算したら気持ち悪いって言われた。馬鹿だと思ってるのかって怒られた。あいつは……」


 大野見の顔が苦痛を受けたように歪んだ。


「父さんって呼んでた頃は褒めてくれたこともあった。でも母さんがいなくなると褒めてくれなくなった。それどころか母さんみたいに嫌な顔をするようになった。わたしはまた褒めてもらえるようになりたくて頑張った。でもどんなに一所懸命にしてもだめだった。すごく酔って帰った日にあいつはわたしを自分の子じゃないって言った。だからもう父さんじゃない。あいつなんだ」


 僕たちは彼女のことも調べていたから、この辺りの事情を少しは分かっている。


「でも、初音は違った。わたしが勉強を教えてあげるとすごいって褒めてくれた。年下なのに生意気だとか気持ち悪いとか言わなかった。わたしが泣いていたら一緒に泣いてくれた。わたしが初音のことを馬鹿だと言ってもごめんねって笑うだけなのに、他の人に悪口を言うと悲しそうな顔をした。だからわたしは悪い言葉を使わないようになって、そうしたら初音の言うように少し心が軽くなった」


 そう話しながら少し明るくなっていた大野見の表情が、その時また暗くなった。


「でもやっぱり私は悪い子だった。初音が幸せになったのにわたしは素直に喜べなかった。わたしには初音しかいなかったから。それであなたを恨む気持ちが生まれた。ここに来てそれは間違いだと思うようになったのに、その気持ちが裏切られたと感じた」


 大野見は僕に向かって、どうして僕の破滅を望むようになっのかを話し始めた。

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