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五十五話 「キャンプ #9」

 浜辺のテントでのサーバーメンテナンスを終えてから、僕は他の人より遅れて風呂に入った。男女とも一回目の入浴時間を終えて今は誰も入っていない。僕は体と頭をよく洗ってから浴槽の湯に体を沈めた。今日はよく晴れて、見上げると満天の星空が素晴らしい。お湯に体を浮かべて星をじっと見ていると、体が星空へ登っていくように感じる。


 僕はまぶしさで目を覚まして驚いた。いつの間にか眠っていて、その間にすぐ横の湯に竹が半分沈んだ状態になっていたからだ。風呂の中洲に立ててあったものが倒れたんだろう。気が付くと竹の向こう側、脱衣所の方から子どもたちの声が聞こてくる。脱衣所との壁は僕から見て右端が出入口のカーテンになっている。そのカーテンに大人の人影が映った。スタッフの誰かが子どもたちを連れてきたようだ。

 カーテンを開けて入ってきたのは女性だった。反射的に目を伏せたのと竹の葉にじゃまされていたことで、それが誰だったのかは分からない。その女性は一言も声を上げずに脱衣所に引き返した。こちらは暗くて竹の葉に隠れている状態だったから、人がいるのは分かっても僕とは確認できなかったかもしれない。


「ごめんね、みんな。3人だけで相談したいことがあるの。みんなは20分ほど経ってからまた来てくれないかな」


 その声はイチカだった。僕は子どもたちへの配慮を優先してくれたことをイチカに感謝した。この後は僕にとって考えたくない事態が待ち受けているんだろうが、長湯でのぼせた頭には相応しい緊迫感が湧いてこない。再びカーテンが開いて入ってきた姿はまた裸だった。誰かを認識する間もなく僕は全速で顔をそむけた。

 足音から判断すると3人とも浴室の中に入ってきたようだ。もしかして暗がりで竹に隠れた僕に気付いてないのだろうか。明るい脱衣所から入ってきたばかりならその可能性もあるのか。しかしそれなら目が慣れてくれば僕の存在に気付くだろう。絶体絶命だということに変わりはない。


「みんな。まず頭から洗おうか」


 陽向の声が聞こえて足音がカーテンのある側から反対側に移動した。彼女たちの裸を見ないように視界を手のひらで遮りながら、僕がゆっくり脱衣所の方へ視線を移動させると、僕とカーテンの間には誰もいなかった。やがてシャワーの水音に続いて髪の毛を洗う音が浴室内に充満した。全員が髪を洗っているのなら、その後ろを気付かれず移動できるかもしれない。もしかすると陽向が僕を助けようとしてくれているのかもしれない。最初に見たのはイチカではなく陽向だったのか。謝罪は後ですることにして即座にこの場を脱出しよう。


 水音や体を洗う音に紛れるように、僕はお湯に身を沈めたまま浴槽の中を脱衣所側の縁まで移動した。浴槽から立ち上がってその外に足を踏み出した途端、僕の視界がすうっと暗くなった。のぼせた状態で急に立ち上がったために貧血を起こしたのだ。頭部に強い衝撃を感じて僕は意識を失った。




 気が付くと僕は、風呂に入るまでいたテントの中で倒れていた。自分が服を着ていることを確認する。テントの中にいるのは僕だけだ。痛む額に触ると小さなこぶができていた。風呂場で意識を失ったのが現実だったとすれば、今のこの状況はどういうことだろうか。

 おそらく僕はこのテントの中で転倒して、そのまま気を失っていたのだろう。うん、そうに違いない。そうじゃないとは考えたくない。それにしては体が汗でべとついていないのが少し気に……するほどのことではないだろう。

 便意を感じてトイレへ行った僕は、自分が前後反対にトランクスを穿いていることを知った。さらにタグも僕の腰には付いていなかった。思いつかないふりをしていた位置確認システムで僕の移動跡を確認すると、確かに少し前に脱衣所に入っていた。しばらく経つと信号は途絶えていて、これなら入口の液晶モニターには0人と表示されていたはずだ。


 信号が止まれば本当ならスタッフに警報メールが届くはずだが、そうならなかったのは僕の失敗だ。システムの動作確認をするため自分のタグの電池を抜く時、スタッフにメールが届かないように一時的に設定を解除してそのまま元に戻すのを忘れていたのだ。だがこうなると故意だと思われても仕方がない。


 覚悟を決めて僕は彼女たちのテントのすぐ前までやってきた。しかしなかなか声を掛けられない。そうしている間に陽向がテントから現れて僕に気付いた。


「網矢。ちょっと中に入って」


 そう言って陽向は有無を言わさず僕をテントの中に引っ張りこんだ。中にはイチカとマナミもいた。僕は風呂のことで冷静になれない状態だったが、僕を見た3人は真剣な顔を崩さなかった。


「これを見て」


 イチカが僕にケースを開けた状態のタグを見せた。よく見るとアンテナのワイヤーが基板のコネクタから外れている。


「電池が入っていて充電もされているのに、システムのモニターに居場所が表示されないから開けてみたの。ネジの頭も少し潰れていたから気になって」

「偶然じゃないよな。網矢の脱いだ服も、隠すみたいに上に他の籠が重ねてあった」

「あれから何人かの子どもたちに聞いてみたの。何か気になることが無かったかって。そしたら矢野さんがメモのことを教えてくれたの」


 僕はまだ、風呂場で裸を見てしまったり、裸を見られた上に服まで着せてもらったことへの動揺が消えてない。でも彼女たちはそれどころじゃないという感じで、僕もそれで少し気分が落ち着いた。しかし客観的になって考えると一番可能性が高いのは僕の自作自演じゃないかな。でも彼女たちはそうは思っていないようだ。


「僕のタグを弄るために誰かが脱衣所に入ったとすると、その人のタグが脱衣所に入った痕跡がシステムに残るはずだ。でも僕が確認した限りそれは無かった。タグを外してどこかに置いたままなら警報メールが出たはずだ。それにタグは必ず腰の見やすい所に付けるから外して歩き回ると気付かれる恐れもある」


 僕がそう言うと3人は驚いたように僕の顔を見た。


「こうなると、僕は自分のアリバイを証明するのが難しい。そもそも開発した僕ならサーバーの記録は好きなように加工できる。疑われても仕方のない状況だ」




 次の日から、僕の近くには彼女たち3人の誰かがいるようになった。昼間だけでなく、夜にテントを出た時にも誰かの姿を見かけた。今後の僕のアリバイが証明されると思えば監視されるのはむしろありがたいことだが、これでは彼女たちの体調が心配になる。アリバイを証明できる別の方法が必要だ。


 今日のプログラムはマナミの発案で、子どもたちみんなで一つの曲を作ることになった。連帯感の生まれた子どもたちには、自分たちみんなの曲ができるということを魅力的に感じたようで、自由参加にもかかわらずほとんどの子が集まった。

 まず子どもたちの好きなように手を叩かせて、それぞれ2~3小節分のリズムを作らせた。そのリズムをデータとしてPCに入力すると、マナミはそれを並び替えてからメロディをつけ、さらに曲として統一感が出るように小節の追加とアレンジを行った。


 転調がやたらと多いアニメの主題歌っぽい曲だったが、子どもたちは教科書にあるような曲ができると思っていたようで、マナミが演奏した時にはそのテンションが思い切り上がっていた。

 さらにマナミは、一人ひとりが自分で作った小節を、メロディも含めて変えてみるようにと言った。子どもたちはヒントや感想を求めてマナミの所に集まる者と、一人だけまたは子どもたちだけで考えてみようとする者に分かれた。

 僕が散り散りになった子どもたちの方を見回っていると、数人の女の子たちが広場の隅で口論していた。2対4で劣勢になっていた方が僕の姿を見つけて近寄ってきた。この2人は以前まなみに悩みを聞いてもらった子たちだ。


「この人たちひどいんです。優祈さんの作った曲をパクリだって」

「そうなのか?」

「だって」「ねえ」

「優祈は他人の曲をパクったりしないよ。知らない曲に似てしまうことはあるだろうけど」

「でも、イントロのところなんてそっくりなんですよ。偶然なんて思えません」

「イントロ? その曲って『ミライなセカイ』か?」

「そうです。網矢さんも似てると思いますよね」

「似てるというか、ちょっとアレンジしてるだけだよ」

「ひどい! 網矢さんはパクリって言う人の味方ですか」

「そんなこと言ってないよ」

「ええっ! ちょっとアレンジしただけって言ったじゃないですか!」


 彼女たちの大声で、周りの子どもたちが僕たちを注目するようになっていた。


「同じだけどパクリじゃない。どっちも優祈が作った曲だ」


 僕の言った『ミライなセカイ』は優祈がネットで発表した曲だが、一般的な知名度はそんなに高くない。僕の言葉を聞いた子どもたちは、その情報を確認するかのように騒ぎ始めた。僕はパクリだと言った子に話しかけた。


「よく知ってたな。その曲」

「昼の校内放送で流してたんです。『手を上げて笑おう』もそうですよね」

「ずいぶん懐かしい曲だな」

「お姉ちゃんが好きだったんです。お姉ちゃんは今年から大学なんだけど、優祈さんはまだ高1ですよね?」


 そこへマナミが子どもたちを引き連れてやってきた。


「優祈さんはいくつの時から曲を作ってたんですか」

「最初に完成させたのは10歳かな」

「じゃあ、作り始めてすぐにネットで発表したんですか?」


 マナミがどういう意味かと尋ねるように僕を見た。


「『手を上げて笑おう』とか、知ってる子がいるんだよ」

「あの曲を作った時、あたしはピアノで弾いただけ。ほとんど網矢がしてくれたの」


 マナミの言葉を聞いて子どもたちが僕を見た。


「おい、それは……」

「常雷さんも網矢さんと子どもの頃から知り合いですよね。網矢先生って呼んでました。網矢さんと2人はその前から一緒だったんですか」

「最初に網矢と知り合いになったのは歩原よ。歩原が幼なじみのあたしたちに紹介してくれたの」

「それじゃあ、歩原さんの将棋も網矢さんが?」


 子どもたちは期待するような目で僕を見た。そうだと言って欲しそうだったが、それは事実じゃない。


「いや。歩原は会ったときから僕より将棋が強かった。優祈だって僕と知り合いになる前からピアノを弾いていただろ」

「わたし1人だったら将棋がちょっと強いだけで終わってた。強くなる方法を教えてくれたのは網矢なのよ」


 いつの間にか歩原まで僕たちのすぐ近くに来ていた。


「あたしも網矢に会うまでは、曲を作ってネットで発表することなんて思いついてもいなかった」

「あくまできっかけだからな。さっき言ってた『ミライなセカイ』を発表した時、僕は」「あの曲は網矢が作ったお話が元になってるの」


 僕の言葉に割り込むように優祈が言った。


「お話?」

「たくさん書いてくれたでしょ。お話だけじゃなくてもっと他にも。PCに入れてくれてたのを見つけたの」


 もしかして、2人と会えなくなった僕が寂しさを紛らすために色々と書いたあのファイルか? あの時は少しでも曲作りの役に立ちそうなことなら何でも思いつくままに書き出していった。真剣に書いたものなのは間違いないが、今思うと理解してもらうための配慮が足りなかった。


「網矢がわたしのために書いてくれたファイルも、わたしにとって宝物みたいに大切なものよ」


 イチカのために書いたファイルには、初心者に対するプログラミングの指導書として思いつく限りのものを詰め込んだ。自信作ではあるがあくまで初心者から中級者になるまでのもので、それ以降の説明についてはマナミのファイルと同様に不親切な代物だ。

 あれを読んだからといって彼女の実績に見合うような実力が付くことは無い。後半と言うより大半は他人から見れば落書きのような内容で、将棋に関して書いた内容は僕は知らなかったがすでに定跡となっていたり対策の見つかっているものがほとんどだ。あれを役立てようと思えばゴミの中からリサイクル品を探すような苦労が必要だろう。


 信頼されている彼女たちからの話を聞いて、子どもたちは益々僕に対する関心を強めたようだ。遠慮することのない視線は僕にとっては物理的な圧力まで感じるほどだった。このままだとまだ作曲に集中している子どもたちまで集まってきそうだ。僕は陽向の時と同じようにその場を逃げ出した。

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