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五十四話 「キャンプ #8」

 僕とメトロが消えたことで子どもたちが騒ぎ出すと、その声に反応したかのように2つの模様が子どもたちの前に戻ってくる。互いの模様の端が重なると弾力があるかのように弾き合う。すると一方が少し離れてから加速して近付き、もう一方を大きく弾き飛ばした。弾いた方が逃げ出すと弾かれた方がその後を追う。地面だけでなく神殿の壁や木の幹も使って鬼ごっこが始まった。


 懐中電灯の丸い光を物に当てると、光がその面に斜めに当たったり木の幹のような平面じゃない部分に当たれば、別の場所からだと形が歪んで見える。しかしこの模様はどんな場所に移動しても、そこに丸いシールを貼り付けたかのようにキレイな円形のままだ。

 これもプロジェクションマッピングの一種だ。携帯サイズのプロジェクタ&カメラを3台、2軸のモーターを乗せた自作の装置でPC制御して動かしている。2台以上のカメラで同時に別の場所から見ることで、投影した画像の立体としての形を計算できるので、その結果を投影する画像に反映している。安価で高速なモーターの動きだけで模様を動かすと、これだけ滑らかで互いに同期した動きにはならない。投影した画像の一部だけを模様として光らせ、その模様を画像内でも動かすことによってモーターのぎごちない動きを補正している。


 形を崩さずに幹を一周する姿は、何かが物の表面を滑るように動いているとしか見えない。狭い場所を通る時は模様は形を崩さずに小さくなる。最前列に座っている御神体を壊した子に近付いた模様は、その片脚を素早く這い上がると胸まで登り、それから逆の脚を伝って降りた。ここだけはプログラム通りではなく僕がスマホを使ってリモートで操作した。


 そうして時間が経つ間に、マナミだった模様は神殿前の地面で平たく小さくなっていた。2つの模様は慌てたようにその消えていく模様の中に飛び込み、大きな模様の一部になってから一緒に消えた。子どもたちは黙ったまま、しばらくその消えた場所を見つめていた。


 僕はその間に御神体に被せていたダンボールを外しておいた。観客席の光は鬼ごっこの間に徐々に暗くして今はもうほとんど光っていない。子どもたちはここまでの出来事に興奮しすぎたようで、暗闇に包まれてもあまり騒ぐ様子はない。そろそろ終演の時間だ。


 子どもたちが座っているアクリル板をスピーカー代わりに振動させて、島神様の声として流した。


『もう少ししたら月が出て周りが明るくなる。そうしたら帰りなさい』

「え、何?」「誰?」「人の声?」


 子どもたちが騒ぎ出した。


『わたしはここにいる。でもあなたたちには見えない』

「ここってどこ?」「もしかして御神体?」「でも見えないって」


 その時、御神体が淡く光って子どもたちをかすかに照らした。子どもたちが御神体に注目する。


『これはわたしの言葉を人に伝えるために必要なもの』

「もしかして島神様ですか。島の人を守ってたって聞きました」


 宮原が皆を代表するかのように尋ねた。


『わたしにはそんな強い力はない。でもあなたたちより色々なことを知っている。良くないことが起こりそうな時にそれを教えることはできる』

「良くないこと?」

『海が荒れる時。人を吹き飛ばす強い風が吹く時。悪意のある者がこの島に近付いてきた時。大切なものを失いそうな時。自分がすべき事に気付かない時』


 ここで超指向性スピーカーを使って三輪千恵子にだけ言葉を伝える。


《友達と気持ちが通じ合わなくなった時》

「……仲直りできるの?」


 三輪が不安そうな声でつぶやいた。


『わたしはただ教えるだけ。人の心は動かせない。あなたが仲直りしたいならその方法を教えることはできる』


 彼女の問いには即答すればいいだろう。また超指向性スピーカーを使って答える。


《高村香苗はあなたを嫌っていない。あなたが自分の気持ちを伝えさえすれば仲直りできる》

「本当!?」


 三輪は驚いた顔で高村の方を見て言った。高村には何が起こっているのか分からず、ただ三輪の顔を見返しているだけだ。


《この言葉はあなたにしか聞こえていない》

「え? そうなの?」


 三輪の独り言にしか聞こえない言葉にみんなは困惑している。声をまたアクリル板の振動に戻す。


『一度にたくさんの人と話すのは難しい。尋ねたいことがあったら一人ずつ来なさい。わたしが起きていたら教えてあげよう。ただし、わたしが教えてもいいことだけ』


 月が水平線から姿を現し、辺りは子どもたちの目なら十分見えるほど明るくなった。御神体の光はもう消えている。キャンプ場の方から先に帰ったメトロが子どもたちを呼ぶ声が聞こえた。立ち上がった子どもたちは、自分たちの腰からロープが消えているのに気付いてまた驚いた声を上げた。

 子どもたちが赤いシャツに着替えていたメトロと沢木さんに連れられてこの場を去ると、僕も先回りしてキャンプ場に戻った。イベントの痕跡は次の日の早朝にきれいに片づけて、アクリル板の席も足をつけた木の板と入れ替えておいた。




 子どもたちから神殿で起こったことを尋ねられても僕とメトロは知らないふりをした。ただし島神様の存在を否定するようなことは言わなかった。その夜は遅くまで子どもたちのうわさ話が治まらず、翌朝になってもそれは続いていた。

 反応が大きかったのはむしろそれまでキャンプに積極的ではなかった子の方だった。日常をつまらないものと感じていた子が、自ら人の輪に入っていったり、自分の考えを人に話したりしていた。


 自由時間になると、子どもたちが島神様に会うために神殿へやってきた。何人かでやって来て1人だけが御神体の前に立ち、他の子は敷地の隅の方で待った。1人ずつ来なさいと言う島神様の言葉を守っているのだろう。

 僕たちはその様子を大岩の木に仕掛けた監視カメラからの映像でキャンプ場にいながら確認している。カメラは可動式で超指向性のマイクとスピーカーがセットになっている。子どもを映像の中心に捉えることで、その子のつぶやくような声を聴き、その子だけに回答を伝えることができる。


 島神様として子どもたちから悩みを聞く役目は、まずコミュニケーション能力の高いメトロを主担当として他の4人がサポートすることにした。しかしメトロよりその役に適した者が僕たちの中にいた。


「常雷。優祈の代りに明日の教材の確認を頼む」

「それならあたしが後で……」

「OK。適材適所だろ。任せろよ」

「じゃあお願い。これがリストだから」


 悩みを抱えている子どもには、どうなれば解決した状態といえるのかすら分からない子もいる。僕たちはそれぞれの事情をある程度把握しているため、相手の話に先回りして解決のための糸口を伝えることができる。インチキ占い師と同じ手口だが、島神様の信頼度のおかげで子どもたちからは素直な反応が返ってくる。

 そのため昨年のようにメトロが苦労して聞き出す必要はない。むしろメトロだと悩みの核心部分から取り掛かってしまうので、そこから派生した問題やそれ以外の些細な問題を見過ごしてしまうことがある。例えるなら、病気は治ったが後遺症も少し残ったという状態だ。もちろん治らないよりはずっといい。その点マナミには、子どもたちが自分でも気付いていない心のわだかまりを見つけることができた。


 この場では解決できない悩みを持つ子も少なくない。しかし悩みの核心には手を出せなくても、些細な悩みの方から解決していければ、昨日より良くなったという気持ちがその子に希望を与えることになる。場合によってはただ話を聞いてもらうだけで気持ちが安らぐこともある。メトロとマナミは島神様としてではなく直接その子から話を聞いたり、気の合いそうな子を選んで会話に参加させたりした。


 解決のために島外の家族や友達と話す必要がある時には、船舶無線からレジャー用湾岸局を経由して電話回線で連絡した。通話相手とはその前に僕たちから簡単な説明をしておく。さらに通信機器の問題だと説明して、お互いの会話に衛星通信のような遅れをわざと入れた。どちらかがカッとなって乱暴な言葉を使った時は、相手に伝わる前に僕たちが止めるためだ。しばらく不通にしてその間に興奮した方をなだめた。キャンプ中に解決できない問題については、今からキャンプ後の対応を計画しておく。キャンプ前から布石を打っている案件もある。


「優祈。俺はあの子の弟には気付かなかった。どうしたら分かるようになるんだ?」

「気付いた理由ならあの子がその話題を避けてたからだけど、どうしたら分かるようになるかなんて説明できないよ」

「そろそろ休憩した方がいい。今日はもう誰も来ないと思うから、優祈はそのまま自分のテントに帰っていいよ」

「ううん。休憩したらもう少しここにいる」


 優祈が外に出るとメトロが僕に話しかけてきた。

「あれもアミのいう才能ってやつなんだろ」

「むしろその反対じゃないか。久しぶりに優祈と長い時間一緒にいて彼女が話をするのを聞いていたら、そんな風に思えてきた」

「どういうことだ?」

「そうだな……。僕にも説明し難いんだが、例え話でもいいか?」

「それで分かるなら何でもいい」


 しばらく頭の中で整理をしてから、僕はメトロに話し出した。


「例えば底の見えない川を渡ろうとするとき、お前だったら直感でどこが浅いのかが分かるから、そこを飛び渡って行くことができる。普通の人にはそれが分からないから足で深さを探りながら渡ることになる。苔で滑ってびしょ濡れになったり、足元が崩れて深みにはまったり、ちょっと飛べばその先は浅くなっていると分からず引き返したりする。でも最後まで渡れたらお前より川底の状態について詳しくなっている」

「優祈は普通とはいえないぞ」

「川底には尖って痛いものや、ぬるぬるとして気持ち悪いものがあるから、普通の人は長靴を履いて川を渡っている。でも優祈は裸足で渡っているんだ。だから苔で滑りやすくなっている石やぐらぐら安定しない場所がよく分かる。長靴だと水の入る深い場所も歩いて行ける。渡った後は普通の人よりさらに川底に詳しくなっている。でもその靴は脱ごうとして脱げるものじゃない。優祈が裸足なのは、何度も何度も川底を探りながら歩いたからだ。それで擦り切れて無くなってしまったんだ」

「要するに、優祈に子どもたちの心が分かるのは彼女の努力のおかげだってことか?」

「努力と言っていいのかな。靴を無くしてしまった優祈の足はたぶん傷ついているはずだ。本人はもう慣れてしまったのかもしれないけど、僕は優祈に靴を履いたままでいて欲しかった」


 考え込んだ様子のメトロを見て、僕は慌てて言葉を続けた。


「いや、そういうイメージが浮かんだだけで、僕に何か確証があるわけじゃないんだ。あんまり気にしないでくれ」


 僕がそう言っても微妙になった雰囲気は変わらなかった。優祈はなかなか戻ってこない。しばらくして現れたのは陽向だった。


「教材の確認は終わったのか?」

「まなみがもう誰も来ないだろうから代わるって。アタシは念のために様子を見に来たんだ。それと……気のせいかもしれないけど、まなみの目が赤くなってたように見えたんだ。何かあったのか?」




 後ろに人の気配を感じて振り向くと、矢野が何か言いたそうな顔で僕を見ていた。そう言えば僕の手伝いをしたいと言ってたな。

「矢野。時間はあるか」

「え……、はい」

「そこの籠を持って海岸のテントまでついて来てくれないか」


 美咲は困ったような顔で僕を見ている。


「都合が悪かったらいいよ」


 僕がそう言うと、美咲は何も言わずに籠を持ち上げた。僕が海岸に向かうとその後をついて来る。


「助かったよ。僕一人ならもう一回往復するところだった」


 僕がそう言っても美咲は何も言葉を返さない。どうも様子がおかしい。もしかして今回のキャンプで何かトラブルがあったんだろうか。海岸のテントに入って荷物を置くと美咲もその横に籠を置いた。


「矢野」


 僕が声を掛けると、矢野は肩を小さく震わせた。


「素直に聞くけど、矢野は何か悩んでいるんじゃないか。僕に何かできることなら相談に乗るよ。原瀬の方が話しやすいかな。男には言い難いことなら、今年から来たあのお姉さんたちに頼んであげるよ。皆いいやつなんだ」


 そう言っても矢野は相変わらず黙ったままだ。しばらくして僕は美咲の頬に涙が流れていることに気付いた。テントの中が暗くて目が慣れるまで分からなかった。


「矢野? 何かまずいこと言ったかな」

「……ごめんなさい。ごめんなさい」

「別に謝られるようなことはされてないよ」


 矢野は腰のポーチから紙を出して僕に見せた。その紙には定規で描いたような文字でこう書かれていた。


『網矢ニ気ヲツケロ。イヤラシイ目デ、アナタヲ見テル』


 その文字の意味を理解すると同時に、僕は矢野の手を引いてテントの外に出た。こんな忠告めいた言葉を読まされた後で、僕に人気のない所へついて来いと言われたのだ。この筆跡を隠そうとする不自然で几帳面な書体からは、僕でもただの中傷と笑い飛ばせない印象を受けた。

 矢野が不安で辛かったことに僕は気付かなかった。僕は自分が矢野を傷つけたりしないと示すために、彼女から少し離れた所に膝をついて顔を地面に擦りつけた。その土下座の姿勢のまま彼女の言葉を待つ。


「どうして……」


 砂のついた顔をゆっくり上げて矢野を見ると驚いたような顔で僕を見ていた。涙はもう止まったようだ。矢野は僕に近付くと膝をつき、顔に付いた砂粒をその指で丁寧に落としてくれた。そして最後に両腕で僕の頭を抱きしめた。この様子ならもう大丈夫だろう。危うく彼女の心に傷を残すところだった。


 2人で海の水で顔を洗ってからキャンプ場に戻った。帰り道の矢野は笑顔になって、僕に自分の家族があれからどうなったかを色々と教えてくれた。僕に話しかけたのはあの紙を見せようと思ったからで、すぐに見せなかったのは読んだ僕が不愉快に思うんじゃないかと気遣ったからだった。

 気になるのはこれを書いた人物のことだ。矢野を僕から遠ざけようというのが目的なら、エスカレートさせないために2人が親しくしているところを見せない方がいい。僕は矢野にそう言って、キャンプ場に近づいてからは親しげな素振りを見せないようにした。

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