五十一話 「キャンプ #5」
テントの設営後は、やはり全員でキャンプ中に使う風呂場を作った。幅5メートル、長さ20メートルの範囲を、鉄パイプと工事用ビニールシートで作った高さ3メートルの壁で囲む。シートは頑丈で端は地面に埋めているから簡単には中を覗けない。2重のカーテンで塞がれた出入り口を通ると脱衣所があり、ビニールシートと一部がカーテンになっている壁で仕切った先に浴室がある。
浴室は脱衣所に近い方がシャワーを浴びたり体を洗ったりする場所になっていて、一番奥が縦横4メートルの浴槽になっている。入れるお湯の量を減らすために浴槽の中に中洲を作ると、そこに子どもたちが飾りとして島に生えていた生竹を切ってきて立てた。
夜に浴槽側の灯りを消すと脱衣所からビニールシートとカーテンごしに漏れる灯りだけになり、シャワーの場所はともかく浴槽の辺りだとかなり暗くなる。そのおかげで満天の星空がよく見えて、最高の露天風呂だ。竹も屋外の雰囲気を出すのに役立つんじゃないだろうか。
浴槽のお湯には、昔あった村で使われていたコンクリート製の貯水槽に、濾過フィルターを通して雨水を溜めたものを使う。浴槽には5トン以上の水は入るため毎日入ることはできず、予定では子どもたちが来てから2日目と4日目の夜だけだ。浴槽に貯水槽の水を入れてから黒いシートで覆うと、炎天下なら日中に十分に加熱されて十分暖かくなっている。
浴槽は一日中同じお湯を使うので、浸かるのはシャワーで十分に体を洗ってからだ。シャワー用としては温水タンクに溜めた高温のお湯を水と混ぜて使う。このお湯は浴槽の温度を調整するためにも使用する。
風呂の入口には液晶モニターがあって、例の位置確認システムと連動して中にいる男女の人数を常に表示している。男女が同じ風呂を時間で分けて利用するわけだが、男が0人の時だけ女が入り、女が0人の時だけ男が入るようにすれば、間違いが起こる心配はない。
「いいの? こんな表示を作って。せっかく可愛いお友達がキャンプに参加してくれたのにチャンスが消えちゃうわよ」
スタッフの倉橋さんが僕をからかうように言った。30代前半の女性だ。
「去年はもうちょっと男の子らしい反応を見せてくれてたのに、今年はそっけないからお姉さん寂しいわ。網矢くんは大人の魅力が分かる子だと思ってたのに、やっぱり若い子の方がいいのかしら」
こんな話し方をしているが本当は真面目な人だ。去年はちょっと大胆すぎるんじゃないかというような服装をしていた時もあって、正直に言って僕も少し動揺した。あれは間違っても子どもたちに変なマネをしないように、スタッフの性的嗜好を確認していたんじゃないかと僕は思っている。
「彼女達の前でそんな話はしないでくださいよ。心臓に悪いですから」
「あら、そんなに怖い子たちなの? そうは見えなかったけど」
「すごくいい子たちですよ。僕はちょっと言えない事情があって」
倉橋さんはがんばってねと言うように僕の背中を叩き、それ以上詮索することなく解放してくれた。
午後3時からは、子どもたちを連れて島内を案内することになっている。最初に移動したのが島のほぼ中心にある神殿だ。仏教でも神道でもないこの島固有の神様だが、人が住まなくなる前に御神体は持ち出だされていて、建物や周辺の石碑などは形を留めているものの、今はただの跡地になっている。
僕とメトロはここにオリジナルの島神様を設定して、祭祀に使われそうな物を色々と設置している。昨日運んだ石碑の模造品も、文字を削られた本物の石碑に貼り付けて継ぎ目が分からないようにしている。
神殿の広場にある木の生えた大岩は一部が垂直で平らな面になっているが、その面にギリギリ触れない場所に国籍不明な形の御神体を立てた。もちろん本物ではない。樹のような形で枝先に色々な模様の円盤が付いた大人の背丈ほどの高さの物だ。擬装して数百年前の物だと言っても疑われない出来になっている。
「このちょっと不思議な形の物は、去年のキャンプの後に見つけたものだ。ここに置くことで島から何らかの力を吸い上げて、島に住む人々を守ったそうだ。その力を昔の人は島神様と呼んでいた」
メトロは子どもたちにそう説明して、次に石碑の前に移動した。
「去年キャンプに来た子は覚えているかもしれないが、そのときこの岩にはこんな文字は刻まれていなかった。自然に刻まれるわけはないから、実際には表面を覆ってたコケとかが取れて見えるようになったんだろう。刻まれているのは昔の文字で、この岩の、石碑と言った方がいいな、その使い方が書いてある。ちょっとやってみよう。誰か協力してくれる人はいないか」
メトロが子どもたちを見回すと、まず宮原が手を上げて僕の前に出てきた。
「まず、石碑の前に3メートルほど離れて立ってくれ。そう、その辺り。そこでこの言葉を言ってくれ」
僕は表面に模様のある丸い石を宮原に渡してから、大きなひらがなの文字が印刷してある紙を広げた。
『せいもんこのことのはそらごとにあらず』
「せいもんこの……ことのは……そらごとにあらず」
「もう一度」
「せいもんこのことのはそらごとにあらず」
「よし。次に俺がお前に質問をするから、それに答えてからもう一度この言葉を言ってくれ。宮原。お前は男か?」
「え? ……あ、はい」
「はっきりと答えて」
「はい!」
続いてメトロは僕の持つ紙を指差した。それに気付いた宮原がもう一度言葉を読み上げる。
「せいもんこのことのはそらごとにあらず」
「じゃあ次は、何を聞かれてもはいと答えて、同じようにこの言葉を読んでくれ。お前は女か?」
「はい! せいもんこ……の……。あれ? せいも……こ……」
「よし。もういい。みんなの所へ戻れ。御霊石を返してからな」
僕に丸い石を手渡すと、宮原は子どもたちの中に戻った。
「今読んだ言葉は、『この言葉が嘘では無いことを神に誓います』という意味の古い言い方だ。御霊石を持って石碑の前で嘘を言った者は、そのすぐ後だとこの言葉が言えなくなる。正確には本人が嘘だと思って言った後だ。真実じゃなくても本人が本当だと思っていたら言葉は出る。他に試してみたい者はいるか?」
何人かの子どもが争うように前に出た。
「あくまで嘘をついたら言えなくなることを確認するためだから、質問するのは他人にも本当かどうかを確認できることだ。質問する内容は質問を受ける方が決めてもいいぞ。俺は希望した通りに質問する」
仕組みはすでに説明したとおりだ。石碑の中に超指向性のマイクとスピーカーがあって、メトロか僕が携帯している無線スイッチを押すと、0.2秒遅れで声が返って来るので発言者は話せなくなる。
すでに言った通り、キャンプの参加者については色々と情報を収集している。そのデータベースに登録されている情報で質問の答えが嘘だと分かれば僕がスイッチを押し、そうでなければメトロが判断してスイッチを押す。嘘を言っているどうかでメトロが間違えることはまずない。
最終的には、ほとんどの子どもたちがこの石碑の力を完全に信じた。僕たちの知らない所で勝手に試されると困るので、僕たちの持つ御霊石が必要だという設定も付け加えた。これを上手く使えば、誤解から子どもたちの間で生じたトラブルを解決する手段に使えるだろう。
石崎信也が石碑の前に立った時、メトロが石崎に話しかけた。
「石崎。さっきから気になっていたんだが、あまり同じ学校のやつと話してないな。浜谷、お前も石崎を無視してるだろう。何か理由があるのか?」
そう言われて石崎の表情が曇った。浜谷優太は険しい顔で石崎を見た。
「おれ、ウソをつくやつが嫌いなんだ」
「嘘? どんな嘘なんだ?」
「……」
「いいだろ浜谷、言ってやったら。みんな知ってるんだ。おれが代わりに言ってやろうか」
やはり同じ学校の伏見が浜谷に言った。
「石崎がおれの好きな子とつき合いだしたんだ。おれのことを応援するって言ってたのに」
「浜谷がずっと津田を好きだったことはみんな知ってたからな。ふざけてるふりはしてたけど、好きだというのが本心なのはバレバレだったよ。それがいつの間にか石崎が津田に話しかけるようになってさ。浜谷の悪口を言ってたって聞いたぞ」
にらみつける浜谷に対して石崎は目を逸らさなかった。メトロは今度は石崎に声を掛けた。
「石崎。どうなんだ?」
「津田とつき合ってない。悪口も言ってない」
「またそれかよ」
「それが本当なら、この石碑で試してみたらどうだ。効果はもう確認できただろ」
「え……」
「そうだな。ウソじゃないんだろ。言ってみろよ」
「浜谷。石崎がこの言葉を言えたら信じるか」
「……信じる。本当に言えたら」
「石崎」
メトロが石崎を見ると、石崎はこれ以上ないほど真剣な顔になった。
「石崎は津田とはつき合っていない。津田に浜谷の悪口を言ったこともない。それは本当か?」
「はい! せいもんこのことのはそらごとにあらず!」
浜谷はその言葉にあっけにとられたような顔をした。伏見が納得できないという表情で言った。
「津田と話をしていたのは本当だろ」
「どうなんだ。石崎」
「……津田さんの友達がちょっと浜谷のことを勘違いしていたみたいで、津田さんに浜谷の悪口を言ってたんだ。津田さんがそれを何も言わずに聞いてたから、僕はがまんできなくなって話に割って入ったんだ」
伏見の表情からも敵意が消えた。メトロは石崎に話を続けるようにうながした。
「それから時々話すようになって、僕は浜谷のいい所を色々教えてあげたんだけど、津田さんは浜谷の話はもういいって。それからは津田さんとは話をしていない」
「石崎。その……本当か? 楽しそうに話してただろ」
「正直に言うと津田さんと話をするのは嫌じゃないよ。でもお前は僕が話しをしてたら嫌なんだろ。だったらもう話さない」
誤解が解けたと言ってもしばらく気まずさは残るだろう。しかしキャンプはまだ始まったばかりだ。後は自然に関係の回復を見守ればいい。
彼女たちはこの計画を実際に体験してどう思っただろう。もし胡散臭いと思われたら、今後のキャンプの計画に支障が出るかもしれない。キャンプ場に戻った後で、僕は彼女たちにもう少し説明をしておくことにした。
「奇跡の演出というのはカルト宗教とかがよく使う手口だから、悪い印象を持っても仕方がない。違うのは、そういう連中が他人を縛るために奇跡を用いるのに対して、僕たちは子どもたちを行動させるきっかけに使おうとしていることだ」
そう言って僕は彼女たちの顔を見回した。特に意見は無いようなので先を続ける。
「去年のことだけど、この島で本当なら秋に咲く花が満開になったことがあった。ほぼ満月の夜に強風でその花が散ったんだが、大きな渦のように巻いた風が花びらを舞い上げて、それが月光を受けて輝くという本当に奇跡のような光景が見られた」
「確かに奇跡だった。この島であれが見れることはおそらくもう二度と無いな」
メトロが僕の言葉に合いの手を入れた。
「それまでは他と積極的にかかわろうとしなかった子どもたちが、一緒に見たその光景を話し合うことで相手に心を開くようになった。心の殻を破る最初の一手として奇跡というのは有効な手段なんだ。ただ間違った使い方もできる手段だから、気になることがあればその時には遠慮なく言って欲しい」




