五十話 「キャンプ #4」
今日はキャンプ2日目。子どもたちにとっては初日だ。ほとんどの準備を終えてキャンプ場で子どもたちの到着を待っている。メトロは島の桟橋まで子どもたちを迎えに行っている。遅くとも午前10時には到着する予定だ。
甲高い騒ぎ声が聞こえてきたのでテントから出ると、すぐに子どもたちがキャンプ場のゲートから入ってきた。その中に混じっていたメトロは数人の子どもたちに囲まれている。メトロが僕を指差すと揃ってこちらに駆け寄ってきた。去年もキャンプに来ていた5人の子どもたちで、みんな去年より表情が明るい。
「久しぶり。元気だった?」
「はい」
宮原涼太が背筋を伸ばして行儀よく返事をした。前のキャンプでは最後に少し打ち解けた時でも、もっとぶっきらぼうな態度だった。他の子たちも何だか緊張しているように見える。宮原が他の4人に目くばせをすると、全員が僕に向かって深くお辞儀をした。
「ありがとうございました」
揃ってそう言った後も、5人はしばらく頭を上げなかった。宮原は前屈と言っていいほど頭を下げている。
「ああ、もういいから。気持ちは良く伝わったよ」
僕がそう言うと5人はようやく頭を上げてメトロの所に駆け戻って行った。最初はメトロに指示されて僕の所へ来たのかと思ったけど、さっきのお礼は心からの言葉に聞こえた。メトロが僕のしたこと教えたと聞いた時には文句を言ったけど、やはり誰かに評価されるというのは気持ちがいい。心を込めた一言だけというのも素晴らしい。
あの子たちの笑顔を見ながら僕が満足感に浸っていると、メトロが子どもたちから離れて彼女たち3人の所ヘ行き、一緒に僕の方へやってきた。今日の予定を彼女たちに再確認してもらうためだ。
僕とメトロが彼女たちに説明していると、また別の子が僕たちの方へ笑顔で近付いてきた。去年はキャンプに来てなかったので僕は初めて会うが、顔と名前は事前に確認している。児童養護施設に預けられている小5の女の子で名前は『大野見たま』だ。
「初めまして。大野見たまです。網矢さんですね」
「はい。こちらこそ初めまして」
「去年は初音お姉ちゃんがお世話になりました。ありがとうございます」
小森初音は、彼女と同じ施設にいた当時小6の女の子だ。今では親と一緒に暮らしているが、僕とメトロはそうなった経緯に関係している。大野見と小森に血縁関係はないが施設では親しくしていたと聞いている。
「わたしの名前はひらがなで『たま』って書くんです。変わってるでしょ」
「ああ、珍しいね。昔からたまというのは大切なものを現す言葉だね。ひらがななのはその方が色々な意味を込められるからかな」
大野見は僕の言葉に一瞬だけ表情を変えたが、すぐに元の笑顔に戻った。年相応の外見だが大人びた表情の子だ。
「キャンプでお世話になります。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、他の子たちの所へ戻って行った。メトロがその姿を目で追いながら言った。
「いい子じゃないか。自分の事でもないのにああやってお礼を言いに来るなんて。世の中には苦労して助けてくれた相手に礼を言うどころか、軽率な言葉でひどく傷つけて、そのままほったらかしにするやつだっているのにな」
「メトロ!」
僕が厳しい口調で名前を呼ぶとメトロは澄ました顔のままこちらを向いた。その途端、メトロとしては珍しいことに急に慌てたような顔をした。視線の先が僕ではないと気付いて振り向くとそこにいたマナミと目が合った。マナミは僕に何も言わずに笑みを返したけど、その前に一瞬だけ暗い表情が見えた。メトロの言動に怒りを感じた僕は、その後メトロが話しかけてきても無視し続けた。
「大丈夫。いっちゃんに対してじゃないよ」
「……」
イチカの表情もマナミが気遣って声をかけるほどこわばっている。段々ひどくなっていくのが僕の怒りに拍車をかけた。また別の子どもが話しかけてくるまで僕はメトロを無視し続けた。
子どもたちの数は、男子が20名で女子が19名だ。当日になって都合が悪くなった男子が1人いたが、去年が男子14名と女子5名だったから、総数でも倍以上、女子の方は4倍に増えた。
キャンプで行うプログラムや色々な注意点を説明するために子どもたちを整列させる。素直に聞かない子もいるが、怒鳴って指示に従わせるのはもちろんNGだ。メトロがそれぞれに話しかけて上手く従わせている。
並んだ子どもたちの視線は、正面のスタッフではなく右の方に並んだ彼女たち3人に集まっている。これだけの美人が3人揃っているの見ることは日常だとあまりないだろう。子どもたちと島に来たスタッフの峰さんは、彼女たちを見てTV局の取材が来ているのかと尋ねたほどだ。
三沢リーダーからキャンプの大まかなスケジュールと注意点の説明、スタッフの紹介などがあった後、子どもたちが名前の50音順に自己紹介を行った。ここで僕たちは参加者の顔を覚えるとともに、その言動から各人の性格に関する情報の修正を行った。たっぷりと自己PRをする子から名前さえ言い難そうな子まで色々だったが、メトロが自己紹介の度にその子の性格がうかがえるような質問をしたので、どの子どももある程度は自分の印象を周囲に与えることができただろう。
自己紹介が終わると次は子どもたちによるテントの設営だ。子どもたちは胸の前後に名前の入ったゼッケンを着けた。リーダーが続けて説明をする。作業に点数をつけることはメトロがリーダーに話して納得してもらった。
「テントの組み立て方についてはこれで分かったかな。質問のある子はいない? もし分からなければボクたち大人がその辺りで見回っているから質問してくれ。後もう一つ。このテントの組み立てでは、ボクたちがみんなの働きっぷりをよく見ていて、どれだけがんばったかを点数にする。がんばると言っても、中途半塲で放り出したり他の子のじゃまになるようなことをした場合は減点だ。点数の高い子は後で発表するのと、他にも何かいいことがあるかもね。気になる子は挑戦してみよう。では始め」
イチカはキャンプ場の北側にある高さ3メートルの監視台から全員の作業を確認している。僕は改めてイチカに話しかけた。イチカの表情が暗いままなので気になったからだ。
「歩原。子どもたちの評価はもちろん全員でするけど、そのベースになるのは歩原の評価だと思っている。個別に確認したいことがあれば僕に指示してくれ。よろしく頼むよ」
僕の言葉にイチカは何も言わずにうなずいた。すぐに真剣な顔で子どもたちの動きを確認し始める。テントはキャンプ場の東西にそれぞれ4張。合わせて8張を設営する。反対側のカメラ2台からの映像で死角になる部分も確認してもらう。
テントはビニール製の折り畳みだが、壁・屋根・床が一体となっている小屋の形をしたテントで、豪雨や突風にも強い構造だ。何泊もするので、詰めれば10人ほど眠れるテントに今回は5人ずつ泊まることにした。
僕は口論している子どもたちを見つけると指向性マイクを使って会話を確認していた。声はマイクから耳のイヤホンへ無線で届いている。
「網矢さん」
後ろから呼ぶ声に振り向くとそこに矢野美咲がいた。宮原と一緒にいた去年僕たちが手助けした子の一人だ。何かを訴えかけるような目で僕を見ている。
「美咲!」
また声が聞こえて、宮原が僕たちの方に走ってきた。矢野の手をつかむと有無を言わさず引っ張っていく。それを見送ってしばらくすると、突然僕の耳に涼太の声が聞こえてきた。
「何やってんだ、美咲。お礼を言っていいのはみんなで一緒に1回だけだ。原瀬さんにそう言われただろ」
「でも」
「お礼なら、言葉じゃなくて何か網矢さんの手伝いをしろよ。俺が何か頼まれたら美咲も呼ぶからさ」
そこまで聞いて僕は耳からイヤホンを外した。あれから2人が移動した場所が、たまたま指向性マイクの正面だったということに気付いたからだ。それにしてもメトロはどんな説明をしたんだ? 子どもたちはあの一言だけで終わらせるつもりじゃないようだ。
集中して作業する子どもたちが多かったので、キャンプの設営は順調に進んだ。
「では特にがんばった4人を発表します。まず第4位、矢野美咲。第3位、久保雄介。第2位、宮原涼太。そして第1位、斉藤純也」
「じゃあみんなでこの4人に拍手」
一位になった斉藤が、周りから拍手されて戸惑うような、でも嬉しそうな顔をしている。事前の調査ではあまり目立たないタイプなので、このような体験は珍しいのだろう。再会したばかりの宮原と矢野が入っているが、確かに僕の目から見ても熱心に働いていた。
「すみません。ちょっといいですか」
子どもの1人、阿良川匠が手を上げて発言した。
「どうぞ」
「僕は今の作業を熱心にしていたつもりなんですが、4位までに入れなかった理由は何でしょうか」
「歩原。阿良川に説明してくれ」
「はい。阿良川くんは6位なので確かにがんばってましたね。発表した子と差がついた理由は幾つかあります。阿良川くんはまず最初にテントを取りに行きましたが、テントを運ぶ前に地面をきれいにしておく必要があったので、しばらく待ちぼうけになりました。ここは石拾いや地面均しから始めた子が有利でした。1位の斉藤くんだけはピックを探してきて深く埋まった大きめの石を取り除いています。それからペグの打ち込みでは、阿良川くんは石に当たってそれ以上入らないペグをそのままにしていました。そのペグは後で別の人が打ち直しました。斉藤くんや宮原くんは体力のいる排水溝掘りも率先してやっています。他の作業については阿良川くんと4人に大きな差はありません」
「よくわかりました。ありがとうございます。でも、もう一つ聞いていいですか」
「何でしょう」
「歩原さんは、僕たち全員がどこで何をしていたのか憶えているんですか」
「はい。秒単位は無理ですが分単位なら分かっています」
「歩原さんは将棋の名人で、女性だと日本でも数えるほどの腕前だそうだ」
リーダーが子どもたちに説明した。少し訂正したい気もするが、イチカに対して子どもたちが素直に尊敬の眼差しを向けているので、ここは口を挟まないでおこう。イチカが評価されるのは僕にとって気分のいいことだ。イチカなら僕と違って評価が過剰でも全く問題はない。
その後はくじ引きによる班分けを行った。一人づつくじを引いて同じ色を引いた子が同じ班になる。もちろんこのくじにも仕掛けがあって、箱の底にあるボタンを押すと対応した色が引いたくじの端に付くようになっている。
イチカには箱を持ってもらい、くじを引く子に合わせて底のボタンを押してもらった。子どもたちは全員、僕たちが計画した通りの班へ割り振られることになった。
歩原と一緒に機材の片づけをしていると、気が付いた時には周りから子どもたちの声が消えていた。次は昼食でメトロたちは食事の準備を手伝いに行ったはずだ。これは歩原に対して素直に謝るまたとないチャンスだ。
「歩原。少し僕の話を聞いてくれないか」
歩原の返事は無かったが、僕は構わず話を続けた。
「言葉で済むこととは思っていないが、それでも一度僕に謝らせてくれないか。僕が書いたあの計画書のことだ。歩原が僕に厳しい言葉を投げかけたのは、あれを読んで歩原が傷ついたからだろ」
「……」
「歩原?」
振り向くとそこに歩原はいなかった。機材の一部も持ち去られているから、子どもたちと一緒にここを離れていたようだ。少し離れた場所にいた大野見が、気が付かなかったふりをするように目をそらした。彼女には僕が独り言を言ってるように見えただろう。子どもたちの前では仲良くする。歩原とはそう話したことを僕は思い出した。




