五話 「歩原一華 #2」
翌日、早めに登校して席についていると、まず歩原が教室に入ってきて後ろの自分の席に座った。昨日話した通り、互いに視線を合わせない。その後に教室に入ってきた矢村は、手に彼女のお守りを持っていた。歩原が気付いたことを確認してから、矢村はそのお守りをカバンに入れた。彼女を脅しているつもりなんだろう。
持ち主を確認するために考えた手は無駄になったけど、おかげで今日の昼休みには次の手が打てる。
昼休みの終わる5分ほど前、僕はカバンに入れていた菓子を出して3年の時に席が近かった溝口に話しかけた。矢村が座っている席はその近くだ。
「溝口。これ食べない?」
「え、何だよ急に」
「給食で腹いっぱいだから食べる気がしないんだ」
「じゃあ、後で食えば?」
「誰かの親が学校に来てて、何か盗まれたって騒いでるみたいなんだ。持ち物検査があるかもしれない」
周りの生徒がざわつき始めた。本当は、持ち物検査なんて簡単にはできないんだけどね。
「食べないならゴミ箱に捨ててくる」
「じゃあ貰うよ」
矢村が席を立って教室を出たので、少し距離を空けてその後を追う。鎌崎のクラスは5時間目が体育なので、すでに体育館に移動していて誰もいない。矢村が廊下の端に置いてあるゴミ箱に何かを投げ込んだ。別の教室に入って矢村が教室に戻るのをやり過ごし、ゴミの中からお守りを拾い上げた。
どこかに隠しておくという方法もあったんだが、僕が言った『ゴミ箱に捨ててくる』という言葉で上手く誘導できたのかもしれない。ゴミ箱のゴミは毎日回収されるから、お守りが取り返されたことにあいつらは気付かないだろう。
「はいこれ。持ってることに気付かれないようにね」
二回目の笑顔だ。少し目が潤んでいるようにも見える。そろそろいいかな。そう考えてどうして鎌崎たちに目を付けられたかを尋ねた。
「2年生の終わりごろに町の将棋大会があって、そのとき鎌崎くんと対局してわたしが勝ったの」
「圧勝だった?」
「その頃は将棋を始めたばかりで、あまり強くなかったから」
あれからクラスメートや先生に聞いた情報だと、鎌崎は運動と勉強が共にこの学年のトップクラスで、将棋ではアマ初段の先生に勝ったこともあるそうだ。僕の印象としては最低のクソヤローだけど、負けず嫌いの努力を惜しまないタイプで、周りからは結構信頼されているようだ。なんとなく展開が読めてきた。
「もしかして、また対局したのかな? 鎌崎から挑まれて」
歩原が驚いた顔でうなずいた。
「半年ほどして、鎌崎くんがもう一度対局したいって言ってきて、夏休みの登校日にたくさん人の残っている教室で対局することになって」
「今度は圧勝した?」
「最後まで指さなかった。鎌崎くんがどんどん怒った顔になって、途中で『きたねえぞ!』って言って将棋盤を机から払い落として……」
鎌崎はきっと半年間努力して、それなりに自信がつくほど強くなったんだろう。それをもっと上達した歩原に打ち砕かれたわけだ。もしかしたら、前に対局した時は彼女がわざと手を抜いていたのだと思ったのかもしれない。『周りからの信頼が厚い鎌崎』に罵倒された歩原は、周りからの評価を落としてイジメられる原因になったわけだ。
「昨日以外にも、鎌崎たちに蹴られたりしたことはあった?」
「蹴られたのは3回目だけど、あんなに強く蹴られたことはなかった」
歩原は、思い出したようにお腹に両手を当てた。
「あと、突き飛ばされたり、手や肩を痛いぐらいつかまれたことがある」
イジメの対抗策として、イジメられているところを動画などに撮って証拠にするというのもあるけど、これにはいくつか問題がある。
・証拠を十分に集める間、被害者がイジメられ続ける必要がある
・加害者だけでなく、被害者に対しても悪い噂が立つことがある
・加害者が反省することはまずないので、いつか報復を受ける恐れがある
「歩原さん。鎌崎たちに仕返しをしたいと思う?」
「ううん。何もされなくなったら、それでいい」
「そうか。じゃあ、その方向で。僕が歩原さんのそばで鎌崎たちと話しをしている時は、何か変だと思っても口に出さないようにしててね」
「……うん?」
次の日の昼休み、鎌崎が舟木と僕たちの教室に入ってきた。矢村も加わって、3人で歩原の横に立つ。
「あれから、道場に行ってないだろうな」
「……行ってない」
僕は後ろを振り返らずに、うんざりした口調で言った。
「そういうの、止めてくんないかな。迷惑なんだけど」
「なんだお前。こいつの味方か?」
矢村が話しかけてきたので、振り返って答える。
「そういうことを言ってるんじゃないよ。イジメているところを動画に撮ってネットに上げてるのが迷惑だって言ってるの。そういうことをすると、自分たちだけじゃなく学校のみんなも巻き込まれて迷惑するんだよ。ニュースとか見たことないの?」
「……?」
「何の話だよ」
何を言われているのかよく分からず、困惑している矢村に代わって鎌崎が尋ねてきた。
「鎌崎が歩原を蹴ってる動画だよ。ネットの掲示板じゃボロクソに書かれてたよ。画質は一人ひとりだと顔が分かるか微妙なところだったけど、4人全員を知っていたらすぐ気付くよ」
椅子を回して3人と向き合う。
「ああいう動画って、見る度にこんな馬鹿なこと小学生でもしないぞって思うんだけど、まさか自分の学校で起こるなんてね。上げた方は騒ぎになるのが面白いのかもしれないけど、マスコミが来たり学校全体が悪く言われたり、校則が厳しくなったりして、関係ない生徒にとってはすごく迷惑なんだよ。分かってる?」
「何か勘違いしてないか。オレたちはそんな動画は撮ってない」
「間違いないよ。場所はここの体育館の裏で、塀のある方から撮った動画だよ。少し見下ろした感じだったから、塀の上からかな。……画質が悪くて音も入ってなかったから、もっと遠くから望遠で撮ったのかも」
あの方角には体育館裏を見下ろせる建物がいくつかある。鎌崎の顔が険しくなった。
「どこの動画だ」
「内容が内容だから、元の動画はすぐに消されてた。コピーを取ったという人はいたけど、どこに置いたかは分からない。掲示板も個人情報を何度も貼る馬鹿がいたからスレごと消されたけど、僕のPCのキャッシュには残ってるんじゃないかな。メアド教えてくれたら、探して後で送ってもいいよ」
この学校は携帯禁止だから、直接メアドの交換はできない。鎌崎は僕のノートに自分のアドレスを手書きした。僕は家に帰ってから、似たような事件についてのスレを探し、何ヶ所かを書き換えてから鎌崎に送った。
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103:
バカがいた。特定希望
http://www.・・・・・・・.com/・・・・・・・
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104:
>>103
ガチだった
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104:
>>103
ドラマか映画だよな。さすがにこれはない。
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105:
こんな分かりやすいクズはめったにない
悪い芽は摘まねば
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106:
>>104
どう見ても素人の撮った動画
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107:
これ小学生だろ。そのうち人をコロスんじゃね。
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132:
>>103
何? 見れないんだけお
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133:
>>132
小さな女の子が腹を蹴飛ばされた
蹴ったのはたぶん小学生男子
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134:
ガキが二人いるところに、もう一人のガキが女の子を連れて登場
→おびえたように下を向いてる女の子
→一番でかいガキが、いきなり女の子をボールみたいに蹴る
→女の子は倒れたまま動かない
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135:
保存した。いつものところ
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136:
>>135
どこ?
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137:
>>136
晒したら消されるだろがww。ここの常連ならわかる
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221:
特定まだか
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222:
オマイラガンガレ
見逃したら、次の被害者はオマイラの身内かもな
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223:
こいつら人生終了させようぜ
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224:
加害者の着ている服のブランドが判明
本店と支店の場所はココ
http://www.・・・・・・・.jp/・・・・・・・
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225:
その辺りの学校だと、生き残ってる裏サイトがあるんじゃね
静止画でもばらまいてみろよ
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それ以降、鎌崎たちは歩原に関わろうとしなくなった。歩原をイジメることの満足感では、それがばれた時のデメリットに見合わない。鎌崎はそういう損得の判断ができるやつだったようだ。
僕自身はこんな結果では物足りなさを感じるが、あまりあいつらを追いつめて、せっかく明るくなってきた彼女の表情を曇らせるようなことにはしたくない。色々と考えた策は、鎌崎たちがまた何かするまで封印しておこう。
「負けました」
自由学習の時間に歩原と将棋を指した僕は、全力を尽くした上で大敗した。横から見ていた将棋好きの先生が、対局中に何度も感嘆の声を上げた。
「こんな完敗は初心者のとき以来だよ。歩原が将棋を始めたのはいつ?」
「2年生の夏ごろ」
「え……。ホントに? 初めてまだ2年も経たないって、もしかして天才?」
歩原は恥ずかしそうに下を向いている。これで鎌崎との対局時に受けた誤解もいくらか解消されるだろう。彼女から勝敗のポイントとなった手の説明を聞きながら、僕の頭には次に彼女と対局するときのアイデアが浮かんでいた。
学校では男子と女子は話しづらい。それに親しげな様子を見せると鎌崎たちに勘ぐられるかもしれないので、僕は歩原を休日に家へ招くことにした。威圧感のある玄関の門ではなく勝手口から入ったけど、歩原は家の大きさに驚いたようだ。自分の家ではなく母さんの実家で、僕たちが住んでいるのはその離れだと説明する。
8畳+床の間の自分の部屋に入って、将棋盤と駒を平机の上に置いた。歩原とは初めての対局だったが、百手もかからずあっさりと負けた。最後の方は歩原の指す時間が極端に短くなって、ようやく詰んでいることが分かった。続けてもう1局指したけど、やはり完敗だった。
「これだと、歩原の練習にならないね」
「でも面白い。あまり見たことのない指し方だから」
「やっぱり、ハンデをもらわないとダメか」
「二枚落ちにする?」
「そういうハンデじゃなくて、これを使わせて欲しいんだ」
そういって、僕は部屋に置いてあるデスクトップPCを示した。
「これには、ソースコードが公開されている最新版の将棋対戦プログラムが入っている。この6コア×2のPCだったら、思考時間を極端に長くしなくてもアマの高段者が簡単に勝てないぐらいの強さになる」
「よく分からないけど、わたしとPCが対局するの?」
「いや。指す手は僕が考えるんだけど、その時にこのPCのプラグラムを使ってその手の評価点を計算する。僕は定跡を知らないからとんでもない悪手を指すことがあるけど、考えた手がひどい評価点だったら改めるようにすれば、さっきみたいに簡単に負けないはずだ。まあ試しに一局指してみようよ」
今度はなかなかいい勝負になった。歩原もずっと真剣な顔のままだ。
「どうだった? 結局僕の負けだったけど」
「面白かった! 中盤の辺りは、全然予想できない展開だった」
「じゃあ、もう一度対局してみる?」
すると歩原はしばらく考え込んだ。
「わたしは面白かったけど、……千宝さんはこんな指し方だと将棋が強くならないと思う」
「僕は将棋も好きだけど、プログラミングにもっと興味があるんだ。今はほとんど公開されたソースのままで動かしているけど、これからもっと僕自身の工夫ができるんじゃないかと思ってる。歩原が楽しいと思ったのなら、しばらくはこの対局方法を続けて欲しいな」
「……また来てもいいの?」
「もちろん。僕からお願いしてるんだから」
歩原は屈託のない笑顔を見せた。今までで一番いい笑顔だった。