四十六話 「彼女たち -真綾-」
マーヤはアタシの最愛の妹だ。アタシと違って母ちゃん似だから、かわいい服もよく似合う。そのマーヤが最近元気がない。友達の由奈ちゃんが親同士の問題のせいで幼稚園を代わってしまうらしい。残念だけどアタシにはどうにも出来ない。
「ねえ。カズマだったらたすけてくれるかな」
「ごめん。アタシからは頼めないよ」
アタシはマーヤにドゥクスがすごいということを何度か話したことがある。ただしドゥクスと呼ぶのは3人だけの特権なので、マーヤの前では父ちゃんたちが言うように和真と呼んでいる。真綾という名前の文字は、言うまでもなくドゥクスと綾香さんから取っている。
呼び方と言えば、マーヤはちっちゃい頃のアタシのように父ちゃんたちをパパママと呼んでいる。アタシが父ちゃん母ちゃんと呼ぶようになったのは、一緒に遊んでた男の子たちにその呼び方をからかわれてからだ。
無人島キャンプのことで一華やまなみと話をするため、柔道の練習後にまなみの家に集まった。そこで一華から大切な話を聞いた。
少なくとも子どもの前では、ドゥクスはアタシたちと仲のいいふりをするつもりらしい。アタシたちがドゥクスになれなれしくするのも構わないそうだ。ただしやり過ぎないようにと、一華から何度も注意された。
話すことはいくらでもあって、アタシは家に晩ご飯はいらないと連絡した。家に帰った時にはもう10時を回っていた。
そして翌朝、アタシが朝食のためにテーブルにつくと、そこにマーヤの姿が無かった。
「マーヤは?」
「お泊りよ」
「由奈ちゃんのとこ?」
「いいえ。和真くんのところよ」
思わず口の中の物を吹きそうになった。
「真綾から電話があったの。何か相談に乗ってもらったみたい。念のため夕方に和真くんの家に電話をしたけど、ちゃんと真綾が出たわよ。和真くんはちょっと留守にしていたみたいで話せなかったけど」
アタシは食べるのを止めてドゥクスの家に電話をした。かけたことは無いけど番号はもうスマホに登録している。
「はい。もしもし」
「マーヤ?」
「お姉ちゃん?」
ホントにいた。
「そこで何やってるの!」
「カズマに、ユナをたすけてっておねがいした」
「ええ!? ……和真は何て言ったの」
「れいぞうこの中とか、カップめんとかは食べていいって」
「帰れって言われなかった?」
「……言われた」
「どうして帰らなかったの」
「まだたすけてもらってない」
「……どうして和真は家に連絡しなかったんだろ」
「かくれてたから」
頭痛がしてきた。
「もう帰りなさい。迷惑をかけちゃだめ」
「イヤ! ユナをたすけてもらうの。あたし、かえらない」
そう言ってマーヤは電話を切った。アタシはすぐに家を飛び出してドゥクスの家へ走った。
ドゥクスの家について、少しためらってからドアのチャイムを鳴らした。すぐにカギを開ける音が聞こえてドアが開き、マーヤがアタシに抱きついてきた。アタシを見上げた目には涙が浮かんでいたけど、嬉しそうな顔だった。
足音が聞こえて家の奥を見ると、ドゥクスがすごく驚いた顔でアタシを見ていた。
「常雷さん。貴方の妹さんでしたか。気が付きませんでしたよ」
すごく他人行儀な話し方だった。
「名前はマーヤというそうですね。彼女はここに……。その、ここに来たとき何と言ったと思いますか。驚いたことに、死んだ僕の母さんの生まれ変わりだと言ったんです」
何てことを! いくら子どもでも言ってはいけないことがある。ドゥクスにとって綾香さんがどんな存在だったかを知っているアタシは、罪悪感で胸が苦しくなった。
「母さんの生まれ変わりというのは、ご両親から言われたそうです」
確かに父ちゃんや母ちゃんがマーヤにそう言ったことが何度かある。こんなことになると分かっていたら、絶対止めたのに。
「ほら、常雷さんも言ってたでしょう。僕はマザコンですから」
その言葉は、アタシの胸に突き刺さった。
「そうですか。そういうことでしたか。いやあ、何だか思ったよりショックでしたね。ちょっと信じてみたかったのかもしれません。馬鹿みたいですね」
自分を笑うようなドゥクスの言葉を聞いて、アタシは胸の中を掻き回されている気分だった。冗談っぽく言ってるけど、ドゥクスはまた綾香さんを失う気持ちを味わったんだ。どうすればドゥクスの気が済むのか分からなくて、アタシは自分が一番したくないことをしようとした。
振り上げた手を急につかまれて、混乱していたアタシは思わずその手に技を掛けてしまった。ドゥクスの体が床に倒れて苦痛の声を上げた。脚をひどくぶつけたようだった。
「マーヤは悪くないんです。妹さんは友達のために必死だったんです」
ドゥクスはマーヤを庇っていた。ドゥクスの言う通りだ。悪いのはマーヤじゃなく、マーヤの周りの人間だ。
「由奈ちゃんが助かって涙を流して喜んでいました。常雷さんにもそんな友達がいるでしょう」
なんだか止めを刺されたような気持だった。なかなか起き上がれないドゥクスにアタシが手を伸ばすと、その手にマーヤの服を渡された。アタシはその服をマーヤに着せた。
「もう、絶対こんなことはさせない」
そう言うのが精一杯だった。アタシはマーヤを抱えるようにして玄関を出た。
しばらく歩いた所で、もう我慢できなくなってアタシはしゃがみ込んでしまった
「もういやだ……。何でアタシは……ドゥクスの困ることしか出来ないんだ」
マーヤがアタシに抱きついてきた。アタシはマーヤに声を掛ける気力も無かった。しばらくしてスマホの着信音が鳴ったけど、アタシは切れるまで放っておいた。数分後にまた着信音がして、仕方なく画面を確認するとまなみからだった。少し迷ってから通話ボタンを押した。
「どうしたの。ヒナちゃん家にも電話したけど、マーヤちゃんに何かあった?」
「……ドゥクスが……」
「何があったのか、話してみて」
「ドゥクスはヒナちゃんを止めようとしたんでしょ。だったらヒナちゃんが思ってるほど気にしてないよ。気持ちが落ち着いたら、まだ5つの子がしたことだって分かってくれるよ」
「そうかな……」
「少しぐらい恨まれたっていいじゃない。後でちゃんと返すんだから。そういう作戦だったじゃないの」
「うん」
「じゃあまた。練習の後でね」
まなみと話をしたおかげで、アタシの気分もかなり回復してきた。
「ごめんね、マーヤ」
「ううん。……ごめんなさい」
マーヤの表情も明るくなってきた。
「由奈ちゃんのことで悩んでたマーヤをもっと悲しませて。だめなお姉ちゃんだ」
「ユナのことはカズマがたすけてくれたよ」
「えっ。……昨日の午後は練習に来ていて、その後はキャンプの準備で隣り町に行くって……」
アタシが考えても無駄か。ドゥクスだからなあ。
「やっぱりすごいなあ。ドゥクスは」
「お姉ちゃんはカズマがすきなの」
「うん」
「カズマとけっこんしたい?」
マーヤはすごく真剣な目でそう聞いた。
「恋人になって欲しいかってこと? う~ん。それはないよ」
「なりたくないの?」
「そうじゃなくて、アタシは一華やまなみと違って女と思われてなかったから」
「そうなの?」
「わけは言えないけど、それは間違いないんだ」
「そんなの……お姉ちゃん、いやじゃない?」
「アタシは……」
しばらく考えて、自分の気持ちを確認してから、マーヤに答えた。
「アタシはドゥクスに幸せになって欲しい。そしてその手伝いをしたい。アタシがいてよかったと思ってほしい」
それが、どうしてこんなに難しいんだろう。
「マーヤにも、父ちゃんや母ちゃんにもそう思うみたいにね。ドゥクスはアタシが一番そうしたい人なんだ。アタシがいやなのは、今はそれが出来ていないから。分かった?」
「うん……。でもあたしは、お姉ちゃんにカズマのこいびとになってほしい」
「それは一華かまなみの役だな。一華は頭がよくてドゥクスと話が合う。まなみは美人で人の気持ちがよく分かる。……あ。アタシ今、ドゥクスって言ってた?」
「さっきからずっと。もっとまえからカズマっていったりドクスっていったりしてる」
「……そっか。ドゥクスって呼んでいいのは一華とまなみと、それにあたしだけなんだ」
そう言うと、マーヤはしばらく考え込んでいた。
「お姉ちゃん。やっぱり、カズマにはいやっていわないでほしい」
「それはドゥクスからアタシを恋人にしたいって言われたらってこと? それならもちろんなるよ」
「ほんと?」
「一華やまなみや、大切なものは色々あるけど、アタシにとってはドゥクスの気持ちが一番だから」
マーヤは嬉しそうにアタシを見ている。恋愛だとアタシとあの二人との間には乗り越えられない壁があるんだけど、マーヤにはまだ分かんないか。
ドゥクスは今日も指導のために来てくれた。平気な顔をしているけど、ドゥクスが足を痛めていることはすぐに分かった。ドゥクスに感じている申し訳ないと言う気持ちがさらに膨らんで、指導中もまともな会話が出来なかった。
練習が終わると、ドゥクスが何か話したそうにアタシの方へ来た。アタシの様子を見たまなみが、ドゥクスにまだ幼稚園のマーヤがしたことだから許してあげてと言った。ドゥクスは複雑な顔をしたけど、それ以上は何も言わなかった。




