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四十五話 「彼女たち -逆鱗-」

-------- 常雷陽向 --------


 ドゥクスがアタシの目の前で話をしている。今は斎藤に対してだけど、もうすぐアタシの番だ。横から説明を聞いていて、ドゥクスはやっぱりすごいと思った。アタシも斎藤に教えることがあるけど、どうしてこの子がアタシの言う通りに動けないのか、どう説明すればいいのか分からないことがある。


「これが高段者の動きです。投げる時に、二人の重心を合成した点の動きが小さいことが分かるでしょう。これは投げつために必要な力が小さいことを示しています。崩しによって相手の重心が動いたのを確認してから技を仕掛けると、技の入った時には相手がすでに体勢を立て直そうとしているので、こんなふうに重心の合成点を大きく動かす必要があります」


 ドゥクスが操作すると、モニタの映像が動いた。斎藤はそれをじっと見ている。


「崩しの直後、結果を待たずに技に入ると、相手の動きが一番大きなとき、ここですね、そのタイミングで引く力が加わります。するとこのように、合成点をあまり動かさずに二人の体が回転して、同じ力ならより素早い技になります」

「そんな風にあせって仕掛けると、崩しも技も中途半端になりませんか」

「そこは協調運動ですから、連続した動きの反復練習をして体に覚えさせるしかありません。ただし最初にどう動くかを決めているわけですから……」


 斎藤はドゥクスの説明がよく理解できているようだ。説明の合間に何度もうなずいている。アタシだって負けられない。誰よりもこの指導で成果をみせて、ドゥクスがいかにすごいかを証明しなくてはならない。




 ついこの前まで、アタシはすごく落ち込んでいた。最初に悪口を言ってから、ドゥクスに全く話しかけられなかったからだ。一華やまなみはがんばって悪口を言い続けて、ドゥクスから色々と仕掛けてくるようになったのに。何でアタシだけ同じことが出来ないんだろう。ドゥクスの顔を見るとどうしても悪口が出てこない。必死になってドゥクスの顔をにらんでみても、ドゥクスは怒るどころか困った顔をするだけだ。


 何か他に方法が無いかと考え続けて、思いついたのがアルコール入りのチョコだった。もうドゥクスの気持ちを直接聞くしかない。さっそく百貨店まで行って買ってきたけど、一つ食べてみるとこれで酔っぱらうとは思えなかった。まなみに相談して、大人でも酔えるぐらいのアルコールが入ったチョコを作ってもらった。何のために必要なのかは分かっていたと思うけど、まなみは何も言わずにチョコの入った箱をアタシに渡してくれた。


 結果を言えばこの作戦は失敗だった。どんな風に失敗したかも覚えていない。酔った頭が正常に戻ってきた頃には、チョコを食べ始めてからの記憶が無くなっていた。でも落ち込んでいた気持ちは軽くなっている。アタシは一華とまなみから、すでに一度聞いたという話をもう一度してもらった。




「では常雷さん。最初にお聞きしますが、部活以外でもかなり練習をされていますね。主に筋トレだと思いますが」


 ドゥクスの言う通りだ。アタシは受験勉強で鈍った体を元に戻すため、自分でも厳しいと思う練習スケジュールを組んでいる。


「はい」

「それはもう止めてください。無駄です。害があると言ってもいいでしょう」


 ……え? どうして……




 ドゥクスの計画している復讐の対象に選ばれるためには、世間に成功していると思われないとだめだ。そう言われてアタシは、ドゥクスが考えてくれた練習プログラムを続けながら、自分にできることを必死になって探した。一華には将棋が、まなみには音楽があったけど、アタシには何も無かったから。

 手当たり次第に試してみると、ほとんどの競技ですぐ他の子より上手くできるようになった。だけど、教えてくれた人にこの競技で日本一になれるかと聞いて、お前なら大丈夫だとはっきり言われたのが柔道だった。それからあたしは柔道の練習だけに集中した。


 身長がどんどん伸びている時に体に負担をかけすぎるのはよくない。ドゥクスにはそう言われていたので、中学の時はドゥクスが教えてくれた練習量を守るようにしていた。それでも中一の時には地方大会で上位に入り、中二の時には全国大会のベスト4まで行った。ただしこの時は、試合の組み合わせや相手のケガなどがあって、アタシはこれが実力とは思ってない。


 受験が終わったときには、もうあたしの成長はほとんど止まっていた。推薦入試が終わるとアタシはすぐに練習を再開した。本格的な筋トレも始めたけど、アタシは筋肉がつきにくい体質なのかあまり筋力は上がらなかった。でも、ドゥクスがアタシを見たときに絶対がっかりされたくない。


 最近はさらに練習量が増えた。アタシがドゥクスに認めてもらう方法が、もう秋の大会でいい成績を出すことしかなかったから。でもそれはドゥクスに否定された。




「常雷さんには人並み外れた集中力があります」


 それにだけは自信がある。


「今回はそれが悪い方に出てしまいましたね」

「集中力があるのもダメ……」


 ドゥクスにとって、アタシは何もかもダメなのか。涙が出てきそうになるのをアタシは必死にこらえた。


「常雷さんは昔、貰った鉢植えの花に水を与えすぎて、枯らせてしまったことがありますね」


 アタシが退院してすぐ、ドゥクスがお見舞いに鉢植えを持ってきてくれた。アタシは嬉しくて一日に何度も水をあげて、まだつぼみの内にその花を枯らしてしまった。


「でもその代わりにあげた鉢植えは、水や肥料の量を守って綺麗に咲かせました。必要なのはそれです」


 アタシはドゥクスに申し訳なくて枯らしてしまったことを黙っていたけど、ドゥクスは別の鉢植えをアタシに渡して、その育て方もていねいに教えてくれた。


「自分の体を自分だけのものだと思うと、ついつい無理をしてしまいます。でも常雷さんには、その体を与えてくれて感謝したい人たちがいるでしょう」


 いる! ドゥクスだ。


 もちろん父ちゃんや母ちゃんにも感謝している。そして、父ちゃんと母ちゃんは今も綾香さんに感謝している。仏壇に写真を飾って毎日拝んでいるくらいだ。二人はアタシたちを助けてくれたのが綾香さんで、ドゥクスにも感謝はしているけど、あくまで綾香さんの指示に従っただけだと思っている。二人とも常識人だから、小4だったドゥクスにあんなことが考えついたとは思っていない。




 アタシがあの日、家に帰って綾香さんが死んだと言ったとき、父ちゃんと母ちゃんはすごくショックを受けてた。綾香さんの病院に行こうとしたけど、その途中で母ちゃんが急に苦しみだして行き先を産婦人科に変えた。予定日までまだ一ヶ月近くあったその日に妹の真綾まあやは生まれた。

 二人は綾香さんが亡くなったことをすごく悲しんだ。綾香さんに恩返しできるとしたら、一番の心残りであるドゥクスに幸せになってもらうことしかない。二人ともそう思ってる。一周忌でドゥクスに会ったときには、感謝されるのが苦手なドゥクスにドン引きされてしまったそうだ。

 アタシが風津高に行くと言ったときも、最初は今までの努力を無駄にするのかと反対されたけど、ドゥクスも風津高を受けると聞いたとたんに賛成に回った。柔道の指導をしてもらってた先生や他の大人を説得してくれた。ドゥクスがこの町に来たら一緒に住めばいいと言ってたけど、アタシはドゥクスが気を使うからと言って止めさせた。それで知り合いから住む所を借りてからドゥクスのお父さんに連絡した。




「常雷さんは自分の体を、花を育てたときのように大切に扱う必要があります」

「花? アタシが?」


 ドゥクスにそんな風に言われて、何だか照れ臭さくなる。


「そうすることが、その人たちも喜ばせることにもなります」


 そうなのかな。ドゥクスは本当にそう思ってるのかな。それともただの一般論かな。


「……ケンカして、その人がとても怒っていたとしても?」

「それは常雷さんがこの高校を選んだことと、関係がありますか」


 ああ。やっぱりドゥクスのことだ。


「……ある」


「いくら怒っていたとしても、常雷さんが体を壊すことで喜ぶことは絶対にありません。大活躍してもすぐ引退することになるより、活躍できなくても長く健康でいることを望んでいますよ。もちろん、一番は健康で長く活躍してくれることです」

「……本当に?」

「断言できます」


 叫び出したくなるほど嬉しかった。表に出さないように努力しても、どうしても顔がにやけてしまう。よし! ドゥクスの言うことを一言も漏らさずに聞いて、ドゥクスが自慢したくなるような成果を出そう。




 アタシがドゥクスから練習方法について教えてもらっているのに、有働がそのじゃまをした。


「さっき聞いた説明なんですが、口で説明されただけではよく分かりません。実際に体を使って教えてもらえませんか」


 最初に説明してもらっただろ。ちゃんと聞いておけよ。


「有働。そういうのは大学の人に頼んだらいいだろ」

「だめですか?」


 アタシの言葉を無視した有働に腹が立った。


「言っておくけど、僕は昇級試験を受けたこともない」

「やっぱり、だめなんですね」

「だから、投げ技を受けるぐらいしかできないけど、それでもいいか」


 え? ドゥクスが? 有段者が相手じゃ……。でもドゥクスだから……。




 不安にかられながら成り行きを見守っていると、道着姿のドゥクスは思ったより着慣れているように見えた。ドゥクスの構えた姿も素人とは思えなかった。そして有働に対する体捌きはそれ以上に見えた。力強さや正確さでは熟練者とは言えないけど、有働は動きの先を読まれているから上手く技に入れない。


 最初は心配していたのに、だんだん見ているのが楽しくなってきた。投げ技の防御はまず腕を突っ張って相手を間合いに入れないことだけど、ドゥクスは時々わざと緩めて有働の仕掛けを誘っている。有働とは男女の筋力差があってアタシが苦戦することもある。でもこうやってドゥクスの解説を聞きながら有働の動きを見ると、その欠点がよく分かる。


 有働の動きが荒っぽくなってくると、もう安心して見ることができた。こんなことを言うとドゥクスに失礼だけど、マーヤが運動会で活躍するのを見ながら思い切り応援している時のような気持ちだ。いや、その時以上かな。誇らしくて興奮して心があったかくなる。この気持ちを分け合いたくて二人の姿を探すと、一華とまなみも同じ気持ちでドゥクスを見ているようだった。


 有働の投げをドゥクスが潰して二人が畳に倒れる。また立ち合おうと体を起こしたドゥクスに、後ろから有働が飛びついてその襟を絞めた。どうして? 投げ技だけって言っただろ!


 少しだけ抵抗を見せた後に、ドゥクスの体から力が抜けた。立ち上がった有働は倒れたままのドゥクスを見下ろして、鼻で笑った。


 最初はあぜんとした。駆け寄って気を失っているドゥクスを見て、全身の血が引いて行くのを感じた。それから怒りが心の底から湧き上がって、さっきまでの幸せな気持ちに変わってアタシの体に満ちていった。


 ぶっ殺す。


 アタシが有働に歩み寄ろうとした時、アタシの両手を誰かがつかんだ。振り払おうとしたアタシの耳に一華の声が聞こえた。


「マーヤちゃんが病院に運ばれたって」


 マーヤが? その瞬間、アタシの心から有働が消えた。怒りは残ったものの、どうするべきかが分からなくなった。


「急いで。怒るのは後にして」


 一華に手を引っ張られながらアタシは道場を出た。道場を出るとすぐに一華は立ち止まった。


「マーヤは? どこの病院に」

「あれは嘘」


 その言葉でまた頭に血が上った。アタシは一華にどなった。


「言っていい冗談じゃないぞ!」


 一華はアタシの怒りに動じなかった。


「気持ちはすごくよく分かる。わたしも怒ってるから。ちゃんと計画を立ててから、みんなの気が済むような報いを与えようか」

「あたしが毒入りのお菓子を食べさせようか。死なない程度の。ドゥクスが知ったらあたしたちの弱みにもなるよ」


 二人も怒りで切れかけているのを知って、少し心が落ち着いた。


「ダメよ。殺したら」

「そこまでは……しないよ」

「もし大ケガでもさせたら、退部か、少なくとも試合に出場できなくなるわよ。そうなってもいいの?」


 二人の考えが分かってきた。


「ドゥクスのために頑張るんじゃなかったの? それができなくなるのよ」


 言いたいことは分かるけど、やっぱりアタシの気が治まらない。


「ケガをさせなくても、彼に後悔させることはできるよ」

「どうやって?」

「彼はヒナちゃんのことを意識してるから、その目の前でドゥクスにやられたままなのが許せなかったのよ。男のプライドっていうのかな」

「アタシにも責任があるって?」

「そんなこと言ってない。ヒナちゃんは彼と柔道で戦って勝つだけでいいのよ。見栄を張りたい相手に手も足も出ないで負けたら男のプライドは傷つくでしょ。ヒナちゃんがそれを出来ればの話だけど」




 有働とどう戦えばいいかはドゥクスが教えてくれた。アタシは有働を一方的に投げ続け、それを有働が立ち上がる気を無くすまで続けた。最後は有働がドゥクスにしたのと同じように送り襟締めで落としてやった。

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