四十四話 「彼女たち -誘い-」
今日はさぽDのドゥクスと、いつものサイトでチャットをしている。
いっちゃんが自宅から将棋サイトでドゥクスと対戦したとき、あたしやヒナちゃんを家に呼んでドゥクスとの対話を一緒に読ませてくれた。将棋のことがよく分からないヒナちゃんも楽しそうだった。最初の部室でのチャットではその場にあたしもいたから、無関係なあたしが二人の対話を見ることに遠慮の気持ちは無かった。
ドゥクスからあたしに動画作成協力の申し込みがあった時も、隣りにはいっちゃんがいて、あたしは気にせず自宅に二人を誘った。でもヒナちゃんはその誘いを断った。
「ごめん。ちょっと用事があるから行けないんだ」
ヒナちゃんにドゥクスのことより大事なことがあるとは思えない。たぶんヒナちゃんは遠慮したんだろう。あたしやいっちゃんと違って、自分はドゥクスとネットで関わることが無いから。あたしもいっちゃんも、ヒナちゃんだけを仲間外れにするのがいやだったから、それからはそれそれ一人でチャットすることになった。
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さぽD> 恐怖の表現としては、これだと単純過ぎるかもしれませんね。
さぽD> もっと得体の知れない感じが欲しいと思いました。
マナミ> それは難しいですね。得体の知れない感じですか。
マナミ> さぽDさんは、そんな恐怖を感じたことがありますか。
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ドゥクスからのメッセージが止まった。何か思いついたことがあるんだろうか。
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さぽD> わたしがまだ子どもの頃ですが、笑い声に恐怖を感じたことがありました。
マナミ> 不気味な笑いですか。
さぽD> いえ。もっと乾いた感じの、女の子の笑い声です。
マナミ> あまり恐怖というイメージじゃないですね。
さぽD> その時は悲しいことが重なって、私の心は弱くなっていました。
さぽD> もしかしたら幻聴だったのかもしれません。
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あたしはその言葉を読んではっとした。長い間、疑問だったことが解けたような気がした。ドゥクスが言っているのはあの時、最後にドゥクスに会ったときのことだ。あたしはいっちゃんの笑い声がとても悲しく聞こえたけど、ドゥクスはその笑い声を怖いと感じたんだ。
もしかするとドゥクスは、あの笑い声を聞いていっちゃんがひどく傷ついたことを感じたのかもしれない。それが自分がいっちゃんを拒絶したからだと心のどこかで分かったのかもしれない。自分がいっちゃんを傷つけたことがいやで、その気持ちを恐怖と感じたのかもしれない。『かもしれない』ばかりだけど、あたしにはそれが本当のことのように思えた。
そうしてドゥクスがあたしたちを無視できなくなった時、あたしたちが自分の気持ちをドゥクスに伝えていたらどうなってただろう。
ドゥクスがあたしたちを恨んで計画を実行して、それによってあたしたちをひどく傷つけたと思ったら、いっちゃんが傷ついた時と同じ気持ちになったら、あたしたちが言葉と行動で素直に伝える気持ちを、ドゥクスは受け入れてくれると思う。
ドゥクスが初めて柔道部に来る日。あたしはいっちゃんと一緒に、道場でドゥクスの姿が現れるのを待った。お昼前になって、大学のジャンパーを着た10人ほどの人たちが色々な機械を持って入ってきた。部員たちはその人たちに大きな声で挨拶している。あたしはすぐに、その中にいるドゥクスを見つけた。
大学の人が部員たちに何か説明をしている間、ドゥクスは道場の隅で色々な機械の配線をしていた。ドゥクスの近くには男の人がいて、ドゥクスの手伝いをしながら親しそうに話をしている。見た目はずいぶん変わっていたけど、わたしは二人の雰囲気でその人がファミレスでドゥクスのそばにいたあの子だと分かった。
「いっちゃん。ドゥクスの近くにいる人。たぶんメトロっていう人だと思う」
あたしがそう言うと、いっちゃんはその人を遠慮のない目で見た。
「なんだか……ドラマに出てくる人みたいね。かっこいいんだけど、ずっと誰かに見られていることを意識している感じがする。不自然って言うほどじゃないけど」
あたしも同じように思った。彼もよくわたしやいっちゃん、ヒナちゃんの方を見ている。最初に目が合った時は軽く微笑んで目で挨拶してきた。でも他の男の子みたいな下心は感じない。それより観察されているような感じだ。
あの人がメトロなら、あたしたちのこともドゥクスから聞いていると思う。だったら、あたしたちへの印象は間違いなく悪いはずだ。あたしはいっちゃんにそう話した。
「あたしたちが誰かを気付いていない……ということはないわね。さりげなくだけど、明らかに3人を意識して見てるから。笑顔なのはドゥクスの計画に協力してるから?」
いっちゃんの疑問にあたしはうなずけなかった。あたしたちに恨みがあったとしても、ドゥクスは親友を復讐に巻き込んだりしないんじゃないかな。
「推測ばかりしていても仕方がないわね。今は相手の動きを待ってみましょう」
ドゥクスが来てから一時間ほど経った頃、彼がドゥクスの所から離れてこちらに向かってきた。あたしたちと目を合わせて笑いかけてくる。
「いよいよね」
小さな声でいっちゃんが言った。
「こんにちは。君たち、網矢の知り合いなんだって。俺は原瀬。網矢とは小学校からの友だちなんだ」
「そうなの? わたしの名前は歩原、こっちは優祈です。網矢さんからもう聞いてるかな」
「いや、まだだよ。俺に美人の知り合いを紹介したくないみたいでね」
「そう……。原瀬さん。もしかしてメトロって呼ばれてます?」
「ん? そうだけど、アミから聞いたのかな」
「誰からだったかな? 聞いたのはかなり前なので」
メトロの目が一瞬だけ厳しくなって、すぐ元に戻った。
「去年、俺とアミが無人島キャンプに行ったことは知ってる?」
「いえ。お二人でですか」
「主役は小4から小6の子どもたちなんだ。俺たちはその世話役に混じって参加した。子どもたちより一日多い5泊6日の日程だった。スケジュールが半分ほど過ぎた頃には、子どもたちとすっかり仲良くなってね。悩み事まで打ち明けてもらった。そしたらアミのやつどうしたと思う?」
「……その悩みを解決しようとした?」
「そう! よく分かってるな、あいつのこと。その通りだよ」
ドゥクスはやっぱりドゥクスだ。あたしたちを助けてくれた頃と変わっていない。
「もう少し詳しい話を聞いてみたいか?」
「うん」
「……そうね」
メトロならドゥクスが困ることはしない。そう思っているあたしは即答したけど、いっちゃんはちょっとためらった。
「ここはちょっと騒がしいから、もうすこし静かな所へ移動しよう」
「最初に言っておくけど、今から言う話を他のやつに漏らさないでくれよ」
「漏らすと困るようなことをしたの?」
「そうだな。でも、俺たちはそうした方がいいと思った」
「漏らして困ることなら誰にも言わない方がいい。あたしたちにも」
あたしがそう言うと、メトロはそれが意外だったような顔をした。
「そうか。……じゃあ止めておこう」
「初対面のわたしたちに、どうしてそんなことまで話そうと思ったの?」
「キャンプのことをよく知って欲しかったんだ。もちろん理由がある」
メトロは笑顔を見せて言った。
「今年は参加者が去年より増えて、その半分近くが女の子なんだけど、世話をする女性のスタッフが少ないんだ。君たち、興味があるんだったら参加してみる気はないか? アミが助けた子も何人か来るから、直接話を聞けるかもね」
「わたしたちが?」
いっちゃんが驚いたように大きな声で言った。あたしにも思ってもみなかった話だった。何日も無人島で暮らすなんてことは、簡単に受けられる話じゃない。ドゥクスがさぽDとしてあたしに話した夏休みの予定に、そんな日程は入っていなかった。
「網矢さんは?」
「どうかな? アミは都合が悪くて行けないって言ってるけど、本当はあの子たちとまた会いたいんじゃないかな」
「……すこし相談させて」
いっちゃんはあたしを少し離れた所まで引っ張っていって小声で話しかけた。道場からの雑音に紛れるから、メトロにあたしたちの声は聞こえない。
「ドゥクスが都合が悪いと言ってるのは、アイナスとさぽDが長い間、しかも同時に連絡が取れなくなると、わたしたちに疑われるってことね」
「あたしたちがキャンプに参加したら、その心配はなくなる。そうしたらドゥクスを、去年助けた子たちにまた会わせてあげられる」
「6日間ずっとドゥクスと一緒ってことよね。大丈夫かな。もしドゥクスがわたしに……」
いっちゃんはかなり深刻に悩んでる。あたしはドゥクスのためになるなら参加すべきだと思う。
「これはドゥクスがメトロに頼んだことかしら。あたしたちへの復讐のために」
「それは違うよ。ドゥクスなら、キャンプではあくまで子どもたちのためにがんばるはずだよ。そこにあたしたちへの復讐を関わらせたりしない」
「だったら、この誘いはメトロがドゥクスに言わずにやってること?」
「うん。だけどメトロが勝手にしたことでも、ドゥクスにとって都合の悪いことはしないと思う」
「そうか。それじゃあ決まりね」
いっちゃんはメトロに向かってはっきりと言った。
「その話、受けてもいいわ」
「OK。詳しいことは後で連絡する」
メトロはドゥクスのことであたしたちを憎んでいる。ドゥクスにとって悪いことはしなくても、あたしたちにとって悪いことならするかもしれない。親友のメトロがあたしたちを傷つけたら、ドゥクスは自分がやらせたことじゃなくても自分がした復讐の一つとして考えると思う。
メトロとしては復讐するのが誰であっても構わないはず。あたしが上手くやれば、その復讐をいっちゃんやヒナちゃんに向けさせないことも出来るんじゃないかな。メトロがすることはドゥクスのためだ。そう信じられるあたしなら、彼が思うほどには傷つかないだろうから。
ヒナちゃんにキャンプの話をすると、予想するまでもなく自分も参加すると言ってきた。他校との合同練習で休めない日があって、あたしといっちゃんより二日遅れてキャンプに来ることになった。




