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四十三話 「彼女たち -容姿-」

 中学生になって、あたしは男の子に交際を申し込まれることが増えた。どの子も自分のことで精一杯だと感じてしまって、ドゥクスとは比べる気にもならなかった。そのことをヒナちゃんに言ったとき、ヒナちゃんは少しムッとして言った。


「相手によっては比べるのか。ドゥクスと」

「そしたら、ドゥクスに会えたことを感謝したくなるでしょ」


 あたしのドゥクスに対する気持ちに比べると、男の子があたしに求めている恋愛はずっと簡単なものに感じる。クラスの子にあたしの好きな人について聞かれたときには、ドゥクスがどんなことをしてくれたかを少しだけ説明した。かなり控えめに言ったけど、みんなには十分にドゥクスの凄さが伝わったみたいだった。


 あたしがはっきり断っても、あきらめてくれない人もいる。曽田という3年生があたしを教室から連れ出そうとした時、いっちゃんはそれを止めようとして顔をひどく叩かれた。いっちゃんの体が弾かれたように壁にぶつかり、あたしは血の気が引くのを感じた。

 壁にもたれているいっちゃんは、目が何も見てなくて鼻から血が流れ出している。それを見た教室のみんなは声を失っていた。あたしが泣きそうになりながらハンカチでいっちゃんの鼻を押さえると、いっちゃんはしっかりとした目になってあたしを見た。そして自分で鼻の下の血を拭くと、すごく優しい顔になってにっこりと笑った。


「歩原さんってすごい人ね。あんな目にあったら、どんなに気の強い子でも泣き出すわよ。それがあの笑顔なんだもの」

「あの3年も大人しくさせちゃったね」


 それから、みんながいっちゃんを見る目はちょっと特別なものになった。いっちゃんがみんなに褒められるのは嬉しいけど、あたしが原因であんなことが起こるのはもう嫌だ。




 外からヒナちゃんの声が聞こえた。何人かの女子と話をしているみたいだ。私も加わろうとして声が聞こえる窓の方へ近付いた。


「ねえ、常雷さん。結城さんの言ってる大切な人って、もしかして歩原さんのこと?」

「大切な人?」


 話の内容が分かって、あたしは声をかけられなくなった。


「ほら。優祈さんが言ってたでしょ。『あたしの命の恩人。あたしだけじゃなくて、あたしが大切に思ってる人たちも助けてくれた』って。その人よ」

「ああ、そう言えばそうだな」

「やっぱり」

「あの時の歩原さん。すごくカッコ良かったから」

「だけどさ。それを言うなら、一番は歩原じゃなくてオレだよ」

「ええ! 常雷さんも?」

「ああ。詳しくは言えないけど、あんなことが出来るのは他にいない」

「……」

「すごく仲がいい3人だと思ってたけど、そういうことなんだ」

「確かに常雷さんもかっこいいもの。他の男子なんかより」


 ヒナちゃんの思ってる『大切な人』と、他の子が思ってる『大切な人』って別だよね。確かにあたしが交際を断ったときにも『あたしにはとっても大切な人がいます』って言ったけど、その大切な人は後で『この中学の人じゃない』って説明したのに。これじゃあ、変なうわさが立っちゃうかも。


 ……でも考えてみれば、そのうわさで困ることって無いのか。あたしだけじゃなくいっちゃんやヒナちゃんも、このうわさが立てば近付く男の子が少なくなるかな。だったらこのまま放っておこう。




 最近は、以前より早く起きるようになった。朝ご飯を食べた後で、学校へ行くまでの間にメイクをする必要があるからだ。最初はごく薄くだったけど、最近はどんどん濃くなってきている。ベースメイクの上に、鼻と目の下にファンデーションをつけ、リップライナーで唇を大きめに塗る。最後に特注のカラーコンタクトをはめた。


 教室に入ると、野沢くんが職員室から学級日誌とチョークを持ってきてくれていた。これは日直の仕事で、今日の日直はあたしだ。


「ありがとう」

「ついでだから」


 わたしがお礼を言うと、野沢くんは照れ臭そうに笑った。席につくと、クラス委員の船見さんがあたしに話しかけてきた。


「日直の仕事は自分でやるべきじゃないの?」

「あたしからお願いしたわけじゃないの」

「前の日直の時も男子にやってもらったでしょ。それが当然とか思ってない?」

「そんなことないよ」


 体育の授業が終わって靴についた泥を落としていると、いきなり顔に何かが押し付けられた。驚いて振り払うと、それは船見さんが持ったタオルだった。船見さんはそのタオルを広げて、あたしに見せつけるようにして持った。


「これは何? 汗を拭いてあげようとしたら、タオルに何かついたんだけど」


 船見さんは、してやったというように笑ってあたしを見た。


「まさか、化粧品じゃないわよね?」

「……」

「これ、先生に見てもらった方がいいわね」


 あたしが教室に戻ってしばらくすると、船見さんがあたしを呼びに来た。


「優祈さん。先生が呼んでるわよ」


 指導室では、担任の浅川先生がわたしを待っていた。あたしを連れてきた船見さんは、入口に立ってこちらを見ている。


「優祈さん。化粧をしてるって本当?」

「……はい」

「校則で禁止されてるのは、知ってるわね」

「はい」


 覗き込むようにして、先生が間近であたしの顔を見た。


「ちょっとあなた。それカラーコンタクトでしょう」


 先生が眉をしかめた。


「ええー。そこまでする?」


 船見さんが大げさな仕草でそう言った。


「あなたぐらいの年で化粧なんて必要ないのよ」

「落とさないといけませんよね、先生。優祈さんは校則違反ですから」

「仕方がないわね。優祈さん、ついて来なさい」


 先生はあたしを洗面台のある宿直室に連れて行った。船見さんも付いて入ろうとしたけど、先生に止められた。


「薄くメイクするぐらいならここまでしないけど、あなたのは少しやりすぎよ。コンタクトを外して、よく顔を洗いなさい」


 先生に言われた通り、コンタクトを外してハンカチの上に置いた。髪を後ろにまとめてから、両手で石鹸をよく泡立て、時間をかけて丁寧に顔を洗った。


「もういいわ。これでよく拭いて」


 あたしは先生から受け取ったタオルで顔を拭き、それを返そうと先生のいる後ろを振り向いた。あたしの顔を見た先生が驚きの表情と共に固まった。目の前にタオルを差し出すと、先生はほうっと息をついてそのタオルを受け取った。


「先生。大げさです」

「そんなことない。本当に驚いた。こんな理由で化粧が必要なこともあるのね」


 廊下から何か楽しそうに話す声が聞こえた。


「あたしは前から気付いてたわよ」

「小学校の時は、メイクなしでも可愛かったんだけどねえ」

「成長すると顔が変わるって子、いるよね」


 船見さん以外にも数人の女子が来ているようだった。先生はあたしを彼女たちに対面させた。みんな、先生があたしの素顔を見た時と同じような反応だった。


「カラーコンタクトで黒目を小さく見せて、ベースでその透明な肌を隠して、リップは血色が悪くて厚みがあるように見せた。ファンデーションでは鼻を低く見せて、目の下に薄いクマも作ってたのね。それを全部取るとこうなるのよ」

「……どうして?」

「だから、優祈さんは化粧をすることで目立たない顔にしていたのよ。理解した?」


 船見さんの顔からは、すっかり毒気が抜けていた。


「化粧してならともかく、素顔でこれというのはちょっといないわよ。のぼせた男子があなたの学業を妨げそうだし、外でストーカーにあう危険も冗談じゃなく高そうね。特例で化粧を認めてもいいわ。火傷を隠すためとか、正当な理由があれば認めてるから」


 先生は彼女たちの顔を見回した。


「みんなも納得できた? 不公平だっていうなら、男子はこれから優祈さんのこの顔とあなたたちの顔を一緒に見ることになるのよ」


 先生の言葉としては問題になるんじゃないかと心配したけど、女子たちはみんな黙ったままだった。先生は後であたしに言った。


「船見さんたちの行動には、本人たちは自覚していなくても虐めに近いものがあったでしょ。それを反省して欲しかったのよ。優祈さんの顔にはそれだけのインパクトがあったから」


 あたしはそれからもメイクをして、でも少し薄くして、学校に来ることを続けた。船見さんはあたしに話しかけなくなり、心配した噂も広まることはなかった。

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