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三十八話 「彼女たち -模索-」

-------- 歩原一華 --------


 明日はいよいよ無人島キャンプの始まる日。子どもたちは4泊5日のスケジュールだけど、わたしたちはその前日から準備があるので5泊6日になる。万全の体調で臨みたくて早めにベッドに入ったのに、不安と期待で沸き立つ心が治まらず、2時間以上経つのにまだ眠れない。

 寝不足で腫れぼったくなった顔をドゥクスに見られたくない。そう考えていると、ドゥクスがいなくなった後にえりなさんに言われたことを思い出した。




「そんな顔をしてるとブスになっちゃうわよ。せっかくキレイになってきてたのに」


 褒められたのか、けなされたのか、戸惑っているわたしにえりなさんは言葉を続けた。


「恋をするとキレイになるって言うでしょ? あれは笑顔でいることが増えるのと、相手にどう見られるかを気にするようになるからよ。まあ、まなみのような例外もあるけど。落ち込んでいる顔まで可愛いって、わが妹ながらずるいと思うわ」


 えりなさんは、笑ってそう言った。


「お姉さんも綺麗ですよ」

「あたしは両親の顔を足して2で割ったくらいだけど、まなみは親のいいところだけ集めてさらに修正までした感じだから。小さい頃にあたしが男の子っぽくしてたのは、まなみと比べられたくないって気持ちがあったんだと思う」


 少し真面目な顔になって、えりなさんはわたしに言った。


「いつも陰気な顔をしてたら、表情を作っている筋肉がそういう形になっちゃうのよ。次に和真くんに会ったとき、がっかりされたくないでしょう」




 ドゥクスは私が笑顔になるほど喜んでくれた。わたしは鏡の前で笑顔を作ってみたけど、ぎごちなくて文字通りの作り笑顔にしか見えない。それに微笑みならいつも浮かべていたって不自然じゃないけど、ドゥクスの好きだった満面の笑みは、楽しくもないのに見せていたらおかしい子だと思われるだろう。それだったら、同じくらいドゥクスが好きだと言っていた将棋を指している時の表情がいい。笑顔の方が一般受けするんだろうけど、わたしにとってドゥクス以外はどうでもいい。


「一華。この前からずっと怒ってるけど、何かあったのか?」

「怒ってないよ。真剣な顔をしているの。わたしが将棋を指してるときって、こんな顔じゃない?」

「え……、そうかな」

「いっちゃんが将棋をしてる時って、そんな怖い顔をしてないよ。上手く言えないけど、落ち着いていて……堂々としてるって感じかな」


 それなら、いつでも真剣に将棋を指していたらいいのかな。教室の席に座って集中すると、すぐに頭の中の将棋盤しか見えなくなる。周りの音も耳に入らなくなるから、授業中に先生から話しかけられてもずっと返事をしなかった。先生に肩を揺すられてようやく気付いたわたしは、保健委員の子に連れられて保健室へ行くことになった。


「将棋じゃなくても、すごく集中していればいいんだろ。昔からオレは同じことを繰り返してるとすぐに飽きてたけど、ドゥクスにやれといわれたことなら自分でもびっくりするぐらい集中してできた。一華もドゥクスのためだと思えば、何にだって集中できるんじゃないか」




 わたしは、寂しくなる度にドゥクスの日記を読み返した。後ろの方ほど読んでいて辛くなるから、読むのは前半ばかりだ。

 ドゥクスの頭が良すぎるせいで、わたしには意味の分からない文章も多い。起こったことや知ったことが書かれた後に、途中の説明が無くていきなり結論になってる。でも、わたしたちと会っている時のことは、ドゥクスは気付いたことや思ったことも細かく書いている。

 少なくとも将棋については、ドゥクスはわたしを理解してくれていた。わたしが嬉しかった時には一緒に喜んで、悩んでいたときには一所懸命に力になろうとしてくれていた。起死回生の手を見つけて逆転勝ちした所では、読んでいて恥ずかしくなるぐらい絶賛していた。


 わたしはそんなドゥクスの気持ちに気付いてなかった。ドゥクスと将棋を指しているとき、わたしは負けると悔しかったけど、ドゥクスは自分が負けてもあまり悔しそうじゃなかった。ドゥクスの凄さはわたしたちが助けてもらったときに十分すぎるほど知っていたから、ドゥクスとってわたしは、対等じゃなく手のかかる子どものような存在だと思っていた。


 思い返してみると、わたしはドゥクスが悔しがっている姿をほとんど見たことがない。悲しんでいる表情となると一度も見たことがない。ドゥクスがわたしたちに涙を見せた時でさえ、その顔は無表情と言っていいほどだった。




「綾香さん。誕生日に何か欲しい物はありますか」

「あら。気を使わなくていいのよ」

「わたしがお礼をしたいんです。高い物は無理ですけど」

「う~ん、そうねえ……。あの子の泣き顔を見てみたいかな」


 泣き顔? 嬉し泣きさせたいということだろうか。戸惑っているわたしに綾香さんは言葉を続けた。


「あの子がちゃんと泣いているところを見てみたいの。小さい頃はよく泣いてたのよ。もう少し早く気付いてたら良かったんだけど、あの子には可哀想なことをしちゃった」




 その時には綾香さんの言葉が理解できなかったけど、今はその意味が分かる。ドゥクスは重い病気だったお母さんに自分が悲しんでいることを気付かせたくなかった。それで悲しみを顔に出さないことがドゥクスにとっては普通になった。だからドゥクスがわたしたちのことで苦しい思いをしていたときも、わたしにはそれが分からなくて、ドゥクスの気持ちがわたしから離れていってると思ってしまった。


「ドゥクスは悲しいと無表情になるって、まなみは気付いてた?」

「無表情……だったかな。どういう気持ちなのかよく分からないことはあったけど、無表情とは思わなかった。……でも、最後に三人でドゥクスの家に行った時、あの時のドゥクスは本当に無表情だった」


 まなみにそう言われて、わたしはその時のドゥクスの顔を覚えていないことに気付いた。言葉にできないほど悲しかったことは覚えている。緊張していたまなみとヒナの顔やその時の言葉も、ドゥクスが着ていたトレーナーの柄さえ覚えているのに、ドゥクスの顔だけはどうしても思い出せなかった。




 ドゥクスの日記を何度も読み返す内に、わたしに理解できる部分が少しずつ増えてきた。すると、わたしがドゥクスと会うことが減っていった頃から、ドゥクスがわたしのために何かを書いていたことが分かった。いつかわたしが自分でプログラムを作る気になったとき、その役に立つだろうと思ってのことだった。

 わたしが使っているPCはドゥクスが用意してくれたもので、わたしはその中のアプリをドゥクスに説明してもらった通りに使っているだけだ。わたしがドゥクスの家に通わなくなった後も、ドゥクスは何度かわたしの家に来てPCのアプリを更新してくれていた。


 わたしがそのPCの今まで触ったことのないフォルダを開いて行くと、その中に開発環境という名前のフォルダがあった。更にその中には『これを読んで』と書かれたファイルがあり、クリックしたわたしは、それがドゥクスの書いたもので、プログラム作成のための手引書だと知った。


『このファイルは、いつか一華が自分でアプリを改良したり、新しいプログラムを作ろうと思ったときに役立つことを期待して書いたものです。読まれない可能性の方が高い気もしますが、僕は書いていて楽しかったのでそれはそれでかまいません』


 最初のページにそう書いてあったファイルは、文字だけでなく動くイラストなども使った、いかにも手間のかかった物だった。嬉しくなったわたしは、内容がほとんどわからないのに色々な所をクリックし続けた。その文章量は予想を大きく超えていて、本にしたら数冊分以上ありそうだった。

 プログラミングとは直接関係のない、ドゥクスが思いついた色々なアイデアをくだけた文章で書き連ねたページもあった。話しかけられているような言葉で書かれたそれを読んでいると、涙で画面がにじんでいって読めなくなった。


 次の日、わたしはまなみの家に行って彼女のPCのフォルダを開いてみた。同じ名前で内容の違う、まなみに対して書かれたファイルがそこにあった。最初のページ以外は読まなかったけど、同じように大量の文章が書かれているのだろう。わたしとまなみは、それぞれのファイルを役立てることを約束し合った。




 わたしはドゥクスの家の前に立っている。もうすぐドゥクスが学校に行くため、玄関の戸を開けて出てくるはずだ。待つ時間がとても長い。突然ドアが勢いよく開いてドゥクスが姿を現した。何を言えばいいのか迷っている私のすぐ横を、ドゥクスはまるでわたしが見えていないかのように通り過ぎた。




 自分の叫び声で目が覚めた。体が細かく震えて、全身にはびっしょりと冷や汗をかいている。何度目かの悪夢だった。


 ヒナのように将来を信じて待ち続けるのは、わたしには難しかった。ドゥクスが戻って行った学校には、わたしたちとより長い付き合いの同級生が大勢いる。その子たちとまた仲良くなれば、わたしたちのことは忘れてしまうんじゃないかと不安になる。何度も会いに行こうと思い、実際に電車に乗ったこともあったけど、あの悪夢が現実になるのが怖くて結局引き返した。


 ドゥクスは、会えない相手に関心を持ち続けるのが難しいんじゃないかと思う。前にドゥクスの口から前の小学校で友達だった女の子の名前が出たことがあった。わたしの中にモヤモヤとした気持ちを残したその名前は、ドゥクスの日記の中には一度も出てこなかった。喧嘩して別れたというメトロの名前は何度が出てきたけど、親友だったという彼とも連絡は取っていないようだった。

 ドゥクスに会いに行って、わたしのしたことを心の底から謝って、ドゥクスがそれを受け入れてくれたとしても、それは本当にいいことなんだろうか。わだかまりが消えてしまえば、たまに会うだけのわたしはドゥクスにとって遠い存在になってしまうかも。

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