三十五話 「生まれ変わり」
今日は母さんの6回忌だ。実家に戻って墓参りを終えた後、僕は母さんの書斎で母さんの書いた本を読みながら時間を過ごした。千宝家の離れにあった書斎を、この家の一部屋にそのまま移した部屋だ。父さんは、今年も訪れた母の知人たちと思い出話をしているが、僕がその場に顔を出したのは一周忌の時だけだ。
小見町の家に戻ったのは、もう日付が変わろうかという時間だった。家と言ってもコンビニに併設した2LDKの住居部分だ。今の雇われ店長は妻子と近くの自宅に住んでいるため、オーナーである父さんの知人からここを格安で借りることができた。
風津高校には寮もあるが相部屋で狭い。複数台のPCを含めて私物が多い僕にはスペースが足りないし、情報のセキュリティという面でも問題がある。
PCのある部屋に入った僕は、いつものように解決した『課題』を開発中のプログラムに打ち込んでいく。僕はプログラムですぐに思いつかないロジックがあると、それらを『課題』として頭の中に『セット』しておく。そして無関係なことをしたり眠ったりした後でその課題を確認すると、その中の幾つかにはすでに答えが見つかっている。
経験的に、課題はあまり増やすと効率が悪いことが分かっているので、セットする数は百を超えない程度に抑えている。ちょっとした待ち時間など、何もすることがないときには課題の一つを意識に上げて思索しているけど、無関係の小説やエッセイを何も考えずに読んで過ごしている方が、効率良く課題を処理できるように思う。
すでに解答が見つかったロジックでも、実際のプログラムにするにはそれなりに時間がかかる。十数個の課題を処理し終わって和室の布団に入った時には、帰宅から3時間ほど経っていた。
「……カズマ、カズマ」
聞きなれない高い声にまだ眠い目を開けると、誰かが被さるようにして僕の顔を見下ろしていた。どう見てもまだ子どもの、僕には見覚えのない顔だった。
「カズマ。ユナをたすけて」
とりあえず身を起こして布団の上であぐらを組んだ。おそらく不法侵入であろうその子に向き合う。正座をして僕を見つめる顔は、その幼い顔にはふさわしくないほど真剣だった。まだ就学前じゃないかと思える容姿だが、服がワンピースじゃなくても男の子には見えないだろう。
「ユナちゃん……って言ってたね。名字は?」
「ミナカワ」
ミナカワユナか。全く記憶に無い名前だ。
「玄関には鍵をかけていたはずだけど、どうやって入ったの」
「しんぶん入れの下にカギがくっついてた」
前の住人が隠していて、そのまま忘れられていたんだろうか。気付かなかった。
「助けてって言ってけど、何か困ってるの?」
「キラちゃんのママがユナのママをいじめるの。それでユナのママはびょうきになって、それでユナはよそに……、よそのようちえんに行くから会えなくなる。だからイヤなの」
キラちゃんか。また知らない名前だ。親の喧嘩の巻き添えというのは、子どもとしてつらいよな。
「ユナちゃんがとても困っているのは分かったけど、どうして僕に助けてもらおうと思ったのかな?」
「だって……」
彼女はポケットからペンダントを出して、僕の方に差し出した。手に取って確認すると、その裏に日付が刻んであった。5年前の昨日の日付だ。
「生まれたときに、パパが作ってくれたお守り」
僕がペンダントから彼女に目を移した。
「あたしはカズマのママの『生まれ変わり』なの」
もし彼女がこんなに幼くなかったら、もし彼女がこれほど真剣な顔で言ってなかったら、僕は即座に家から放り出していた。僕の表情が厳しくなったことに気付いたからだろう。彼女はそのまま黙り込んでしまった。僕は高ぶった気持ちが治まるまで、指先でペンダントをいじり続けた。
「意味が分からないな……。母さんは僕に助けを求めたことなんて無かった」
「いまはカズマのほうがずっとお兄ちゃんで、すごくあたまがいいんだから、たすけてくれてもいいとおもう」
そう来たか。
「生まれ変わりにしては、母さんに似てないな」
「生まれ変わりだって、パパやママに似てるんじゃないの?」
「僕の母さんだった時のことを、何か覚えてる?」
「生まれ変わったひとは、それまでのことは忘れちゃうのよ」
「だったら」
僕は彼女の目を見つめて言った。
「どうして僕の母さんの生まれ変わりだと分かったんだ」
「パパとママが言ったの。あたしはアヤカさんの生まれ変わりだって」
彼女の両親は母さんの知り合いなのか。しかもただの知り合いじゃない。いくら知人が死んだ日と自分の子が生まれた日が同じでも、よほど深い関係じゃないと子どもに知人の生まれ変わりだなんて言わないだろう。該当するのはまず母さんの家族、つまり峰子さんやおばさんだけど、千宝家にこんな幼い子はいない。
もちろん家族じゃなくても母さんと親しかった人はいる。例えば陽向の両親は母さんにとても感謝していて、一周忌のときには赤ん坊を連れて現れた。でも、たしか出産日は二学期が始まってからで、常雷家では両親をパパママではなく父ちゃん母ちゃんと呼んでいた。女の子らしい顔立ちで陽向には似ていない。
母さんには僕の知らない友人だっていたはずだ。ユナのママが母さんにとって大切な人だったのなら、少しぐらい僕がその人に手助けしてもいいだろう。
冷静になると、自分の置かれた状況に問題があることに気が付いた。他人から見れば、一人暮らしの高校生が初めて会った幼い少女を自分の部屋に連れ込んでいることになる。昨今の社会常識で考えれば、しかるべき所に通報されかねない。事情を聞いたらすぐ帰ってもらおう。
寝起きでまだ下着姿のままだったので、僕は手早くトレーナーの上下を着た。何も隠すようなことはしていないこと示すため、窓は全開にしておく。まだ9時前だが、30度を超える熱気が部屋に入ってきた。
「じゃあ、知ってることを僕に全部話して」
彼女にも詳しい経緯は分かっていないようだった。ユナのママはミナカワサトミ。キラの名字はオオキで、ママの名前は分からない。最初にキラのママからクレームがあったのは、生活発表会で飾る絵のことだった。キラママによると、ユナの絵より上手なキラの絵が選ばれないのは、不公平だということだ。
発表会では予定通りユナの絵が使われたのだが、それ以降、キラママは常にサトミさんに厳しく当たった。大人しいサトミさんはストレスが溜まってとうとう入院してしまい、ユナは夏休み明けから別の幼稚園に通うことになった。
「キラちゃんもユナちゃんを虐めているの」
「ううん。キラちゃんもこまってるみたい」
「そうか。……汗かいちゃったね。何か飲みたいものはある?」
「むぎ茶がいい」
「すぐ作るからちょっと待ってて。それを飲んだら帰るんだよ」
扇風機を出してスイッチを入れてから、僕はその部屋を出てネットで関係者の情報を調べた。個人情報保護法のため、適法な手段で調べるのは難しい。だけど実態としては名簿業者の売買した情報が、主にまともなセキュリティの無い購入者から漏れて、ネットの検索エンジンが届かない所を流れている。
皆川由奈は、銭湯を経営している皆川英二と皆川聡美の長女だ。同じ沢口幼稚園に通う大木絆星は、運送会社に勤めている大木武とスーパーでパートをしている大木道子の娘だった。皆川聡美は母さんの生まれたこの町の出身で歳は一つ下だ。同じ学校に通っていたこともあるだろう。
氷を入れたコップに麦茶を注いで、僕は彼女のいる部屋に戻った。扇風機の風に当たっている彼女を見て僕は絶句した。下着しか着てなかったからだ。急いでコップを足元に置き、窓とカーテンを閉めた。
「どうして脱いでるの!」
「あつい」
「すぐエアコンをつけるから、服を着て」
「どうして?」
「僕の母さんは、下着だけでうろうろしたりしなかった」
「こどものときも? あついとき、ウチだとだいたいこんなカッコだよ」
「ここは君の家じゃない」
「でも、あたしはカズマのママだよ」
「いいから服を着て。麦茶を飲んだら帰るんだ」
「イヤ。ユナをたすけてくれるまでかえらない」
「助けるから、服を着なさい」
「イヤ!」
この部屋の壁の向こうはコンビニで、住居部の一部屋はバイトの休憩や荷物置き場に使われている。大声を出されたら誰かに聞かれる恐れがある。服を着せずに追い出したら、僕は間違いなく通報されるだろう。
彼女はいかにも子どもっぽく振舞っているけど、本当にそうなんだろうか。計算された行動のようにも思える。でもまだ5歳か。僕が5歳の時にそんな真似が……出来なくもないか。いずれにしても、この格好の彼女と同じ部屋にいるのはまずい。さっさと解決してしまおう。
「ちょっと出かけてくる。冷蔵庫の中にある物や、その周りのカップ麺とかは好きに食べていい。帰る時には鍵を忘れず掛けて」
そう指示すると、薄い色のスラックスと白い半袖シャツに着替えてから家を出た。




