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三十二話 「メトロ」

 夏休みの初日、とはいっても土曜日なので部活はない。何の連絡もなくメトロが僕の家にきた。


「どうしても無理なのか? 今年も来るっていう子は、がっかりするぞ」


 4ヶ月ぶりに会ったのに、僕の顔を見ると挨拶もなく詰問調で話し始めた。


「メトロさえ行けば大丈夫だって。皆はお前に会うのを楽しみにしてるんだよ。僕が担当していた分の作業は、去年と同じように進めてくれればいい」


 メトロが言っているのは、小学校の4~6年生を対象とした無人島キャンプのことだ。去年はメトロに誘われて僕もスタッフとして参加した。メトロはいつも通りにみんなをガンガン引っ張ったので、どのイベントも大いに盛り上がった。

 去年のキャンプは参加者からの評価が高かったので、今年は去年参加した4年と5年のほとんどが参加するだけでなく、新しい参加者もいつもより増えたそうだ。小学生の数は30人近くになった。


「そんなことないって。あの晩のアミの話に感動してたやつは多かった」

「言っとくけど、もし参加してもまたあの話をする気はないからな」


 キャンプには、いじめなどで学校生活が上手くいっていない子が多かった。そういう子たちを支援する団体が企画したキャンプだからだ。僕はキャンプの後半で参加者たちに、つらい時に気持ちを楽にする方法について自分の体験を交えて話をした。

 その予定があったわけではなく、自然にそんな話をしてしまっただけだったが、それがスタッフも含めて意外と高評価だった。今年は半数近くが同じメンバーだ。また同じ話を聞かせるつもりはない。


「それを強制する気はないよ。だからまたやろうぜ」

「僕だって予定があるんだ。一週間も留守にできないよ」


 僕だってあの子たちにまた会いたいという気持ちはあるが、今の状況でまともな通信手段のない場所に一週間近く留まるのは無理だ。アイナスとさぽDが揃って一週間も音信不通になるのは、いくらなんでも怪しすぎる。


「アミが参加できないのは、あいつらと関係あるのか?」


 相変わらず鋭いな。メトロがあいつらと言うのは彼女たち三人のことだ。戻ったときの僕の状態がひどかったため、メトロは彼女たちに対してかなり悪い印象を持っている。僕が彼女たちに対する心境の変化を伝えようとしても、メトロにしては珍しく人の話を素直に聞かずに、逆に彼女たちの悪口を言うありさまだ。


「その話はもう止めよう。僕には僕の納得できる理由があって行動しているんだ」

「ボロボロなってた自分の気持ちは無かったことにして、また元の仲良しに戻ったわけか?」

「……その辺には触れないでくれ。微妙な状況なんだ」


 メトロは意外そうな顔をしていたが、やがてその口元に笑みを見せた。なんだか嫌な予感がするが、僕の予感はあまりあてにならないので、今は気にしないことにした。




 前の小学校に戻ってから半年ほど経ち、僕が元気を取り戻すと、メトロの行動力は大幅にアップした。面白いと思うことがあれば手当たり次第に参加したし、納得できないことがあれば自分が正しいと思うように変えようとした。

 メトロは対面した相手の気持ちを読んで、それに対応するのが驚くほど上手かった。しかしその場にいない関係者や建て前を気にする大人への配慮が足りなかったので、やりすぎてトラブルになることも多かった。僕がその辺りをフォローするようになると、メトロに対する周囲の評価は急上昇していった。


 僕とメトロがその地域の公立中学に上がると、メトロは一年で副会長として生徒会に入り、二年で会長に選ばれた。会長になったときは、誰もが対抗馬になることをあきらめて選挙にならないほどの人気だった。

 メトロを嫌う者がいないわけではなかったが、中学では男女を問わず好意を持つ人の方が遥かに多かった。女の子にモテるということで彼を僻む男もいなくはなかったが、本人はどの女の子に対しても友人以上の態度を見せなかった。

 相変わらずメトロには、僕への評価を高くしすぎる傾向があったが、少なくとも人前で過剰に持ち上げたりはしなかった。第三者への配慮もできるようになって、最終学年になった頃には僕がフォローする必要はほとんどなくなっていた。




 メトロはキャンプの計画について、もっと面白くできないか相談したいようだった。メトロを僕の家に泊めて、色々と話し合うことにした。


「島神様のセリフをもう少し増やした方が良くないか。特に二回目の子に使うセリフが足りないと思うぞ」

「マイクで話した声をリアルタイムに変換できるけど、あの雰囲気を強く出すには色々調整しておいた方がいいか。テキストでセリフを打ち込んでおいてくれれば、僕が当日までには作っておくよ」


 打ち合わせ中にも、メトロのスマホには色々と連絡が入ってくる。相変わらず忙しいやつだ。メトロは急ぐ必要のあるものだけを選んで返事を返していたが、それでも僕との話はしばしば中断した。僕にもアイナスやさぽDとしてやらなければならないことがあったから、互いに時間を持て余すことはなかった。




 次の日は、午前10時から守川さんが在籍してるN大学で柔道部の監督やコーチたちと打合せを行った。メトロは当然のように僕の後をついてきた。打合せが済むと、僕はコーチや部員の一部と共にシステムの機材一式を持って、風津高校の柔道部に向かった。メトロは同行するだけでなく、持ち前の会話力で大学のスタッフジャンパーまで借りていた。


 このシステムは、守川さんに持ちかけて僕が開発を進めたものだ。試合中の選手を二台のカメラで異なる方向から撮り、その画像を解析することでミリ単位の動きを数値化する。そしてこの数値から、選手の筋力や反応速度や柔軟性や動きの癖が確認できる。

 このシステムには、室内で激しく動く選手の姿を、道着の縫い目が確認できるほど解像度が高くてぶれていない動画で撮れる機材が必要だ。そして今なら、普及クラスの一眼レフとレンズで必要な画質の動画を撮ることができる。


 柔道の場合は互いに組み合った状態での動きが多いので、体の各部の移動量から一人の運動能力を計測することは難しい。同じ力で押し引きしても、相手がその力にどのくらい抵抗するかで動きは変わる。

 その点、守川さんがやっている空手だと、相手に触れている時間が短いため各部の動きが計測対象の運動能力だけで決まる。まず空手でプロトタイプを開発してから、蓄積したデータを基に推測の精度を上げて柔道にも応用していくというのが僕の狙いだった。


 システムが上手く完成して実績を上げても、それを母校の柔道部で採用してもらえるかは別の問題だ。今まで行っていた指導方法を変えるというのは、教える方だけでなく教えられる方にとっても簡単ではない。そこで体育会系の人間関係を利用させてもらった。

 風津柔道部の岸峰監督にとって、守川さんのいるK大学柔道部の内山監督は学生時代の先輩で頭が上がらない相手だ。部員は大学の交流練習に参加させてもらっているし、風津を卒業してK大学の柔道部に入った部員も少なくない。内山監督から話を持ちかけてもらうことで、僕のシステムの試用を認めてもらうことができた。




 そうして僕は、常雷がいる柔道部の道場にいる。監督や男子部員のレギュラーその他は全国大会の団体戦が行われる九州まで遠征していて、今道場にいる男子部員はそれ以外の十数名だ。陽向を含めても5人しかいない女子は大会不出場だ。

 部員のデータを取るのは大学のスタッフにお願いしている。当初の計画では僕は部員たちには姿を見せず、裏方としてデータの解析だけを行うつもりだった。しかし終業式の日、陽向は僕に自分の気持ちを伝えようとしてくれたから、僕は悩みながらもスタッフの一人として自分の姿を見せることにした。部員以外の見学者の中にイチカとマナミの姿もあったのは計算外だったが。


「おい。例の三人、今ここに来ているのか?」


 機材を設置している僕にメトロが話しかけてきた。


「柔道着を着た女子で一番背の高い子と、入口の横に立ってる二人だよ。あんまりジロジロ見るなよ」

「……お前の話と違うんじゃないか?」


 今の容姿について説明してなかったな。


「昔の写真は見せただろ。小学生の時はあんなだったんだよ」

「ん? そういうことじゃ……」


 複雑な顔で何か考え込んでいるメトロ。その姿はさっきから見学に来た女の子や女子部員からの視線を集めている。メトロがモテるのは見慣れた光景だが、僕はそれをこいつの外交性の高さからだと思っていたから、全くメトロのことを知らない女の子にまでこんなに関心を示されるとは思わなかった。


 端正な容姿のメトロだが、中学の時にはわざと表情を崩したり、滑稽さを感じさせるような仕草を見せていた。その方が男子生徒からの受けが良く、生徒会長としての活動には男女両方からの支持が必要だったからだ。しかし今日のメトロは、顔には柔らかな笑みを浮かべ、男優のような隙のない姿勢と動きを見せていた。


 三人もメトロのことは気になるようで、僕を見ているのかと思えば実際には近くにいたメトロの方を見ていたということが何度かあった。この時ばかりは、メトロと一緒にいるのが嫌になった。


 僕がシステムのセッティングを手伝っていると、いつの間にかメトロがイチカとマナミの所にいる。何やってんだよ、あいつは。イチカが厳しい顔でメトロと話をして、マナミはその後ろに立っている。三人のことが気になってしょうがない僕だが、今は機材から離れることができない。

 コードの接続を間違えて焦っている間に、道場から三人の姿が消えていた。そのまましばらく待っても道場に戻ってこない。さすがに放っておけなくなり、僕はトイレと言いながら様子を探りに行った。




「わたしたちが?」

「どうかな? アミは都合が悪くて行けないって言ってるけど、本当はあの子たちとまた会いたいんじゃないかな」


 僕が声の聞こえた方に行き、廊下の角から様子を窺うと、小声で話し合っているイチカとマナミ、少し離れてその様子を見ているメトロの姿があった。マナミに何かを言われて考え込んだイチカは、やがてメトロの方に向き直った。


「その話、受けてもいいわ」

「OK。詳しいことは後で連絡する」


 僕は三人に見つからないよう、その前に道場へ戻った。いったい何を話していたんだ? 僕はわざと厳しい顔をして道場に入ってきたメトロに話しかけた。


「微妙な状況だって言っただろ」

「お前の予定が変わるようなことはしてないって。……いや、そうでもないか」

「おい!」


 メトロは楽しそうな顔で言った。


「とりあえず、キャンプはお前も参加すると言っておくよ」

「?」

「少なくともあの二人はキャンプに来るぞ。柔道の子も誘うんじゃないかな。お前だけここに残っても意味はないだろ?」


 それが本当だとすると、僕には二人がこの話を受け入れた理由を全く理解できない。


「彼女たちとはもう俺のことを知ってたよ。誰から聞いたのかは教えてくれなかったけど、思った以上に彼女たちは友好的だったから、その誰かは俺のことを高く評価してくれたみたいだね」


 誰だろう。守川さんが僕を尋ねて来たとき、メトロに会ったんだろうか。


「二人に何を言った」

「今回の無人島キャンプは女子の参加者が多いから、女性のスタッフがもっと欲しいと思ってたんだ。彼女たちに去年のキャンプの様子とかを話してダメ元で誘ってみたんだが、意外なくらいあっさりとOKしてくれたな」


 キャンプでは一週間もの間、無人島に留まることになる。メトロの交渉能力が飛び抜けて高いといっても、初対面の相手に誘われてその場でOKを出せるような話じゃない。もっとメトロを問い詰めたかったが、今日この道場に来た理由を忘れるわけにはいかない。

 全部員の計測を終えて機材を片付け始める頃には、メトロは道場から姿を消していた。家に帰ってから説明を求めても、はぐらかすような返事しかしない。守川さんに確認してみたが、彼はメトロのことを知らなかった。

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