三話 「転校」
僕が小見小学校に転校したのは3年生の夏休み明けだった。ようやくほとんどの子の名前を覚えたころに学年が変わって、クラスメートの4分の3が名前を知らない子になった。
名前をなかなか覚えられないのは、僕があまりクラスのみんなと話をしないからだ。転校生だからというのではなく、前の学校でもそうだった。クラスの男たちはアニメとゲームのことばかり話しているから、僕はその会話に加われない。
これを言うとみんな驚くけど、僕の家にはゲーム機どころかテレビも無い。PCはあるから、その気になればアニメを見ることはできるけど、それより本を読んだり、PCを使って調べたりプログラミングする方が楽しい。
転校と同時に、僕と母さんは母さんの実家で暮らすようになった。母さんは小さいころから持病があって、大人になってだいぶ良くなっていたんだけど、最近またそれが悪くなっているらしい。この病気の治療にはたくさんのお金が必要で、父さんはそのお金を稼ごうとして仕事に失敗し、多額の借金をかかえてしまった。
父さんは母さんの母さんである峰子さんと話し合って、借金を返すまでの間、僕たちの籍を外して母さんの実家に預けた。僕の苗字は網矢から千宝に変わった。母さんは駆け落ちのようにして家を出たので、父さんはできるだけ援助を受けたくなかったようだけど、母さんの体には変えられない。
母さんの実家は高い塀に囲まれた大きな屋敷で、峰子さんと伯父さん、つまり母さんのお兄さんの家族が住んでいる。母さんと僕はその敷地内の離れに住んでいて、離れは少し古い作りだけど一軒家としても十分に大きく、三人で住んでいた家より広いくらいだ。
峰子さんを含め、この家の人たちは僕と話す時にあまり表情を変えず、話す言葉も必要なことだけだ。最初は嫌われているのかなと思ったけど、しばらく経つと誰に対してもそうなのだと分かった。話していると、なんとなく昔の自分を思い出した。
僕は幼稚園に入る前から、僕と母はいかに少ない言葉で会話できるかというゲームをよくしていた。例えばこんな風に、相手の言葉を素早く理解して次々とつなげていくのだ。
「コップを棚」「高い」「イス」「危ない」「車輪」
これを普通の会話に直すとこうなる。
「コップを食器棚にしまっといて」
「棚が高くて手が届かない」
「イスを使えばいいでしょ」
「前にイスを台にしたら、危ないって言った」
「あれは車輪がついた椅子だったからよ」
言わなくても分かることは口にしない。できるだけ短い時間で言葉を返す。4歳ぐらいだった僕はそれが正しい話し方だと思っていた。だから母さんが普通に話しかけてきても、それを断ち切るように言葉を返した。上の会話の例だとこんな感じだ。
「コップを食器」「高い」
「イスを」「危ない」
「あれは車輪が」「分かった」
父さんも面白がってこの遊びに付き合ってくれた。とは言っても、文章を書くことを仕事にしていて、ほとんど家にいる母さんとの会話の方が圧倒的に多かった。母さんは本も出していて、昔は心理学の本が多かったけど、今はエッセイ集がほとんどだ。
家族以外の人が家に来た時には、僕は普通に会話をしていた。共通の経験が少ないので『言わなくても分かること』もほとんど無いからだ。そのため母さんは、僕が家族以外とはそんな話し方をしないと思っていたようだ。
僕が幼稚園に入園したとき、入園直後は先生や他の園児と普通に会話していたけど、心の中ではすごくもどかしく感じていた。何日か経って『共通の経験』が増えてくると、僕はどんどん言葉を削り始めた。すると、園児はもちろん先生とも会話が成立しなくなった。
しばらくして幼稚園に呼び出され、自分の子どもが気の毒な子扱いされていることを知った母さんは、とても怒って僕を幼稚園に通わせるのを止めた。
知的好奇心に満ち溢れていた当時の僕に、母さんは電子版の辞書や辞典をたくさんインストールした非ネット接続のPCを時間制限付きで使わせた。中には全ての漢字にふりがなのついた小中学生向け百科事典などもあって、最初の頃はそれを中心の読んでいた。数ヶ月経った頃にはふりがなは必要なくなり、それ以降は全年齢版を読むようになった。
僕はその頃、本を読むのがあまり好きではなかった。特にひらがなばかりで書かれた本は、読みづらいうえに説明もくどくて読む気がしなかった。
ところが漢字を読めるようになると、一目で言葉の意味が分かることで本がとても読みやすくなった。さらに読み慣れてくると、漢字と句読点近くのひらがなを見るだけで文全体の意味がつかめることが分かった。一文字ずつ読むのではなく、ページを横切るように本を読めるようになった僕は、PCが使えない時間に大量の本を短時間で読み進めるようになった。
一年が過ぎて、僕は幼稚園に年長組から入園することになった。母さんもその頃には、僕が家族以外とも会話ゲームを始めることに気付いていたので、幼稚園での会話ゲームは母さんに禁止された。僕にとって、幼稚園はとても退屈な場所だった。
小学校に入学するとすぐに知能テストがあった。僕は飛び抜けて高い値を出したため、母さんは学校に呼ばれて先生からの質問を受けた。幼稚園で積極的に行動していなかった僕は、知能が低いと評価されていたようだ。
後で母さんが説明してくれたけど、子どものときに受ける知能テストで分かるのは、頭の良さというよりどれだけ早熟かということらしい。きちんと勉強していれば今ある差を保つこともできるけど、さぼっていたらいずれみんなに追いつかれてしまう。
「和真。ちょっとこの本を読んでみて」
母さんに渡された三百ページほどの文庫本は、あまり読みなれない内容の本で読み終えるのに10分以上かかった。読み終えると母さんが僕に尋ねた。
「どうしてこの人は自分のお兄さんを憎んでいるのか分かった?」
「分からない。お兄さんは親切な人だし、言葉に裏があるとは思えない」
「嫉妬してるのよ。この男は社会的には兄より高く評価されているけど、計算高い所があってそれに気付いている人からは表面的な付き合いしかしてもらえない。騙され易くて馬鹿にしている兄が、そういう人から自分より信頼されているってことが許せないのよ」
僕は本の内容をもう一度思い返してみたけど、母が言ったような記述は思い当たらなかった。
「でもあなたの読み方だと、そういうことが読み取れない。文章には全ての文字を読まないと理解できない意味もあるのよ。会話だって同じ」
それから僕は、母さんに勧められた本を流し読みではなく一文字ずつ拾って読むようになった。分からない所があれば母さんに聞いた。説明してもらっても理解できないこともあって、特に恋愛に関してはいくら考えても納得できないストーリーが多かった。
母さんは、言葉の使い方の例として有名な弁護士の口頭弁論の記録集を読ませてくれた。同じ言葉を使っていても、並べ方やその前後の文章によって受け取られる意味は大きく変わる。そのことを僕はとても面白いと思った。
僕が1年生から通った小学校では、親が学校での様子を子どもから聞いて、その感想を担任にメールで送るという習慣があった。親に子どもとその教育について関心を持ってもらおうという目的で始められたものだったけど、締め切り前で執筆に集中しているときの母さんに、僕はあまり時間を取らせたくなかった。
僕は母さんのために、母さんが僕から聞いて書いたかのように学校であった出来事を書いた。母さんはその文章を読んで感想を付け加えるだけでいい。最初はいかにも子どもが書いたという文章で、母さんは感想だけでなくそんな表現の修正もしていた。でもそれを繰り返す内に、僕は修正なしに送れる、大人が書いたような文章を書けるようになった。
転校した今の学校ではもうそんな習慣は無くなったけど、たまに親からの連絡事項を連絡帳に書いてもらわなければいけないことがある。母さんが入院している時にそんなことがあると、母さんの筆跡をまねて僕が書いたこともある。
ネットへのアクセスを許可されてから、僕が最も興味を持ったのはプログラミングだった。基本的な英文の知識と翻訳サイトがあれば、最先端の情報であっても簡単に手に入った。開発者向けサイトの掲示板では、一定以上の知識があれば子どもかどうかは関係なかった。
ある目的を果たすためにどうすればいいか。プログラミングでは正解と言える手順が無数にある。ただし手順の選択に制限はなくても手順の誤りはわずかでも許されない。自由でありながら厳密でもあるところが、僕にはとても面白かった。