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二十九話 「感情」

 僕は中学の頃から、動画で使う日常品の3Dデータを『さぽーとD』という名前で公開していた。外観をアニメ調に調節することも可能な著作権フリーのデータだ。昔から『マルティナミ』の名前で作品を発表している優祈も利用者の一人だったが、彼女には『さぽーとD』が僕だと気付かれていないはずだ。

 イチカの件でアリバイ作りに自信を得た僕は、そろそろ彼女の作品作りに本格的に協力することにした。




 優祈がずっと前に発表した作品に、幻想的で悲しい曲があった。これを動画で表現するのは難しかったのだろう。組み合わされたのはうつむいた少女の静止画一枚だけで、発表時の再生数も伸びなかった。僕はこの曲を聞く度に、何かをしてやりたいのにできない、もどかしい気持ちがわき上がった。

 僕は『マルティナミ』のWebメールへ、曲の使用許可を求めるメールを送った。


--------

 マルティナミさん。お願いがあります。3年ほど前に公開された『たずね、びと』という曲を私の動画に使わせていただけませんか。さらにわがままを言えば、曲のラストに若干のアレンジを認めていただきたいと思います。作品はマルティナミさんに確認をお願いして、許可をいただいた場合だけ公開します。

--------


 優祈からは、その日の内に返信があった。


--------

 さぽーとDさん。いつもお世話になってます。皆さんにはあまり受けの良くない曲だけど、気に入ってもらえたなら自由に使っていいですよ。

--------


 その作品はすでに完成してる。僕は曲から受けたイメージは、何かを探し続ける少女の姿だ。動画ではいくつもの幻想的な世界を少女が訪れる。最後の部分で希望を感じさせるようにしたかったので、曲のアレンジは最小限にして動画の演出を工夫した。

 その世界をCGで表現するのに単体PCのパワーでは力不足だった。そのため僕は、高校のコンピュータ教室にある100台強のPCを使った。これらのPCは、授業で使われている時でもCPU使用率がほとんど1割未満で、その余った使用率で分散処理を行ったのだ。

 芸術性はともかく、CG技術としては商業作品と比べても遜色のないものになった。




 部活中、優祈に作成した動画とチャットルームのアドレスをメールで送った。部活中にPCからサウンドを出すときは、周囲に迷惑をかけないようヘッドホンを着けることになっている。大きなモニターの陰ではっきりとは見えないが、優祈はヘッドフォンを着けて画面に集中したようだ。

 優祈の反応が気になって仕方がない。彼女のPCに付いているカメラで盗み見することは簡単だが、彼女のためでないならそんな真似はしたくない。優祈がチャットルームを訪れるのをただ待つことにした。


 曲の再生が終わる時間が過ぎて、さらに数分経っても優祈はチャットルームに入ってこない。それまで期待と不安がせめぎ合っていた僕の心で、不安がどんどん大きくなってきた。優祈の方を見た歩原が、驚いた顔で席を立って優祈の後ろに立ち、その肩に手を置いた。優祈はうつむいたまま立ち上がり、二人で部室を出て行った。


 予想外の反応で、僕の体に冷や汗が流れる。二人が部室に戻ってくるまで、僕はひどく長い時間に感じたが、時計を見ると二十分ほどだった。優祈が席に着き、しばらくしてチャットルームに入ってきた。


--------

マルティナミ> ありがとう! 言葉にできないくらい感動しました!

--------


 死刑を求刑されていて、無罪判決が出た被告の気分だった。安堵感の後から喜びが湧いてきた。


--------

さぽD> 気に入ってもらえて、とても嬉しいです。

マルティナミ> こんな作品になるなんて、想像もしていませんでした。

マルティナミ> 本当にすごいです。びっくりしました。

マルティナミ> とっても幸せな気持ちになれました。

さぽD> ちょっと待って。

--------


 僕はそこまで褒められるほどの出来ではないと思っている。優祈の後ろに立っていた歩原が優祈に何か言った。


--------

マルティナミ> ごめんなさい。あたし、言葉だけだと上手く表現できなくて。

さぽD> 喜んでもらえたことはよく伝わりました。これからも協力させてもらえますね?

マルティナミ> はい。もちろん。

--------


 技術的には個人の作品とは思えないような動画だと思うが、技術と作品の質は同じじゃない。作者の意図にない曲の解釈を僕がつけ加えたという自覚もある。優祈の評価は、予想外のものを見た驚きでかなり補正されているだろう。

 自分をのぼせ上らないようにそんなことを考えるほど、僕は彼女の反応が嬉しかった。


--------

マルティナミ> さぽーとDさんに、お願いがあります。

さぽD> 何でしょうか。私にできることなら。

マルティナミ> あたし一人では最後まで作れなかった曲がいくつかあります。それを完成させて欲しいんです。

マルティナミ> あなた以外には、お願いできません。

さぽD> そこまで言っていただけるのなら喜んで。でも完成まで私にまかせるのでなく、互いに意見を出し合いながら一緒に作りましょう。

--------


 曲の数だけ優祈を喜ばせたい。そう思いながら僕は彼女から曲のデータを受け取った。続きは曲をじっくりと聞いてからだ。僕と優祈は、その日の夜8時にまたチャットすることを約束した。




 その曲を聞いて僕は驚いた。


 激しい感情を直接ぶつけてくるような曲だった。悲しみ、恐怖、憎しみなど、マイナスの感情を強く感じさせる曲も多かった。受け取った曲にはどれもタイトルがなく番号だけがつけられていた。

 今まで優祈が作った曲は、それを聞いた人に楽しんでもらおうとする耳触りの良い曲がほとんどだった。『たずね、びと』は悲しさを感じる曲だが、今回受け取った曲の表現ほどあからさまではなかった。


 彼女はどこでこんな感情を味わったのか。僕が思いつくのは、あの計画書のことだけだ。 彼女たちが僕に厳しく当たるのは、あんな計画書を作った僕への嫌悪感だと思っていた。だけど僕が優祈の曲から感じたのは、悲しみと怒りの混じった感情だった。

 少なくとも優祈は、あの讐計画書を読むまで僕を信頼する気持ちがあったのかもしれない。だったら、あの内容を読んだ彼女は、僕にひどく裏切られたと感じただろう。


 だけど、彼女の心に僕への気持ちが残っているなら、まだ遅くはないはずだ。




--------

マナミ> こんばんは。ユーザー名からルティを抜きました。

さぽD> こんばんは。確かにこの方が見やすいですね。

マナミ> 曲を聞いて、どうでしたか?

さぽD> 正直に言って、この曲は『皆さんにはあまり受けの良くない曲』になると思います。でもこのような曲を求める人に対しては、より深く伝わる曲になるでしょう。

マナミ> さぽーとDさんにとって、作って楽しい曲でしょうか?

さぽD> 私は期待していますよ。マルティナミさんを成長させる曲だと思っています。

マナミ> ここではマナミと呼んでください。あたしもさぽDさんと呼びます。

さぽD> 分かりました。

マナミ> まず、どうしたらいいんでしょう。

さぽD> 聞いてみて、表現が不安定だと感じる曲がありました。例えば3番ですね。この曲からは、怒りよりも深くて暗い、恨みとか憎しみというようなものを感じました。

マナミ> 恨み……ですか。

さぽD> おそらくマナミさんは、そういった感情になじんでいないんでしょう。

--------


 自殺するほど悩んでいたときにも、マナミはそんな感情を見せなかった。


--------

マナミ> どうすればいいんですか。

さぽD> そうですね。私なら、まずその気持ちを理解しようとしてみますね。

--------


 マナミの返事を待った。どうしたらいいかマナミなりに考えているんだろう。


--------

マナミ> さぽDさんにもそのような感情はありますか。できれば、具体的にどのような感情なのかを教えていただきたいのですが。

さぽD> ないとはいえませんが、人に説明するのは難しいですね。具体的というと?

マナミ> 恨みなら相手がいますよね。さぽDさんは、何故その人を恨んだのですか。

--------


 文体が変わったように感じる。それだけ彼女が真剣だということか。


--------

さぽD> あくまで私の考えですが、強い恨みというのは2つのケースがあると思います。

さぽD> 一つは、相手から感じ続けたものが自分の中で積み重なっていったケースです。

さぽD>もう一つは、相手への思いが何かの出来事で入れ替わったケースです。

マナミ> 入れ替わった?

さぽD> 例えば、大切だと思っていた人に裏切られて、好意から憎しみに変わったような場合です。

さぽD> 可愛さ余って難さ百倍とか言うでしょう。

マナミ> その気持ちは、もう元に戻らないんでしょうか。

--------


 その言葉に、僕との関係をとり戻したいという彼女の気持ちを感じた。


--------

さぽD> 感情というのは、心の状態というより心の動き、心の変化です。

さぽD> だから互いに刺激を与えたり、自分で思い返したりしなければ、相手への感情はどんどん弱まっていきます。

さぽD> 時間が解決してくれるとも言いますね。憎しみであっても同じです。

マナミ> それでは相手への関心が薄れただけです。元に戻ったとは言えません。

マナミ> 『愛の反対は憎しみではなく無関心』というのはご存知ですよね。

さぽD> マザー・テレサの言葉ですね。

さぽD> しかし憎しみを愛に変えるのは難しいでしょう。確実といえる方法はありません。

マナミ> 確実でなければ、何か方法はあるんですか。

さぽD> まず自分の気持ちを、憎しみであっても、相手にぶつけることです。

さぽD> 受け止めてくれないような相手なら、元に戻れる可能性は無かった。そう割り切りましょう。

マナミ> 相手が受け止めてくれれば、それで気持ちが変わるんでしょうか。

さぽD> 相手は当然苦しみます。苦しみに耐えて受け入れる姿を見て憎しみ以外の感情を抱けば、それが関係を変えるきっかけになるでしょう。

マナミ> そうなんですか?

さぽD> 誰もがそう思うわけじゃありません。

さぽD> ほとんどの人間は臆病ですから、自分の優位を確信できないと、一度敵意を持った相手には心を開けないということもあります。

--------


 マナミからの書き込みが途絶えたが、僕はそのまま待ち続けた。


--------

マナミ> さぽDさんのお考えは分かりました。ありがとうございました。

さぽD> 自分の気持ちに素直になってみましょう。

さぽD> 無責任な言葉と思われるでしょうが、たぶん大丈夫ですよ。

--------


 これで彼女が僕を責める態度はより厳しくなるかもしれない。でもそれは、彼女が僕を許せるようになりたいと考えての行動だ。焦ってこの関係を壊さないよう、僕は細心の注意で行動しなくてはならない。

いただいた感想に、背中を押されるような気持ちで書いています。修正を繰り返すばかりで、なかなか筆が進みませんが。

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