二十五話 「彼女たち -望み-」
-------- 常雷陽向 --------
ドゥクスが何日も部屋から出てこない。そう峰子さんに聞いた。
オレのせいだ。あの時、オレたちはドゥクスが病院に来るのを待つべきだった。そして許してもらえなくても、オレたちがドゥクスにしたことを謝るべきだった。
怒られて、責められるべきだった。オレが昔、ドゥクスを責めた時にドゥクスはオレの言葉を受け止めてくれたのに、オレがしたのはただ逃げることだけだった。しかも、一華とまなみからもその機会を奪った。
オレは二人の家に行って強引に連れ出した。
「オレたち、いつかドゥクスが困ったときに何かしようって言ったじゃないか。本当はもっと早くドゥクスの力になるべきだったんだ。オレは自分のことばかりでちゃんとドゥクスを見てなくて……」
ドゥクスには今さらと言われるかもしれないけど、何もしないのはもっと悪いと思った。
「笑顔にならないとダメだ。そんな死にそうな顔のお前らに会ったら、もっとつらい思いをしてるドゥクスはどうしたらいいんだ?」
「笑えないよ、ヒナちゃん。あんなことしたのに笑ってたら、ドゥクスが怒るよ」
「怒られるべきなんだ。オレたちは怒られることをしたんだから」
「……そうね。ヒナの言う通りよ。あんなことがあったのに、気持ちをぶつける相手がいないなんて、すごくつらいと思う」
オレたちは互いに、笑顔になっているかを確認した。二人ともこんなヘタクソな笑顔は見たことがないという顔だったが、たぶんオレも同じなんだろう。
今日は、正門に回って呼び出しボタンを押した。カメラがオレたちを見ている。大きな扉が自動で開き、中で峰子さんが待っていた。
「ついてきなさい」
峰子さんの後をついて離れの玄関まで来た。峰子さんは一人で中に入り、しばらくしてから出てきた。
「貴方たちが来たことは伝えたわ」
そう言って、母屋の方へ帰っていった。オレはいつまでも待つつもりだったが、すぐに家の中から足音がして、玄関の戸が開いた。ドゥクスが姿を現してオレたちの顔を見た。
その顔を見て、オレは色々と考えていた言葉を忘れた。他の二人も同じように感じたのだろう。何も言わなかった。いつも相手の目を見て話をするドゥクスの視線が、フラフラとさまよっていた。目が合うのを避けているのではなく、何か物を観察しているように感じた。
「帰れ」
それだけ言うと、また玄関の戸は閉じられた。何もできずに立ち尽くしていたオレに、どこからか笑い声が聞こえた。一華が笑っていた。
-------- 歩原一華 --------
可笑しくて仕方が無かった。わたしはここに来るまで自分のことしか考えていなかった。ドゥクスに怒られたらどうしよう。ドゥクスに軽蔑されたらどうしよう。そればかりだった。ドゥクスとわたしたちのつながりは、傷ついたり弱まったりすることはあっても無くなることはない。そう思っていた。
苦しんでいたドゥクスに何もしてあげなかった。そのことをもっと考えるべきだった。ドゥクスがわたしたちを見る目には、何の感情も無かった。関心のない物を見る目だった。わたしたちは、とっくにドゥクスに見捨てられていたのだ。わたしたちはドゥクスにとって不要な存在なのだ。もうわたしたちに価値はないのだ。
自分の馬鹿さ加減が可笑しくて笑い続けた。笑い過ぎて涙が出てくる。笑い声も涙も、いつまでも尽きることなくわたしの中から溢れてきた。
わたしもその日からほとんど部屋を出なくなった。数日経って、離れに置いてある私物を取りに来るよう、峰子さんから電話があった。ドゥクスは転校して、不要になった離れは壊すとのことだった。捨ててくださいと言って電話を切った。
二日後、ヒナが私の部屋に入ってきた。泣き腫らしたような目をしていた。わたしが寝ているベッドまで来て、手に持った封筒から厚い紙の束を出した。
「読んで」
意味が分からずヒナを見たわたしに、ヒナは続けて言った。
「ドゥクスの家の床下に埋めてあった。ドゥクスの日記。一華のことが書いてあるから読んで」
読めと言われればわたしは読む。部屋を出なくなったといっても、言われれば食事や風呂には行く。何かをしたいと思わないが、何かに逆らう気力もない。
日記を読んでいる内に、その当時の感情が私の中で少しずつ再生されてきた。まなみやヒナを助けてもらった時に何が起こっていたのかは、知らないことも多かった。ドゥクスがどれほどわたしたちを大切に思ってくれていたのか。お母さんに近付く死におびえながら、わたしたちを傷つけまいとどれほど苦しんだのか。
気が付くと、私の中に戻ってきた感情に押し出されるように、この前とは違う涙があふれ出していた。ドゥクスが大切にしてくれてたものを、わたしたちが粉々にしたということに間違いはない。わたしが何をしても、もう無駄なのかもしれないけど、少なくともドゥクスがわたしたちにしてくれたのと同じくらいは、わたしも何かをするべきなんだ。
日記を読み終わった。最後の行に書かれていたことが気になってヒナを見ると、ヒナは別の封筒をわたしに手渡した。
-------- 優祈まなみ --------
あたしはPCの前で、ドゥクスと一緒に作った曲と動画を何度も再生している。何百回目かの再生をしているとき、いっちゃんとヒナちゃんが私の部屋に入ってきた。二人とも目を真っ赤に腫らしている。
日記を読み終わり、心の中がいっぱいになった。それを伝えたくて、あたしは二人に抱きついた。読んだ日記の文字がいくつもの音符に変わり、嬉しい曲、悲しい曲となって私の中にまだ不完全なまま流れていた。ドゥクスだけにできる何かが加わらないとこの曲は完成しないだろう。生まれてくることのないかわいそうな子たちだ。
いっちゃんは日記とは別の封筒から、文字以外にも色々と印刷してある紙の束を出した。
「細かいことはわたしにも分からないから、簡単に説明する。これはドゥクスがわたしたちに復讐するために考えた計画書よ」
「復讐?」
「そんなことをするほど、ドゥクスがあたしたちを気にしてるとは思えないよ」
あたしの頭には、最後に見たドゥクスの姿が焼き付いている。
「でも、少なくともこれを書いた時にはそうじゃなかった」
いっちゃんは、手に持った紙の束をあたしの机に置いて、それをめくっていった。
「わたしたちは法律によって守られているけど、法律は完璧じゃなくていくつも穴がある。法律を作る人たちが見つけた穴を埋めているけど、その作業にも順番がある。埋めるのは利用すれば利益を得られるような穴で、利用しても損しかしない穴だと、気付かれさえしないことも多い」
少し難しい話だけど、言いたいことは分かる。
「ドゥクスはそういった法律の穴を使って、大人になったわたしたちと会社を作ろうとしている。社員全員がお金を出し合って作る会社よ。その代表になるのがドゥクス。ドゥクスも含めて、わたしたちには会社を作ったことでたくさんの借金ができる。全てを捨てる覚悟がないなら、わたしたちはドゥクスと一緒にその借金を返さなくてはいけない」
ヒナちゃんにはよく分からなかったようだ。わたしはなんとか理解できる……かな。
「この法律の穴を使っても、ドゥクスが会社からもらえる利益が増えるわけじゃない。普通に会社を経営した方が、同じ努力で手に入る利益は多くなる。ドゥクスは、自分が損をしてでもわたしたちをこらしめたい、そう思ったからこそこんな計画を立てたのね」
ヒナちゃんがもどかしそうに言った。
「もっと簡単に言ってよ。ドゥクスの思い通りになったら、オレたちはどうなるんだ」
「ドゥクスと同じ会社に入って、ドゥクスに指示されて働くことになる」
「……あたしたち三人とも? ずっと一緒に?」
「そう。ドゥクスが役に立たないと思うまで」
「復讐……なんだよな?」
「ドゥクスにとってはね」
ヒナちゃんはあたしといっちゃんの手を握って、興奮したようにブンブンと振った。
「そっか。復讐か。ドゥクスがその気になったら、オレなんかが逆らえるわけないよな!」
本当にそんなことがあるんだろうか。
ドゥクスもいつかは好きな人ができる。それがもしあたしたち三人の誰かだとしても、他の二人はもうドゥクスとは一緒にいられない。でもドゥクスがあたしたちと一緒に会社を作ったら、あたしたちは毎日みんなでドゥクスと一緒にいられる。あの楽しかった休日みたいに。
「ただし条件があるの。わたしたちがドゥクスにしたことを少しでも反省していたら、この計画はなかったことになる。世間に成功していると思われてない人も、計画からは外される。ドゥクスの身近にいないと計画に巻き込みにくいから、三人が同じ学校や会社にいない場合は、ドゥクスが入った学校や会社にいる人だけが選ばれる」




