二十四話 「彼女たち -誤解-」
-------- 常雷陽向 --------
ドゥクスが嘘をついた。昨日、ドゥクスは誕生日のお祝いを断って大沢さんと会っていた。オレたちは三人ともその様子を目撃した。でもドゥクスは、お母さんの具合が悪くて行けないと言っていた。
あの時のドゥクスとの約束は、頭の悪いオレでも一言だって忘れていない。
『今後僕は、ここにいる三人に絶対嘘はつかない。それを約束する。その代りみんなも、僕が嘘つきだって話は絶対にしないって約束してくれ。この約束を破ったら、僕たちはもう友だちじゃない』
つまり、オレたちとドゥクスは『もう友だちじゃない』ということになった。ドゥクスはもうオレたちとは付き合わないと言ったわけじゃない。でもオレたちは、ドゥクスにとって、約束を破ってもいい程度の友だちだということだ。
一華やまなみはすごくショックを受けていた。オレだって同じだ。何かの間違いだ。そう思いたくてオレだけ二人の後をこっそりつけたけど、ドゥクスは大沢の買い物に付き合ってから、家まで送っていった。
『どうしてなんだよ』とドゥクスに聞きたかったけど、そうしたら本当に友だちじゃなくなってしまうかもしれない。だから何も聞けなかった。
ドゥクスのオレに対する態度が変わった。なんだかよそよそしい。気が付いたのはドゥクスがオレの裸を見た時からだけど、それで気まずくなったとは思えない。
あの時、ドゥクスが風呂場に近付いてくる足音は聞こえていた。もう帰っただろうと思っていることも分かっていた。ドゥクスが風呂場の戸を開ける前にバスタオルで隠すぐらいはできたけど、オレはそうしなかった。
いつも余裕を見せているドゥクスが、あわてる顔を見たかった。一華やまなみと違ってオレを女と見ていないドゥクスに、少し腹を立ててたこともある。この一年ほどで、オレの体型もちょっと女っぽくなっていた。
一華やまなみだってドゥクスに裸を見られたことがあるんだ。一華から聞いた話だけど、悪いのはまなみで、酔ってたドゥクスとまなみはそのことを覚えていない。
戸を開けた後に、ドゥクスは落ち着いてオレの体を見ていた。そうなると予想してなくてオレは困った。オレが声をかけようとしてようやくドゥクスは戸を閉めた。後ですごい勢いで謝られたけど、女と意識された気はしない。
考えてみれば、その前からドゥクスはオレが家に行くのを断っていた。綾香さんの具合が悪いからと言われて、あの日ドゥクスの家に行ったのは久しぶりだった。その後もまた綾香さんの病気を理由に断られてる。
だんだんドゥクスが遠くなっていく気がする。ドゥクスはすごい。オレたちに関わり続けてなければ、もっとたくさんの人を助けてたり、もっと色んなことをしていたのかもしれない。
オレは大沢が嫌いだ。体育館で研究発表会の準備をしてるときも、雑談ばかりして全然手伝っていない。男の話なんてオレには興味ない。その大沢がドゥクスのことを口に出したので、オレは大沢をもっと嫌いになった。
大沢もドゥクスに助けてもらったらしい。オレがドゥクスにしてもらったことに比べたら、百分の一にもならないけどね。それで最近、よくドゥクスの周りにいたのか。オレはそれを見ると何だかムカついたし、一華やまなみが悲しそうにしているとさらにムカついた。
大沢はドゥクスをよく知らないくせに、ドゥクスのことを自分だけが理解しているような口調で言った。一華やまなみが、それに反対するかのように口を出した。オレも、大沢なんかよりずっと付き合いが長いんだと言いたくて昔の話をした。
「シャワーを浴びてて、裸を見られた」
「それって、犯罪じゃないの?」
ドゥクスが誤解されそうになったので、あわてて説明した。
その後も、オレたちがどれだけドゥクスのことを知っているのかを、大沢に見せつけようとした。ドゥクスの嘘について話したときは、約束を思い出して心が痛んだけど、あの約束はもうドゥクスが壊してしまった。
ドゥクスのお母さんのことは守川さんから聞いた。病院のベッドでずっと寝ているらしい。ドゥクスが心配する気持ちは分かるけど、もうすぐ元気になって退院できる状態だっていうなら、オレはともかく一華やまなみにはもう少し気を使ってやって欲しい。
オレがさらに言葉を続けようとしたとき、体育館の舞台からいきなり誰かが跳び下りた。ドゥクスだった。
-------- 歩原一華 --------
「ここで探し物をしてたんだ。でも、そんなモノは元々なかったんだ。今、気が付いたよ」
こんな口調のドゥクスは初めてだった。全く感情のこもっていない声だったのに、とても怖かった。ドゥクスは体育館を出る前に立ち止まった。わたしたちのすぐ近くだったけど、ドゥクスはこちらを全く見ない。
「僕は、スケベで嘘つきでマザコンだけど、絶対に……」
そこまで言ってドゥクスの声が途絶えた、その目からは涙がこぼれている。わたしたちはその姿に驚くだけで、ドゥクスに何も言えなかった。そしてドゥクスの姿が体育館から消えた。
誰も研究発表会の準備作業を続けようとはせず、残りは始業式の後にすることになった。三人以外誰もいなくなって、体育館の隅に誰かの荷物が残っていることに気付いた。ドゥクスの荷物だった。わたしたちはドゥクスが荷物を取りに戻るのを待つことにした。
ドゥクスの涙を見てから、胸の鼓動が治まらない。あのドゥクスが、わたしたちの言葉なんかで泣いたりするだろうか。でもわたしには、あの表情が演技だとは思えなかった。
「何であんな……。先に約束を破ったのはドゥクスだろ」
ヒナの言葉を聞いて、あの日の光景を思い出した。それに大沢の話がつながった。
「先月の終わりって、ドゥクスの誕生日だよね」
「誕生日? ……だったら」
ドゥクスは約束を破ってなかった。約束を破ったのは……わたしだ。わたしの胸の鼓動が、耳に届きそうなほど大きくなった。
ドゥクスは戻ってこなかった。ドゥクスの荷物を持って玄関の靴箱を見にいくと、まだスニーカーは残っていた。そこでまた待ち続けたわたしたちのところに、下校時刻の過ぎたことを知らせに守衛さんが来た。守衛さんはもう誰も残っていないと教えてくれた。
千宝家に向かう途中で、ドゥクスの荷物から着信の音がした。携帯を探して電話に出る。
「和真。すぐ病院へ来い」
「すみません。千宝さんはここにいません」
「君は? 和真はどこに?」
「どうしたんですか」
「あいつの母親が危ないんだ。ずっと長い間目が覚めてなくて、このままもう覚めることはないかもしれない。でも一度はあいつに会わせてやりたいんだ」
電話の声は二人にも聞こえたようだった。わたしたちは、約束を破ったこと以外にも、ドゥクスをひどく傷つけていたことを知った。
-------- 優祈まなみ --------
思い当たる所を全て探したけど、ドゥクスは見つからなかった。あたしはお兄ちゃんにも連絡した。
「和真は俺が人を集めて探す。お前たちは病院に行け」
病院に着き、いっちゃんが千宝さんの名前を出して病室の場所を聞いた。千宝さんのお母さんは今、集中治療室に入っているらしい。そこに行くと、扉のまえに峰子さんと一度だけ会ったドゥクスのお父さんがいた。やつれた様子の峰子さんを見て、お母さんがすごく危ないんだということが分かった。
「和真は?」
「わかりません」
「くそっ! どこに行ったんだあいつは」
「ごめんなさい……」
「いや。君たちを責めているわけじゃない」
「……オレたちのせいなんです。オレたちがひどいことを言ったから」
ドゥクスのお父さんが戸惑ったように峰子さんを見た。峰子さんも分からないといった顔で首を振る。
「まあ、座りなさい」
そう言うと、お父さんは廊下の長椅子に腰を下ろし、祈るように両手の指を顔の前で交差させた。あたしも綾香さんが助かるように、ドゥクスがすぐ来てくれるようにと必死で祈った。
長い時間が経ち、扉が開いてドゥクスのお父さんと峰子さんを呼んだ。二人が中に入ってまた扉が閉まる。それから、それほど時間が経たずに扉の上のランプが消えた。お医者さんや看護婦さんが扉から出てくる。奥から誰かの泣いている声が聞こえる。
涙があふれてきた。綾香さんはあたしたちにとっても大切な人だった。あたしたちに色々なことを教えてくれた、年の離れたお姉さんのような人だった。そしてドゥクスにとって……。
「……間に合わなかった?」
いっちゃんの声に振りむくと。いっちゃんは涙を流さずにただ呆然としていた。
「わたしのせいだ」
その言葉はあたしの胸にも突き刺さった。立ち尽くしてた私の肩を誰かが抱きしめた。ヒナちゃんだ。反対の腕でいっちゃんを抱いた。
「もう帰らないと」
小さな声でそう言って、ヒナちゃんはあたしたちの体を押すように病院の出口へ向かった。ヒナちゃんの顔は青ざめ、周りをおどおどと見回している。あたしたちのせいでお母さんの死に目に会えなかった、そのドゥクスと顔を合わせるかもしれない。そう思うと怖いんだ。わたしも怖くて仕方なかった。
どんなに怖くても、ここでドゥクスを待つべきだ。迷いながらもそう思ってあたしは足を止めた。ヒナちゃんは驚いたようにあたしを見た。いっちゃんはただ足元を見つめているだけだ。ヒナちゃんの助けを求めるような表情を見て、あたしの中の怖さも大きくなっていった。あたしたちはヒナちゃんに押されるまま病院を逃げ出した。




