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十六話 「常雷陽向 #5」

 四日後。会社の経営責任者は暴力団に追われて姿を消した。予定より一日早く事務所には誰もいなくなった。必要な情報は集め終わっているので、いずれ常雷母の保証人としての借金は無効になるはずだ。

 全てが終わった後、お礼を言うために守川さんに会いに行った。黒い背広とサングラスを身に着けると、本当は中3なのにやばい人にしか見えない。今回、最も頑張ってくれたのが守川さんで、僕の考えた作戦の全てを知る唯一の人物だ。


「ありがとうございました。守川さん」

「守川さんではなく、龍希と呼んでくれ」

「名前で呼び捨てになんてできませんよ。僕はずっと年下なんですから。誰かに聞かれたら不自然でしょう?」


 守川さんの顔が少しひきつった。


「……ああ、分かった」

「これからもよろしくお願いします。守川さん」


 守川さんにはすこし頼り過ぎたかもしれない。作戦を説明している僕を少し青ざめた顔で見つめていたから、ストレスもあったと思う。あとで優祈からもお礼を言ってもらおう。




 いよいよ母親を常雷に会わせる日が来た。常雷父にはすでに説明済みだ。事情があったとはいえ、母親が常雷をだまして傷つけたのは事実だ。僕の説明が終わるまで、常雷母には廊下で待機してもらった。


「常雷。元気か」

「千宝!」


 常雷は、歩原や優祈と話をしていた。ひさしぶりに会った僕に対して笑顔を見せた。これで説明が楽になる。


「本当にごめん。千宝。あんなこと言ってオレ」

「あんなこと?」

「……分かった。はっきり言うよ。千宝がオレにしてくれたことを、オレのためじゃなくて自己満足だと言ったことだよ」

「自覚はあるから別に気にしてないよ。でも、常雷に苦しんで欲しくないというのも本当だ」

「……え? あ、ありがとう」

「次の話に移ってもいいか?」

「ああ。何?」

「お前の母親が男を作って家を出たというのは嘘だ」

「……そう。…………ええっ!」


 混乱した常雷が落ち着くのを待ち、二人に席を外すように頼んでから、僕は話を続けた。


「お前の母親の佐和子さんには、親からの借金があった。法律では、親の遺産を相続しなければ親の借金を引き継ぐことはない。でも、佐和子さんは借金ごと遺産を相続した。何故だか知っているか?」

「知らない。何故かなんて、思ったこともなかった」

「佐和子さんの両親は、自然保護のために故郷の土地を購入していた。父親が急死して会社の経営が傾き、続いて母親も死んで会社が潰れ、佐和子さんには借金が残った。故郷の土地を売れば借金は無くなるけど、佐和子さんは両親の意思を大事にしたかった」

「……」

「その借金のことで佐和子さんは結婚をあきらめようとしたんだけど、お前の父親の誠さんはそんな思いも受け入れて佐和子さんと結婚した。二人は苦労しながら借金を返した」

「……そうなんだ」

「佐和子さんには学生の頃からの親友がいて、同じく両親を早く失ったその親友には親に残してもらった資産があった。倒産した両親の会社を整理するときには、少しでも良い条件になるように資金を出して協力してくれた。親友だし、恩人と言ってもいい」

「もしかして、久那のおばちゃん?」

「そうだ。その親友が銀行からお金を借りる時、佐和子さんは連帯保証人になった。親友にはすぐにお金にできない財産が色々あったから、佐和子さんがその件で借金を負うことはないはずだった。その親友がだまされて、財産をすっかり失った。佐和子さんはまた借金を負うことになった」


 僕はそこまで話すと、しばらく話を止めた。


「佐和子さんは誠さんに、また借金ができたから一緒に返済してと頼むことはできなかった」

「……」

「佐和子さんは、誠さんに嘘をついて離婚したんだ。わざわざ浮気相手役の人まで頼んで。誠さんは佐和子さんがそんなことをする人だとは思っていないから、今も佐和子さんを恨んではいない。お前は母親を許せないか?」


 僕は常雷の目を見つめながらそう言った。


「常雷が許せるというなら、いますぐお前を母親に会わせてやる。佐和子さんの借金も全て無かったことにする。どうだ?」

「え……、ええっ。そんなのできるわけ……、何言ってんだよ!?」

「10数える間に決めろ。1……、2……、3……」

「許す。許すよ!」

「佐和子さん。入ってきてください」


 佐和子さんが病室に入ってきた。目には涙が溜まっている。常雷はその姿を呆然と見ていた。僕は佐和子さんの腕をつかんで、常雷の前へ連れて行った。


「ごめんなさい。陽向……。貴方に……」


 常雷はいきなり佐和子さんに抱きついた。本物かどうかを確認しているようだった。常雷から嗚咽する声が聞こえ、佐和子さんはそんな常雷を強く抱きしめた。


 常雷が言った通り、僕の行動は自分の満足のためだ。例えようがないほどいい気持ちで、僕は病室を出た。

 誠さんが涙ぐみながら僕に深々とお辞儀をした。僕は、やはり涙ぐんでいる歩原や優祈と一緒に病院を出ていった。




 次の土曜日。いつものように僕の家に来た歩原と将棋を指したり、優祈の曲に合わせた動画に手を加えたりしていると、僕に対する彼女たちの態度がいつもと違うことに気付いた。

 最近は彼女たちも、作業に熱中していたり僕がわざと馬鹿なことを言ったりすると、僕を『千宝』と呼び捨てにしてくれてたのが、今日は全て『千宝さん』だ。だからといって、態度がよそよそしくなったというわけでもない。


 今回僕は、大人たちを騙すようなことをした。大人たちのことを、自分たちには敵わない存在だと思っている二人から見ると、僕がとてもすごいことをしたように思えたようだ。でも、そんなことはない。


 歩原には将棋の、優祈には作曲の『特別な』才能があって、僕は彼女たちには敵わない。それはほとんどの大人にもできないことだ。僕は僕にできる範囲で彼女たちに協力しているけど、それは彼女たちだけでもできたことを少し早めているだけだ。

 手伝ってくれた二人のことを意識して、今回はちょっと『できる範囲』を超えたかも知れないけど、それでも僕のやったことは、大人なら『特別な』人でなくても思いつけることだ。そして誰でもいつかは大人になる。


 僕はみんなより早く大人に近付いた子どもでしかない。二人もその内、そのことに気付くだろう。

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