十五話 「常雷陽向 #4」
翌日の日曜。僕は常雷の病室を訪れた。
「お前……。オレをだましたんだな。何がどうなったのか分からないけど、全部お前がたくらんだことだろ。一華やまなみから聞いた話を考えたら、お前ならこのくらいのことはできるだろ」
「常雷。お前は自分の病気を治さなきゃならない。この前も言ったけど歩原や優祈のために、そして何より、お前の大事なお父さんのために」
「父ちゃんのため? 父ちゃんはこれから、どうせ死んでしまうオレのためにずっと苦労するんだ」
「お前が言ってるのは、テレビ番組でやってた昔の外国の話だろ。日本じゃ病気を治すのに一生かかって払うような大金は必要ないし、今は医学も進んで子どものガンだって治ることの方が多いんだ」
「それでも、父ちゃんにとって楽なことじゃないのは確かだろ。オレは父ちゃんに嫌われるぐらいなら、さっさと死んだ方がいい。お前のしたことはオレのためなんかじゃない。ただの自己満足だ」
「お前のお父さんは、どんなことをしてもお前を助けたい、そう思っている」
「勝手なことを言うな! よく知らないやつが……、お前に父ちゃんの何が分かる!」
僕の言葉に納得せず、僕をにらみ続ける常雷に、僕はポケットから取り出して電源を入れたデジカメを渡した。僕がデジカメの再生ボタンを押すと、昨日こっそり撮っていた総合相談室での常雷父の姿が、動画でモニターに再生される。
『ご説明させていただきます。まず…………』
最初は戸惑っていた常雷だが、すぐに食い入るように液晶を見つめ、やがてその目からボロボロと涙がこぼれ出した。もう何かを説明する必要はないだろう。そう思って僕は病室を出た。
僕が口出しするまでもなかったが、歩原と優祈には、時々常雷の様子を見に行って力づけてもらうように頼んだ。
帰宅して次の問題に取り掛かる。常雷の家から持ち帰った投資案内の資料だ。婦人雑誌に混じって置いてあったから母親のものだろう。常雷の家は苦労して借金を返し終えたばかりだといっていたから、常雷母に投資に使える余分なお金があったとは考えにくい。それを調べるために一冊貰ったのだ。
常雷母には親の借金があったそうだから、苦労してそれを返してくれた常雷父に対して、感謝だけでなく負い目を感じていた可能性がある。常雷母が何かの理由で多額の借金を負ったなら、また夫に協力して欲しいとは言えないだろう。
事実が僕の推測通りなら、常雷の元に母親を連れ戻せるかもしれない。父子家庭でのガン治療は大変だ。労働と介護の両立は難しい。両親の離婚は常雷にとってストレスになっていて、患者のストレスは治療結果に影響する場合がある。
資料に書いてあった会社名をネットで検索してみると、詐欺の疑いのある倒産で多数の被害者を出していることが分かった。優祈を通じて、父親が警察関係者だという守川さんに被害者のリストが手に入らないか聞いてみると、翌日には弁護士会が作ったというリストを持ってきてくれた。
リストには常雷の母、常雷佐和子の名前はなかった。僕は常雷の家に行き、常雷父にリストを見せて心当たりのある名前はないかと聞くと、その中にいつも年賀状を送ってくる人の名前があった。被害者リストの住所と年賀状の住所が違ったが、年賀状の住所にあった家は借金の返済に売り払われたらしい。
その女性は常雷母の同級生で、卒業後も親しい仲が続いていた。常雷母は彼女の連帯保証人になっていて、今回の詐欺事件の影響で多額の借金を負ったのだ。
現在の常雷母は、債権者の会社で働いて借金を返し続けている。ところが守川さんからの情報によると、この債権者と倒産した会社の役員との間には交友関係があるようだ。債権者の会社でも投資関係の業務を行っていて、警察にはあまり良くない情報が入っているらしい。僕は常雷母、旧姓だと木戸佐和子に会って話をすることにした。
資料に記載された会社の住所を検索して、その地図の場所に電車とバスを乗り継いで向かった。五階建てのビルの三階の看板に、その会社の名前があった。エレベーターで三階に上がると、正面に伸びた通路の左手前にあるドアがその会社の入り口だった。しばらく待って、ドアから出てきた営業風の男性に声をかけた。
「すみません。佐和子おばちゃんの会社はここですか。木戸佐和子です」
その男性は、ドアを上げて中に呼びかけた。
「木戸。子どもが来てるぞ」
男性はすぐにエレベーターに乗り、少し間を置いてあわてたように女性がドアから出てきた。僕はその間に通路の奥まで移動して、顔を伏せて座り込んだ。あの呼び方だと常雷母は自分の娘が来たと思うだろうから、ドアの近くで『あなた誰?』とか言われるとまずい。
常雷母の足音を聞きながら、十分に近づくのを待って声をかけた。
「常雷陽向のお母さんですね。今、陽向がどういうことになっているかご存知ですか」
「陽向が? あなたは誰?」
「陽向の病気のことで、急いで話さないといけないことがあります。ご都合がつけば、このビルの一階入口まで来てください。一時間だけ待ちます」
これで来ないようなら、常雷母の件は放置しよう。僕がエレベーターの方に歩き出すと、常雷母は僕の手をつかんで止めた。
「一緒に下へ降ります」
二人でビルを出た後、常雷母の案内で近くの喫茶店に入った。
「陽向の病気って?」
「陽向さんは先週、病院で頭部の検査を受けました。脳に腫瘍が見つかりました。命の心配はありませんが、それは十分な治療を受けられた場合です」
常雷母は何も言わなかったが、その顔はみるみる青ざめていった。
「今の陽向さんは父子家庭ですから、常に看護できる家族がいません。こういった病気では患者のストレスが治療に大きく影響します。僕は貴方が常雷家に戻るべきだと考えています」
常雷母はやはり何も言わないが、目が激しく動いて色々と考えを巡らせていることが分かる。
「陽向さんのお母さん。僕を事務所に連れて行ってもらえませんか。貴方の親戚の子として」
「……どうして?」
「貴方をあの会社から解放するのに、必要な情報を集めるためです」
「あなたが? ……あなたにそんなことは無理よ」
「お母さん。僕の年が幾つか分かりますか」
「陽向より少し下、7~8歳ぐらいかしら」
僕は常雷よりかなり背が低いから、常雷母が常雷を基準に考えたらそんなものだろう。
「見かけはこんなですが、僕は陽向さんより年上ですよ」
早生まれなので、今は1歳上だ。年上には違いない。
「事務所のPCのセキュリティーを解除して情報を読み出すことも可能でしょう。協力していただけませんか。陽向さんの時間を考えて」
「……分かりました」
常雷母は、事務所に戻って急に留守にしたことを謝り、僕が言った通り親戚の子が訪ねてきたと説明して、退社時間までこの事務所に置いてもらえるように頼んだ。僕は常雷母の隣に座って、小さな声で常雷母にPCの操作を指示することで、事務所のLAN環境を確認した。
この事務所のセキュリティは平均レベルだ。社内のLANポートに直接つなげば、セキュリティを破るのは難しくない。情報を集めて警察に渡せば、その情報自体は入手方法が不正なため証拠にできなくても、その情報を使って他の証拠の裏付けを取ることはできる。
しかしその方法では、警察が会社の関係者を検挙するまでに一か月以上かかるだろう。つまり常雷母もその間は自由に行動できない。検挙前に逃げ出すと、この会社と関係のある暴力団から何らかの報復を受けるかも知れない。僕としては、常雷が手術する一週間以上前には、母親が自由に常雷の世話を出来るようにしたい。
そうなると、この会社を急いで潰すしかないか。元から、何かあれば債権だけ他に移してトカゲの尻尾切りで潰してしまおうという会社だ。その分、会社としては脆い。
債権を移しても無効にできるだけの情報を集めてから、上の組織との人間関係を壊すことにする。
僕は翌日、優祈と共に家出したという設定で、親戚設定の常雷母を訪ねて事務所に行った。優祈を守るナイト気取りの馬鹿ガキだ。少し化粧をした優祈が素人離れした可愛さだったので、かなり説得力があったようだ。
優祈に演技をさせるのは無理なので、耳栓をしてもらって髪で隠し、ひたすら頭の中で二桁の掛け算を暗算してもらった。超然としている印象で、どこのお嬢様だよという感じがよく出ていた。
ネットのゲームがしたいと言って僕が騒ぐと、事務所のPCを警戒することなく自由に触らせてくれた。優祈に向かってゲームの腕前を自慢しながら、手では全く別のことをしている。メールも出し放題だ。
歩原にも協力してもらった。ときどき将棋道場に来る暴力団関係者の近くで将棋を指し、そこで対局相手に向かって、世間話として頼んだ文章を話してもらうようにお願いした。




