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十四話 「常雷陽向 #3」

 翌日。僕は登校すると職員室で校名の入った封筒を貰った。委任先としてお母さんの名前を書いた委任状を中に入れ、表に常雷誠様と書いて封をした。昼休みになると常雷の教室へ行き、二人で屋上に移動した。


「常雷。お前、自分の体が変だってことに気付いてるだろ」

「……」

「頭痛がしたり、吐き気がしたり、つまずき易くなったり、箸が持ちにくかったり。どうして病院で調べてもらわないんだ」

「調べて、本当に病気だったらどうするんだ」

「もちろん治してもらうんだよ」

「治るのか。ガンじゃないのか」

「……そうかもしれないけど」

「子どものガンはすぐに大きくなって治りにくいんだろ! 治すのにすごくお金がかかるんだろ! 後遺症が残ったりするんだろ! テレビの再現ドラマでやってたよ」


 そんなに不安だったのか。常雷。


「そんなことになったら、また父ちゃんが苦労する」

「病気が悪化したら、いずれ隠せなくなるよ」

「隠せないほど悪くなったら、もうオレは長くはないだろ。父ちゃんもあんまり苦しまなくて済む」

「死んだらそれで終わりだと思うのか? 病気に気付いて助けることができなかったら、僕なら、そのことをずっと後悔するよ」

「忘れられるよ。父ちゃんなら。母ちゃんのことだって、もう気にしていないんだ」

「どうして、そう思ったんだ」


 常雷は返事をしない。僕は自分の考えを言った。


「昨日常雷の家に行ったとき、離婚したお母さんのものが色々と捨てずに置いてあった。そのことか?」

「母ちゃんの残した物を見るとオレは胸が苦しくなるのに、父ちゃんは平気なんだ。裏切られても平気なぐらいにしか、母ちゃんのことが好きじゃなかったんだ。オレは父ちゃんが、母ちゃんとオレをすごく愛してると思ってた」


 常雷の目に涙があふれる。


「……父ちゃんは、オレのこともあまり好きじゃないかもしれない。迷惑だと思ったら、オレのことを嫌いに……」

「僕は常雷のお父さんがそんな人とは思わない。それに歩原や優祈は、お前がいなくなったら絶対悲しむぞ」

「あいつらは大丈夫だよ。家の人と上手くやってるし、それにあんただっている」


 常雷の症状は小児ガン以外でもよくあるものだ。本人が病気の可能性を意識した上で検査を受けないというなら、周囲が無理に受けさせるのは難しいだろう。でも、常雷がこんな悲しい気持でいることを知ってしまったら、僕は彼女を一日でも放っておきたくない。




 家に帰ると、僕は常雷父にメールを送った。


--------

 先日ご連絡いたしました千宝です。常雷さんの体調に何かお気付きの変化はありませんか。

病気の有無を確認するためには、病院でしっかりと検査することが必要ですが、検査には半日以上かかり、小学生の受診には保護者の立ち合いが必要です。

お時間を取るのが難しいのであれば、当方に委任していただくこともできます。

--------


--------

 お言葉に甘えさせていただきます。よろしくお願いします。

委任するには、どのようにすればよろしいのでしょうか。

--------


--------

 説明の前に、ご確認したいことがあります。

 検査の結果によっては常雷さんへの治療が必要となりますが、先進医療の適用を求める場合は、受診後に病院を変更するより当初から認定病院で受診した方が有利です。

 先進医療では、一般診療では治癒困難な疾患にも効果を期待できますが、保険対象外となるため高額の医療費が必要です。例えば粒子線治療の自己負担は3百万円です。

ただし、先進医療が必ず一般診療より効果があるというわけではありません。認定病院がここから少し離れた場所にあるため、保護者の方の負担が増えることになります。保険適応範囲の治療でも問題の無いケースはいくらでもあります。

--------


 驚くほど速く常雷父から返信があった。


--------

 少しでも陽向の危険を減らせる病院でお願いします。費用や私の負担は問いません。

--------


 常雷、やはりお父さんはお前を大切に思っているよ。


--------

 了解いたしました。

明日、学校で常雷さんに封筒をお渡ししますので、中の委任状に記入した上で保険証と共に封筒に戻し、その封筒を土曜日の午前10時に、小学校の職員室まで常雷さんに持参させてください。

 常雷さんが不安を感じないよう、受診についての説明はこちらでいたします。

--------



 翌日、僕は歩原に封筒を渡した。


「この封筒を、先生に頼まれたと言って常雷に渡してくれ」

「これって、昨日言ってたこと?」

「そうだ。頼むよ」




 土曜日。歩原には、野木病院に行って救急車が着くたびにメールを送ってくれるよう頼んだ。急患搬入の込み具合を確認するためだ。学校で常雷を待っていた僕は、校門から入ってきた常雷を見て職員室の戸に張り紙を貼る。


『常雷さん。急用があってしばらく留守にします。少し遅くなるかもしれませんが、校舎の東玄関で待っていてください』


 常雷がそれを読んで、東玄関の方に向かうのを確認すると張り紙をはがした。5分ほど待ってから、僕も東玄関に向かう。その近くの木陰になった芝生で、常雷が困ったような顔で足元を見ている。優祈がそこで寝たふりをしているのだ。

 僕が声をかけてから近付くと、この前のことを思い出したのか、彼女の顔が少し赤くなった。


「今日は動物係として優祈と来たんだけど、優祈は昨日遅くまで曲を作ってたらしくて、すごく眠そうで。仕方がないから僕が見張りをして、ここで優祈を寝かせてるんだ。常雷は?」

「先生に呼ばれたんだけど、今出かけてて、ここで待ってろって」


 しばらくすると、常雷は今日も眠いようで小さくあくびをした。


「眠いのか?」

「ちょっと」

「眠いなら、優祈と一緒に寝たら。先生が来たら起こしてあげるよ」

「いいよ」

「我慢しなくていいよ。無理して起きてると脳へのストレスになるかも」

「そんなに眠くないから」

「じゃあ、一度芝生の上で横になって目を閉じてみて。10分後に声をかけるから、その間に眠くならなかったらもう何にも言わない」

 

 寝るまで黙っているつもりだったが、数分で常雷は寝息を立て始めた。さらに待って常雷が熟睡しているのを確認する。


「優祈。もういいぞ」


 優祈も本当に寝てしまっていた。寝相が悪くて常雷にスカートを直させていたのは演技じゃなかったのか。彼女の肩を揺すって起こした。


「……ん。あれっ。あたし寝てた?」

「ありがとう。ここはもういいから、母さんに野木病院へ行くように伝えておいて」


 僕は頭ほどの大きさの石に僕の帽子をかぶせて、その石を胸ほどの高さまで持ち上げてから芝生に落とした。場所は国旗などを上げるポールの横で、芝生が少しへこんで帽子に草の汁がついた。その帽子を常雷のそばに置き、彼女のポケットにあった封筒を抜き取ってから119番に電話した。


「はい。こちら119番です。火事ですか? 救急ですか?」

「あの……。友だちがポールから落ちて、また倒れて。ポールに登っていて、手が滑って頭から落ちて。すぐに起きたけど、また倒れて動かなくなって」

「落ち着いて。場所はどこかな」

「小学校です。小見小学校の玄関の近く。芝生のとこです」

「分かった。すぐに救急車が着くからね」


 僕がオペレーターと話をしている間に、サイレンの音が近づいて救急車が到着した。救急救命士が車から降りてこちらに来た。僕はその一人にポールから落ちたという説明をして、芝生のへこみも見せた。

 慎重にストレッチャーに乗せられた常雷と一緒に救急車に乗る。


「すみません。野木病院に行っていただけますか。母がいるんです」


 受付の人が言っていた通り、救急車は受入れ拒否されずに野木病院に向かった。常雷は車内での簡易検査中に目を覚まして、救命士から僕が言った内容の説明を受けている。常雷は混乱した様子だが、救命士は常雷が頭部打撲により前後の記憶を失っていると判断したようだ。

 十数分で病院に到着し、僕は受付で待っていた母さんに委任状を渡した。僕と母さんは常雷の担当になった医者に会い、最近見られた症状から常雷が脳腫瘍じゃないかと疑っていたこと、その検査を依頼するため今日受診するつもりだったことを説明した。頭部打撲に対する検査の時に、腫瘍の有無にも注意してもらえることになった。




 医者から説明を受けるため、僕と母さんが総合相談室で待っていると、常雷父が息を切らして部屋に入ってきた。僕はドアのある壁の端に背中を付けて立っていたので、常雷父は気付いていない。医者のそばにいる母さんを見て少し不審そうな顔をしたが、母さんが名乗ると委任状の相手だと理解したようだった。待っていた医者が説明を始めた。


「ご説明させていただきます。まず頭部の打撲による脳の損傷は見られませんでした」


 医者が大型モニターに映された撮影画像を指し示す。タッチパネル式で、任意の画像の表示、拡大が可能なようだ。


「しかし、心配されていた脳内の腫瘍が確認されました。この部分がそうです。腫瘍の種類については採取して見ないと確実なことは言えませんが、場所がこの第四脳室と呼ばれるところですから、上衣腫か髄芽腫と考えられます」

「腫瘍……。 腫瘍というと、つまりガンですか。陽向はガンなんですか……」


 常雷父の声が、はっきり分かるほど震えている。


「はい。しかしガンといっても今では治療の可能な病気です。治療開始から5年以上生存されている方が半数以上になります」

「半数以上? ……じゃあ、半数近くが助からないということですか」

「半数以上と言ったのはあくまで全体での話で、病状によってはもっと生存率の高い場合もあります」

「それでも、何割かは助からないわけですね」


 常雷父は椅子から立って医者に近付こうとしたが、脚に力が入らないようで床に座り込んでしまった。


「陽向が……。どうして……。陽向には、辛い思いをさせたばかりで……。いえ、今も辛い思いをさせていて。それでも、私には明るく振る舞ってくれているのに」

「常雷さん。お気持ちは分かりますが、お子さんのためにも貴方がしっかりしないと」

「陽向のため? 陽向のために私に何かできるんでしょうか。……お金が。治すのに必要なお金は、私がいくらでも用意します。ええと、ちょっと待ってください。私に処分できるものを全て処分すれば4百万ぐらいは! 後は退職金の前借りも……」

「落ち着いてください。常雷さん。そういう話は十分な検査が終わった後でかまいません」

「あの。ちょっと質問をしていいですか」


 僕の声に、医者と常雷父がこちらを見た。


「何だね」

「先生は上衣腫か髄芽腫と言われましたけど、画像を見た印象ではどちらだと思われますか。ネットで見た幾つかの例と比べて、僕にはその腫瘍のサイズは小さいように思えます。第四脳室から小脳や脳幹への浸潤は見られますか。髄芽腫なら小脳から第四脳室への浸潤なんでしょうけど」

「あくまで私見だが、私は上衣腫だろうと考えている。浸潤はほとんどないだろう」

「全摘出は可能ですか」

「そう考えている」

「5年生存率は、5年以上前に治療を開始した患者さんのデータですが、上衣腫に対応する医療技術はその後も進歩し続けていますよね。外科の医療機器とか陽子線治療とか。彼女の上衣腫が全摘出できる状態なら、ほとんど命の危険はないと言ってもいいんじゃないですか」

「今日の検査だけでは、私の口からそこまでは言えない。しかし君の年でそこまで詳しいというのは驚いたよ」

「ネットで調べたり質問したりしただけです。友だちのことなので気になって」


 悲痛だった常雷父の表情が、少し穏やかなものになっていた。

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