十一話 「お泊り」
「優祈さんのお母さんよ」
電話の送話口を押さえて母さんが言った。
「……はい、分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
「何だったの?」
「ご迷惑をおかけしますけど娘をよろしくお願いしますって。今日、遊びに来るのよね」
「うん。歩原と一緒に」
今日でもう4回目だから、一度は相手の家へ挨拶しておこうということなのかな。
「でも、わたしはこれから検査入院で留守にするから、和真が責任をもってお世話するのよ」
「ごめんください」
「ああ、二人とも上がっていって」
「おじゃまします。……優香さんは?」
「今はいないけど、何か用?」
「これ。母から預かってきたの」
優祈は菓子折りををカバンから取り出した。
「わざわざいいのに。……二人とも、結構大きなカバンだね。何入れてるの」
「着替えとか洗面用具」
「……泊まるの?」
「うん。言ったよね。この前来た時に、時間が足りないから次は土日って」
「土曜日と日曜日って意味じゃないのか。普通、男子の家に女子は泊まらないだろ」
「寝るのが別の部屋なら大丈夫」
そんなルールなのか? でも優祈のお母さんは許可したんだよな。歩原は黙ったままで、何も言わない。
「でも、母さんは検査入院で今日は帰ってこないよ。いくらなんでも親が不在じゃダメだよ」
困ったように優祈が歩原を見た。それまで黙っていた歩原が言った。
「峰子さんに頼めばいいでしょう。同じ家なんだから」
「じゃあ、峰子さんに聞いて、ダメと言われたらあきらめてよ」
すぐに二人は母屋に行った。たぶんダメだろうなと思いながら待っていると、
「峰子さんがいいって言った」
意外な展開に。
本当にいいのかな? 後で向こうの親に分かって気まずいことになりたくないんだけど。それに優祈にはあんなことがあったから、お風呂場でドッキリ、みたいなことになったら優祈に嫌われる可能性が高い。
いずれ僕にも変化があるのかもしれないが、今のところ、女の子の裸を見ても少しも嬉しくない。
昼ご飯は母さんが用意していて、温めただけだったけど、晩ご飯は材料が足りないので買い物に行く。二人も一緒に出掛けた。歩原が食材の安い店を教えてくれた。
料理は僕と歩原で作った。優祈は包丁を持つ手が怪しいので、火の番と好みの味を確認してもらうだけにした。
「お菓子作りなら得意なんだけど」
優祈は少し悔しそうだ。
夕食の後、デザートと言って優祈が持ってきた菓子折りを開けた。高そうなチョコレートが入っていた。12個入りだから4個は食べてね、と優祈は言った。甘い物は嫌いじゃない。
チョコレートの中には、甘くて苦いトロっとしたものが入っていた。全て食べ終わると、何だか体が熱くなってきた。それに楽しい気分だ。優祈の顔は赤くなっていて、目付きが何だか怪しい。歩原の顔も少し赤味がかっている。
「まなみ。あんた大丈夫?」
「大・丈・夫! 元気いっぱいのまなみちゃんです」
胸をドンと叩くと、そのまま後ろに転んだ。それを見て僕は大笑いをした。
「笑うとは失礼な」
そう言ってまなみは僕の後ろに回ると、抱きついてから僕のあごの下に腕を入れて思い切り絞めてきた。しばらく腕を離そうと抵抗したが、だんだん気が遠くなっていく。
「だめよ、まなみ。そんなことをするために来たわけじゃないでしょ」
歩原が優祈の腕を外してくれた。おかげで意識がはっきりした、とはならずにさっきからのちょっと現実感のない状態は続いている。
「あ、そうだった。せっかく峰子さんに教えてもらったのに」
「なにを?」
「千宝さんはね。酔っぱらってると嘘言わないの」
「まなみ!」
へえ、そうなんだ。母屋の伯父さんは、酔うと誰にでもお酒を勧めるくせがあるから、僕も今年の正月に飲まされたことがある。峰子さんが言ってるのはその時のことかな。
「千宝さん。いっちゃんのことを可愛いっていったらしいけど、あたしとどっちが可愛い?」
「え? まなみ?」
歩原が戸惑ったような声を出した。
「優祈の方が可愛いかな。でも歩原が笑顔になったら負けてないな。僕はそう思う」
「そうよね!」
優祈が僕の手を取って、すごく嬉しそうに笑った。どっちも笑顔だと、優祈がちょっと有利か? でもたいした差じゃない。
……あれ? これって既視感があるぞ。
前にも僕は同じようなことを言って、その時も優祈は喜んでたんじゃなかったか? その時には歩原はいなかったけど。
歩原が二度、咳ばらいをした。
「千宝さん。質問があります」
歩原が真面目な顔で言った。
「何でも聞いて」
「わたしたち、迷惑じゃないですか?」
「えー、全然」
「わたしたち。千宝さんに助けてもらう前はすごくつらくて。それが今はすごく楽しくて。本当に感謝してるんです」
「あー、感謝はいらない。感謝はなし。でも楽しいのは大歓迎」
「でも、この家でもいつも千宝さんはわたしたちの手伝いばかりしてる」
「分かってないな。好きな子が楽しいと自分も楽しくなるんだよ」
歩原の顔が赤くなった。
「千宝さん。人の考えてることとかよく分かるのに、どうしてそんなセリフをあっさり言えるんですか?」
「何で気持ちを隠すの? お話とかで、隠していい結果というのはまず無いよ。素直がベスト」
腕を組んだ優祈が、僕の言葉に何度もうなずいている。
「あたしのことも好き?」
「もちろんだよ、優祈。自殺しそうになった理由を聞いた時も、ああ、この子はいい子だなーって思ったよ。でも死ぬのはダメ。勘違いで死んだりしたら悲しすぎ。まあ、あんなハグした守川が悪いんだけど」
「じゃあ、正しいハグをあたしに教えて」
「よしっ」
僕は優祈の背中に両手をまわして、ギュっと抱きしめた。
「どうだ?」
「何だかすごく安心する。……あっ」
「何? なんかまずかった?」
「いっちゃんもハグしてあげて」
「ああ、そうか。よし来い!」
歩原は来ない。
「歩原は、ハグされるのが嫌みたいだぞ」
「照れてるだけよ。いけっ」
僕は歩原のところへ行って、同じようにギュっと抱きしめた。
「あれ? 優祈より柔らかい」
「! わたし、そんなに太って……」
「胸が大きいからじゃない?」
「ああ、そうか。優祈より抱き心地がいいな」
「ええ~」
優祈がすねたような顔をする。歩原が、優祈と同じくらい真っ赤になった。
それから後のことはほとんど覚えていない。翌朝には着替えていたから、風呂にも入ったんだと思う。3時ごろに目が覚めた時には、優祈が僕の腕を枕にしていたので、正気に戻っていた僕はこっそり隣の部屋に移った。
たぶん一番記憶のはっきりしてる歩原に、昨日のことを尋ねてみたけど、赤くなるだけで何も教えてくれなかった。ただ、二人を怒らせるようなことをしなかったことは保証してくれた。
昨日食べたチョコレートには甘いお酒が入っていたらしい。つまりみんな酔っぱらっていたわけだ。あんな思いをした優祈にハグしたのはまずかったか。そう思って僕はあせったけど、優祈は何も覚えていなかった。
母さんが検査入院の時は、僕は不安を抱えてつらい夜を過ごすことが多いんだけど、今日はそんなことをほとんど考えなくて済んだ。二人には本当に感謝している。




