2/再会
2/再会
ワタシが目覚めてから三週間。
体力が戻るまでリハビリと検査を繰り返してようやく退院した。
何度か父の仕事の関係者やら色々と来てくれて今後の世話のことなど聞かされたけれど、正直な話あんまり頭に入っていない。
退院する当日も見送りに来ると言ってくれたけれど丁重に断って、ワタシは病院から自宅のあるマンションへと歩いて帰る事にした。
医者である先生からはタクシーを使うことも提案されたが、半年経った世界の事を少しでも知りたかった。
父の関係者が買ってきてくれた赤いダウンのコートはワタシの趣味ではなくて脱ぎたかったけれど寒さに勝てず我慢して着ることを余儀なくされる。入院していた時に着ていたものは、看護士さんが律儀に紙袋に包んでくれた。ワタシが自分で選んだモノじゃないからと遠慮したけれど、いらなければ捨てればいいと半ば強引に手渡された。
もっとも中身なんて下着類しか入ってないからさほど重たくもないし、かさばるものでもない。その辺に捨てるもんなら変質者が喜んで持って帰りそうなんで渋々、持ち帰ることにして、とりあえず市立病院から事故のあったアーケード街を目指して国道沿いを歩く。
一月十九日。
世間では短い冬休みも終わり、卒業式まで残り僅かな学園生活を迎えてる頃。
深夜から早朝にかけて振り続けていたであろう雪が世界を白くに染めていた。
一歩ずつ踏みしめる歩道には雪が敷き詰められているというレベルではない。
積もりに積もった雪がバス停や電話ボックスを覆い隠すなんて割と日常茶飯事で。午前九時が回ったばかりのこの時間ではまともな除雪はされておらず、誰かが通った足跡に重ねるように歩いていくしか出来ない。
歩道は膝がまるまる埋まるほど、ざくざくと不恰好に進んでいく。歩き始めて三分も経たないうちに足の中は悴んでいて酷く冷たく濡れている。毎年冬になるたびによく凍死者が出ないことを不思議に思う。絶対に人が生きられる環境ではないのに。
それともこうして生きていられるからこそ、氷河期時代すらも乗り越えてこられたのかなんて思い浮かべてすぐに消えた。
体力は戻ったつもりだったけど、実際に外に出て雪道の中を歩くのは想像以上にしんどかった。
寒空の中、一人歩き続けているというのもあるかもしれない。冷たい空気と埋まり続ける道の先はどこまでも雪道しかないから。
あまりの寒さに耐え切れず途中見かけた自販機で購入した珈琲を懐炉代わりにして、再び歩き続ける。 やがて見覚えのあるアーケード街にたどり着くと、少し悩んでから事故現場のあった場所へと足を運んでみる事にした。
街中は平日だというのに観光客でごった返しだった。冬祭りまで気の早いヤツらが遊びにきているだけかもしれない。
ポケットの中にいれていた珈琲の蓋を開けて一口だけ口の中へと含む。
懐炉代わりにしていたせいか熱を奪われた珈琲は少し生ぬるく、そして甘い。寒気に晒された珈琲はみるみるうちに冷たくなって残り半分は冷たい珈琲を飲むのとなんら変わらなかった。
やがてたどり着いた先には結局修理した様子もなく、跡形もない見晴らしのいい売り地へと成り果てていた。グランドホテルだけではなく、その周囲の店も隣接する建物も既に修復作業を終えてるのか事故の面影がなかった。
こうして現場に戻ってみても実感が湧かない。ただ広い跡地だけが当時の仰々しさを物語っている気がした。得るものは何もないと確信したワタシは寒さと空腹から近くのファーストフードに立ち寄り、期間限定のハンバーガーと珈琲のセットを頼んで二階へ上がり、空いている客席についた。窓際のその席はちょうどホテルがあった場所の向かいになっていて自然と視界に映る。
当時のことなんて未だロクに思い出せない。
医者はケガをしたショックもあるかもしれないから、突然思い出すこともある、なんて言ってたが現場を目の当たりにしても思い出せることなんて何一つなく、淡々と喋るあの若い医者の事を、あの詐欺師め、なんて内心で悪態をつく。
包み紙を開けてバンズと具の間にピクルスがないことを確認してから噛締める。
しばらくハンバーガーを頬張っていると携帯の着信が鳴り響く。ワタシの遺留品だったものは目覚めた直後警察から確認された後に返された。
入院していた時も暇せずに居たのは携帯のおかげもあるかもしれない。
「なんだよ遥。オマエ学校じゃないのか」
通話の第一声で相手の出方を待つより先に思ったことを口にした。
『ひっど~いなあ。今授業終わったばかりよ。それよりゆっこ、今日退院するんでしょ? 私迎えにいこっか?』
電話越しの向こうにいるのは中学からの腐れ縁。
瀬尾遥
出席番号順で一番近かった、という理由で気づけば中学高校と五年以上共にしてる存在で。ワタシの事情を知っている数少ない人物だ。
「残念だな、一人で帰ってる途中だよ。今は腹へってファーストフードで朝飯食ってるとこ」
不満そうな声が聞こえてくるが既に病院から出た後では相手もどうしようもない。
暇つぶしの雑誌なら読むけど活字の類はさっぱりで、他にやることがない病院はワタシの性に合わない。
そういえば本といえば──ペンダントを渡してくれた少年とはあれ以来会ってなかったな。
『……しもし。もしも~し、ゆっこ? 聞こえてるぅ?』
「うるさいくらいに聞こえてる。で、用件はそれだけではないんだろ」
『もぉ、相変わらずそっけないんだから。眠り続ける親友を待ち続けた私を労わってくれないのねシクシク。え──っとね、明日から登校するんでしょ、がっこ』
「そのつもりだけど既にめんどくさい。どうせ出席日数とか単位なんて足りてないからもう一度二年をやりなおすのかと思うと気が滅入る」
『え~っ! 一緒に卒業しようって約束したじゃんかあ』
「約束なんてしてない。学校にはいくけどさ、今後の事なんてまだわからないのが現状かな」
そっか、と少し声の沈む親友はそれ以上つまらない冗談を言う気がなくなったらしい。
『学校終わったら退院祝いのパーティーするからきちんと起きててよね』
「ああ適当に作って待ってる。楽しみにしてるよ」
また後で、と互いに交わしてから通話を終える。
肉親を失った今でもこうして入院する以前と変わらず接してくれる友人がいる。それだけでもワタシはまだ幸せなのかもしれない。
近くのスーパーで飲み物やら食べ物を買ってから自宅へと歩いていく。着替えの入った袋と買い物袋を持っての行動というのは想像以上に体力を奪っていて気付けば午後三時を回っていた。
午前中には病院を後にしたハズなのに、まともな状態なら二十分足らずで到着できる距離ですらこのざまだ。
本当に退院してよかったのだろうかと一瞬だけ先生を思い出す。患者にとっては医者の言葉というのが全てだ。自分達には診察できないからこその専門医がいる。それとも面倒ごとが多いから厄介払いされただけだったりしてな。
ワタシが目覚めてから蛍光灯が破裂したり、注射器が割れたり。花瓶は粉々になったりとしたのは一度や二度ではなかった。病室を変えてみても変化がなかったので変なものに憑かれたのかもしれない。
まともに学園生活に戻れるのか不安を覚えながらもなんとかマンションへとたどり着く。
外装はこげ茶色のどこにでもありふれた普通のマンション。エントランスにはオートロック式の自動ドアがあり、鍵で開けてから階段で上がっていく。
ワタシの自宅は四階。ここのマンションはエレベーターがないから階段で上り下りするしかない。二階まで上がったところで息があがってきたので少し休み、また上がっていく。
三階の踊り場が見えてきた頃に、人影が見えたのでマンションの住人かと思いきや、何時ぞやの少年だった。
「こんにちわ。おひさしぶりです」
少年は弾むような声で挨拶してくる。
相変わらず片腕に本を抱いて、足元まで隠れてしまいそうな長めのダッフルコートで身を包み込んでいた。
しばらく姿を見ていなかったかと思えば、こんなところに居たのか。
いや、しかし──
「今度は不法侵入だけではなく家出か? 付きまとうなら問答無用で警察へ突き出してやるからな。この追跡者」
「ひどいなぁ。ここの住人ですってば」
あどけない少年の表情のまま答えてくるが、にわかには信じられない話だ。
訝しげに彼を見つめながら脇を通り抜けて上へと目指していく。
「わわ。シカトですか」
一歩歩くたびに身体から汗を吹き出てくるのを感じながらゆっくりと階段を踏みしめていく。
「ワタシには関係のないことだ。帰宅するなら回れ右でもすればいいだろ」
「や、ボク四階ですし。行き先は一緒ですよ」
前へと踏み出した右足を止めて、一向についてくる少年へと振り返る。
「何処の誰さんだよ」
「四〇五号室の東間ですよ。アレ、学校も一緒なのに覚えてないです? いちおう中学からの隣人同士なのに」
ちなみにワタシの自宅は一番奥である四〇六号室。
アズマ、あずま、東間──と苗字を反芻することで確かに見覚えのある名札があったことを思い出す。
「っていうか。同い年かよ……」
小学生くらいの子供が居たような記憶はあるけど、とても学園生活を一緒に送ったような記憶はワタシの脳内は愚か、どこにも存在しなかった。
「うわあ、ひどいな。傷ついちゃいますね。 あ、中学はクラス別なので覚えられてなくても当然かもしれません。ボク影薄いですし」
自分以外のクラスなんて興味持たないワタシには土台無理な話である。
いまさらのように共に過ごした日々なんてそれこそ数える程度なんじゃないかと思えてきた。
「それで。何かワタシに用事か」
「そうですそうです。えっとですね──自宅の鍵を無くしてしまったみたいで管理人さんに開けて貰いたいんですけれど、電話貸していただけないでしょうか」
どうやって入ったんだよ、と突っ込みたくなるがオートロック式なんて侵入は容易だ。犬猫が侵入するのと同じで他人が開けたものに便乗すれば良いだけなのだから。
「携帯には管理人の番号なんて登録してない。自宅にはあると思うが電話だけだからな」
「はいっ、助かります。この寒空の中、自宅を前にして夜を過ごしちゃうのかと思ってましたから」
「──つうか、両親呼べば早いんじゃないのか。呼び鈴くらいあるだろ」
「無理ですよ。仕事で海外ですから」
どこかで聞いた事のある話だ。
それも当たり前だ。ここはワタシの両親が用意したマンションで『紅葉ハイツ』と呼ぶ。海外を拠点とする家族のために建てられたものなのだから。
なので夫婦ともに暮らしている者は少ない。大抵はワタシみたいな独り暮らしか単身赴任で別居中。もちろん一般の家庭もいるけれど、曰く付きの住人が大半を占める、ということだ。
「ずっと帰ってきてないのか?」
「トップの人間が亡くなるというのは考えてるよりも難しい問題みたいです。会社としては支えをなくしてしまったのですから。今は崩れずにすんでますけれど、立て直すのに数年か数十年。悪くて倒産。よくて吸収合併の道も視野にいれないとダメみたいですね」
そのトップだったのがワタシの両親なのだから誰かを責めることなど出来ない。むしろワタシは本来責められる立場に居るのかもしれない。
こんな踊り場で話していても寒いだけなので階段を上り続ける。
四階を前にして首や額を流れていく汗が外気によって冷たくなっていく。
「……はあ、はあ」
両膝に手をついて乱れる呼吸を整えて、身体が欲しがる水分がどこかにないかと買い物袋に眼をやると、二リットル入りの天然水のボトルを取り出して、そのまま口に含んでいく。
「うわ豪快にラッパ飲み。だいじょうぶですか? 体調まだ優れないのでは……」
少しだけ水分を取り戻したことで幾分楽になるものの、全身は熱いままだ。
風邪でも引いたかな、と体調とは別に意識はハッキリとしている。
「もしかしたら半年前に死んでたりしてな」
自分で言っていて笑えない冗談だと手の甲で零れた水を拭い去り、買い物袋ごと少年へと押しつけた。
「電話貸してやるんだから、これくらい持ってくれ」
「それはいいですけど、何入ってるんですか。──うぅぅ、重くて持ち上がらないです」
二リットルのボトルが二本。料理する為の素材やお菓子などの食べ物。さすがに十キロにも満たないと思う。
「この軟弱。せめてこっちなら持てるだろ」
買い物袋を奪い取り、もう一つの紙袋を投げ捨てるように押しつけた。
「わわ、これくらいならだいじょうぶです。 見た目とは違って軽いですけど、何が入ってるんですか?」
「下着とかな。見てもいいが盗るなよ」
「し、したっ、ぎ──って見ませんし盗りませんよ!」
顔を真っ赤にして反論してきても怖さなど微塵も欠片もない。純情すぎる坊ちゃんは見たまんまの正真正銘の『少年』だ。
「オマエ、東間なんていうんだ?」
へっ? と間抜けな顔をして急に立ち止まるワタシの身体にぶつかってくる。
「わぷ。え、えと、シンリです。真の理と書いて真理です」
完全に名前負けしてると思った。
こいつなんて眼鏡のないのび汰くんで十分すぎるのに。
いつの日だったか。その時にも同じように名前を訊いたような、そんな錯覚。
「赫結昂だ」
シンリが静かに顔を見上げた。
それに対して段差の上から少しだけ視線を下げるワタシは少年の身長以上に彼が小さく見えた。
「昴を結ぶと書いて結昂。苗字で呼ぶなよ、某死神を彷彿させるから嫌いなんだ」
「それじゃあ──結昂さん?」
「自由に呼べばいい」
名前で呼ばれるのは好きだから呼び捨てられても止めやしない。
それっきり話はせず四階の自宅前にようやく着いたのは日も沈み欠けていた。
冬の間は陽が短い。午後十六時を回る頃には夜かと思えるほど辺りは暗くなるのに、一面を敷き詰める雪明りのおかげで真っ暗ともいえない微妙な時間帯が訪れる。それが今だった。
一度振り返って見ると外は薄暗く、灰色の雲が見渡す限り広がっている。
ワタシは半年振りの我が家の鍵をまわして扉を開けた。
「遠慮せず入れよ」
靴を脱いで廊下の電気をつけたままリビングへ。テーブルの上に無造作に置かれたリモコンを拾ってエアコンの暖房をつける。
両親の仕事の関係者から話は聞いていたけれど、退院にあわせて掃除してくれたらしく。
それだけに終わらず両親の遺影とか含めて既に形だけは出来ていた。ワタシが用意したわけじゃないから少し他人ごとに思えるけれど、目の当たりにして少し実感が湧いてくる。
両親の写真を見ていると、遠慮がちにシンリが小声でおじゃましますと言いながらワタシの前から出ようとしない。
「その辺に適当に置いといてくれればいいよ。それとホラ」
放り投げるように自宅の電話を渡す。
シンリは最初なんのことかわからないような表情で。少ししてから『──あっ!』と思い出す。
「……そうでした。管理人さんに電話かけるんでしたよね」
使い慣れないのか何度か子機である受話器と格闘しながらしばらくして通話を始める。
その間にワタシは私室へと戻って脱ぎ始めた。寒空の中、濡れに濡れたズボンや靴下は脱ぎづらく、まるで身体の一部分のように同化していた。
首からぶら下げた両親の分のペンダントを外して、タンスの中にある宝石箱にしまっておいたワタシのペンダントとそっと並べておく。
身体が冷えていたので着替えと共にバスタオルをもって下着姿のまま浴槽へと直行する。冬の間はシャワーは遠慮したいところでもあるけど、友人がそろそろ来るかもしれないからと予想して手っ取り早く済ませてしまおうと思い、シャワーの蛇口をひねり出すと、ぬるま湯からあっという間に熱湯へ切り替わり、思わず「熱ッ」と誰に言うわけでもなく不満を漏らす。
なかなか下がらない熱湯に、微調整に微調整を重ねて適温を自身の身体で探り当てるのに時間がかかった。
ボイラーの調子が悪いのか、ワタシが居ない間に壊れたのか、一向に下がる気配のないシャワーに嫌気をさし、頭から足の爪の先まで全身隈なく熱湯で悴んだ身体を温めていく。
入院していた時は風呂やシャワーなんて浴びることは叶わず、清拭だけだったので久しぶりに浴びる水しぶきが心地よい。何をするわけでもなく、しばらくの間、流れるまままジッとしていた。悴んでいた太ももや足先は急激に暖められた温度差からかヒリヒリと身体に痛い。
首筋から胸の下。お腹から下腹部へ頭の先から下へ下へと滑り落ちるようにボディソープで満たしたスポンジで泡立てていく。身体を洗い流し、長く伸びた髪も同様に洗い、いま一度暖め直すと冷えないうちに風呂場から出てバスタオルで飛沫を拭き取っていく。
替えの下着を身に着けてそのままリビングへと戻った。
「あ、電話ありが──ってわあ!? なんて格好してるんですか」
踊るような格好で目を背けるシンリに言われて気がついたけれど今のワタシは下着姿にバスタオル一枚という格好だ。
「ワタシの家だぞ。どんな格好でいようと勝手だろ。文句があるならオマエが出て行け」
たかが下着が見られるくらいで恥じらいを感じないけど、私室へ戻って部屋着とズボンに履き替えてからリビングに戻るワタシも人が好い。
「それで管理人は居たのか?」
まだ少し半乾き気味の髪をタオルで拭きながら、ソファーの上で正座しているシンリに訊いてみた。
「──えっと、それが留守のようで誰も出ませんでしてた」
ふうん、と適当に相槌をうちながら改めて両親の眠っている仏壇の前にいって座り込んだ。
誰かが用意したのか未使用の線香を一本取り出して火をつけて立ててやる。
しばらく黙祷を捧げてから、気持ちを入れ換えて立ち上がるとシンリが伏せ目がちに訊いてきた。
「あの……ボクもご両親にお線香あげてもいいでしょうか」
「好きにしろよ」
両親の最期を目の当たりにしたかもしれない人物、か。
父さんと母さんはどういう気持ちでシンリを助ける気になったのか不思議に思う。
人の良すぎる二人のことだから理由なんてないのかもしれない。顔見知りとか、赤の他人だとしてもあの二人なら手を差し伸べそうだし。そういう博愛染みた二人が少しばかり嫌いな部分でもあり、誇るべき部分でもあった。
本音をいえばワタシだけを見て欲しかったのも事実だけど。
そうこうしてるうちにリビングの時計を見ると十七時三十分過ぎ。
友人の遥がこちらに向かってる頃かもしれない。遅れてくるなら携帯にいれてくるだろうと決め付けて、晩ご飯の準備を始めることにした。
エプロンなんて律儀なものは身に着けない 手を洗って買い物袋から材料を取り出して調理を始める。
半年ぶりだろうと身体はきちんと覚えていて包丁を扱う手つきも様になっている。
調味料をみると大半が全滅。賞味期限切れ、って奴。新しく買っておいて正解のようだ。学校に通う前にしばらく家のことで精一杯なんじゃないかと少しだけ途方に暮れそうになる。
背中に視線を感じるので顔だけ振り返るとシンリがこちらを見ていた。
「なんだよ」
「え──いやあ、結昂さん。自炊するんだなって」
ワタシの外見のイメージにはないのだろう。
か、なぜか照れながら正直な感想を述べてくる。
「柄じゃない──か? 一人暮らししてるとさ、どうしても両親が作った味が食べたくなる瞬間があって覚えた。中学あがるまえには一通り身に付けたつもりだ」
そう。女々しいことを言っているなとワタシも思うけれど初めて一人で留守番をしたときに何か好きなものを頼みなさい、という両親の伝言とは裏腹にワタシは無性にカレーが食べたくなって、自分で作ってみることにした。
野菜の形はいびつで、ルーは水の量が多かったのかスープ状なもの。ニオイと味はカレーだったけれども、母さんの作るカレーとは全然かけ離れたものだった。
それから三日後に帰ってきた母さんに訊いてみるとどうやら家のカレーはブレンドらしく、市販のものを三種類混ぜ合わせていたらしい。
ワタシはそれを知らなくて一種類しか使用していなかった。
家族の事が好きなハズのに、二人の事はおろか当たり前のような家事も炊事も母さんはしていてくれていて。
何も知らずに過ごしていた事を後悔して──それから家事を毎日手伝うようになった。
いまは料理一つで母さんとの絆が確かにあることを感じる。
「あの──無神経なことを言ったみたいで、その、ごめんなさい」
言われてからハッと気付いてワタシは泣いていた事に気付く。
手の甲や野菜に零れ落ちていく涙の雫。瞳に滞っている涙を拭いてなんでもないように振舞った。
「気にするなよ。ちょっと思い出してただけだ」
野菜を刻んで肉を取り出し鍋に放り込んで下味を漬け込んでおく。
「シンリ腹減らないか。鍋やるから人数多いほうがきっと美味しい」
包丁を握る手を止めて肩で叩きながら相手の出方を待つ。夕食を誘われたことにしばらく気付かなかったシンリの表情が明るくなっていく。
「いいんですか?」
ワタシは返事をする代わりに黙って頷いた。
口元が緩んでることに気付いたのは、こうして誰かと一緒に過ごす事が久しぶりだと実感したからだ。
そして気付かないうちに微笑んでいたのも半年ぶりに目覚めてから初めてだったかもしれない。
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