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1/覚醒

1/覚醒



 ぱらり、と何かがめくられる音が聞こえる。

 他には静寂と時折聞こえる正しい息遣いは止まってるかと思えるほど長い長い呼吸音。

 ぱらり、とまためくられる。

 その音がなんなのか確かめたくて瞳を少しずつ開けていく。

 真っ白に輝く陽射しが眩しくて目を細めて少しずつ光にならしながら。瞼はあまりにも閉じてることが正常かのように再び塞がらんと下がってくる。瞼を閉じるのは寝るときとキスするときだけで十分だから、ワタシは逆らうなと命令した。

 閉じかけた瞳をそっと開ける。

 真っ白のカーテンはまるっきり効果をなしていない陽射しの中、逆光で影になって見えないけれど誰かがそこに座っていた。

 ぱらり、と三度目。それは本の(ページ)をめくる音だったらしい。

 そいつはワタシの目覚めに気付いてないのか顔をわずかに動かしながら視線で本の内容を追っている。

 少し目で周囲を見渡してみた。病院の個室と思えるような白い空間。

 ワタシの生命活動を補う為だと思われる機械とかぶらさげられた点滴とか。誰かが活けたのかわからない花だけがこの部屋の中で彩っていた。

 ぱらり、とめくった先が駅の終点だったかのようにそいつはぱたんと両手で本を閉じながら、軽く息を吐く。

 本の背表紙には『神と悪魔』なんて書かれていた。百パーセント、ワタシは読まない本の類。

 そいつは黙祷でもしているのか、それとも頭の中で本の中身を反芻しているのか定かではない。

 あどけない顔立ちときっちりと切り揃えられた髪型はまるでどこぞの良いところの坊ちゃんのようだ。歳は十二、三前後といったところか。ただ童顔なだけかもしれないけど。この顔で二十歳過ぎてたら間違いなく犯罪だ。

 そこでワタシは思っていた事をようやく口に出した。


「オマエ、誰だよ」


 声がくぐもって聞こえたのは口と鼻を覆う呼吸器のせいに違いない。

 少年はワタシに声を掛けられるとは思ってなかったのか声変わりする前の甲高い声をあげながら後ろに仰け反るのを一所懸命に堪える。

 一瞬、本を手放しそうになり、バタつかせながら両手で本を抱きしめる。結局自分を支えきれないまま椅子ごと後ろへと豪快に倒れこんだ。


「──ったあ……いてて」


 賑やかなのは好きだが騒がしいのは嫌いだ。もう少し静かに出来ないのかと思わず、

「五月蠅い」と毒を吐き出していた。

 その分厚い本を大事そうに両手で抱えながら、顔を覗かせると視線が絡み合う。

「ご、ごめんなさい。本読みたくて静かな場所が個室しかないし。他は相部屋だからあんまり集中できなくて」

 床に着いた尻餅から起き上がり、横になっているワタシに言い訳をしてくる。

「ああ、起きたなら看護士さんか先生呼ばないと」

 枕元のナースコールを手に取ろうとするのを制止させる。

「いい。自分で起きられる」

 そう言いながらまだ力の入らない震える右手でマスクを取る。

 それだけで病院独特の薬品と洗浄された空気の匂いというものが鼻腔をくすぐる。こんな場所に居たなんて信じられない。

 身体が重く感じる。

 この感じは確か──二度目のハズ。

 仰向けになった状態からではとても起き上がれそうになく、体を翻して両手で上半身を立たせる。

 腕立てするような態勢の中、目に映るワタシの腕は異常なまでに白く細く。これではまるで病人か死人だ。

 自分を起き上がらせるという行動すら、あまりにもしんどくて既に呼吸が荒れている。

 どうしてこんな当たり前のことに疲れているのか判らないでいた。

 途端に力が抜けて身体が崩れていく。

 思わず咄嗟に何かに掴もうと伸ばした先の紐を握り締めたけど何の意味もなく、ベッドから転がるようにして打ち付けられてしまう。

「──痛っ、たいなあ!」

 誰に文句を言うわけでもなく、不満を漏らす。

「あああ、だから言わんこっちゃない。人呼んで来ますよ」

 そいつはそう言いながら部屋を出て行く。

 ワタシが手にしていたのはどうやらナースコールの押しボタンのようだった。

 咄嗟に握り締めたもんだから押した気がする。病室のどこからか「すぐ向かいますのでそのままでいてくださいね」と声が聞こえた。

 ナースコール用のボタンを押してる間だけ聞こえるのだろうか、ふと疑問に思い試しに二度三度とカチカチ押してたら、廊下の方から急ぎ足で向かってくる音が聞こえてきた。看護士は急いでいるにも関わらず律儀にノックしてから病室に入ってくる。

きらさん。目覚めたんですね──先生呼んでくるからそのまま動かないで待っていて下さいね」

 踵を返す看護士は慌てて戻っていった。

 ここに向かうなら一緒に来ればいいものを、

それが出来ない理由が恐らくあるのだろう。

 起き上がることも自らの意思で動くことも出来ないワタシは開いたままのドアから通り過ぎる人々を眺めていた。

 点滴をぶら下げて廊下を歩く患者から見舞い客。それとどいつもこいつも忙しそうな看護士と白衣を纏った医者たち。

 いくら就職率が高くても多忙に追われる医者や看護士には成るまいとワタシは心に小さく誓った。



 その後──

 やってきたのは若く見える医者と看護士に見守られながら、聴診器で心音検査や脈拍やらいろいろ計り、簡単な質問を聞かれた。

「うん。だいじょうぶのようだ。詳しい事はは明日レントゲンを撮ったときにでも伝えるとして。ベッドから落ちた際にどこかぶつけたりしたかい?」

 看護士に胸元を正されながら、少し前の出来事を思い出す。

「さあ。左肩とか背中を少し打ったかも」

 口にしながら左腕を擦ろうと伸ばす手を止められてしまう。

「まだ身体を無理に動かさない方がいい。意識もはっきりしているようだし。いずれ伝えなければいけない事だから今伝えるけど、赫結昂さん。君は半年ほど眠ったきりだったんだから」

 (きら)結昂(ゆうこ)と確かにワタシの名を呼ぶ。

 ──半年も眠ってた?

 訝しげにおもわず先生を睨む。

「まあ目覚めたばかりで信じられないかもしれないけれど。それじゃあ結昂さん。君が記憶している目覚める前の日付とか季節とか覚えてるかな?」

 目覚める前──と言われてもすぐに思い出せずにいる。

 それは昨日の晩ご飯がなんだったか思い出せとか、そういうレベルの話ではない。一週間、一ヶ月前に食べた物を思い出せと言われて思い出せる人間は大したものだ。

 何か口にしたことは確かでも食べた内容まで覚えている人間なんて稀なんだから。

「そう。簡単に思い出せるほど単純な話ではないんだ。ええと──君が運ばれてきたのは七月二十日。夏祭りの前日だったんだけど、結昂さんの中で今年祭りが始まった記憶や夏休みを謳歌するような記憶はない、よね?」

 黙って頷くしかない。

 七月の夏休み前と聞いて、少し思い出したことがある。

「そうだ──先生。ワタシ両親と外食する予定だった。仕事に海外に戻ったかもしれないけど両親に連絡は……」

 その言葉で医者と看護士の二人は無言で瞳で会話するのを目の当たりした。

「あの……赫さん」

 看護士の沈んだ声が雰囲気をより一層重くさせる。患者のことを思うならば、自分の気持ちを殺せない者は失格だ。まだ淡々と機械的にでも説明する医者の方がワタシにはありがたかった。

「いや僕が言おう。順を追って説明するけれど、真実だと受け止めるしかない。それでもいいかな」


 聞かされた話はこういう内容だった。

 七月二十日の午後十九時二十分頃。

 大洞市テレビ塔から二百メートルほど歩いた先に、アーケード街に面するグランドホテルの一室とレストランのある三階が爆発。

 爆発の規模は大きく、三階が丸ごと吹き飛んだそうだ。

 中に居た従業員と客の他に、上の階に居た一部の人々合わせて四十三名が犠牲になったと言う。

 ワタシを含めた二名ほどが窓際に居た事により爆風で飛ばされ外に投げ出されたのが幸いしてか、奇跡的に助かったらしい。

 ただし三階から落とされた衝撃で身体のあちこちを損傷。そして大きな打ち身を負ったワタシは現場付近で一時、意識不明。

 出血と損傷も激しかったけれどそれでも除細動器による電気ショックと心臓マッサージを繰り返し一命を取り留めたワタシはそのまま病院へと搬送され手術を施されそのまま入院したというのだ。

 身元確認はワタシの持ち物から。

 親類への連絡をしたくとも家族構成がワタシ以外には両親のみだったということ。

 父と母は海外で小さな会社を経営していた。

 入院や手術費などはそんな両親に世話になったという会社の人が出してくれたという。


「なんだか他人事のようでにわかに信じられない」


 きっと誰もがその言葉を口にするのだと予想していたに違いない。

 それまで喋っていた先生も一度言葉を紡ぐのを止めた。

「今日はこの辺にしておこう。君は目覚めたばかりなんだ。人はね話を聞く喋るだけでも体力を使うものだしね。食欲があるのなら後で運ばせてくるけど──どうだい?」

 なにか言われた気がしたけどワタシの頭の中にまで聞こえてこない。

「そうか。水だけでも持ってこさせよう。何かあったらすぐコールするんだよ」

 看護士を促しながら二人は病室から静かに出て行った。


 一人になって静まり返った空間の中で聞いていた話を頭の中で反芻する。

 唯一の肉親である父と母が死んだ。

 長い間一人暮らししてたんだから、今までと大した変わらないハズ。

 ワタシは周りよりいろんな意味で早熟気味だったから、なんでも出来るつもりでいた。

 遠く離れた国から繋がる一本の電話越しに心配してくる父をうざい、なんて返した事もあった。

 しきりにこっちに来ないかと催促してくる母も英語もロクに話せないワタシが行ったら三十分でノイローゼになるから無理だと何度も断った事さえあった。

 そうやって邪魔だとか思いながらも離れていてもワタシ達は家族として十分成り立っていた。口では何を言っても互いに信頼し合っていた。

 ただそれだけで満足だったのに──

 もう二人の声を聴く事が出来ない。

 目頭が、熱い。

 身体中の血液もなにもかもが、熱い。

 そして大切なものを失った心が、痛い。

 誰も居ない。

 ワタシは独り。ワタシだけが生き残った。

 怒ってくれる相手も褒めてくれる相手も。

 愛してるキスをしてくれる相手は、戻ってこない。

 それも半年も前に亡くなっていたなんて。

 真っ白のシーツを濡らす雫を握り締めて。

 誰にも聞かれることもなくワタシは声を殺して泣き続けた。



 気付けば泣き疲れて寝ていたようだ。

 目を開けた先には何もない天井と真っ暗な部屋の中、カーテンの向こう側で何かが揺れ動く気配を外から感じた。

 少し汗で濡れた髪を指でかきあげる。

 カーテンに映る黒い影の正体は降り続ける雪だった。雪明りのせいで外はワタシが思っている以上に明るい。部屋の中はこんなにも暗いというのに。

いや、部屋の中だけじゃない。

人が寝て目覚めたら半年経っていたなんてまるで浦島太郎の気分。

 さっきまで泣いていたせいか、全身暑かったのに雪が降るところをみていると途端に寒くなってきた。

 人の気持ちも知らずに降り積もる雪景色に辟易してくる。

 そこへドアが静かにカチャリ、と開けられた。

 最初は見回りにきた看護士か誰かかと思って構わないでいたが。相手の反応がないことを不思議に思って頭だけ寝そべったまま振り向けば、目覚めた時に目の前に居た少年が扉を背にするように立っていた。

「なにやってんだよ、オマエ。ここは本を読む場所じゃない。そんなに読みたいなら図書館でもトイレでも好きなところで引き篭もってればいいじゃないか」

 トイレで本を読んで篭るのは父の癖だったと不意に思い出して顔を背けた。

「いえ、あの──そうじゃなくて。あの後きちんと病院の人来たのか戻ってみたら、話が、聞こえてきちゃって……ご、ごめんなさいっ」

 床に頭が届きそうなほど腰を二つに折って少年は深く深く頭を下げる。

 誰かに謝られたって二人は帰ってこないのは分かってる。

 また生まれてこの方、他人に涙を見せた事がない。話を聞かれた程度で気が滅入るほどワタシは弱くはない。

「別に。オマエが悪いわけでもないし。話聞かれて困る事なんて何一つないしね」

「そうじゃないんです!」

 顔を上げるとすごい剣幕で少年はワタシのベッドへと近づいてきた。

 本を抱き締める手をぎゅっと握るとなにかを覚悟したように口を開いた。

「爆発があったときにボクを助けてくれた人たちがいるんです。突然の事態だったにも関わらず二人はボクを覆い被さるようにして爆炎とその衝撃から身を挺して庇ってくれたんです」

 自分達の身より他人を庇うなんて莫迦な奴らもいるもんだな、なんていつもなら思ってしまうハズなのに。

 少年の表情から察するに悪い冗談の類な話ではなさそうだ。

「そういえば助かったヤツが二人居るって話だったな。オマエがそうなのか?」

 ワタシの質問に答えるつもりでなのか、そのあどけない顔の少年は分厚い専門書かなにかと思われていた本の間から金属音の擦れる音が聞こえる何かを取り出した。

 どこにでもありそうなありふれた一つの太陽の形をモチーフにしたペンダント。


 ワタシは『同じモノ』を持っている。


「オマエ。どこでそれを手に入れた?」

 相手の襟元を掴み取るように力いっぱい握り締める。

「──がっ、くる、しぃ、です」

 少年の色白な顔が青くなりそうなほど握り締めていた事に気付いてようやく手を離した。

 咽るように咳き込み息を整える少年を少し待ってから同じ質問を尋ねた。

「ソレ、どこで手に入れたんだ」

 アクセサリのメイン部分である太陽の形は簡略化されたもので、どこかの象形文字のようにも見えるそれを少年はジッと見つめてから口を開いた。

「──覚えてないんです。気付いたら手にしていて。でもさっき話していた時のことを聞いて、もしかしたらって」

 少年の伸ばした手の中にソレが握られている。

 少し躊躇して、ワタシは受け取るようにそっと手のひらを広げた。託されたように渡されたペンダントは小さいのに重みを感じる。

やはりワタシが持っているものと同じだ。今は手元にないけれど三人一緒に揃えたものハズだから。

銀製シルバーの太陽は少し黒い煤のようなものが付着していた。

指で擦りフタを開けると、そこにはありがちな家族の集合写真。

まだ中学にあがりたての頃のワタシと皺もない父と母の二人が互いの肩を抱きしめるように寄り添っている。

「亡くなったお二人、ですよね」

 写真の中の三人は笑っている。

 元々は出張として日本と海外を往復していた二人だったが、この時を境に日本を本格的に離れることにした出発の日の朝。

 もう五年も前のことなのに鮮明に覚えている。

 この時も飛行機事故とか海外での食中毒とか気をつけろ、なんて散々言った気がする。

 事故どころか赤の他人を庇って勝手に逝っちゃうなんて莫迦な話だ。

「……出てってくれ」

 そう呟くので精一杯で。

 溢れそうな涙を堪えていられるのも時間の問題だった。

 握り締めるペンダントは、少し冷たくて。

 明かりもついていない部屋は暗く。

 ジッとしていたら気が触れそうになるのを懸命に堪える。

「──でも」

 何かまだ言いたげな少年は、この場に留まろうとする。

「出ていけよッ!」

 ワタシの怒声に応えるように蛍光灯が一つ、二つと続けて破裂した。

 少年は驚いた顔で一瞬何が起きたのかわからなかったようだ。

 ワタシも何が起きたかなんて解るハズがない。

 ただそこで蛍光灯が割れずにいたのなら、手近にある物なら投げつけてでも追い出していたと思う。

 それから少年は黙ってお辞儀をしてから部屋を去っていった。

 部屋に誰もいなくなっても、まだ気が荒ぶっているのを胸の奥で感じる。

 何度もペンダントの中身の写真をなぞりながら、数年ぶりに再会できたらそうしていたように指先で父と母に触れていく。

 胸の中も何もかも熱いのに。

 静かに降り積もる雪のおかげで病室の中までもが寒い気がした。

 震えてるのは寒さのせい。

 自分の体を抱きしめるように両手で身を温める。

 震えは止まらない。

 潤んでくる瞳も、身体も、声も、

 二人が居なくてもだいじょうぶ、と強がっていた自分が情けなくなる。

 二人がこの世に居ないと再確認しただけで、ワタシはこんなにも弱い存在だと気付かされたから。


                         

                              /1・覚醒 了

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