07 君と僕の確率※
指名してくれたお客さんが延長を希望する場合はままある。
しかしノルマ人数を早く達成したい人には至極迷惑な話で、
「延長」は「指名」の数に入らないのである。
だから一人の客が延長しまくってその娼婦を一日独り占めしようもんならその日の指名数は
一人。となってしまうわけである。
ちなみに同一人物が同じ娼婦を何度かに分けて指名しても、24時間経つまではやはり
一カウントにしかならない。
ただその代わり延長料金として店に支払われた金額の一割を娼婦は受け取れる。
「早く元の世界へ」と考えている娼婦仲間さんたちにはかなり嫌がられている制度だ。
まぁそのお陰で昨日、ご飯食べに外出できたのだのだから私に文句は無い。
視覚的にも嗅覚的にも素晴らしくえげつない料理を心行くまで堪能できたし、
目ぼしい本も借り、ラミア店長のために黒豆もお土産に買えた。
ふと時計を見ると12時を回っていた。
午前中はお客が誰も来なかったな、と思い至り玄関へ向かおうと席を立つ。
さすがにそろそろ仕事をしないと不味い。柄じゃないがお客さんを誘惑しに行こう。
ドアノブを回そうとしたした瞬間、コンコンと控えめなノックが聞こえてきた。
「んぁ?はーい…」
返事はしたが、誰だろうか。
ムカデさんも美人さんも今日は予約は入れてない。出入り口のに貼ってある私の紹介文や
写真じゃ、地味すぎて目に留めるお客さんはまずいないだろうに。
扉を引くと、ゆるめのTシャツを着て肩をほんのり強調し、黒いズボンをはいた人が立っていた。
この紫色で縫い目があちこちにある肌と、
過剰なほど相手を気遣うような上目遣いには覚えがある。
「あ~。図書館の受付さん」
「え?う……ごめ………こ、んにち…わ」
途中でごめんと言いかけたのは私が眉間に皺を寄せてしまったからだろうか。
もしそうだったら申し訳ないので顔を揉みほぐす。それからにかっと笑って見せた。
「ども。よくここが分かりましたね?」
「…う、ん。その本……のしおり、に…呪い…かけ、た……の」
「え、なぜに?」
「ん……あ、の…また…会い、た、くて…」
可愛らしく笑いながらプライベートの侵害を暴露する受付さん。
良かった~。トイレであの本読まんくて。さすがにそれがバレたら恥ずかしい。
しっかし私なんかの居場所を調べてなにが面白いんだろうなぁ。
私の背中は甘い樹液なんか付いてませんよぃ?
取り合えず立ち話もなんなので、部屋に通して椅子に座らせた。
もじもじきょろきょろと落ち着かない様子なのでホットミルクを出した。
「おいし、い」
「お砂糖足しますか?」
「あ……じゃ…あ、の……も、少し」
「はいはい」
「あ、あり…が、と」
「さて、何します?娯楽道具ならなんでも揃ってますぜ旦那」
「……あ、うん…あの……あ、のさ」
紫色の頬がほんのり赤くなる。一応体温があるのか。
「腕を……俺、の…腕…縫って、くれ……ない?」
「良いですよ」
間髪入れずに返事をすると、受付さんはちょっと驚いた顔をした後、今にも周りにお花が
咲きそうな笑顔になった。まさにぶわぁあ!って感じである。
受付さんは自分専用らしきソーイングセットをポケットから取り出すと、私に差し出した。
それで縫えということらしい。
私は医者じゃ無いので人体の縫合経験などないのだが、大丈夫なのだろうか。
受け取ろうと手を伸ばしたら、その手を掴まれた。
にこにこ顔の受付さんにベットまで引っ張られる。
それから丁寧な仕草でベットに座らされ、受付さんは私の目の前に座った。
「ここ…ん、とこ……縫って?」
「りょーかいです。けど、痛くないんですか?」
「大、丈夫。……いつ…も、縫って…る……から」
「そーですか?でも痛かったら言って下さいよ」
「ん…うん……言う。ちゃん、と」
おそらく嬉しさからくる控えめな笑い声が相手から漏れる。超が付くご機嫌模様だ。
何故かやたらと懐かれている気がする……
「名前……あの…教え、て……って…言った…ら、困る?」
と思っていた矢先にこれである。
もしかして受付さんはウーパールーパーかサンショウウオがお好きなのだろうか。
人間の世界に居た頃「お前ウーパーとサンショウウオ足して2で割ったみたいな奴だな」
と友人の間でなかなか私は好評だったのである。そっち趣味なら成る程と頷ける。
「あー…と。岸本と申します」
「……下、の……な、まえ…は?」
やっぱりそうきたか。寂しそうに俯かれても教えることは出来ないのでどうしようもない。
「企業秘密です」と苦笑いに答えるとますます深く下を向く受付さん。
その体勢だと非常に腕が縫いにくい。
苦し紛れに「受付さんのお名前は?」と聞き返す。
「……ルイン…」
「ルインさん。あのですね、もちっと腕上げてもらえません?」
「……う、ん。……ねぇ」
「はい?」
「…ハサミ……は、使わ…ない、で…歯で……糸、切っ…て?」
あいよ任せな!とばかりに言われたとおり歯で糸をプツリと切る。
それを見て満足そうな受付さんは私の頭に擦り寄ってきた。
まさかの求愛(?)行動にどう応えたら良いのか分からず、肩をぽんぽんと叩いて返す。
濃紺色の髪が額をくすぐるので痒くてたまらないのだけれど、両手共に受付さんに握られて
しまったので掻くに掻けない。むぅん。かゆい。
暫くなすがままになっていたら、いきなりどんと大きな音がしたので
「うお」といつもより野太い声が出てしまった。
音がした扉の方を向くと美人さんが蔑むような目をして佇んでいた。
「交代」
それを聞いて時計を見るが、まだ20分ほどある。
いくら10分前行動が礼儀正しく理想的とはいえ、これは少々早すぎる。
「美人さん、今日予約なんて入れて…」
「インフレイム」
「あ、ああはいはい。インフレイムさん。まだちょっと早いですよ時間」
「…い、良い…よ……キシモト…俺、もう……帰る…から」
言いながら、受付さんは自分のソーイングセットを片付けてまたポケットにしまう。
寂しそうな顔でばいばい、と残して足早に立ち去ってしまった。
__もう来ないだろうなぁ。
ぼんやりと受付さんの去っていく後姿を見ながら思った。
そしてさっきから痒かった部分をポリポリ掻く。
「インフレイムさん。今日は愛美?さんだったかのとこに行くんじゃなかったんですか」
そうでなくとも出入り口の紹介文と扉の前に”指名中”の札が貼られるのだから、
接客の最中なのは分かるだろうに。
ちゃんと目を通さなかったのだろうか。悪い子だなぁ美人さんは。めっ!
「助けてやったんだろうが。ありがとうも言えないのかお前。死ね」
「何一つ助かっておらんのですが…」
「さっきのは人間を堕とすのが得意な奴で、あいつに絆されると体が腐り落ちて死ぬんだけど?
良かったなぁ?俺が途中で来てくれて。お前超キモい顔で鼻の下伸ばしてたもんなぁ。
むしろ放って置いたほうが良かったとか言うわけ?」
不機嫌そうにがたんと音を立てて美人さんが椅子に座る。
それから行儀悪く足をテーブルの上に置くと、こちらを睨み付けて「コーヒー」と一言呟いた。